第一章 7話

 絶え間なく電子音が鳴り響く部屋で、人間たちが慌ただしく動き回っていた。

 いっこうに緋月を作動させられないことに焦りを通り越し、科学技術研究所の所員は、一種の恐慌状態に陥っていた。

「落ち着きなさい。そんなふうでは、まともな仕事は出来ないわよ。それに、緋月を直接作動させに行くのだからもう心配はない」

 赤と黒のスーツを見事に着こなした艶やかな女性が、所員たちを叱咤激励するような凛とした声を上げる。

 白珠のようなその美貌に浮かぶ冷静なその表情が、いまの所員たちには心強く、焦る気持ちを落ち着かせてくれる。

 この女性が、科学技術研究所の総統ルナ・ラスカードだった。

「高速シャトルの準備OKだそうです。緋月到着は一時間後の予定。ルナ総統の許可があり次第、発進するとのことです。宜しいですか?」

 オペレーターは確認を取るように、総統を見やる。

 彼女はそれには応えずに、手元のキーを軽く叩くとシャトルに乗り込む所員をメインスクリーンに映しだした。

「総統、何か?」

 乗っていたのはショーレンだった。普段どおりのラフな格好をしたままだということがとても彼らしい。そう思い、ルナは思わず笑みを浮かべる。

 ショーレンにとっては、シャトルを操縦するのも車を運転するのも、なんら変わりがないようであった。

「君なら間違いはないと思うけど、気を付けて行きなさい。今は『ふつう』じゃないからね」

 その言葉にショーレンはニッと笑うと、軽く親指を立ててみせた。

「あの正体不明の『ちから』のせいで、宇宙に出たら連絡は取れませんけど、気楽に待っててくださいよ」

 そうルナに言うとオペレーターに視線を向ける。発進する、の合図だった。

 オペレーターは承知したというように頷くと、シャトルの自由を拘束する固定装置ジョイントをすべて外した。

「カウントダウン省略。リーファスセレイア出港する」

 ショーレンはそれだけ言うと、軽飛行機タイプのスペースシャトルを発進させる。

 僅かな滑走路を経て上昇を始め、そのまま加速をかけたシャトルは、みるみる視界から消えて行った。

「相変わらず豪快な……」

 同僚たちはショーレンの豪快な操縦に賞賛とも呆れているともつかない溜息を吐くと、空の彼方に消え行くシャトルを眺めやる。

 そんな所員たちの肩を軽く叩きながら、ルナはあざやかな笑みを浮かべてみせた。

「ほら、君達は『波』について調べるの。地上で出来ることをなさい」

「あ、はい」

 ぼうっとシャトルを眺めていた所員たちは、総統の言葉に慌てたように動きだす。

 普段ショーレンが管理しているこのメインコンピュータールームを一時的に預かったウィスタード・ラシルは格別張り切っているように見えた。

 そんなウィスタードに微笑ましい表情を浮かべていたルナは、不意に、誰かに呼ばれたような気がして振り返った。

「………」

 そこには誰もいなかった。しかし彼女には分かった。が来たのだ、と。

 ルナはウェーブのかかった金色の髪を無造作にかき上げ、軽く舌を打った。

「まったく、科技研には来るなって何度言ったら分かるのかしら」

 怒っているというよりは呆れたような口調でそう呟くと、ルナは踵を返して総統室に向かう。

 一応『敵対』しているのだと言うことを、あの男は一向に気にしないのだ。ルナは深く溜息をついた。

「ロナ、どうしてここに来るのよ」

 総統室に入るなり、視界にとびこんできた魔術研究所総帥の顔に、思わずルナはそう言った。

 ロナは僅かに苦笑を浮かべながら、ゆったりとくつろぐようにソファに座っていた。

「まあ、私にもいろいろ事情はあってね。家に帰るまで待つ時間はなかったのさ。今日は帰ってくるかも分からなかったし」

 その余りにおおらかな態度に、ルナは怒るのも馬鹿らしくなったのか脱力したように息をついた。

「……まあいいけど。お互い所員に見られたらパニックものよ。魔術研と科技研の責任者が二人、仲良く肩を並べてるんだから。そんなの所員たちにしてみれば、年に一度『創世記念』のセレモニーの時ぐらいなんだから」

 応接セットでお茶を入れながら、ルナは楽しげにそう呟く。

「家ではいつものことだけどな」

 にっこりと、ロナは笑って見せた。

 彼のフルネームはロナ・ラスカード。そして彼女はルナ・ラスカード。それを見れば二人が同姓だということに気付く。

 それもそのはずで、二人はれっきとした兄妹なのだ。

 ただ、二人は顔がまったく似ていないということを好都合に、兄妹であることを隠していた。それは、互いに違う『派閥』を選んだからだった。

 彼らが若い頃は魔術派と科学派の確執は現在より更にひどく、同じ家の者が異なるアカデミーに入ることは禁忌タブーとされていたのである。

 今でこそ、もうそんな確執はなくなっているものの、お互い最高位に就いてしまった手前、今更公表するわけにもいかなくなっていた。

 ラスカード姓はそう多くはなかったが、珍しい姓でもない。だから周囲もさして気にしてはいなかったのである。

「それで、どんな用があるのかしら?」

 ルナは兄にティーカップを手渡しながら、自分もソファに身を沈めた。

「うちの大導士が、地獄を予知した」

 ロナは言葉の内容とは裏腹に、紅茶の香りを楽しむような表情でそう呟いた。

「大導士って、ティアレイルくん? あの子が地獄を予知したから科技研に来たってことは、うちが起こす災害なの?」

 二十歳を過ぎた男をつかまえて『あの子』呼ばわりもないものだが、ルナはいつもティアレイルをそう呼んだ。

 年齢不明といわれるロナと同じく、彼女もまた、外見どおりの年齢ではない。ティアレイルが生まれた頃は既に彼女は科技研にいた。そんな彼女には二十歳そこそこのティアレイルなど、確かにまだ『あの子』なのかもしれない。

 ロナはその呼称に僅かな苦笑を浮かべたが、言葉にしたのは別のことだった。

「いや、そうじゃない。恐らく古月之伝承に関わりがあると思う。世に『三月』生まる……というくだりがあっただろう?」

「まさか……均衡が?」

 驚愕したように、ルナは兄を見やる。ルナとて伝承を忘れたことなどない。もしそれが本当なら、確かに地獄であるに違いない。

 均衡が乱れれば天が落ちる。その詳細は伝わっていなかったけれど、大惨事を意味するものには違いないだろう ―― 。

 その伝承を単なる『迷信』として片付けるには、彼らは『魔術者の予知』の信憑性というものを知り過ぎていた。

 ロナは軽く頷くと、組んでいた足を下ろし、身を乗り出すようにテーブルに手をついた。今までの穏やかさを打ち捨てたように、その瞳は真剣さを帯びていた。

「ルナ、このことをティアレイル大導士に話そうと思うんだ。彼は昨日の時点で月の異変に気付いていたらしい。彼が伝承を知れば、何かしら手を打てるだろう」

「じゃあロナは引退して、ティアレイルくんを総帥にするのね?」

 ルナは切れ長の瞳を僅かに細め、背もたれに寄り掛かるように腕を組んだ。

 この伝承は、両アカデミーの最高位に就いた人間だけが知る権利を有している。それを確認するつもりだった。

「いずれはな。……だが今の彼を総帥職に就けたら、きっと潰れる。私と違って彼は真面目すぎるからね。彼にはまだ経験と楽天さが足りない。それ以外は私を遥かに凌ぐ魔導士なのだがね」

 溜息をつくように、ロナはいささか年寄りくさい論評をした。

 総帥というその責務の重さに耐え切れず、心を壊してしまった優秀な導士が今までに何人もいる。

 その最たる者は、自分の前に総帥だった導士。自分にとっては親友だったあの男だろうとロナは思う。

 ティアレイルの能力を見出し、この魔術研に連れてきたのも前総帥で、ティアレイルはそんな彼を心から尊敬し、とても慕っていたものだ。

 それを知っているだけに、ロナはティアレイルに同じ轍は踏ませたくなかった。だから、今はまだ総帥職を譲ることは出来ない。もう少し成熟し、心にゆとりが生まれるまでは ―― 。

「分かったわ。そこまで言うなら、ロナの好きにしてくれて構わないよ」

 ルナは誰もが見惚れそうなあざやかな笑みを浮かべ、そう告げる。基本的に、彼女は兄の言葉に反対することはない。

 しかも、今は亡き友人に対する思いと、部下であるティアレイルへの思いは、その口調からいやというほど伝わってくる。そんな言葉に反対できるわけもなかった。

「すまないな」

 ロナは静かに笑み、そして再び落ち着いた様子で紅茶を口に運ぶ。

 刹那、耳障りな警報が二人の鼓膜をたたいた。

 それと同時に、顔を蒼白に染めた女性が総統室に駆け込んで来る。

 入ってきたのは、ルフィアだった。ルフィアはいつもの毅然とした彼女らしくもなく、今にも泣きだしそうな表情で肩を震わせていた。

「ルナ総統……リーファスセレイアが……ショーレンの乗ったシャトルが……衛星軌道上で爆発しました!」

 それは、余りに急な悲報だった。科学派の技術の粋を尽くした宇宙船。しかも、開発者はルシファーナ・イスファルその人であったのだ。そんな事故が起こることは、あり得なかった。

「……まさか」

 あまりの衝撃に、ルナはそれ以上何も言うことが出来なかった。

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