第一章 8話

 セスは大通りに出ると、自動運転機能が搭載された無人タクシーに乗り込んだ。停電は三十分程前に全てが回復し、都市機能は再び動き出していた。

 異常なのは、昼ちかいにも関わらず燦然と輝く星空だけである。しかし停電が直ってしまえば、たいして不自由なこともない。

 空の暗さなどは眩い街の明かりが戻ってくれば、人々にとってはどうでもいいような気さえした。

 科学派が民衆に高い支持を受けるのは、そのような生活との密着性が理由だった。

「魔術研究所まで」

 そう言いながら、セスは座席の脇に設置されているカードスロットルに素早くカードを差し込み、横のスクリーンに手のひらを乗せた。

 カードと本人の真偽を確認したコンピューターが行き先を設定し、ゆっくりと車は動き出す。あとは到着を待つだけだった。

「そうだ、ニュース」

 しばらくたって、セスは思い出したように手元のキーを操作してスクリーンに映像を呼び出した。魔術派の放送に合わせると、魔術研究所の制服を着た若い女の姿が映し出される。

 ニュースでは異常の告知が遅れたことの詫びが初めにあり、その後、今なお『夜空』である理由についてゆっくりと語られた。

「日蝕?」

 あまり聞き慣れない言葉にセスは首をかしげた。

 魔術派の丁寧な図解説明に、それがどんな現象かは分かる。だが、セスはどうも釈然としなかった。

 何がどうとは言えないが、どこか嘘臭い。そう思えて仕方がないのだ。一夜のうちに自分がひどく疑い深くなったような気がして、セスは苦笑した。

「まあ、彼に会えばスッキリするかな」

 自分自身を納得させるように呟くと、セスは一人の青年の顔を思い浮かべた。

 魔術派の象徴と言われるティアレイル・ミューア大導士。彼ならば、誠実な答えが返ってくるに違いない。そう思った。

 魔術派自体に不信感を持ったが、その感情はティアレイルには及んでいない。

 セスは先日ティアレイルと話す機会を得て、その穏やかで誠実な人柄に触れ、よりいっそうの敬愛を抱いていたからだ。そしてまた、それほどまでにティアレイルの『象徴』ぶりは世間に浸透しているともいえた。

「俺のこと、覚えていてくれればいいけどなぁ」

 こんな非常時ではあったが、アカデミーに行けば必ず彼は会ってくれるだろう。そんな予感はあった。

 だからセスは、既にティアレイルに会ったあとのことだけを考えた。

 四十分程経つと車は郊外を抜け、広々とした空間が視界いっぱい開かれる。そこから数分の距離に、魔術派のシンボルである『風と天空』をモチーフにしたオブジェがあり、その前で車は止まった。

 この先は魔術研究所の敷地内で、車の侵入は禁じられている。

 セスは車から降りると、柔らかなランプの灯で照らされた、どこか重厚な博物館めいた建物が並んでいる研究所を眺めやった。

 魔術研究所の敷地内を照らす外灯は電気ではない。光珠と呼ばれる玉が設えられたランプが暖かな灯を地上に投げかけている。

 魔力で生み出されたその灯りはとても静かで、優しい空間だとセスは思った。

「さて、目的地は……っと。こっちだな」

 くるりと周囲を見回してから、進むべき道を見定める。あまりに広い敷地なので、迷いでもしたら目的地に着くのにかなりの時間がかかってしまう。

 それを避けるために最短コースを瞬時に頭の中で構築し、ゆっくり歩き出した。

 導士たちの個人研究室のある中央聖塔と南塔を除けば、研究所は自然公園のごとく常に開放されているので、誰に見咎められることもなかった。

 天気の良い休日ともなれば、仲の良い親子連れやペットを連れた飼い主たちの姿があちこちで多く見かけられたし、セスものんびりしたいときなど、ふらりと訪れることがあった。

 けれども今は、さすがに一般の人間の姿は見当たらない。2人ほどアカデミーの所員らしき人間とすれ違ったが、それ以外はほとんど人の気配はなかった。

 人気のない路をずっと奥に進んでいくと、仄暗い前方の林から、ふうわりと穏やかな水の匂りが漂って来るような気がして、セスは立ち止まった。

 その先が、彼の目的地である『湖上の大鐘楼』と呼ばれる場所だった。

 碧々と茂った木々にひっそり隠れるように、どこまでも澄みわたった水を湛えた湖がある。その湖のちょうど中央あたりには白亜に煌く大鐘楼が、しんと佇んでいた。

 大鐘楼という名が付いてはいるが、その楼閣に設えられた鐘の音を聴いた者はいない。静寂の鐘。音無の鐘。この鐘楼を建てた者がどういう意図でそうしたのか今となっては知れないが、それは初めから鳴らない鐘だったのだという。

 静かに、ただ湖にその影を落としているだけの大鐘楼は、しかし人々の目には侵しがたい神秘をまとう美しさとして映り、数百年の間そこに在り続けていた。

「いればいいんだけどな」

 星影を浮かべた湖面の夢幻的な美しさに感嘆の吐息をはきだしてから、そんな場合ではなかったことを思いだし、人を探すように視線をあそばせる。

 ここにティアレイルがいなければ、受付に行って呼びだしてもらうことになるが、それはなるべく避けたかった。

 水辺にはいくつかベンチがあり、そこで魔術研究所の所員が数人集まって雑談をしているのが見えた。けれどその中にはいない。セスはゆっくりと視線をめぐらせ、反対側の湖岸に目を向けた。

 そこに、一人で休息をとっているらしい青年の姿を見つけ、ほっと笑む。

 この位置からだと後ろ姿しか見えないが、闇にもあざやかな月光に似た蒼銀の髪が、その人物であることを教えてくれているようなものだった。

 セスはコートのポケットから眼鏡を取り出すと、ひょいっとそれをかける。

 そんなに視力が悪いわけではないけれど、素顔でいるよりも眼鏡をかけた方が断然知的に見えると周囲に言われるので、セスは人と会う時……特にアカデミー関係の人間と会う時には、必ず眼鏡をかけるようにしていた。

「ティアレイル大導士」

 セスはゆっくりベンチに近付くと、背後からその名を呼んだ。

「…………」

 しかし、いくら待ってもいっこうに返事はない。

「大導士?」

 もう一度呼び掛けながら、セスは非礼を承知で大導士の前に回り込んだ。

 眠っているのか、ティアレイルは静かに瞳を閉じていた。周囲の幻想的な景色に溶け込むようなその姿は、穏やかな一幅の絵のようだ。

 セスはその雰囲気を壊すのを憚るように、近くの楡の根元に静かに腰を下ろした。ティアレイルが起きるのを待つつもりだった。

「……誰?」

 不意に、穏やかな風にも似た声がセスの鼓膜をたたく。彼は急いで立ち上がると、癖のある紅茶色の髪を宙に舞わせ、ぺこりと頭を下げた。

「あ、セス・バレットです。この間は、いろいろなお話をありがとうございました」

 魔術派や科学派関係のコラムを多く手掛けているセスは、つい先日、魔術専門誌『サージュ』の企画でティアレイルと対談したばかりだった。

 ティアレイルがこの湖上の大鐘楼が好きで、よく来ているということも、その時に聞いたことだ。

「ああ、コラムニストの」

 紅茶色の髪と同色の瞳が印象的な、人好きのする顔を見て思い出したのか、ティアレイルは笑顔になった。

 しかし、その笑顔は少し疲れているようにも見えた。

 天変地異と騒がれている今、大導士ともなれば忙しいに違いない。その彼の僅かな休息を邪魔してしまったと、セスは後悔した。

「眠っていたわけじゃないから気にしないでいいですよ。少し、考え事をしていたんです。……それより、私に何か用があるんじゃないですか?」

 すまなそうな表情になりかけたセスに、ティアレイルはふうわりと笑う。

 そうして普通にしているティアレイルは、科学派に対する時の険が目立つ彼とはまるで違い、人当たりの好い青年だった。

 彼の、端整だが柔らかな感じのする容貌が更にその印象を増幅させる。彼自身が秘める強大な魔力もさることながら、この、人の心をつつみこんでくるような柔らかな笑顔に安心し、魅了される者も多い。

 そして、人々は彼を『象徴』と崇めるのだ。

 そんな穏やかな表情に安心したのか、セスは単刀直入に来訪の理由を告げた。

「ええ。実はこの夜空が明けないわけが知りたくて来たんですよ。来る途中に日蝕だと発表されていたのですが、どうもよく理解できなくて。それでティアレイル大導士にお聞きしようと思ったんです」

「……日蝕」

 翡翠の瞳が微妙に揺れた。

 ロナが日蝕と発表したということは、ティアレイルも所内通達で知っていた。

 まさかそんな大昔の現象を引っ張り出してくるとは思わなかったが、それで議会の人間達を納得させてしまうあたり、総帥はやはり食わせものだと思う。

 その嘘の上手さが、どうしてもロナを好きになることが出来ない理由の一つでもあるのだが……。

「セス・バレットさん、この夜がいつまで続くのか、そして朝がいつ訪れるのか、私には答えることができない。ただ一つ言えるのは、ロナの発表など信じるに値しないということだけかな」

 そう言ってベンチから立ち上がると、ティアレイルは蒼銀の髪をかきあげるように、ふっとセスに視線を向けた。

 セスは、思わずごくりと唾を飲み込んだ。

 総帥であるロナよりも、象徴と呼ばれるティアレイルの方がその魔力は強いと言われ、民衆からの人気も信用も彼のほうが高い。

 その彼自身の口から総帥非難の言葉が出たとなれば、魔術派全体を揺るがす大きな波紋ともなりかねない。

 それをこうも簡単に口にするティアレイルが、セスは危険だと思った。

 以前から知識人の間で囁かれている噂がある。この大導士は前総帥を慕っていたため、それを追い出した形で総帥職についたロナには、あまり好感情を抱いていないという ―― 。

 それを証明されたような気がして、セスは緊張で鼓動が跳ね上がった。

 本気と取ってもいいのか、それとも聞かなかったことにするべきなのか……。判断に迷っていた。

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