第一章
第一章 1話
街から少し離れた海岸沿いに、広大な土地を費やして作られた大きな施設が存在していた。
異なる大きさの三角柱が幾つも重なり合って出来たような奇妙な形の建物は、人々の生活を支えている勢力の一つである『科学派』の拠点『科学技術研究所』だった。
そこだけはどんな事があろうとも電気系統がストップする事はなく、街が停電となった今はまるで闇の海に浮かんだ光の島のように見える。
その敷地の中央に建てられたコントロールタワーの内部では、人々が慌ただしく停電の原因究明に奔走していた。
「機械のせいではないと!? イスファル女史、そんなくだらないことを言ってる暇があったら、さっさと原因を突き止めるんですな! どこかが故障しているに決まってるんだ」
不意に、その人間達の聴覚に不快さを感じさせる大声が響き、皆が何事かと振り返った。
吹き抜けのロビーの中央で、ぼってりと肥た男が自分の半分ほどしかない女性を前に、嫌みったらしい表情を浮かべて叫んでいた。
この科学技術研究所に派遣されてきている議員の1人だが、その無能さや俗物的な性格に科技研所員の皆から嫌われている男だった。
この忙しい最中に、そんな男につかまってしまった女性の心情を思いやり、周囲の者は一様に眉をひそめ、成り行きを見守る。
しかし怒鳴られていた女性にしおれた様子はなく、色の異なる左右の瞳に冷たい光を灯し、男を見据えていた。
「お言葉ですが、既に各部のチェックは済んでいます。また、タワーのコンピューターは八つのエリアに分かれ、どれかが少しでも乱れれば、お互いに修復し合うようになっています。全てのエリアが一斉に故障するなど有り得ない事です」
感情を抑えるように、女性はゆっくりと言葉を紡ぎだす。けれど、その表情から軽蔑した色を隠すことはどうしても出来なかった。
何でも人に責任を押し付けることで、自分は安全圏にいようとする『馬鹿な男』への嫌悪は、そう簡単に抑えることが出来る物ではない。
彼女のその琥珀の右目と藍灰の左目に宿る眼光に気圧されたのか、男は不覚にも一歩あとずさっていた。
「と、とにかく早く停電を直してもらおう。これは科学派の仕事なんだ。無能者揃いのアカデミーと言われんように、し、しっかりとやってもらいたいものだ」
みっともなく吃りながらそう言うと、逃げるように男は去っていく。
「……言われなくたって、しっかりやるわよ」
それに対する絶対的な嫌悪感を振り払うように、女性は強く頭を振って溜息を吐き出した。
「気にするな、ルフィア」
不意に声を掛けられ、彼女は声の方を振り向いた。いつ来たのだろうか、背後には見慣れた長身の青年、アルディス・ショーレンが立っていた。
「科学派きっての技師、ルシファーナ・イスファルの実力を、お偉いさんたちはまだ理解できないんだな。ルフィアのつくった機械が故障なんかする筈がないんだよ」
青年は意志の強そうな藍い瞳に信頼の色を浮かべ、そう言ってみせる。ショーレンはそれが自分の友人への身びいきだとは思わなかった。実際、彼女の開発した機械たちは、今まで一度も不都合を起こしたことがないのだから。
ルフィアは僅かに笑みを浮かべ、そんな同僚を軽く見上げた。
「別に、気になんかしてないよ。原因をつきとめなきゃいけないのは確かだからね。停電が起きているのは事実だし。……でも本当に、コンピューター自体に異常はないのよ」
ルフィアは考え込むように、床に視線を落とした。
コンピューターに異常がないというのは確認済みなのだ。何度も丁寧に、慎重に確認をした。それ以外に考えられる理由は……。
「俺が管理していたんだ。コンピューター操作や入力にも、間違いはないぞ」
ルフィアの疑問を感じ取ったのか、青年は自信たっぷりにそう言ってみせる。
「分かってる。ショーレンにミスがあっただなんて言ったら、コンピューターたちに殺されちゃうわ」
楽しげにルフィアは笑った。コンピューターを扱わせて、このショーレンにかなう者など彼女は見た事がない。そんな彼がミスをおかすなどとは、考えもつかない事だ。
それに、こうも自信たっぷりに告げるということは、自分自身でその可能性は確認済みなのだろう。
しかし、そうなると本当に理由が分からなくなってしまうのである。
行き詰まったように、二人は溜息をついて顔を見合わせた。科学技術研究所の所員が総出になって原因究明と復旧に力を尽くしている。
けれども、いっこうにその結果が出てこないのだ ―― 。
「ほんと、まいったよなぁ」
両手で前髪を後ろに撫で付けながら、ショーレンは天を仰いだ。
その視界の端に、ゆったりとこっちに歩いてくる人間を見出だして、ふと笑顔になる。その笑みは、どこか悪戯好きな悪ガキのようだ。
「よおアスカ。またその制服で、堂々と科技研に侵入してきたな」
白を基調とし、両肩と左胸に施された華麗な装飾がカッチリした海軍の仕官服めいた印象を与えるそれは、科学技術研究所と敵対関係にある組織の制服であることが誰の目にも明らかであった。
それをまったく気にする風もなく、自分の方に歩いてくる友人をショーレンはからかったのである。
アスカはそれに応えるように悪戯な笑みを浮かべ、軽く片手を挙げてみせた。
そのアスカの左目に、彼のトレードマークとも言える『物』が付けられていない事に気付き、ショーレンは首をかしげた。
「アスカ、いつもの『あれ』はどうしたんだよ?」
「ああ。そういえば、さっき外したままだったな。ティアが嫌がるからさ、俺があれを付けていると」
アスカは苦笑を浮かべると、片眼鏡のようなものを胸ポケットから取り出して左目に装備する。
それは『網膜投影式PC』と呼ばれるもので、脳波で操作をし、網膜に直結させて表示させるというコンピューターだった。
それを付ける動作を見ながら、ショーレンは楽しげに笑った。
「そりゃそうだろう。おまえ、それをつけるとマッドサイエンティストに見えるもんな」
「ほんと。顔がいいから余計にコワイんだよね」
ショーレンとルフィアは顔を見合わせて、くすくすと笑った。
「ふん。あいつは単に、コンピューターが嫌いなだけさ」
アスカは軽く顔をしかめてみせると、自分の外見をとやかく言う友人達に言い返す。別に気にしているわけではないが、マッドサイエンティストとはひどすぎる。
「まあな。なにせ『魔術
ショーレンはにやりと笑ってみせた。
現在、このレミュールに住む人々の生活を支えているのは、アカデミーと呼ばれる二つの巨大組織だった。
ひとつは『
そしてもうひとつは『魔術
この2つのアカデミーは、惑星の中心都市プランディールという街を挟み、海側と内陸に分かれて建っていた。
そして、この2つのアカデミーは人々の絶対的な支持を受け、特権階級的な地位さえもっている。
全世界の政治を行う最高機関『レミュール議会』でさえ、この2つの組織に対して一歩引いた態度をとっているくらいだ。
なにせこの二つの組織がなければ、人々はこの惑星で生活することさえままならないと、そう信じられているのだ。それはもう、信仰と言ってもおかしくはない物の考え方だった。
しかし、この二つの組織が協力し合うことはなく、互いに相反した立場を取り続け、ひどい時は敵対さえしていたことがある。
現在は敵対こそしていないが、それでも仲が良いとは言い難い。
そしてそれに合わせるかのように、人々の思考も<科学派><魔術派>と、両派に分かれがちだった。
「……俺は魔術研に所属はしてるけど、魔術派ではないからな。どっちか片方だけが優れていると考えるのは危険な思考さ。一方向に偏った思考っていうのは、人を破滅に追いやるだけだしな」
冴えた笑みを唇に浮かべながら、アスカは呟く。
それは、彼の持論だった。数年ほど前そういう偏った思考が一人の人間を破滅させたことを、アスカはその目で見て知っていた。……同じ過ちを犯すことだけは、しない。アスカはそう思う。
「まあな」
ショーレンは、賛成だと言うように軽く頷いた。
彼も科技研の人間にしては、柔軟な考えを持っていた。相反する『魔術』の力も認め、そして興味を抱いているのである。その点では彼もまた、アスカ同様『不良所員』であるといえた。
だからこそ、この二人が友人になることが出来たのかもしれない。
「まあ、その話はまた今度、じっくりしようぜ。今は早いところ停電の原因をつきとめなきゃならないからな。もちろん手伝ってくれるよな、アスカ?」
その言葉に、アスカは思わず苦笑した。ティアレイルに尋けば、原因はすぐにでも分かりそうなものだ。
アスカは先程の幼馴染みの表情から、彼がその原因の解明を終えている事を知っていた。
しかし、ティアレイルが科学派に協力する事はないだろう、そうアスカは思う。彼の幼馴染みは、科学派の人間が何よりも嫌いなのだから。
「……仕方ないな、高くつくぞ」
悪戯っぽい笑みを浮かべながら、アスカは友人を見やった。
ショーレンは分かってると言うように軽く笑うと、今度はルフィアに視線を向けた。
「ルフィア、頼もしい助っ人ができたな。さっさと停電をなおそうぜ」
「……え。でも、ティアレイル大導士に、迷惑が掛かるんじゃない?」
ルフィアは、ここにはいないティアレイルを気遣うように、ふたりの青年を見やる。
彼の友人であるアスカが科技研で手伝いをしたことが分かれば、ティアレイルの立場上、困ったことになるのではないだろか?
そう考えながら、たまに見掛けるティアレイルの優しげな表情を思い出し、彼女の凛とした頬に僅かな紅がさす。
ショーレンはふっと笑って肩を竦め、『ティアレイル大導士』の幼馴染みでもあるアスカに確認するように視線を流した。
その視線を受けて、アスカはわざとらしく両手を広げてみせた。
「大丈夫だって。ティアに何か言える奴なんて、俺とハシモトくらいなんだから」
そう言うと、アスカは何も気にせずに、すたすたとコンピュータールームに向かい歩きだす。
彼はこのアカデミーの人間ではなかったが、並の所員よりはここの構造を知っていると言ってよかった。
また、魔術研究所の制服を着ているにも関わらず、彼の姿を見咎める者は誰もいなかった。
それ程までにアスカの存在は、この科技研において日常化していたのである。
もちろん中には、アスカの存在を忌避する所員もいる。しかし、今は停電対策に忙しくて、そんな事にかまっていられないというのが現状だ。
「ルフィア、今は停電を直すことが先決だろ? 非常事態だし、ティアレイルだって魔術研だって何も言わないさ」
ショーレンに背中を押され、ルフィアは納得したように頷く。
確かに、今はそれどころではなかった。人間生活に電気の存在は不可欠なのである。たかが『停電』と侮ることは出来ない。
「そうだね。早く正常化させなきゃ、パニックになっちゃうもんね」
気を取り直したようにルフィアは呟き、先を歩く二人の青年を追いかけるように走って行った。
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