第二章 11話

 茫然と空を見上げていたショーレンは、ふっと我に返った。

 このままだと、イファルディーナはこの場所にやってくるのだろうと思う。あれは、自分を探しにレミュールからやって来たに違いないのだ。

 けれども。ショーレンはここにあれを呼んではいけない。何故かそう思った。

 アルファーダの民が、初めて見るレミュールの浮上車に恐れを抱くかもしれない。それに何よりも、イディアの様子が気になった。

 いつも穏やかで優しい空気をまとう青年が、遠目から見ても分かるくらいに動揺している。そんなイディアを見てしまえば、イファルディーナをこのまま迎え入れることは出来なかった。

「リューヤ、悪い。パルラを貸してくれないか? この町から離れたところで、あれを出迎えてくる」

 ショーレンは、隣で驚きの眼差しを空に向けていたリューヤに声をかけた。

「アルディス、あれが何なのか知ってんの?」

「ああ。レミュールの乗り物だ」

 じっとイファルディーナを見つめたまま、ショーレンは応えた。こうしている間にも、車はどんどんこちらに向かって近づいてくる。

「……アルディスを迎えにきたのかな」

 ふうっと、リューヤはしょんぼりとした顔になった。せっかく仲良くなったのに、もうお別れなのかと思うと寂しかった。

「たぶんな。でも、そんな顔すんなよリューヤ。俺はすぐには帰ったりしないぞ。まだこっちで調べたいこともあるしな」

 ショーレンは明るい笑みを浮かべ、沈んだリューヤの頭に手を置いた。意志の強さをうかがわせる藍い瞳が、ぱちりと片目だけ閉じられる。

 『調べる』と言うと無粋な言葉に聞こえるが、ようはレミュールとあまりに違うアルファーダに対する好奇心が、まだおさまっていないということなのだろう。

「別にっ、帰らないでほしいなんて言ってないだろ! アルディスが帰ったって、おれは寂しくも何ともないぞっ」

「そーか? 俺は寂しいけどな」

 にっこり笑いながらそう言われて、リューヤはつんっと横を向いた。しかし、楽しげに自分を眺めてくるショーレンの視線に、降参したように息をつく。

「ちぇっ。アルディス、むかつくよなぁ」

 ぼやくように言いながら、リューヤは青年に自分の後ろに座るように指し示した。パルラを貸すのではなく、自分も一緒に行こうというのだろう。

「じゃあ頼むな。リューヤ。それにパルラも」

 ひょいっとパルラの背に乗りながら、ショーレンはくすりと笑った。

 パルラは名残惜しげに一度だけイディアのいる方を見やると、くうっといなないて町の外に足を向けた。

「悪いな。あとでしっかり甘えさせてもらえよ」

 なだめるように軽く背を叩いていてやりながら、ショーレンは再び空を仰ぐ。

 誰が自分を探しに来てくれたのかは知らないけれど、レミュールの人間がこのパルラを見たらどんな反応をするだろうか? ショーレンは少し、楽しみな気がした。


「この辺でいいかな」

 町から少し離れた場所にある川岸にやってくると、パルラは足を止めた。

 ひょいっと身軽にその背から降りて、ショーレンは大空に伸び上がるようにイファルディーナに向かって大きく手を振ってみせる。

「そんなんで、気付くのかなぁ」

 リューヤは疑わしげにショーレンと空を見比べた。

 どこまでも遠く広く続くこの空と大地に比べれば、自分たちなどほんのちっぽけな存在だ。その広大な荒地の中で、たかだか手を振ったくらいで、天を飛ぶ車が自分達に気付くものなのだろうか?

「わかるさ。俺の生体波動かなんかを頼りに捜索してるはずだからな。人間が気付かなくてもレーダーがキャッチしてくれる」

 にやりと笑って、ショーレンは更に天に向かって手を振ってみせる。

 イファルディーナはすぐにショーレンに気が付いたように、ゆっくりと高度を下げながら彼らの待つ川岸に近づいてきた。

 微かなエンジン音を上げてゆうるりと川岸近くに降り立つと、驚くリューヤの目の前でその扉が開かれる。

「ショーレン!!」

 その中から見慣れた親しい友人たちの顔が飛び出してくるのを見て、ショーレンは瞳を細めた。中から走り出てきたのは、ルフィアとアスカだった。

 やはり彼らが来たのかという嬉しみと、ほんの数日離れていただけであるにも関わらず、ひどく懐かしい気がして、ショーレンはくしゃりと笑う。

「よかった……ショーレン。シャトルが爆発した時は、ほんっと驚いたんだよ。すっごく心配してたんだから。左京っていう人が、ここには猛獣もいるっていってたし」

 ぴょんっと長身のショーレン抱きつくと、ルフィアは満面に笑顔をたたえてその無事を喜んだ。

「悪いな、ルフィア。来てくれてありがと」

 にこりと笑って、ショーレンはルフィアの頭を軽くたたく。

「元気そうで良かったよ。まあ、おまえなら猛獣を食うことはあっても、食われることはないと思ってたけどな」

 声を上げて笑いながら、アスカは一週間ぶりに会う友人の顔をしげしげと見た。もう少しやつれているかと予想していたが、別れた時と変わらず健康そのものなその姿が、なんだか可笑しかった。

「おーまえなあ、ルフィアみたいにもっと感動的な再会は出来ないのかよ。ったく」

 呆れたように言いながら、ショーレンは楽しげに笑った。まあ、それがアスカらしいと言えば、あまりにらしくて嬉しい気もするが……。

「アルディス、何だよこいつら?」

 少しむくれたように、リューヤはショーレンの袖を引いた。

 いきなり親しげな人間が現れたのが、リューヤには気に食わなかった。そんな自分がバカみたいだと思いながらも、つい口を尖らせてしまう。

「このあいだ話しただろ。レミュールにいる、俺の親友たちさ」

 ショーレンはにやりと笑って少年にウィンクしてみせた。

「ああっ! むっちゃ変わり者のアスカと、気は強いけど美人なルフィア?」

 小悪魔的な笑みを浮かべ、リューヤは聞いた話の一部分だけを抜き出して強調するように口にする。

「リューヤ!」

 ショーレンは慌てたように少年の口を塞いだ。けれども、もう遅い。

 ルフィアは軽く肩を竦め、アスカはにやにや笑いを浮かべてショーレンをちろりと見やった。

「ほお。そーんなふうに言ってたんだ俺のこと。ショーレンくん」

「おや。自覚がないのか? 可哀相に」

 ショーレンはわざとらしく嘆く真似をしてみせる。それと同時にリューヤに軽く舌を出し、その額を軽く小突いてやった。

「ふふん。変人と言われようが、別に俺は好きなことをしてるだけだからな」

 相変わらずなショーレンの言動に安心したように、アスカはそう応えてからからと笑った。

「アスカ、回収が済んだら出発させたいんだけど?」

 再会してお互いの積もる話に花を咲かせようとした三人を遮るように、扉からティアレイルが顔を出して促した。

 このまま放っておいては、いつまでここで話しているか分からない。

「回収って……ティア、こいつはいちおう物じゃなくて人間だぞ」

 にやりと笑って、親指でショーレンを指す。

「そういうつもりで言ったわけじゃない。私はただ……」

「わかってるって。単なる軽口だ。なんでも真面目にとるなよ、ティア」

 穏やかな翡翠の瞳を苛立たしげに細めた幼なじみに、アスカは大げさに手を広げて溜息をついた。

 それを見て、ショーレンの目が丸くなる。

「ティアレイルも来てるのか?」

 アスカやルフィアが自分を探しに来てくれたのは分かる。しかし、ティアレイルは何故ここにいるのだろうか?

 それに何よりもあの『科学派嫌い』のティアレイルが浮上車に乗っていること自体、驚くに値することだ。

「事情はいろいろとな。あとでゆっくり話す」

 アスカは軽く口許を歪めると、軽く息をついた。いろいろと話すことがありすぎて、今すぐここで説明するのは難しい。

「なあ、アルディス。あれ……誰だ?」

 リューヤはくいくいとショーレンの袖を引いた。その幼い瞳がティアレイルに釘付けになっているのを見て、ショーレンは「ああ」と頷いた。

 なにせ、自分だってイディアを初めて見た時に『似ている』と思ったのだ。その逆があるのは当然だ。

「ティアレイルっていって、こいつの幼馴染みだよ」

 ぐいっとアスカを前に押し出して、リューヤにみせる。

「……ふうん」

 リューヤは不思議そうに首をかしげてアスカを眺め、そして、おもむろにティアレイルに駆け寄った。

「名前もちょっとイディア様に似てるねえ。なんで? イディア様のお知り合い?」

 リューヤは無邪気にティアレイルに話しかける。

 その問いかけがあまりに無邪気だったからなのか、ティアレイルは小夜や左京の時のように不快感は感じなかった。

 いつもの穏やかな笑みを浮かべ、リューヤの頭を軽く撫でてやる。

「私は、その人とは全く関係ないよ。……そんなに私とその人は似ている?」

「うーん。顔は違うけど、雰囲気がすごく似てるよ」

 リューヤはにこにこと応えた。大好きなイディアと雰囲気が似ているからなのか、リューヤはティアレイルのことも気に入ったようだ。

 その目にいっそう楽しげな笑みが浮かんでいた。

「ショーレン、あの子は何なんだ?」

「うん? ああ、命の恩人かな。荒野をさまよってるところを拾ってもらったのさ。今はあの子……リューヤっていうんだが、彼の家に住ませてもらってるんだ。あいつひとり暮らしだからな、今の俺は気楽な居候だ」

 不思議そうなアスカの問いに、ショーレンは楽しげに笑った。

 リューヤに出会わなければ、自分はあの荒野をずっとさまよう羽目になったかもしれない。自分が目覚めたあの場所と、この湖の町にはかなりの距離がある。自力でたどり着いたとは思えない。そうなれば、自分は生きていなかっただろう。

 そうショーレンは思うのだ。それほど町の外は荒廃している。いろいろとリューヤに話を聞いてみても、それは確実なことに思えた。

「あんな子供がひとり暮らしか?」

「もともと孤児だったらしいんだ。ここにはイディアっていう神官がいるんだが、彼に育てられたと言ってたな」

「 ―― !」

 アスカはふいに友人の口から出たその名前に目をみはった。それは、トリイの町でさんざん聞かされた名前だ。

「ショーレン、イディアって奴の話をあの子から聞いたことあるか?」

 いつになく真剣な表情がアスカの面に浮かび、ショーレンをじっと見やる。ショーレンは訝しげにそんな友人を見返した。

「ああ。イディア本人とも何度か話したことあるけど、それがどうかしたのか?」

「……いや。ここに来る途中、トリイの町ってとこでいろいろ言われたんだ。ティアがそいつに似てるとかなんとか」

 ショーレンは納得したように頷いた。

「そっか。まあ、顔が似てるわけじゃないよ。なんていうのかな。雰囲気が似てるっていうか。織り成す空気が一緒というか。……ほら。あの表情の作り方なんてそっくりだ。あとは、腹の底では何考えてるか分かんないとこもな」

 穏やかにリューヤと話しているティアレイルを視線で指し示し、ショーレンはにやりと笑った。

 ティアレイルもイディアも、いつも穏やかに微笑んではいるけれど、ショーレンからしてみれば、二人とも心から笑っているようには見えなかった。

「ふーん? ティアの考えてることなんて分かりやすいと思うけど。……でも」

 アスカは軽く眉根を寄せた。

 あの時……こちら側に来たばかりの頃、風の中に感じた気配を自分もティアレイルに似ていると思った。それがイディアの気配だったのだろうと今ではわかる。

 それが、なんだかとても嫌な気がした。実際に、こちら側に来てからのティアレイルはどことなく不安定に感じられるのだ。

「ティアに何か悪い影響がなければいいんだが……」

 考え込むように呟いて、宙をかるく睨む。ショーレンの口から出た二人に対する評価に、何故だか妙な胸騒ぎがした。

「前から思ってたんだけど、おまえってティアレイルのことになると、やたらと心配性になるよな。過保護っつうか、普段とまったく態度が違うんだよ。それじゃあ友人ってよりも保護者みたいだぜ、おまえ」

 深刻そうに呟いた友人に、ショーレンは溜息をついた。常に飄々とした雰囲気を持つこのアスカが、幼馴染に対してだけは違うのだ。

「……そうか?」

 アスカは訝しげにショーレンを見る。

 まるで自覚がないらしい。幼い頃からずっと兄のように接してきたのだから、仕方がないといえば仕方がないのかもしれない。

 けれども、ティアレイルにとってはあまり嬉しくはない対応だろうとショーレンは思う。

 仮にも彼は『魔術派の象徴』と呼ばれ、一身に人々からの尊崇を受けている存在なのだから……。

 ショーレンはティアレイルの心中を思いつつ、目の前の友人の不思議そうな表情に小さく苦笑した。

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