第二章 9話

「何故、会ったらいけないの?」

 セファレットは不思議そうに首を傾げた。

 こちらの人間に会ったとして、幽霊と忌み嫌われて嫌な思いをするのは自分達の方だ。それを、まるで危険人物のように隔離することはないと思うのだ。

「…………」

 まるで邪気のないすみれ色の眼差しを受けて、左京はふっと視線をそらした。沈んだ瞳を小夜と見交わして、深い溜息をつく。

 なんと言われようとも彼らを島民たちとは会わせたくなかった。

 普通の『幽霊』ならば会ってもかまわない。今までもこのトリイの町にレミュールの人間が流れ着き、そして住み着いたことだってある。

 けれども ―― この四人はいけない。

 今まで何度か流れ着いたレミュールの人間達と彼らでは、持っている空気がまったく違う。

 この島の人間達に会えば、彼らはきっとアルファーダの秘密に気が付いてしまうに違いない。それだけは、どうしても避けたかった。

 小夜はきゅっと瞳を閉じ、彼らが帰ってくれるようにと強く願った。自分のこの思いが、四人の意志を変えてくれることを祈るように。

「……教える必要はない。帰るのか、それとも拘束されるのか?」

 左京は決断を迫るように、一歩前に進み出た。それと同時に、立ちのぼる波の柱も周囲を縮めて狭まっってくる。

 波の柱はまるで氷の刃のごとく冷たい鋭さを持っているように感じられて、セファレットは身を竦めた。

「悪いが、俺たちは先に進ませてもらうよ。物見遊山に来たわけじゃないんでね、ああそうですかなんて、簡単に帰るわけにはいかないのさ」

 アスカは人をおちょくっているとしか思えない態度で、トリイの町の青年と巫女の少女に目を向けた。

 相手を怒らせることが目的だとしか思えないほど、それは挑発的な口調だった。

「それにさっき『簡単に破れると思うな』とか言ってたけどさ、俺達だってそう簡単に拘束されたりはしないぜ? こっちは魔術者三人。そっちは二人だ。簡単な計算だよな」

「……人数がいればいいというものじゃない」

 あまりに超然としたアスカの態度に、左京は鋭い眼光を突き立てる。

 けれどもその強い眼光に怯んだ様子はまるでなく、くすりと、アスカは可笑しそうに笑ってみせた。

「俺達の魔術者としての能力は低いって、本当にそう思うのか?」

「…………」

 ちらりと、左京はティアレイルを見た。

 他の者に自分と小夜が負けるとは思わない。ただ……自分の敬愛する存在と似通った気配を持つ者。今はただ黙ったまま自分たちをじっと見つめている翡翠の瞳に、左京は唇を噛んだ。

 あの男は、自分達よりも強大な力を持っている。それは何もしていなくてもわかる。だからといって、こちらも引き下がるわけにもいかなかった。

「おまえたちの友人とやらは、恐らく生きてはいないぞ。中央の大陸に出たのなら、よほど運が良くない限りは町には着かん。ほとんどが荒れ野だし、猛獣もいる」

 だから諦めて帰れ。左京は叩きつけるように言った。

 こうして無駄な問答している間にも、人々が少しずつ目覚めて活動し始める。そう思うと気が気でなかった。

「ねえ、左京さん。私たちを島の人たちに会わせたくないのなら、拘束なんかするよりも出発させた方がいいと思うよ」

 ルフィアは諭すようにゆっくりとそう言った。

 本当に拘束されるとなれば本気で抵抗するつもりだったし、そうなれば数の多いこっちが有利だろう。

 彼らがどの程度の魔術者なのかルフィアには分からない。けれども、こちらには魔術派の象徴と呼ばれる大導士がいるのだ。

 左京はどこか苦しげに深い息を吐き出すと、口を引き結んで渋面を作った。

「……中央の大陸に行かせるわけにもいかない。おまえたちが、あの御方を害しに来たのではないとは言いきれないからな。……昔のように」

 低い声でそう呟く。その瞳には再び、深い嫌悪と警戒の色が浮かんでいた。

 ―― 昔のように?

 ティアレイルはその言葉にひっかかるものを感じた。

 一瞬、何かが脳裏をかすめた。けれどもその正体を掴み取るよりも前に、するりと『それ』は己の感覚から逃げてゆく。

「昔? それはどういう……」

「みんな、早く乗って!」

 不意にふわりとした女性の声が空から降りそそぎ、大きな影が地上に落とされた。

「 ―― !?」

 驚いて天を振り仰ぐと、制御不能であるはずのイファルディーナが頭上をふわふわと飛んでいた。

「セファレット!?」

 ティアレイルの翡翠のような緑の瞳が驚きに見開かれた。

 彼女が車の周囲を己の魔力で包み込み、空中に浮かせているのだということは見ればすぐに分かる。

 しかし、ティアレイルはセファレットが魔術を行使したという事実を、その目で見るまで気付くことができなかった。

 普段ならば敏感に感じ取ることが出来る物事のすべてが、この『D・E』に来てからというもの何か澱に包まれたように感じられる。

 己のすべての感覚が鈍っているような気がして、ティアレイルは重く溜息をついた。今の自分は魔力も情緒もどこか不安定だ。そう自覚せざるを得なかった。

 そんなティアレイルの思いを知る由もなく、イファルディーナは高く立ちはだかる波の囲いを崩すように、天高い位置から飛び乗れる程度まで高度を下げてくる。

「へへっ。役に立つでしょ」

 にこりと笑ったセファレットが開け放った扉から顔を覗かせながら、軽く片目を閉じてみせる。

 アスカやルフィアが左京たちの注意を引きつけているのをいいことに、セファレットはこっそりイファルディーナの車内に転移したのである。動かし方も分からないし制御不能でもあったので、自分の魔力で動かしてしまったけれど。

「ハシモト、さすが!」

 アスカは惜しみ無く賞賛の言葉を送ると、手を伸ばしてイファルディーナの開け放たれた入口の底を掴む。

 そこで一度反動をつけると、まるで体操選手のようにしなやかに車に跳び乗った。乗るとすぐに、ルフィアを引き上げる。あとはティアレイルが乗るだけだった。

 左京たちはそれを黙って見ていた。否、何故か手を出せなかったのだ。

 彼らを引き止めようと一歩踏み出すと、何か強い力に跳ね返される。無理に近づこうとすると、引き千切られんばかりの力が身体に加わってきた。

「だから言ったろ。簡単な計算だって」

 にやりと、アスカは口許を歪めるように笑った。その晴れた夜空のような紺碧の瞳が、鋭く研ぎ澄まされた刃のように煌めいている。

 よほど『拘束する』という言葉が気に食わなかったらしい。

 彼は普段はあまり真面目に魔術を使わないが、魔術研究所の所員であること自体でその魔力の強さは明白である。しかも、系の術力に限っては、ティアレイルよりも優れていると言われていた。

 その有効範囲は、極端に狭いものではあったけれど ―― 。

 『防衛術』は自分を守るというよりも周囲の人間を守り、場合によっては反撃もする魔術のことだ。そこが単なる『防御術』とは違うところなのだが、そのことでアスカはロナにからかわれたことがあった。

 己に関しては無頓着なこのアスカが、自分の大切にしている存在ものに関しては過剰に反応することに対して、ロナは溜息まじりに『まったくもって兄貴分らしい能力だな』などと言ったものだ。

 その彼が壁を作り、空間を隔たらせているのである。守る範囲はたったの四人。その術の密度は濃い。簡単に手が出ないのは、当然と言えば当然のことだった。

「待って!」

 小夜は必死な声で呼び掛ける。あまりに悲痛なその声は、無視するには悲しみが強すぎた。

 ティアレイルは思わず振り返り、そして少女の漆黒の瞳に吸い込まれそうな錯覚にとらわれる。

「行かないでください。お願いします。あの御方を……イディア様を、これ以上苦しめないで。あなたたちが行けば、きっと……」

 ―― いつものあの御方ではなくなってしまう。

 懇願するように、小夜はティアレイルを見つめた。イディアと同じ穏やかさを湛えた翡翠の瞳を、じっと。

 アスカの『壁』で触れることが出来ない分、彼女は黒珠の瞳に感情を込め、ティアレイルに注ぎこむ。

 小夜は、敬愛するイディアが常に危うい状態にあることを知っていた。

 燃え盛る炎の海を、氷で造った船で渡っているような……いつ瓦解してもおかしくない状態。瓦解した先に待っているのは、己が身を焼く炎 ―― 。

 あなたになら分かるでしょう? そう彼女の瞳はティアレイルの心に囁やきかけ、そして訴えかけてくる。

「…………」

 ティアレイルはそんな彼女のまなざしから逃れるように、ゆっくりと瞳を閉じ、顔を背けた。

 精神的に不安定な今の自分では、彼女の深くつよい悲しみに、飲み込まれてしまいそうな気がした。

「ティア、なにやってるんだ。早く来い!」

 アスカが向こうで叫ぶ。

 その声に応えるようにそちらに向かおうとしたティアレイルは、けれども一瞬。足が動かなくなった。

 イファルディーナに乗れば、すぐに自分達はここを出て、彼らの言う『中央』に行くことになるのだろう。

 そうしなければショーレンを見つけることも、レミュールに落ちる月を止めることも出来ない。

 それはよく分かっていた。けれども何故かためらわれる。それは……『予知』になる前の、小さな『予感』だったのかもしれない。

 自分達が中央の大陸へ行くことが、何か大きな問題を呼ぶ。そんな朧気な、しかしとても嫌な予感。

「ティアっ!」

 いっこうに来ようとしない幼馴染みを、アスカは再び強い調子で呼んだ。自分が生み出した『壁』は、そんなに長くは持たない。アスカは術の持久力にはあまり自信がなかった。

「…………っ」

 自分に手を伸ばしているアスカを一度見やり、そして少女と左京に目を向ける。

 左京も小夜も、苦しげにティアレイルを見つめていた。凝視、と言ってもいいくらいの強い眼差し。そして切ない表情。

「……ごめん」

 なぜか、そう口にしていた。何に対して謝ったのか、自分自身でも良くわからなかった。けれども。ティアレイルはそう言わずにはいられなかった。

 そうして決心したように、今度こそ二人に背を向けた。

 心に疼くこの痛みは、少女の感情に同調したせいだと自分に言い聞かせ、イファルディーナに向かって軽く跳躍する。

 その先に伸ばされたアスカの腕を掴み、車の中に飛び込んだ。

「すぐに離脱しろ!」

「だめっ。待って……!!」

 それを阻止しようと放った小夜の術も、アスカの『壁』と車の周りを包むセファレットの魔力がクッションとなり、もうこちらに引き寄せることはできなかった。

 まるであざ笑うかのように自分達から遠ざかって行くイファルディーナを見つめながら、小夜はその場にくずおれた。

 自分の無力さが、悔しかった。

 心から敬愛し、大切におもう人。それを苦しめるかもしれない存在を、止めることすら自分達には出来ないのだ。

 左京も無念そうに両の拳を握り締め、イファルディーナの去った方向を睨む。自分たち二人の魔術など、彼らに比すれば物の数ではなかったことを痛感し、固く唇を噛んだ。

「本当に、友人探しが目的ならいいが……くそっ」

 確かにあの四人は悪人には見えなかった。けれども、そんな人間性が問題なのではない。彼らが持っていた独特な空気。そして魔力。それが不安だった。

 このトリイの町から外に出られない自分たちには、もう、どうすることも出来ない。それは分かっていた。

 けれども、どうしてもやりきれなくて、左京は地面を強く蹴った。

「イディア様……どうか……」

 祈るように、少女はその名を呼んだ。

 自分の巫女としての勘が、今回ばかりは外れて欲しい。それだけが、今の彼女の願いだった。

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