第二章 8話

「どうして……」

 息を呑んで呟く声が聞こえ、ティアレイルはそちらに目を向けた。

 少女は桜色の唇を微かに震わせ、どこか切なそうにティアレイルを見つめていた。雪のように白い肌が、僅かに青ざめて見える。

 その真意を確かめようとティアレイルが一歩を踏みだした時、それを遮るように精悍な顔つきをした若い男が、少女を自分の背後に下がらせた。

「……四人か」

 男はティアレイルたちを鋭く見据えながら呟く。少女を『幽霊』には近付けたくないという意思表示であったろうか。少女はすっぽりと男の影に隠れて見えなくなった。

「俺たちに何か用か?」

 アスカは男の前に立ち、毅然と相手を見やる。引き寄せたからには、何か用事があるのだろう。

 その傲然とした態度に、男は苛立たし気にアスカを睨みつけた。

「それは、こちらの台詞だな。何のためにおまえたちは来た? ……時おり流されてくる者はいる。けれど、おまえ達は違う。こちらに来ようという明確な意志をもってやって来たように見受けられる」

「友人を探しに来たのさ。こっちに飛ばされたらしいんでね」

 アスカは相手の目を見返しながら、にやりと笑う。普段から鋭角的だと言われるアスカの表情は、いつもよりさらに鋭い。

「……嘘だな」

 男は眼光をさらに強め、アスカを見据えた。

 レミュールのどこから来ようとも、必ず最初にこの『トリイの町』に辿り着くようにアルファーダには結界が巡らされている。

 それは、アルファーダの中心である大陸に『幽霊』の侵入を防ぐために、自分がイディア様に頼み込んでやってもらったことだ。

 アスカのいう『友人』が本当に存在するのならば、それを自分が見落とすわけがない。男はそう強く思う。

「嘘じゃないさ」

 アスカは男の眼光を軽く受け流すように、いつもの余裕綽々とした笑みを刻んだ。

 そのあまりに軽い受け答えに、男は思わず拳を握り締めた。

「……左京さま。その人は嘘をついていないようです。もしかしたら、大陸に直接飛ばされたのではないでしょうか?」

 囁くような少女の声に男は軽く唸った。結界をすり抜けて、直接イディアのいる中央に幽霊が入りこむということは、にわかには信じられなかった。

 けれども。この少女がそう言うのであれば、それは真実に違いない。この少女……小夜は、この神聖なる島の巫女なのだから。

「……だからといって、よく平気な顔で探しに来れるものだ。よほど神経が図太いのか、それとも能天気なのかどちらかだ」

 精悍な頬に苦い表情を刻み、吐き捨てるように呟くと、左京と呼ばれた男は忌々し気に横を向いた。

 自分達『幽霊』がこのアルファーダに何をしたのか少し考えれば、のこのこ人探しにやってくることなど出来まい。そう思うと腹が立った。

「あの……さっき、たまに流れてくる者がいるって言いましたよね? それは、レミュールの人?」

 セファレットはすみれ色の瞳を男に向け、おずおずと尋ねる。二重結界を越えて、レミュールの者がこっちに流されるとは考えにくい。

 あれは、何者をも通さないよう張り巡らされた結界なのだから。

「……ああ。そうだ。ごく稀にだが、流されてくる者が居る。……それは、こちらとあちらを隔てる結界が張り替えられる時だと、あの御方はおっしゃっていたが」

「その人たちは?」

「今は誰も居ない。レミュールの人間は、こちらで長く生きることは出来ない」

 左京はあっさりと言った。

 レミュールでは、こちらは『危険な環境』であると言われていた。それがやはり正しいのだろうか? セファレットは考えるように俯いた。

「俺は、そちら側の人間を歓迎しない。見殺しにすることはないが、率先して守ることもしない。だからそんなに長く生きられない」

 じろりと四人を見回し、左京はわざと憎しみを込めて言う。

 昔カイルシアたちがこちら側にしたことを考えれば、そういった警戒をされるのも当然だろうと、彼は暗に語っていた。

「それなら、どうして私たちを引き寄せたの?」

 先ほどイファルディーナをこちらに引き寄せられたことを思い出し、ルフィアは左京を見つめた。

 歓迎しないなら、そのまま居なくなるまで放っておけばよかったのだ。

 その真摯な強い眼差しを受け、左京は軽く頭を振りながら深い吐息をもらした。

「おまえたちを、そのまま放置する訳にもいかないだろう。……それに、気になることがあったから呼び寄せた」

 そう言うと、左京はティアレイルに視線を向けた。

「 ―― っ!?」

 ティアレイルはぎょっとしたように目を見開いた。

 左京の後ろにいたはずの少女が、いつの間にか最も離れていた自分の隣に立っていた。白く細い指が、自分の腕をしっかりと掴んでいる。

 腕を掴まれるまで、ティアレイルは少女の気配にまったく気付かなかった。

「何故、あなたはそちら側なの? あの御方に似た感覚を持つ人が……何故?」

 そんなの理不尽だわと、少女は悲しそうにティアレイルを見やる。自分の敬愛する存在に、どうしてこんなにもその魔力の感覚が似ているのだろうか? それを見極めるように、小夜はじっとティアレイルの翡翠の瞳を覗き込んでいた。

「……私は、私だ。それをそんなふうに言われるのは、不愉快だ」

 ティアレイルはざわつく神経を必死に抑え、少女の腕を振り払った。

 魔術者である個々の人間が持つ魔力の気配。感覚。それは、その人の存在そのものをあらわす生命の波長だ。それが誰かに似ているなどと、言われて嬉しいものではない。ましてや、それを責められるのは筋違いも甚だしい。

 しかし ―― 手を振り払ったのはそれだけが理由ではなかった。恐ろしかったのだ。あのまま少女と対峙していることが。

 この少女に自分の心奥までが見透かされてしまうのではないか……。彼女の澄んだ黒い眼差しが、ティアレイルはこわかった。

「…………」

 小夜は傷付いたようにあとずさった。

 黒珠のような瞳がみるみると潤み、切なげに伏せられる。あまりに哀しげなその姿に、左京は優しく彼女を抱き寄せ、そしてティアレイルを睨み据えた。

「……あの御方がいなければ、この神の島はとうの昔に死んでいた。我々にとって、あの御方は特別なのだ。それに似た気配を持っている存在がいれば、不思議に思うのは当然だろう? それが『幽霊』ならば尚更のこと」

 やはり、どこか責めるような口調だった。

 ただ、責める理由は小夜とは違っていた。小夜は同じ感覚を持っているティアレイルがどうしてレミュールの人なのか。それが切なくて哀しい。そんな口調だった。

 それに対して左京は、幽霊のくせに同じ感覚を持っているのは許せないと言いたげなのである。

「そんなこと……私は知らない」

 ティアレイルには珍しく、相手から目を逸らして小さく呟く。

 彼らが言う『あの御方』とは、先ほど風の中に感じたあの魔力ちからの持ち主のことなのだろうとは思う。

 確かに、よく似ていたのは自分でも感じたことだ。けれども。まるで自分がその人間の複製品のように言われるのが我慢ならなかった。

 それなのに、なぜだかそう言い返すことが出来ない。この二人が持つ自分への感情に、心が引きずられるような気がした。

「 ―― 俺は『あの御方』って奴を知らないけど、逆だって言えるんだぜ。何でこんなにティアに似た感覚の奴が、D・Eにいるんだろうってな」

 アスカはわざと『D・E』という単語を使ってみせた。こっちの本当の名称を知らないからでもあったが、『幽霊』という言葉に対抗する意図もあった。

 一瞬、左京の瞳に殺気が走る。自分の大切なものが侮辱されたような気がして、許せなかった。その眼光だけで射殺せそうな強い眼差しをアスカに向ける。

「同じだよ。大切な存在をあんなふうに言われたら、誰だって腹が立つ」

 アスカは晴れた夜空のような両眼で左京の刃のような視線を受け止めると、僅かに口許を歪めた。

 じっと左京を見やるその双眸は、確かに怒りを示していた。

「…………」

 左京は、ぐっと言葉に詰まったように下を向いた。アスカの言いたいことは理解できた。しかし、理解できると納得できるは違う。

 彼は必死に自分の感情を押し殺すように、強く唇を噛んだ。

「 ―― ! 左京様、夜が明けます。島民たちが起きてくる」

 少女はハッとしたように、男の顔を見上げそう囁いた。

 夜が明けると言っても、今まで夜空だったわけではない。青い空は変わることなく頭上に在り続けている。

 ただ、風の匂いが変わった。そして、柔らかな涼風がいつもの乾いた風になる。

 それが、このアルファーダにとっての夜明け。イディアの『眠りの夜』が終ったという合図だった。

 そうなると人々は目を覚まし、新しい一日を営み始めるのだ。

「……おまえたちを島民に会わせるわけにはいかない。このまま帰らないと言うのであれば、身柄を拘束させてもらう」

 左京は表情を消し、四人に告げる。

「どちらも……断る」

 そんなことをしている暇はない、そうティアレイルは思った。

 月がレミュールに落ちるのを阻止するために、自分はD・Eに来たのである。悠長に拘束などされていては変えられる予知も変えられなくなる。

 ティアレイルには、紅蓮の炎に焼かれて逃げ惑う人々の姿が未だにはっきりと見える。それは、変わらない未来の確約だった。

 予知した未来図が少しでも乱れてくれば、予知が変わる可能性が出てきたということなのだけれども。

「……おまえたちは、危険だ」

 左京は苦しそうに表情を歪め、四人を見やる。何故かはわからない。けれども。彼らを島民たちに会わせてはいけないと本能が告げるのだ。

 小夜も同じように感じているのか、蒼褪めたように彼らを見つめ、震えをこらえるように左京の袖を握り締めていた。

「拘束する」

 覚悟を決めたように、左京はすっと右手を上げた。

 穏やかに凪いでいた波が、四人を取り巻く柱のように周囲に立ち上ぼった。その波は、イファルディーナに戻る道を完全に塞ぐ。

「先ほどの風陣のように、簡単に破れるとは思うなよ」

 左京は小夜と共に、四人を取り巻く術を強化する。彼らは本気で、ティアレイルたちの身柄を拘束するつもりのようだった。

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