第二章 2話
パルラが遠く続く荒野をぬけると、豊かな自然に囲まれた町が見えてきた。
レミュールにある洗練された街とは違い、どこか暖かな『故郷』を思わせるような静かな町だった。
町は、外に広がる荒野から人々を護るように樹木に優しく包みこまれている。
全てが『自然』と共生した童話の世界のようなその雰囲気に、ショーレンは一瞬圧倒された。
ふと思い出したのは、数年前に『創世記念』で魔術派が語った言葉だった。
『自然と共に在る生活が人々の理想郷である』という言葉。続く言葉は確か、それを成すのは魔術派だという自賛の言葉だったと思うが。
「なあリューヤ、ここの人間は魔術を使うのか?」
その問いに、リューヤは思わずショーレンを仰ぎみた。
「幽霊……じゃなくてレミュールだっけ? そっちの人間は使わないのか?」
不思議なものでもみるように、リューヤは逆にそう尋いてくる。
その反問は、彼らが日常的に魔術を使うことを肯定しているも同然である。ショーレンは苦笑して肩をすくめた。
「使う奴もいるけど、俺は使えないな」
「ふーん。まあアルディスは見るからに使えなそうだもんな」
けたけたとリューヤは笑った。確かにどこから見ても、ショーレンに魔術者は似合わない。どこがどうというわけではないが、やはり人にはタイプというものがある。
「おまえなあ、その言い方はないだろう」
ショーレンは軽くげんこつを作ると、リューヤの頭をポカリとやった。
「あ、弱いものいじめはいけないんだぞ」
リューヤは頭を抱えて口を尖らせる。別に痛かったわけではないのだが、ショーレンとの掛け合いが楽しくて仕方がなかった。
今まで自分の周りには、こういうタイプの人間はいなかった。どちらかと言えば物静かな人間が多いのである。
そんな中でリューヤの闊達さは異色だったのだが、それにも増してショーレンは異彩を放っているように思えた。
「リューヤ、おかえり。……その人は?」
町の中に入ると、少年を呼ぶ声がした。
リューヤがパルラの歩みを止めて振り返ると、そこには洗濯物の入った大きな籐かごを手にした女性が立っていた。
不審そうにまじまじと、ショーレンを見つめている。
「ローズおばちゃんか。こいつはアルディスっていうおれの友達だよ」
堂々とリューヤはそう言った。
「……ともだち?」
リューヤが連れている青年は『幽霊』のような気もするが、幽霊には敏感なパルラが拒否反応を示していないのでローズは不思議に思ったのだ。
『よそ者』であると知れば、あまり厚遇しないのがこの町の気質なのである。
彼らにとってのよそ者は、結界向こうのレミュールの人間のことだが、彼らはそれを『幽霊』と呼び忌み嫌っていた。
レミュール側にしてもここを『D・E』と呼び近付かなかったのだから、おあいこと言えばおあいこである。
「……そう。ならいいのだけど」
リューヤに幽霊を庇う理由などあるわけもない。だからローズはその言葉を信じた。
青年はこの町では見たことのない顔だが、アルファーダにある他の町の人間なのだろう。自分たちは町の外には出ないが、リューヤはよくイディア様の使いで遠くに行く。その時にでも知り合ったのだろう ―― 。
ローズはそう納得すると、何かを思い出したように、ぽんと手を打った。
「そういえばさっき、イディア様がおまえを探していらしたわよ」
その言葉に、リューヤは飛び上がった。
「イディア様が? 早く行かないと!!」
待たせてはいけないと、リューヤは急いでパルラを走らせようとする。
そこでふと、彼は困ったように後ろに座っているショーレンに視線を向けた。一秒でも早くイディアのところに行きたかったが、ショーレンをここに放り出して行くわけにもいかない。
ショーレンは、その『イディア様』というのがさっきリューヤが言っていた『すべてを知る人間』なのだとピンと来た。
この元気な少年が心底尊敬しているという存在を見てみたい。ショーレンの心に再び好奇心が沸き上がる。
「俺も行こうかな」
「じょーだんじゃない! そんな砂まみれでイディア様に会うなんて、どう考えても失礼だろおっ!」
ずずいとショーレンの顔を引き寄せ、思い切り叫ぶ。けれどもショーレンは楽しそうにその目を見返した。
「でも、急ぐんだろ?」
「……ううっ」
リューヤは小さく唸って爪を噛んだ。
ショーレンを置き去りにしてイディアの所に行くか。それともイディアを待たせてショーレンを家まで送るか……。
両方とも嫌だ。そうリューヤは思った。となればショーレンが言ったように、彼をイディアの所に連れて行くしかない。
「仕方ないなあ。でも、そんな砂だらけでイディア様に近付くなよなあ」
しぶしぶ呟いて、溜息をつく。
しかし、そうと決まれば一刻も早く出発したい。リューヤはパルラの頸を軽くぽんぽんと叩いた。
「パルラ、イディア様の所に行け」
パルラは嬉しそうに柔らかな尾を軽く一振りして、「くうっ」と明るい声を上げると足取り軽く走り始める。
さっき荒野を抜けた時のような疾走ではない。なにせ町の中なのだ。外で遊ぶ子供や、お喋りを楽しむ婦人など往来に人が多くいる。こんな所でパルラが疾走したら怪我人どころか死人が出る。
それをきちんと理解しているのか、器用に人を避けながらパルラはイディアがいる町の中心に向かって走った。
町の中心に進むにつれて人の姿や家は減り、反対に樹木の数が増えていく。
深く静かな森の中を流れる心地好い風に、ショーレンはゆるりと笑った。
「この辺りは、ずいぶん涼しいんだな」
樹木が地上になげかける優しい影と、柔らかに吹いてくる水分を含んだ涼やかな風に、今まで暑くて肩までたくしあげていた上着の袖を肘まで下げる。
「町の真中にある湖から吹く風のせいだよ。もう少し時間が経つと風が行き渡って、アルファーダ全域が過ごしやすくなる。みーんなイディア様のおかげなんだぞ」
リューヤは軽く振り返り、得意げな笑みを浮かべた。
「……そうなのか」
ショーレンは感心したように頷いた。
リューヤの『イディア様』は何でも知っているだけでなく、多くの『恩恵』をもたらしてくれる人物らしい。
何を根拠に湖から吹く涼風がイディアのおかげと言うのか、などという無粋な疑問はショーレンの頭には浮かばなかった。
魔術者の中には、その源である大自然をも従わせてしまう人間が稀にいるのだとアスカに聞いたことがあったし、それにショーレンはリューヤの言葉を否定するつもりなど、さらさらないのである。
「イディア様は、みんなに『安らぎの夜』を与えてくださってるんだ」
アルファーダには夜の『闇』がない。太陽が沈むことなく、天空に在り続けるのだからそれは当然だ。
闇夜の優しさに包まれることのないここでは、唯一安らげるのが、イディアの『涼風の吹く時間』なのである。
ショーレンが感心しているようなので気を良くしたのか、リューヤは先程「もったいない」と教えてくれなかったイディアの話を、嬉しそうにしながら駆けた。
どんなに優しい人なのか。そしてどれだけ偉大な人なのか ―― 。
本当に彼はイディアのことが好きなのだということが、その言葉の端々からにじみでている。ショーレンは楽しそうに目を細め、そんなリューヤの話を聞いていた。
ふと、パルラが歩みを止めた。
気が付くと、眼前に森閑とした湖が広がっていた。
「あっ。もう着いたよ、アルディス」
「 ―― ここ!?」
思わずショーレンは息を呑んだ。
碧く澄んだ水をたたえた湖に、静かな趣の神殿が佇んでいる。そして、その脇には白く優美な大鐘楼が優しい存在感を持って建てられていた。
それは、魔術研究所の『湖上の大鐘楼』によく似た風景だった。
「ここがイディア様のお住まいだよ。綺麗なところだろ」
リューヤは得意気に笑う。ショーレンがあんまりにも驚いたような声を出したので、この景色の美しさに感嘆したのだと勘違いした。
「あ、ああ。綺麗だな」
ショーレンは驚きを素早く呑み込んで、そう応えた。似たような場所を知っているなどと、このリューヤに言えるはずもない。
「リュー、戻ったようだな」
不意に風が、柔らかな声を二人の耳に運んできた。今まで閉じていた湖上の建物の扉が僅かに開き、その中に人影が見えた。
「イディア様!」
リューヤは嬉しそうにその名を呼んだ。間に湖が広がっていることも気にせずに、イディアに向かって走り出す。
「そこにいなさい。私がそちらへ行こう」
少年が駆け寄ろうとするのを柔らかな声が制止し、薄藤のローブをまとった一人の人間が、ゆっくりとこちらに向かってくる。
その人は、水の上を歩いていた。
鏡のように静まった水面は彼の歩くとおりに僅かな波紋を広げたが、そのローブの裾は濡れることなく、ふわりふわりと風に舞っている。
その近付いてくる人物を見て、ショーレンは意表を突かれたように目を見張った。
彼は『イディア』を知的で穏やかな老人だと思っていた。『すべてを知る』という言葉から連想したのが『老人』だったのだが、実際こちらに歩み寄って来るのは自分より二つ三つ若そうな、美しい青年だった。
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