#98 おひかりさま

 隙あらば噛みつき、とぐろ巻きにせんと襲い掛かってくる暁大蛇ティタノボア


 腹の部分が橙で上りくる朝日を、背が濃紺の様がまるで夜明け前の空のようだと名付けられた美麗で粋な名を持つ魔獣だが、その姿を見た者はあまりいない。


 成体なら十メートルは軽く超え、毒は持たないが筋肉の塊でできたその巨体に巻かれようものなら、あらゆる生物の脱出は不可能である。締め上げられ、頭から丸のみにされた目撃者は数知れない。


 今、コーデリアが対峙している暁大蛇は彼女が知る通常個体より色が濃く、変則的な動きを見せていた。


『シィーッ』


「ふっ!」


 暁大蛇の弱点であるピット器官、鼻と口の間にある鱗に守られたその部分を破壊すれば、勝負は決する。


 それを知るコーデリアは先ほどから接近しては牙の攻撃を誘い、それを躱しざまに鼻先への刺突を繰り返しているが、同様にすべて躱されていた。


 チロチロと三つに割れた舌を出し入れし、尾と胴の境目を起点に立ち上がる大蛇は、コーデリアの得意とする誘いからのカウンターを本能的に体現する猛者だったのだ。


 右へ踏み出そうと体の軸をずらした瞬間に暁大蛇の頭が逆の左に揺れ、それを見ぬ間に逆の左へ軸をずらせば大蛇も逆に揺れる。


 常に後の先を取らんとする暁大蛇に、コーデリアは相性の悪さをこれでもかと思い知らされていた。


(やっかいな……遠距離魔法があればこうも苦労はしないのですが)


 通常個体なら力でなんとか押せる相手だったが、特殊個体、三獣に名を連ねるこの個体には通用しない気がしていた。


 こういった勘を大事にするコーデリアが手詰まりを感じ、突破口を見出すべく互いににらみ合う時間が増えつつある戦局に入ったその時、暁大蛇の頭が不意に森の方角へと向いた。


(今!)


 ダンッ!


 その隙を逃さず脚を瞬間的に強化し、踏み込んだコーデリア。


 いきなり跳躍しては振り向きざまに空中で食らいつかれる可能性が高いだけに、まずは地に足をつけたまま比較的柔らかな腹部に斬撃を繰り出した。


 ザシュッ!


(避けなかった!?)


『ジャァァァッ!』


 一筋の血が細剣の剣筋に連なるが、うねる筋肉により傷が圧迫されて一瞬で止血。瞬く間に傷口そのものが消え失せてしまうが、初めて入った攻撃にコーデリアは違和感を覚えた。


 今の頭の動きも誘いである可能性を考慮していただけに、意図せず入ってしまった攻撃。であるにしてもこの機を逃すまいと頭上から襲い掛かる反撃の牙を受け流し、くるりと体を回転させて納刀したままの左剣を抜いた。


「はぁぁぁぁぁっ!」


 ズパパパパパパン!


『ジジィィィィーッ!』


 唸る双細剣ツインレイピアの斬撃はコーデリアを中心に暁大蛇の懐で球体と化し、薄い鱗が弾け飛んでその肉を深く切り刻んだ。


 たまらず暁大蛇は伸びあがって後退。


 闇に紛れようと頭をこちらに向けたまま後ずさる大蛇に、コーデリアは容赦なく追撃をかける。


(何に気を取られたのかは知りませんが……終わらせます!)


「―――エナ」


『ブルゴァァァッ!』


暴角牛ローグバイソン!?)


「くっ!」


 双細剣を手に脚への強化、そして切っ先の強化を最大にして一本の槍と化しかけた瞬間、それを遮ったのは暴角牛の群れだった。


 コーデリアは踏みしだかれてはひとたまりもないと攻撃の姿勢を解いて後方転回。列をなした暴角牛の群れが目の前ギリギリのところを通り過ぎ、今更ながらに大量の敵を相手取っている現状に気付かされる羽目となった。


 ビシャン!


 油断を悔いる間もなく、自身が飛び込もうとしていた暁大蛇との隔たりに尾の薙ぎ払いが繰り出され、抉れた地面から砂塵が舞い上がる。


 暁大蛇もまたコーデリアの攻撃を迎え撃つべく、尾の一撃の機を待っていたのである。


 しかし、気迫を読み取った上で確実に来ると予想した相手の攻撃は暴角牛により邪魔され、筋肉の収縮、姿勢を維持できずたまらず振るった尾は空を切って砂塵を巻き上げるだけに終わった。


 周到に準備していた迎撃こそ空振りに終わったが、視界が失われてもなお暁大蛇には生物を感じ取る器官が備わっている。


 暴角牛の群れが通り過ぎた瞬間こそ狙いだと、姿勢を低くし、大口を開けて丸のみにすべく待ち構える。


 だが、暁大蛇のこの選択は最期となる悪手だった。



 トン―――



「どうもありがとう。わざわざ頭を下げて頂いて」


『ジィッ!?』


 暁大蛇がふと感じた頭上の重み。


 コーデリアは砂塵の中、暴角牛の群れを飛び越えて大蛇の頭に着地し、二本の細剣を持つ腕を胸の前で交差させた。



「―――流々細斬ロイ・コルタール



 静かな気迫を纏った無数の斬撃が振るわれ、暁大蛇は動く間もなく頭を切り刻まれる。反撃の間もなく数十もの肉片に変わり、切り離され、しばらく痙攣した胴が静かに土に横たわる。


 偶然横切った暴角牛を利用し、コーデリアは神経戦を伴う戦いに勝利した。


(暁大蛇もまた、狩場以外での戦いに我を失っていたのかもしれません)


「痛たた……二の腕が……やはり私は突きの方が向いていますね……」


 強力な固有技スキルに悲鳴を上げる両腕に鞭を打ち、コーデリアは休む間もなく再度乱戦に飛び込んでゆく。



 ◇



 カッツェの応急処置を終え、空き家を出たソグンとハナ。


 ソグンの背には痛みを和らげる傷薬の麻酔効果で眠り落ちているカッツェがその身を預けている。


 眠るカッツェの服の裾を掴んだままついてくるハナを連れ、どうにか神獣の足跡までたどり着きたいソグンはようやく見つけた瓦礫の山の隙間を慎重に進んだ。


「足元、気を付けるんだよ」


「……」


 応急処置の最中も一声も出さなかったハナは無言のままうなずき、その小さな身体で瓦礫の隙間を縫っている。


(声を出さないというより、出せないのかもしれない)


 圧倒的な恐怖や悲しみに遭遇した者の中に、時として一時的に声を失う人がいることをソグンは知っていた。


 気の毒だとは思いつつ、今は命があること、さらにその命を繋げるためにも魔物らの侵攻を受けていないはずである神獣の足跡まで二人を避難させることが最優先である。


(よし、これをどければっ)


 ガコン!


 進路を邪魔していた瓦礫を隙間から壁向こうに押しやった。


「行こう」


 瓦礫を足場として壁をよじ登る魔物や魔獣の鳴き声が響き渡る中、ようやく抜けた壁の先。


「これ……は……」

「っ」


 ソグンは目の当たりにした光景にハナと同様に言葉を失い、ハナはビクリと身体を震わせる。


 遠く前線から聞こえていた戦いの音は壁で遮られ、大型魔獣の遠吠えだけがかろうじて耳に届くぐらい。


 元々建っていた家々が壁によって押しやられ、村の中央にあるはずもない更地に横たわるのは、魔獣の死骸、死骸、死骸―――


 そしてそれを大きく上回るであろう数の仄明ほのあかりを湛える魔力核と、無機質な矢が辺り一面に転がり、振り返れば壁にも矢が無数に突き刺さっていた。


 足の踏み場もないとはいささか大げさではあるが、そう言うにふさわしい光景。


 間違いなくこの状況を創り出しているのは、無意識に細めたソグンの目に映る縦横無尽に飛び回る光体だろう。


 光体は信じられない速度で移動を繰り返し、その光跡は帯となって空中を漂っていた。


 光体に接近された比較的小型の魔物や魔獣は音もなく一瞬で首を落とされ、サイズのあるそれらは頭部から上下や左右に切り割かれて断末魔を上げる間もなく絶命している。


 目に見えるものだけではない。


 戦場とは思えないほどの静けさの中に響く、パンッと乾いた音と異様に寒いこの空間。


 この寒さはさすがに氷魔法の影響だと察しはつくが、それでもこれほど広範囲に影響を及ぼすものなのかと異質さを感じずにはいられなかった。


 横たわる魔獣の死骸など子供のハナにはあまり見せたくないものではあるが、その事はすっかり思考の外に追いやられ、気温もあるのだろうかブルリと身を震わせながらソグンはこの空間の異常さ噛みしめている。


 正直、フェルズから聞いた作戦は無茶だと思った。


 百人を超える防衛隊が全力で魔物の侵攻を止め、止めきれなかった魔物を後方でたった一人が一手に引き受け、その全てを倒す。


 夢物語ではないのだ。


 そのたった一人がジンだと告げられても、そんな事が現実的に可能なのか、人にそんな事が出来るのかと、若いなりに理知的な判断と行動ができるソグンは心の奥底では疑っていた。


 緊急時、守り手の言うことは絶対であり、それに従うのが当たり前。


 ここスルト村では昔からそう定められており、アルバニア騎士団が駐屯し始めた約二十年前の大きな出来事を経てもなお、それは変わらない。


 自身がその守り手となってからも、先輩の守り手の指示は絶対だと幼いころから刷り込まれている。


 ここ最近、オプトに対してだけは反論するようになっていたソグンだったが、先ほどその本領を目の当たりにして考えを改めたばかりだ。


「できるんだ……一人で大群を……」


 そうつぶやき、ソグンが何か言ったことを聞き漏らさなかったハナが見上げると、当の光体が二人の間近に降り立った。


 ザシュッ!


「っ!? ま、待ってください! 斬らないでっ!」


 ソグンはカッツェを背負ったままハナを抱えるようにしゃがみ込み、同士討ちだけは避けねばと大声で知らせる。


「ふっ、ふっ……夢を、見ていた」


 バリリと雷を湛えて逆立った髪のままジンは謎の第一声を放ち、それに反応する間もなく言葉が続く。


「背の子は無事か」



 ◇



 予想以上に早く矢を打ち尽くし、弓を収納魔法スクエアガーデンに放り込む。次の手段、夜桜を抜き放った俺は更地一帯に魔道を張り巡らせた。


(これからは一万本用意しておこう)


 旅の先々で出来の良さそうな矢を買い込んで来たつもりだが、事魔物大行進スタンピードの前では到底足りなかったらしい。


 悔いるのは束の間にし、さっさと押し寄せる魔物に意識を切り替える。


 これほど広範囲を一人で守り抜くには高速移動が不可欠なので瞬雷を駆使し、ここからは魔力残量との戦いにもなるだろう。


 一矢一殺から一刀一殺。


 労力は大きく違うが、確実にやらねば前線とは違い、抜かれでもしたら大変なことになる。


(意識ある限り、戦い尽くす)


「参るっ!!」


 パァン!


 瞬雷の発動と共に起こる破裂音を置き去り、櫓の代わりとしていた積み上げた木箱から移動。壁を越えた魔物らを刀の錆にしてゆく。


 一対一なら魔力核の破壊も選択肢に上がるが、多数相手にその手段を採るのはあまりに手間がかかる。一瞬で、しかも確実に倒すには頭を切り離すか、潰すのが一番だ。


 魔力反応を頼りに斬っては移動、斬っては移動を繰り返すうち、不意に右の防衛線が破られているのを感知して小さく舌打ちした。


(シリュウの奴……)


 頼んだ手前、あまり文句を言えたものではない。


 だが何があったのかは知らないが、無事なクセにこの程度の敵を相手にその様は無いだろうと言いたくなるのは許してほしい。


 堰を切ったように大群が迫り、右の防衛線の後ろの壁、つまり村の北側に造った壁に向けて氷魔法を展開する。そして間もなくわらわらと壁を越えた群れに向けて魔力を解放した。


「―――嵐雪氷針ホワイトストーム


 先に使った氷魔法と同様に氷針の嵐が吹き荒び、群れは次々と様を変えていく。魔道の維持、瞬雷の発動に加えて氷魔法を使うのは酷く燃費が悪いのだが、出し惜しみしている場合ではない。


 最悪北側に力を傾けなければならないと腹をくくったが、しばらくする内に持ち直したようだ。


 まずは一安心と行きたいところだったが、なんと今度は左の戦場、コーデリアさんが抑える戦線が怪しくなっていた。


 大きな魔力反応も感じないので何事かと案じたが、俺は過去相対した敵の事を思い出す。


暁大蛇ティタノボアか……? ヤツの魔力は小さくて発見が難しい。そのくせ地の戦闘力が高いから厄介だ。三年前帝都近郊で初めて倒した個体は偶然見つけたに過ぎなかったな)


 とにかく不意打ちさえ食らわず、邂逅さえしてしまえばコーデリアさんが遅れを取ることはあり得ない。


 心配などしていては怒られてしまうのは明らかなので、再度思考を魔物を効率的に屠る手段に振った。


 何とか今のペースを維持できれば、夜が明けても戦えるのは確信がある。


 一閃、一閃、また、一閃―――





 どれほどそうしていたのか


 いつまで続くのかは考える事なくひたすら夜桜を振るい続ける


 そうしていれば次第に心が凍り 疲れなど感じなくなるだろう


 そう


 前世で経験した


 初めて殿しんがりを任されたあの頃のように


(この若さで殿とは名誉なことだ。あまつさえ俺は生きて使命を果たしている。これ以上なく上出来ではないか)


 顔にのかかった足軽共を斬っては捨て 斬っては捨て


 そして傷だらけになり


 腕も上がらぬほどになった矢先に現れた馬上の人間


 おそらくどこぞの武将だろう


 こもった声で口上を述べたかと思いきや


 血気盛んに馬上槍を振りかざして突進してきた


 片や俺の馬は脚を斬られ 槍は折られ


 本差しも脂が巻いて使い物にならなくなって脇差を抜いている


 共に戦っていた者たちもことごとく討ち取られてしまった


 相手に容赦などない


 まさに絶体絶命だった


 しかし


 そんなを救ったのは―――




「ふっ」


 相手も、状況も、まるで違う。


 それでもなお今ここでこの記憶が蘇るということは、俺はここでは死なぬということだ。


 死なぬのならば、俺はやり遂げるということ。で、あるならば、この戦いは我々の勝利で幕を下ろすのだ。


(予知夢というやつか? 便利なものだ)


 走馬灯は終わりを迎え、無意識に魔力反応へ向かっていた身体が夜桜を振り下ろそうしたその時、悲鳴にも似た声が俺を打った。


 とたんに現実に引き戻された俺はよくよく焦点を合わせると、そこには子供を背負ったソグンがうずくまりながらこちらを悲痛な表情で見ていた。


(危ないところだった……味方討ちなど冗談にもならん)


 忙しいことに変りはないので、速やかに事を進める事にする。


「背の子は無事か」


「は、はい。なんとか一命は取り留めたはずです。すみません……邪魔をしました」


「よくやった。だがもうここへ入るな。次止められるとは限らん」


「は―――」


 バツが悪そうに謝罪の言葉を述べたソグンにかける言葉は今これ以上は無い。俺は返事を待つことなく大声でマーサさんを呼び、すぐさま駆け付けた彼女に後を任せてその場を離れ、再度戦いに身を投じた。


 残されたソグンとカッツェ、ハナの三人。


 たまに目にするマーサのしとやかな使用人姿とは違い、まさに戦うための衣装を纏っている様に驚きを隠せないソグンを見て、マーサは両剣を背に預けていつもと変わらぬ無表情のまま次の行動を尋ねた。


「このまま下がられますか。それとも私がお連れ致しましょうか」


 神獣の足跡と前線を割っているここへ入るなとジンに言われた以上、自分がここで二人を連れて行ってはもう前線に戻ることはできない。


 ソグンは考えるまでもなく、後者を選択した。


「二人をお願いします。僕は前線に戻ります」


「承知いたしました」


 二人はそれ以上の言葉は交わさず、ソグンは背のカッツェをマーサに預け、カッツェの服の裾を掴むハナを見る。


「マーサさんに付いていくんだ。カッツェが目を覚ましても絶対に動かないように見張るのがハナの戦いだよ。シリュウさんと約束したんだよね?」


 その言葉を聞き、ハナは力強く頷いた。







――――――――――――――

更新むっちゃ空いてしまいました。

ごめんなさい……ごめんなさい……

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