第一章 6話

 魔術研究所の建造物『中央聖塔』の最上階にある総帥室の前にティアレイルが立つと、彼が声をかけるよりも早く魔術を施された封印が解かれて扉が開いた。

 ティアレイルが来るのを見ていたかのようなタイミングで開いたその扉に、自分が監視されていたような気がして、一瞬不快げな表情が浮かぶ。

 しかしすぐにその不快さを押し隠し、ティアレイルは総帥室に足を踏み入れた。

「ロナ総帥、私をお呼びだとか」

 総帥室に集まっていた面々がざわめくのも気にせずに、ティアレイルは総帥の座るデスクに近付いていく。

 まだ若いようにも、そして、年老いているようにも見える年齢不明のその男が、魔術研究所の現在の総帥ロナ・ラスカードだった。

 これで見えているのかと不思議に思う白色の瞳が印象的な、穏やかな紳士である。

 総帥は軽くティアレイルを見やると、椅子から立ち上がった。

「今回の事態を予知出来なかったことについて、君からこの議会の方々に説明してもらおうと思って呼んだのだよ、ティアレイル大導士」

 流れるような金糸の髪をかきあげながら、総帥は集まった人間達に視線を向ける。

 ティアレイルは男達を振り返った。

「総帥である私ではなく、魔術派の象徴と言われる君の意見が聞きたいそうだ」

 総帥は何故か楽しげにティアレイルの耳元にささやいた。

 現在ティアレイルは、『大導士・導士・術士・術使』という魔術者の中で最上位にある『大導士』称号を持ち、また、魔力の強大さとその人格から『象徴』と呼ばれて敬われていた。

 民衆からの支持と人気は、総帥である自分をはるかに凌ぐだろう。その天才的な大導士がどう弁明するのか、ロナはそれが興味深く、そして楽しみだった。

 ティアレイルは軽く呼吸をつくと、議会の人間を見回した。

 その中で、落ち着きなくやたらと手を動かし、視線を避けるような素振りを見せる壮年の男が目に留まる。

 普段ならここぞとばかりに魔術派を非難するはずのその男が、気まずそうに黙っているということが癇に触った。

 記憶のページをめくりながら、その男が『科技研出身の政治家テクノクラート』だということを思い出し、ティアレイルは冷笑を浮かべた。

 沸き上がる侮蔑の念を抑えつつ、彼はすぐに普段の柔らかな表情を作り上げる。

 その上で、自分の倍以上は年をくった議会の人間たちの前で憶するふうもなく言葉を紡ぎ出した。

「夜が明けないだろうということを、私どもは知っておりました。それを皆様に告知しなかったのは、確かに魔術研究所の落ち度です。申し訳ございません。……ですが、この件は我々ではなく科学技術研究所の方々の仕事であると判断したため、対策を講じることを差し控えさせていただいたのです。あちらの立場もありますので、我々がでしゃばった真似をするわけには参りません。分かっていただけますでしょうか、トラスト閣下?」

 にっこりと笑みを浮かべて、ティアレイルは科技研出身の男に呼び掛けてみせる。

 トラストは一気に汗が吹き出すのを感じ、その汗をしきりにハンカチで拭いながら、小生意気な『若造』を見やった。

「……い、いや、な……その、天変地異に対する対策にかけては、魔術研究所の方が専門であると思うのだが……」

「天変地異ですか。確かにそれならば私たちが専門ですね。ですが、今回のことは本当にそうでしょうか、トラスト閣下」

 笑顔のまま嘲るように翡翠の瞳を細め、ティアレイルは男の目を見つめ返す。

 鋭く冷たい光を放つその瞳に見据えられて、トラストは射竦められたように動けなくなってしまっていた。

 ―― だから嫌だったのだ。

 トラストはここに自分を連れてきた仲間を恨むように、そう心の中で呟く。

 『明けない夜』が天変地異などではないと知っている自分が抗議の列に加われば、科学派嫌いで知られるティアレイルがどんな態度を示すのか、トラストは悟っていた。

 それなのに、魔術研に対して抗議するのだから、相反する科技研のことを良く知った人間を連れて行ったほうが有利かもしれないと勝手な理由をつけて、無理やり議員仲間達が自分を連れ出したのである。

 普段ならそれに喜んで参加する。けれども、今回のことに関しては自分が行っても不利でしかない。トラストにとってはいい迷惑だった。

 しかしこの緋月の秘密については、科学・魔術の両研究所にとって共通の秘密だったはずだ。そのことを思い出し、トラストは助けを求めるようにロナに視線を送った。

「ティアレイル大導士、あまり年上の人間をからかうものではないな。トラストさんも困っているじゃないか」

 ロナは子供の悪戯の後始末をする親のように軽く息をつくと、若い大導士に声をかけた。

 無用な混乱を招くな、そうロナの表情は語っていた。

「…………」

 ロナは、ティアレイルが何を考えてこのような言動に出たのか理解しているつもりだった。自分も若い頃は嘘が許せなかった覚えがある。恐らくティアレイルもそうなのであろうと思った。

 天才には潔癖すぎるという欠点があるようだ。ロナは若い大導士を眺めながら、内心苦笑する。

「……そうおっしゃるのであれば、私に説明できることは何もありません。あとは総帥が御自由にどうぞ」

 そんな総帥の心を感じ取り、ティアレイルはポーカーフェイスな彼には珍しく、明らかに苛立たしい表情を浮かべて言い放った。

 そんなふうに思われるのは心外だった。

 確かに秘密を明らかにしたいがために、今回の事故に対して何の策も打たなかった。だがそれは嘘が許せないとか、潔癖だからなどという、そんな安っぽい正義感が理由ではない。

 秘密を明らかにし、人々の魔術・科学の両アカデミーに対する盲目的な信頼を崩し、その限界を理解させることが昨晩自分が予知したことへの対策につながる。そう思っての決断。

 昨日のうちに予知を総帥に報告していれば、おそらく秘密を明らかにすることなく、情報操作によって『明けない夜』の理由をつくりあげたことだろう。

 だからこそ、自分は予知した内容を誰にも話さなかったのだ。

 だがそれ以上に、魔術派の頂点であるはずの総帥があの大きな禍の気配に気付いていないのだという事実に、ティアレイルは腹が立った。

「では、失礼します」

 ティアレイルは無表情な笑みを端整な口許に浮かべると、ざわめき始めた議員達には目もくれず、総帥室から出て行ってしまう。

 ロナは軽く溜息をつくと、顔におおいかかってくる金糸の髪をうっとおしげにかき上げた。

 若い大導士の残していった波紋を治めなければならないが、それは骨の折れることであるように思われた。

 しかし……とロナは考え込んだ。最後に大導士が自分にちらりと見せた、あの攻撃的な表情にはいったいどんな意味があったのだろう? 普段は穏やかな人柄で知られている彼なのに ―― 。

「 ―― !?」

 刹那、激しい目眩にも似た衝撃を感じ、ロナは体を支えるようにデスクに両手を突いた。

 その衝撃は確かな意識となり、ロナの脳裏に、地獄のような光景を鮮明に映しだした。それは、あまりに惨い光景。生命という生命のすべてが……紅蓮の炎の中に消えていくのだ。

「……そうか。彼は既にこれを予知していたのだな。だから、か」

 先程の大導士の、彼らしからぬ言動の全てが今ようやく理解出来たというように、ロナはその瞳を沈痛な色に染めた。

 その絶大なる魔力は多くのことをティアレイルにおしえてくれる。しかし、何もかもが見え過ぎてしまうというのは、本人にとっては不幸なことに違いない。

 なまじ予知した災いを取り除けるだけの強大な魔力もあるために、背負ってしまうものも大きいのだろう ―― 。

「彼は……少しあいつに似てきたな」

 数年前に突然の狂気に身を堕とした友人を思い出し、ロナは微かに溜息をついた。窓の外に目を向けて、ティアレイルの髪を連想させる月たちを眺めやる。

 『蒼月』は既に西の空へと沈み、本来なら今が朝であることを如実に物語っていた。

 しかし天空は深い闇に覆われたまま、『古月』と『緋月』の二つの月の輝きを阻む太陽の光はまったくない。

「 ―― 世に『三月みつき』生まれる。そのもと、人の過失あやまちなり。三月乱れれば天が落ち、すべての生命を押し潰す。均衡を乱すことなかれ ―― か。どうやらその均衡を崩してしまったらしい。また"人の過失なり"か? 愚かな生き物なのかもしれないな、我々人間という奴は」

 ロナは〈古月之伝承〉の一部を思い出しながら、心の内でそう呟く。

 それは、魔術研究所と科学技術研究所の二つの最高責任者にのみ伝えられる『創世』の伝承。

 数百年前に起きた『事件』。その隠された事実が、古月之伝承には克明に記されているのである。

「ティアレイル大導士には、話しておいた方がいいかもしれないな。……次期総帥ということなら、ルナは何も言うまい」

 科技研総統の名前をポツリと呟いてから、ロナはふと、この部屋に議会の人間達がいたことを思い出した。

 議員達はティアレイルの言葉に動揺し、出て行ったドアを見やっては各々騒いでいるだけだった。

 ロナが考えに沈んでいたのは、ほんの一瞬であったらしい。

 そのことにほっと呼吸をつくと、ロナはどこか威厳のある微笑をたたえ、議員達に声をかけた。

 自分やティアレイルが予知した未来よりも、今は、彼らが納得できる『嘘の釈明』をして安心させてやらねばならなかった。

「途中で退座した彼の非礼は、若さゆえの血気とお許しいただきたい。また、今回の天変地異についてはティアレイル大導士に変わり、私から説明させていただく」

 ロナはそう口火を切った。

「未だに夜が明けないことに、大きな不安を抱かれていることと思う。だが、これは天変地異などではなく、単なる天体の悪戯というべき現象であり、恐れることではない。その点では、確かにティアレイル大導士の言う通り科技研の領分に近い現象ではある。彼が科学派の仕事と判断し、皆に『告知』をしなかったのもそのためだろう」

 ロナは自らの魔力で張ったスクリーンに天球を映し出すと、夜が明けない現象に付いて説明を始めた。

「これは、数百年前にも観測された『日蝕』という現象で、この惑星にある三つの月が太陽軌道と重なり、太陽光が遮られるかたちになっているに過ぎない」

 ロナは言いよどむこともなく、微笑を浮かべたままそう断言する。

 日蝕がこの惑星で見られなくなってから、既に数百年が経つ。それ故に日蝕という言葉は人々に馴染みがなく、また、詳しく知る者はいなかった。

 もし日蝕を熟知している人間がいれば、十数時間も続く日蝕があるなどとバカバカしくて笑い出したに違いない。

 が、普通の者が言えばかなり無理があるその説明も、ロナにかかればたちまち『真実』になってしまうのが不思議だった。

 何歳なのか分からないと言われるロナの、若々しくも成熟した不思議な口調は嘘を嘘だと思わせない奇妙な凄味がある。

 淡々と紡がれていくロナの言葉に、真実を知っているトラストでさえ、思わず本気にしそうになった程なのだ。

 さすがは総帥と言うべきか、ティアレイルの投げた波紋は見事ロナの口先三寸で治まってしまったのである。

 議員達は身動ぎもせずに説明に聞き入っていたが、ロナが口を閉ざすと、それぞれほうっと深い呼吸を吐きだした。

「これで安心した。大げさに言えば、この世の終りと思っていたのだよ」

 グレーのスーツを着た壮年の議員は、そう言いながらロナに握手を求めてくる。

 ロナはにこやかにそれに応じると、まだ調べることがあるからと、丁重に議員達を送り出した。

 彼は先程予見した地獄を回避するために、科技研の総統に会う必要があった。ティアレイルのこと、そして〈古月之伝承〉のことを相談しなければならない。

 しかし議員達はそんなこととは少しも思わず、安心したような表情で魔術研究所の中央聖塔を出て行った。

 ロナはそのまま出掛けようとして、ふと、足を止めた。

「こんな時期に総帥不在はまずいか……」

 苦笑するように、彼は金糸の髪を一本抜き取った。それはゆらゆらと床に落ちながら、柔らかな光を発し、総帥の姿を形取っていく。

 鏡の中から切り取ったようなその『姿』は、ロナ本人がよくやるようにデスクに片肘を付きながら窓の外を眺めやった。

 それは、ロナの『残像かげ』。ロナとしての意識を持ち、誰かが話し掛ければきちんと応対もしてくれるだろう。

 ロナは満足そうに『それ』を見やると軽く笑みを浮かべ、総帥室から姿を消した。

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