第二章 5話

「……科学派の力に頼ることになるとはな」

 ティアレイルの端正な頬に、苦い笑みが浮かびあがる。科学派と手を結ぶ価値はないと考えていた昨日までの自分が、あまりに愚かでおかしかった。

「たまには、ティアも科学にふれてみるといいさ」

 アスカは優しく笑う。今回のことでティアレイルが良いほうに変わってくれればいい。そんな思いがアスカにはあった。

 出会った当初、ティアレイルは科学嫌いではなかった。なにせ彼の両親は科学派の権威だったのだ。まだ五歳だったティアレイルには、両親の行う科学こそがすべてだったと言ってもよい。

 そんな彼が『魔術』に興味を持ったのは、十二歳を過ぎた頃だったろうか?

 しかしその頃はむしろ現在のアスカと同じで両方の存在意義を理解し、どちらかを選ぶことはしなかった。

 ティアレイルが魔術に傾倒したのは、それから一年ほど経ってからだ。

 その理由をアスカは定かには知らない。だが、何かしら『科学』への嫌悪を募らせる出来事があったのだということは、幼馴染みの様子から明白だった。

 それまで両方の力を認めていたティアレイルが、ある日を境に科学を否定し、現在のように異常な嫌悪を示すようになったのだ。

 その変化は周囲……特に彼の両親を驚かせたものだった。そして、当時アスカはティアレイルの両親にひどく恨まれたのである。

 そもそも科学一色だったティアレイルに魔術を教えたのはアスカだった。選んだのはティアレイル自身だが、選択肢を与えてしまったアスカを、ティアレイルの両親はことさら非難し、恨んだのだ。

 だが、ティアレイルが魔術を選んだことはアスカにとっても衝撃的なことだった。選ぶだけならまだいい。しかしこの幼馴染みは完全なになってしまったのだ。

 どちらか一方に偏った思考がその人間にプラスになるはずがない。否、マイナスになるとさえアスカは思っている。

 だからこそ、昔のように柔軟な視野を持ってほしいというのが本音だった。

 ―― らしくないか。いくら幼馴染みとはいえ、個人の考え方に異を唱えることは一事に凝り固まった人間がするのと同じことではないか。

 自分の考えが単なるお節介であることに気付き、アスカはため息を吐き出すように頬を歪めた。

「どうしたのさ、アスカ?」

 常に不遜なまでに堂々としたアスカの自嘲するような表情を見て、ティアレイルは首をかしげた。この年上の幼馴染みがこんな表情をすることなど、めったにない。

「なーんでもないよ」

 アスカはくすりと笑うと、ティアレイルの額をピンと弾いた。いつもの余裕たっぷりな笑みが口許に戻っている。

「…………」

 ティアレイルはムッとアスカを見返した。

 普段は余り気にならないが、こんな時は、いつまでも自分を子供扱いするアスカに腹だたしさを感じてしまう。

 それが子供っぽい考えだというのもわかっている。しかしティアレイルは、自分がアスカの中で対等な位置にいないということが、時々ひどく嫌になった。

 いつまでたっても自分はアスカの中では『弟』なのだ。対等な親友として存在するアルディス・ショーレンが羨ましい。

 幼馴染みの『弟』ではなく、対等な友人になりたいと思うのは、贅沢な望みなのだろうか? 時々ティアレイルは考えてしまうのだ。

「みんなあ、もう用意できたよ! 早くしないと結界が復活しちゃうぞおっ」

 岩窟の入り口から叫んだのだろう。姿は見えないがルフィアの玲瓏な声がこだまするように岩窟内に響き渡った。

「分かった。すぐに行く!」

 高すぎも低すぎもせず、しっとりと耳に心地好いアスカの声がルフィアにそう返す。

「さーて、いくか。ティア。ハシモトも」

 アスカはにやりと笑って、二人の同僚を促すように見た。

 それを無視するように、ティアレイルはぷいっと顔をそむけると一人で先に歩いて行ってしまう。

「ごきげんナナメか。そんなに車が嫌かな。まったく可愛いね、あいつは」

「……あーあ。かわいそうなティアレイル」

 まったく意志の通じていないアスカの反応に、セファレットは肩をすくめた。

 自分でさえティアレイルが拗ねた理由はわかるのに、どうしてこの男はわからないのだろうか? まあ、分かって言っているのなら、なおさら性質たちが悪いけれど。

「うん? ハシモト、なんか言ったか?」

「今度はいつ、こっちに帰って来れるかしらねって言ったの」

 セファレットはすみれ色の瞳をいたずらな仔犬のように閃かせ、にっこりとアスカの顔を見上げた。

 自分たちがD・Eに入った後は、結界は再び閉じてしまう。それを恐れているわけではないが、少し訊いてみたくなった。

 アスカはちょっと笑うと、ぱちりと軽くウィンクしてみせた。

「生きてるうちには帰れるさ」

「もうっ。アスカさんもティアレイルも、気の利いたことを言わないってところはそっくりよね」

 この二人にロマンや思いやりのある発言を求める方が馬鹿だった。砂浜でしたティアレイルとの会話を思い出し、セファレットはぼやくように溜息をついた。

 そのわりには表情は楽しそうで、どこか浮き浮きしているようにも見える。D・Eという見知らぬ場所に行くという好奇心が、不安に勝っているようだった。

「やっぱりハシモトって、かなり変わり者だよな」

 可愛い外見には似合わぬその性格がおかしくて、アスカは肩を揺すって笑う。

「アスカさんに言われたら、おしまいね」

 ころころと笑いながらそう言葉を返すと、セファレットはティアレイルを追いかけるように歩き出した。

「……どういう意味だかねえ」

 アスカは苦笑を浮かべて呟くと、ゆっくりもと来た道を戻っていった。


 三人が岩窟を出ると、大きな乗り物が砂浜に置かれ、そこでルフィアが両手を大きく振って三人を招いていた。

 砂浜に置かれた『イファルディーナ』は、車というよりは軽飛行機に近い形をしていた。それもそのはずで、これは一般的な浮上車エアカーではない。

 一般浮上車の走行高位は地上1mくらいが普通だが、この『イファルディーナ』は上空高い位置でも飛べるように改良されたものなのである。

 これならば、上空と地上の両方からショーレン捜索ができるというわけだ。

 そしてもう一つの目的、三月みつきの一つである『流月の塔』を探すにも、それは便利であるに違いない。

 ルナが彼らに貸す車にイファルディーナを選んだのは、そういう理由もあった。

「これならショーレンが合流しても大丈夫だな」

 アスカはドアに手を掛けながら、広い車内を見回しニッコリと笑う。乗員が四人から五人になっても一向に支障はなさそうな、かなり広いスペースがある。

 その脇からヒョイと顔を覗かせて、セファレットは感嘆の声を上げた。

「すごーい。移動する家って感じだね。少し心配してたんだ。お風呂のこととか。プライベートとかね」

 外見のシンプルさとは裏腹に、こまやかな配慮が感じられる内装が施されている。これだけの装備がついていれば、D・Eに行ってからの日常生活にも差し支えがないだろう。彼女はそう思って嬉しくなった。

 川や泉での水浴びも水が清潔ならよいが、もしそうでなかったらどうすればいいのか困ると思っていたのだ。

「本当はイファルディーナにここまでの装備ついてないんだけどね、ルナ総統が昨日徹夜でいれてくれたんだよ」

 ルフィアは誇らしげに笑った。

 通常のイファルディーナは長期探索用に開発された車両でもあるので、キャンピングカーのような生活機能も備えているが、基本的なものしかなかった。

 しかし長旅になるかもしれないので不自由がないようにと、ルナの配慮で細やかな装備が追加で施されていた。さすがに女性だけあって、その辺はよく心得ているようだった。

「確かにサービスが良いな。果物なんかもあるぜ。味気無い固形食ばっかりじゃ、飽きるもんなぁ」

 アスカは後部の収納庫に入っていた果物の中からリンゴを取り出すと、かぷりと無造作にかじる。

「いま食べてどうするのさ」

 ティアレイルは手を伸ばし、リンゴをひょいっと取り上げた。

「アスカがいたんじゃ、果物がいくらあっても足りないね」

 いつも子ども扱いされることへの仕返しのつもりなのか、ちょうどよい位置にある窓枠に頬杖をついたティアレイルは、からかうように言う。

 アスカが子供の頃からリンゴが好きだということはよく知っている。大好きな物を食べそこねて、アスカは名残惜しそうに目を細めた。

「甘いなティア。果物っていうのは女性陣の方がよく食べるんだぞ」

 同意を求めるように二人の女性に視線を向ける。しかし女性二人は笑いを噛み殺したように、互いに目を見合わせただけだった。

「あーあ、しらばっくれてるよ」

 アスカはわざとらしく肩をすくめ、座席の背もたれによりかかる。彼の鋭敏そうな外見とは似ても似つかない拗ねた子供のようなその態度に、他の三人は思わず笑い出していた。

「 ―― え?」

 ふと、ティアレイルは誰かに呼ばれたような気がして振り返った。

 そこにあるのは薄紅の天空。その向こうから、レミュールの人間が忘れ去った……否、隠した『真実の歴史』が語り掛けるてくるように、風が耳元を吹き抜ける。

 天空を覆う結界に生まれた小さな空洞。結界が緩んだ場所。風は、そこから吹いているようだった。

 それは無言の旋律となって、ティアレイルの聴覚を満たす。

「……鎮魂歌?」

 風が運ぶその旋律が何故か懐かしい。そうティアレイルは思った。

 その懐かしさの理由を求めるように、風の中に感覚を凝らす。しかし、そこに何かを見つけることは出来なかった。

「ティアレイル大導士、窓を閉めてもいいかな? 結界が閉じてしまいそうだから、急いで出発しないと」

 ルフィアはやや緊張したように、窓の外に身を乗り出したティアレイルに声を掛ける。結界に開いた空洞が、先程よりも少し小さくなったような気がした。

「……ああ、そうだね」

 微かに頷くと、ティアレイルはゆったりと身体を窓の内に戻した。やわらかに風に流れる旋律は気になったが、だからといってワガママを言うわけにもいかない。

 今はただ、D・Eに行くことが先決だ。

「じゃあ、行くからね」

 ルフィアはみんなが席についたことを確認すると、ふわりと車を始動させた。

 海の上を滑るように、イファルディーナは結界の緩んだ空洞めざして走る。

 まるで薄紅の天空に吸い込まれていくように、四人を乗せた車はレミュールからD・Eへと、その場所を変えていった。

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