第三章 2話
内部にたどり着くと、窓のないその場所は深く静かな暗闇に包まれていた。ロナは光の珠をいくつか天井に浮かべて部屋の灯りを採る。
数百年ものあいだ誰も使っていなかったというのに、まるでそこだけ時が止まっていたかのように埃のひとつもなく、しんと静まり返った空気が妙に肌に冷たい。
ルナは寒気を感じ、ひとつ身震いをした。
「ここが大鐘楼の中心なの? 特に何もないように見えるけど……」
本棚やテーブルなどの家具が置かれているだけで、魔法陣や封印など、魔術の存在を表わす物は何も見当たらなかった。
ロナは念入りに部屋を見ていたが、ふと、気付いたようにテーブルの上におかれていた銀の燭台を取り上げる。
「……ルーカスはおもに炎を扱う魔導士だったらしいな」
言いながら、ロナはその燭台に残っていた親指の爪ほどのろうそくに火をつけた。
数百年振りに灯されたろうそくの火は、ごうっと音を立てて螺旋を描くように立ち上ぼる。その螺旋の炎の中に、見知らぬ大地が浮かび上がった。
遥かに広がる青い空と、その下に広がる色褪せた荒野 ―― 。
「 ―― これ、D・E!?」
驚いたようにルナが叫ぶ。
「そうみたいだな。ルーカスは、ここでD・Eを遠視していたようだ」
ロナは炎が映し出すその光景を食い入るように見つめた。
見たい場所を見るというよりも、炎はD・E全体をゆっくりスクロールするように映像を作りだしている。
その映し出された場所のほとんどが、何物も存在しない荒野だった。樹木は枯れ果て、川や泉も水が湛えられた所は少なく、ひび割れた底がその姿を露にしている。
「死した大地とは聞いていたけど、これほどとは……」
ルナは茫然と呟く。自然の息吹というものが、ほとんど感じられない。
「……この環境の中ではあまりに不自然な、豊かな自然につつまれた場所が幾つか点在しているようだが」
ロナは不審そうにその場所を見つめた。もっとよく見えるようにと感覚を研ぎ澄ませる。けれども、まるでそれを拒むかのようにロウソクの炎はかき消され、D・Eの映像はとぎれた。
「……残念だ。もう少しで大導士たちの姿も見られたかもしれないのに。あの樹木の先に彼らの気配を感じたのにな」
再びロウソクに火をつけようとしても、まるで炎が拒否しているかのように何故か火が付かなかった。軽く舌打ちをして、ロナは燭台をテーブルに戻す。
ルナは訝しげに兄の顔を見上げた。
「ルーカスがここであちらを見ていたという事は、ここは二重結界の影響が及ばないんでしょ? それなら普通に遠視できるんじゃないの?」
「ここは弱まってるとはいえ、ルーカスの結界の中だからな。彼が決めた方法でなければ遠視出来ない。そして彼の『炎舞視』の媒体であるロウソクはもう使えない。それでも見たければ、この結界内の『力場』を変えるしかないのだが……」
それでは時間がかかり過ぎる。ロナは溜息をついた。
「そう。仕方ないね」
ルナも深い溜息をつき、壁に寄り掛かる。
ふと、頭上から何かが落ちて来た。まるで自分の存在を知ってもらいたいというように、ルナの肩をかすめて床に落ちる。それは、深紅の表紙のノートだった。
「……どこから落ちてきたのよ」
ルナは背後を振り返り、そこに壁しかないことを確認して目を丸くする。そうしてゆったりとそのノートを拾い上げ、何気なくページを開いた。
「 ―― !?」
それは、この大鐘楼の主であるルーカスが綴った手記のようだった。
そこには自分たちが知る古月之伝承には書かれていない、自転停止の真実が記されていた。
「ロ、ロナっっ!」
ルナは慌てて兄にそれを手渡した。
それは、あまりに驚くべきことだった。まさか、D・Eの滅びが不幸な事故ではなく、起こるべくして起きた故意的な物だったとは ―― 。
そしてノートの最後には、もっと驚くべきことが書きなぐるように記されていた。
自転停止の後、この場所でルーカスはすべての生命を失ったアルファーダの様子を見ていた。自分たち兄弟のしたことがどんな結果をもたらしたのか、それを見届けるつもりだったのかもしれない。
≪ ―― 我が兄カイルシアの全魔力発動によって死の大地となったアルファーダには、何故か一箇所だけ、緑につつまれた場所が残っていた。
そこには、ひとつの小さな生命が息づいていた。まだ生後まもないのであろう。白い布にくるまれた銀の髪の赤子が、柔らかな草木の中で眠っていた。
まるで自然そのものが赤子を育んでいるように、そこだけが樹木で覆われ、風が子守歌のように優しく吹いている。
それを見て、私はこの赤子が兄の言っていた『自分を超える存在』なのだと気が付いた。魔術の源である大自然を従えし者。いや、大自然に愛されし者……。
この赤子が成人となったとき、どう行動するのか。それが、我らの新しい世界『レミュール』の未来を左右することになるだろう。
私は、東と西を直接結ぶこの空間を閉じることにする。それが、今の私に出来る最後の『守護』である。
この『文書』は亜空間に封印しておく。もし、再びこの文書が現れたならば、それは私の『守護』がついえたことを意味する。
即ち、レミュール崩壊の前兆である ―― ≫
ルーカスの言葉は、それで終わっていた。
「信じられないわ。そんな、赤ちゃんが独りで生きていかれるはずがないじゃない」
ルナは茫然としたように兄に訴える。
「確かに信じがたい話だ。だが、たわごとだと決めつけることは出来ない。確かに今、レミュールは破滅の危機にさらされているわけだしな」
白色の瞳を僅かに細め、ロナは紅の表紙のノートを眺めやる。ルーカスは、いったいどんな気持ちでこれを残したのだろうか……。
「じゃあ、ティアレイルくんが言っていた『止めるべき相手』が、その赤子だとでもいうの? 自転停止が起きたのは、もう何百年も前の事なのよ。自然に愛されたというその赤子だって、現在いるはずがないじゃない」
ルナはいつもの彼女らしくなく、すべてを否定するような口調で兄に突っかかった。ルーカスの残した文書を信じられなかった。否、信じたくなかった。
科学的にそんなことは有り得なかったし、心情的には、そんな哀しい存在がいることを信じたくないと思ってしまう。
「ルナ、君らしくないな。我々だけは真実から目を逸らしてはいけない。そう約束しただろう?」
ロナは優しい表情を浮かべ、そう言った。
二人が互いに総帥・総統となり<古月之伝承>を知った時、自分たちだけでも真実を見つめよう。そう誓ったのである。それが、犠牲となったD・Eへの最低限の礼儀だと思った。そして、カイルシアの子孫である自分達の義務だと。
その古月之伝承さえも偽りであったとは、思いもよらなかったけれど ―― 。
ルナはふと瞳をあげ、自嘲的な笑みを浮かべた。自分がここで取り乱すことは、ひどく愚かしい。
「……そうね。ごめんロナ、今の私は忘れて」
ほうっと息をつくと、いつもの毅然とした『総統』の表情を取り戻し、ルナは言う。ロナは、微かに頷いた。
「このルーカスの言葉の正否を知るには、やはりD・Eを遠視する必要があるだろうな。そのためには、少し時間は掛かるがやはりこの結界内の力場を変えるしかない。ルナ、離れていなさい」
そう言うと、ロナは軽く瞳を閉じて部屋の中央に立った。
幾度か左手で空を切る動作をしながら、何かを唱えるよう僅かに唇を動かす。
ロナの体からゆっくりと光が立ち上ぼり、足元から外側に向けて円を描くように魔力の『場』が生まれた。
もとからあった『ルーカスの力場』と、わり込もうとするロナのそれとがぶつかり合い、放電するような音をたてて空気を震撼させた。
それが何度も繰り返される。あとは、気力と集中力の問題だった。
相手は既に存在していない分、こちらの集中力が続けばいつかはその『場』は崩れる。ロナは桁外れな集中力を発揮し、つくっては弾けて消える自分の『場』をおよそ一昼夜のあいだ創り続け、数百年間保たれていたルーカスの力場を完全に自分の物へと変えていた。
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