第二章
第二章 1話
照り付ける太陽の光が、地に倒れる青年の顔に大粒の汗をかかせていた。
その顔の上を遠慮なく乾いた風が通り過ぎ、砂埃を撒き散らす。その余りの仕打ちに、青年の瞼が僅かに開いた。
意志の強そうな藍い瞳が天にある太陽を見やり、今度は完全に見開かれる。その太陽は、彼が見たことのないような力強く眩い太陽だった。
「…………」
勢い良く立ち上がり周囲の景色を見渡す。そこにはまったく知らない光景が広がっていた。
「 ―― どこだ?」
呆然と呟くと、彼は自分が今まで何をしていたのか思い出すように腕を組んだ。
「えーっと、確か俺はシャトルに乗ってたんだよな。いきなり機体が炎上して……そうだ、ティアレイルが来た。……って、そんなわけないよなあ?」
余計に頭が混乱したように漆黒の頭髪をかきまわす。その髪も砂にまみれ、指に感じるざらつき感が、自分がどれだけの時間をここで過ごしていたのか伺わせた。
あの爆発から自分は助かったのだ。それだけは分かる。けれども周りにシャトルの残骸があるわけでもなく、自分も怪我をしているわけでもない。
いったい何が起こっているのか、ショーレンはさっぱり理解できなかった。
「まあ、こんな所にいても仕方ないからな。人家でも探すか。科技研に連絡入れないと心配してるだろうし。……出来ればシャワーも浴びたいなぁ」
口の中までざらつくような感覚に、微かに顔をしかめ、そう呟く。
こんなとき魔術研究所の人間なら魔術で水を出したりするんだろうと思い、ショーレンは軽く舌を打った。魔術者になりたいと思ったことはないが、こんな時はちょっぴり羨ましいとも思うのである。
「しっかし、こんなトコに家があるかな?」
周りを見回してから望み薄であることに気付き、ショーレンはゲンナリとした。砂漠とまではいかないが、ここはそれに近いものがある。
樹木と呼べるものは一切見当たらず、色を失ったような遥かな大地と、青く高い天空が視界いっぱいに広がっている。
―― 荒野。この言葉がこれほど当てはまる場所を、他にショーレンは見たことはなかった。
「レミュールにこんな場所がまだあるなんて、聞いたことないぞ」
枯れかけたような植物が僅かに散らばっているだけのその場所をもう一度見回し、ショーレンは深い溜息をついた。
魔術派の『聖雨』や科学派の『生物工学』などで自然の豊かさを取り戻しているのが、彼らの住むレミュールなのである。
こんな場所があれば魔術派も科学派も放っておくはずがなく、アカデミー員であるショーレンが知らないはずもなかった。
「……ん?」
今まで柔らかな風の音だけが聞こえていたその場所に、ふと、何か動物が駆っているような足音が微かに聞こえ、ショーレンは感覚を研ぎ澄ませる。
かすかに舞う砂埃とともに音は少しずつ鮮明に聞き取れるようになった。
あの足音はこちらに近付いてきている。そう判断し、彼は僅かに身構えた。全く知らない場所であるということが、ショーレンをいつもよりほんの少し用心深くさせていた。
害のないものならいいが、こんな隠れる物も何もないような場所で猛獣にでも出会ったら目も当てられない。
自分は素手で、何一つ武器になるようなものは持っていないのだから。
しかし、こちらに駆って来た『それ』を見て、ショーレンは思わず目を丸くした。
やってきたのは、十二・三歳の少年だった。驚いたのは、その少年が奇妙な動物に乗っていたからだった。
小ぶりな馬のようにも見えるが、顔は鳥に似ている。その全身を短く覆う茶色の毛は頸のあたりだけ長く、光の加減で綺麗な金色に見えた。
少年はその奇妙な動物から軽く跳び降りると、ショーレンの前に立った。
どこか古めかしいデザインの、しかしこざっぱりとした服装をしたその少年は、砂まみれのショーレンを不審そうに眺め回す。
「おまえ、幽霊のにおいがするな?」
少年が開口一番に言ったのはそれだった。その余りに真剣な口調に、思わずショーレンは自分の足を確認したほどである。
「変な奴。そういう反応をしたのは、あんたが初めてだぞ」
少年の瞳が笑った。どこかやんちゃな笑顔がいたずら少年という雰囲気を余すことなく表わしている。
ショーレンはニッと笑うと、自分の腹のあたりにある少年の頭をぽんと叩いた。
ちょうど妹のファーヴィラと同じ年頃であろうか。そう思うと笑顔になってしまう。基本的に、彼は子供が好きだった。
「ちょっとな。幽霊になりそうなことがあったばかりだからさ。今の自分の状況も、いまいち理解してないしな」
「ふうん」
少年は180㎝を軽くクリアしていそうなショーレンを見上げ、いたずらっ子特有の活発そうな笑みを宿す。
その額の中央に十字のような痣が浮き上がって見えるのが印象的だった。
「こんな荒れ地に人の気配があるなんて、おかしいと思って来てみれば、砂まみれの迷子幽霊が一人いたってわけだね」
両手を頭の後ろに回し、少年は『馬』に寄り掛かる。こらえきれない笑いが、その瞳に浮かんでいた。
「あのなあ、幽霊ってやめないか。俺はアルディス・ショーレン。一応まだ生きてると思うんだがな」
ショーレンは辟易したように、乱れた前髪をかきあげる。
少年は僅かに顎を上げ、意地悪な笑みを浮かべてみせた。
「だって、この土地の人間以外はみんな幽霊なんだよ」
「……なんだそれ?」
ショーレンは左目だけを細め、自分をからかっているらしい少年を見た。
「よそものってことだよ。ここの人間は、みんなそう言うんだ」
不審顔の大きな幽霊に、少年は楽しげに言った。
「うーん。余所者か」
軽く呟いてから、ショーレンは天を仰ぐ。ここには、あたかもすべてを支配するかのような力強い光が満ちている。
その眩しさに、思わずショーレンは瞼を閉じた。
あんな太陽があるのだ。確かにここはレミュールではないのかもしれない。ショーレンはそう思った。
しかし、それならここはどこだというのだろうか?
「アルファーダだよ」
ショーレンの呟きが聞こえたのか、少年はこともなげにそう答える。
簡潔なその答えに、ショーレンは軽く眉根を寄せた。アルファーダ。そんな名前の地方も街もレミュールにはない。
とすると、やはりここは違う惑星なのだろうか? 他の惑星に生命があると言う報告は、一度も受けたことがなかったが……。
「あんたたち幽霊は、ここをD・Eと呼んでるって、左京が言ってたかな」
アルファーダと言われてピンと来なかったらしいショーレンに、少年は悪びれずにもう一つの名前を口にする。
「D・E!」
ショーレンの深藍の瞳が、こぼれんばかりに見開かれた。
D・Eといえば一応レミュールではある。しかし、そこに人が住んでいるという話は聞いたことがなく、そして彼自身考えたこともなかった。
惑星の首都プランディールの裏側。『危険環境』と言われ、自分達アカデミーによって完全封鎖されているのがD・Eなのだ。
あまりに驚いた様子のショーレンに、少年は怪訝そうに首を傾げた。
「何かおかしいこと言ったかな、おれ?」
「……いや、自分の知らないことは意外と多いものだなと思っただけさ」
ショーレンは苦笑めいた笑みを浮かべると、軽く息をついた。
「何でも知ってる人間なんていやしないよ。まあ、あの御方は別だけどさっ」
ショーレンをなぐさめるように言う少年の顔に、ふうっと畏敬の表情が浮かぶ。何かを心底信頼し、尊崇している人間の表情。
レミュールの人間がこんな表情をして誰かを想うことがあるだろうか? 無いだろうとショーレンは思う。確かに、人々は『科学派』と『魔術派』に信仰に近い感情を抱いてはいる。だが、それは打算的なものでもある。
一度その対象に事あらば、さっさと違う対象に乗り換えるに違いないのだ。
しかしこの少年からは、そんな狡猾な感情は伺えない。
こんないたずら少年のような彼に、そこまで畏敬の念を抱かせる人間にショーレンは興味を覚えた。
「あの御方って?」
好奇心もあらわに聞いてみる。
少年はもったいつけるように腕を組み、そして空を仰いだ。
「へへ。もったいないから教えてやんない」
いたずらな瞳をくるりと動かして笑う。どうやら自分は少年に『同格』と思われて、からかわれているらしい。そう思ってショーレンは可笑しくなった。
「……けちだなあ、おまえは」
わざと子供のように唇を尖らせて、彼は少年を見た。
そのショーレンに大きくあっかんべーをしてみせると、少年はカラカラと笑った。
「それよりもさ、あんたがいた街ってどんな所なんだ? 一度見てみたいと思うのに絶対に行けないんだ。変な光の壁みたいのがあってさ」
少年らしい好奇心を面に表し、ショーレンの顔を覗き込む。まるで昔の自分を見ているようで、ショーレンはおかしかった。
「もったいないから教えてやんない……なんてことは言わないよ」
拗ねた表情になりかけた少年に、ショーレンは軽くウィンクしてみせる。
「ただ、その話は出来ればこんな所じゃなくて、ゆっくりと話したいんだけどな」
すました表情で言うわりには何かをねだるような口調で、わざとらしく身体についた砂を掃ってみせる。
少年はくすりと笑った。目の前にいるこの青年は、ようするに湯あみでもしてスッキリしたいのだろう。
「しょうがないなあ。じゃあ、うちに来な。ここからだとちょっと遠いけどさ、パルラで行けばすぐだよ」
そう言うと、少年は『馬』にひょいっと跳び乗った。
相手にまるで警戒心を抱かせないショーレンの性格と、自分の好奇心を満足させたいという気持ちも手伝ってか、会ったばかりだということは少年の頭の中からすっかり消えていた。
「ほら、アルディスも乗んなよ」
レミュールでは一応敬意を持って扱われる立場にあるショーレンの名を呼び捨てにし、少年はやんちゃな笑みを浮かべ手を伸ばす。
ショーレンは『アルディス』と呼び捨てられたことを気にした様子もなく、その手を取って『馬』に跨がった。
「なあ、えーっと……」
少年の名を呼ぼうとして、ショーレンは口ごもる。そういえば、まだ名前を聞いていなかったのだ。
それに気付いたのか、少年は元気な笑顔を浮かべ「リューヤ」と名乗った。
「リューヤか。宜しく頼むな」
前に座るリューヤの髪をくしゃくしゃとかき混ぜながら、ショーレンはあざやかな笑みを佩く。
リューヤは一瞬赤くなり、そして照れを隠すようにわざと邪険な態度を取った。
「頼むのは俺にじゃなくてパルラにだろ。二人も乗っけるんだからな。アルディスはでかいから重いだろうし、大変だよ」
頭に乗るショーレンの手を振り払い、口を尖らせる。
ショーレンはリューヤのそんな反応に思わず口元をほころばせながら、自分の乗っている動物に視線を向けた。
どうやらこの鳥の顔をした『馬』が、パルラというらしい。
初めて見た時は驚いたが、良く見ればどこか愛嬌がある。
「じゃ、頼むぞパルラ」
この奇妙な動物のことは後で聞いてみよう、そう思いながら、ショーレンはパルラの背をぽんぽんと叩いた。
パルラはまるで分かったとでも言うように、軽くいなないた。
「へえ……」
本来人見知りをするこのパルラが、拒否反応を示さないのは珍しいことだった。そればかりか、パルラは何故かショーレンを気に入ったようでさえある。
リューヤはショーレンのことを不思議な奴だと思った。後ろを振り返り、その顔をまじまじと見やる。
意志の強そうな瞳に闊達な笑みをたたえたその表情は、確かに相手に好印象を持たせるのかもしれない。
パルラだけではなく、会ったばかりのこの青年を自分が好ましく思っていることに気付き、リューヤは可笑しくなった。
「リューヤ、出発していいぞ。俺はこいつから落ちたりしないから心配すんな」
自分の顔を見たまま、いっこうに走り出そうとしないリューヤに、ショーレンはくすりと笑って出発を促した。
一刻も早くシャワーを浴びてスッキリとしたかったし、このパルラの走りっぷりも試したてみたかった。
科学者というよりは、何かのスポーツ選手という印象が強いと言われるショーレンは、その印象に違うことなく、運動神経にはかなりの自信があった。
ちょっとやそっとのことでこの『パルラ』から振り落とされる心配もないだろう。
「あ、うん。じゃあ行くからな。しっかりつかまっとけよっ」
その自信たっぷりな青年の笑顔と言葉にリューヤは楽しげに頷いて、パルラに出発命令を出す。
その主の声にパルラは一声いななくと、傾くことのない眩い太陽を背に、風のごとく荒野を駈けていった。
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