#97 左翼の邂逅

 激戦は続いている。


 何があったのかわからないが、シリュウがいるはずの右の戦場が魔物に埋め尽くされていた状況が改善され、左の戦場で細剣レイピアを振るうコーデリアは内心胸をなでおろしていた。


(持ち直したようですね……よかった)


 先ほど戦いの合間に遠視魔法ディヴィジョンを広げてみれば、右の戦場がとんでもない事になっていた。


 あのまま右で魔物が突破する状況が続くなら、ここは直後で剣を振るう駐屯隊長ドイルに任せて自分は左に向かわざるを得ないと考えていただけに、現状の復帰はコーデリアに剣の冴えを取り戻させた。


 思考のかけらもない動きをする魔物を相手に、コーデリアは最低限の動きで突き、払い、時には蹴りまでも駆使して止めを刺してゆく。


 その一方、コーデリアの真後ろに控え、流れてくる魔物を相手取っている駐屯隊長のドイル。


 彼はスルト駐屯隊長となる前、帝都ではアルバニア騎士団一番隊で四百人規模の中隊を預かっていた身である。


 約一万人で構成されるアルバニア騎士団には団長を筆頭に大隊長が五名、大隊一隊に二千名の騎士が在籍しており、その大隊長の下に中隊長が五名就いているという組織構成である。


 アルバニア騎士団は任務ごとに小隊長が選ばれて人数を割り当てるという方法が採られるので、中隊長という肩書は伊達ではなく、飛びぬけた才能を持たない者にとっては努力と実績で到達可能な、現実的に昇進の行きつく先とも言える立場である。


(これが女人の身でありながら、若干十七歳にしてマイルズ騎士団二番隊長に上り詰めた天才の戦いか)


 二年後の十九歳で一番隊長、そのまた二年後に軍神と呼ばれるきっかけとなったラングリッツ平原におけるリーゼリア王国との戦い然り。


 今となってはただの貴族夫人という立場であり、騎士団との関りは薄い。にも関わらず、ブルーノを筆頭に同じく左の戦場で剣を振るっているスウィンズウェル騎士団に属する十名は彼女の存在で大きく士気をあげ、激烈な働きを見せている。


 未だ色褪せることなく、剣をさび付かせることなく、綺羅星の如く輝くその背に、ドイルは戦場にありながら噂に違わぬ実力を披露するコーデリアを羨望の眼差しで見ていた。


 気合の声すら上げることなく、まるでそよ風に舞う木の葉のような動きで魔物を仕留めるその姿。


 周囲に大量に転がる魔力核の光の相乗効果も相まって、コーデリアが戦う目の前がドイルにはまるで聖域のように感じられた。


「せいっ!」


 ザギン!


 ゴレムスと同様に岩石でできたストーンバジリスクの硬い甲殻を一撃のもとに叩き割り、その消えゆくさまを視界の端に入れながら次に相対するドイル。


『ウバァァァァッ!』


 迫り来るオーガに向かい構えたドイルだったが、その奥、闇に紛れて蠢く影に意識を引かれた。


 静かに、それでいて素早く移動する影は確実に前方にいるコーデリアの背後に迫っている。


(あれは……蛇? っ、デカいぞ!)


 目算で十メートルは軽く超えているだろうか。


 極太の胴で地面を這うにも関わず、特殊な鱗の形状から音もなく近づき獲物を刈り取る強力な捕食者の存在に、コーデリアは未だ気づいている様子は無い。


 瞬間、ドイルは目の前のオーガをやり過ごし、無意識に地を蹴っていた。


「レイムヘイト様っ!!」


 ガチン!


「っ!?」


 背後から忍び寄る二本の牙は寸前でドイルの盾に止められ、ようやくその存在に気が付いたコーデリアが入れ替わるように眉間に刺突を繰り出すが、牙の主は巨体にそぐわぬ速度でそれを避け、引き際にその極太の胴をしならせる。


 ドキュッ!


「がはっ!」


「ドイル殿っ!」


 コーデリアを庇う形でドイルは盾ごと鞭のような胴に弾き飛ばされて大きく後退、盾を持っていた腕の骨は砕かれ、外れた肩のおかげで腕はあらぬ方向を向いた。


「う、ぐっ……」


暁大蛇ティタノボアっ! 私としたことが、接近に全く気付かなかったっ!)


「ブルーノっ!」


「はっ! 左翼前方に三獣出現、全員強撃体勢を取れっ!!」


 コーデリアの呼び掛けにすぐさま反応したブルーノは指示を下すとともにドイルに駆け寄り、目前にいたオーガを後方に軽くいなして補助隊の到着まで彼を守る動きをとった。


 本来なら三獣の出現により中央から人数が割かれるはずだったが、ブルーノは事前に伝えられていた強撃を指示。要するに、『援軍は来ないから、しばらく無理をしろ』という指示な訳だが、さすがに騎士団中隊長であるドイルの戦力の穴を埋めるのは難しい。


 今居る深い位置まで補助隊がたどり着くには乱戦を大きく搔い潜る必要があるだけに、到着には時間がかかる。倒れるドイルを守りながら戦わざるを得なくなったブルーノが焦りを見せるのは仕方がないだろう。


 だが、自身を中心に半円を描くように立ち回るブルーノに向かい、ドイルは剣を支えに立ち上がる。


「はぁっ、はぁっ……ブルーノ殿、すまないが入れてくれ……っ!」


「やれますか!?」


「愚問なり……片腕でも戦える!」


 その言葉にブルーノはコクリと頷き、ドイルの外れている左肩に手を置いた。過去団員を相手に数十回とやってきた作業だけに、その動きに迷いはない。


 すばやく親指と中指で節の位置を確認し、グッと腕を持ち上げてここという箇所で固定。


 一呼吸置き、それを合図に力いっぱいに押し込んだ。


 ガコッ!


「っ!! さ、さすがに慣れておられますな……助かりましたっ」


「こちらのセリフです。よくぞ我が主をお守りくださった」


 外れた肩を力ずくで入れるのは激痛を伴うものだが、うめき声一つ上げずにすぐさま剣を構えたドイル。


 並び立ったブルーノも暁大蛇と睨み合う主人を視界から外し、己の使命を全うすべく、押し寄せる魔物に切っ先を向けた。



 ◇



「ねぇママ、こわいよ」


「大丈夫よ。守り手の皆様と騎士様がお守り下さるわ。みんなが無事に帰ってこられるよう、一緒に神獣様にお祈りしましょうね」


 腕の中で不安げに見上げる幼い娘にそう言って、母親は瞬く光を指さした。


 その光は南北に高速移動しながらパッパッと明滅を繰り返し、光球と尾を引く白黄の残光を母娘の瞳に映し出す。


「きれー……あれなぁに? しんじゅうさま?」


「……神獣様ではないわ。でもね、きっとこの村をお救い下さる光……神獣様のご加護をその身に宿し、偉大な御業を授かった、希望の光」


「ふーん……じゃあにもお祈りしなきゃ!」


「ええ。その目でしかっりと見ておくのですよ」


 魔物が押し寄せ、そのけたたましい鳴き声と戦いの重々しい空気が漂う中、神獣の足跡に集まった約二千人の村人たち。


 初めて経験する非常事態でありながら、皆の穏やかな顔、その落ち着き様を目の当たりにし、ハッシュ・ティズウェルは一地方の領主として驚きをもって捉えていた。


(帝国貴族として、陛下のお導きのおかげ……と、言いたいところだが。これは違う)


 膝を折って神獣像に祈る者、仁王立ちで戦いの方角に視線をやる者、子供を寝かしつける者と様々だが、騒ぐ者はおらず、ましてや逃げ出そうとする者は一人もいない。


(信じられない……)


 訓練され、統率されている訳でも、戦える訳でも無いただの村人らが、魔物の襲撃を前にしてこうも落ち着いている状況は世界広しといえどもここスルト村だけではないだろうかと、ハッシュは一人嘆息を漏らす。


 初めこそ剣を持ち、そばに控える二人の使用人にも武器の所持を指示していたハッシュだったが、すでに剣は腰の鞘に納め、使用人には村人達の補助の指示を出していた。


「ティズウェル卿!」


 そんなハッシュの下に駆けてきたのは村長のマティアス。


 騎士らが出払い、誰もいない屯所にある遠距離通信魔法陣を使って帝都とマイルズとの連絡を終え、村の重役を魔法陣の前で待機させて戻ってきた折である。


「マティアス殿。首尾はいかに?」


「はい。マイルズ騎士団よりエドワード・ギムル団長麾下千名が明後日早朝に、アルバニア騎士団二番、三番、四番隊の計六千名が五日後に到着するようです」


「っ!? そ、そうか……そうでしょうな……魔物大行進スタンピードともなれば、当然の戦力と言えるか……」


 思っていた以上の戦力に驚きつつ、ここスルト村が聖地としていかに守るべき存在なのかを改めて思い知らされる。


「それに」


 と、マティアスは続け、加えてスルト村より北東に位置し、海産都市ノースフォークを擁するノーステイル地方からも騎士団が派遣されることを伝え聞くと、ハッシュは眉間にシワを寄せた。


 いくら魔物大行進が大きな戦になるとはいえ、アルバニア騎士団すら遅きに逸する可能性が高い中、そんな遠方の地域から軍を派遣したところで到底戦には間に合わない。


(何か、別の目的があるのか……?)


 ノーステイル地方を治めるのは、自領の利益に聡いバイスリー伯爵家。


 帝都アルバニアを含む帝国中央地方の海産物を一手に引き受け、近年隣接するクテシフォン山脈の一角からミスリル鉱山が見つかったということもあり、それを魔物や賊から守るために軍事力の強化を進めていると伝え聞く。


「ティズウェル卿、如何なさいました?」


 考え込む素振りを見せたハッシュにマティアスが声をかけると、ハッシュはハッとしたように顔を上げる。


(いかんいかん、僕の悪い癖だ。今はこの危機を乗り越えることが先決だ)


「いや、なんでもない。とにかく、マイルズ騎士団が到着すれば、状況はより好転する。これを皆に伝え、更なる希望の糧とすべきだろう」


「はい。そう思い、すでに皆に伝えるよう手配は済ませました」


「さすが、仕事が早いですな」


「日々守り手の皆さんに鍛えられていますから」


 二人は顔を合わせて笑い合い、前を向いて前線で瞬く光を母娘同様にその視界に映した。


「あれは何かの魔法でしょうか」


「ああ……あれは雷を纏ったジン君だよ。間違いなくね」








―――――――――――

■近況ノート

とにかく感謝

https://kakuyomu.jp/users/shi_yuki/news/16817330649443041774

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