#99 勝利を皆の手で

 漆黒だった空が群青に染まり始め、地平が仲間の血と同系色に変わり始める。


 気合の声が悲鳴に変わり始めてもう数刻は経つだろうか。一人、また一人と減ってゆき、前線は防衛隊の中でも特に実力者で鳴らす者たちをも削り始めていた。


「うおらぁっ!!」

「はぁぁぁぁっ!!」


 中央、左翼の最前線で皆を引っ張るロンとコーデリアもすでに修羅と化し、仲間の悲鳴すら耳に届かなくなっている。


「まだまだぁっ!」


 片腕で鬼神の如き働きを見せる駐屯隊長のドイル。


「スウィンズウェル騎士の誇りを知れっ!」


 コーデリアに続けと血を吐きながら猛然と敵に襲い掛かるブルーノ。


「お前ら、よくも仲間をやってくれたな……っ!」


 折れた自身の短剣を捨て、仲間の残した槍を手に暴れまわるフェルズ。


 前線に戻ったソグンもまた、戦棍メイスを手に無我夢中で戦いの最中にあった。


 ヒラリ―――


 そんなソグンの視界を掠めた、不規則に動く薄っぺらい物体。


 それがこの戦いが最終局面に入ったことを意味するものだったとは、この時露にも思わない。


 ソグンは戦棍を振りつつもその行き先を追おうと視線を泳がせたが、どうやら見失ってしまったようだった。


(今のは紙?)


 紙切れが戦場に舞っているのもおかしな話だが、誰かの懐に入っていたメモか何かだった違いないと冷静に思考を切り替えた。


 だが、直後に襲う喉の違和感。


 二、三回咳払いが出ると、自身の脇腹に妙な圧迫感を感じた。


「……え?」


 視線を下げるとそこには手のひらサイズの一匹の極彩色の蝶が止まっており、その虹彩こうさい色光沢により見た目だけは美しいとさえ言える。


 だが、ソグンはそれが何なのかを瞬時に察し、ありったけの強化魔法で全身を覆って叫んだ。


「みんな僕から離れてぇっ!」


 バァン!!


 声とほぼ同時に鳴り響く、耳をつんざく破裂音。


 即座に反応して飛退いた仲間が爆心地に視線をやると、砂塵の中ソグンの影が揺らいでいるのを確認。


 皆ソグンが謎の攻撃を受けたとすぐに察したが、立っているのなら回避できたのだと判断し、ほとんどの者たちが自身の頬に付いた生暖かい液体の正体には気づかなかった。


 そんな中、それがソグンの血であることに即座に察したのはオプトである。


「……あぐっ」

「ソグーンっ!!」


 駆け寄ったオプトに寄りかかるようにソグンはゆっくりと倒れ、力なく崩れ落ちる膝に合わせてオプトは支えながらソグンを横たえた。


「補助隊すぐに来てくれ! 重傷者だっ!」


『ヒューヒュー』と浅い呼吸をしながら、ソグンはオプトの顔を凝視する。


「ちくしょうが! 何にやられたソグン! ぶち殺してやる!」

「……ま……がはっ、げふっ!」

「だ、だめだやっぱ無し! 喋るな! 傷に障る!」


 オプトは慌てて前言撤回してえぐれた脇腹を抑えていると、目に涙を浮かべるソグンの手がオプトの袖を掴めずかすめ、パタリと地に横たわる。


「オ……プ……さん……はっ、はっ……」

「だから喋んなって! こんな時ぐらい素直に言うこと聞けよ!」

「イ……ッ……マデ」

「なっ!?」


 まさか最前線のロンを素通りし、作戦上魔獣の名がソグンから漏れたことにオプトは絶句する。


 最悪の事態になっているかもしれないとすぐさま辺りを見回し、この乱戦の中で飛び回っているであろう異物を探す。


「マ……ジかよくそっ!」


 そして発見する。


 目を凝らすと辺りは紙切れ、ではなく、小さな死肉蝶イツマデが大量に飛び回っていた。


「(お前の頑張り無駄にはしねぇぞ!)フェルズーっ!」


 オプトは被害を最小限に食い止める希望を繋げ、そのまま気を失ったソグンを抱えながら司令塔の名を叫ぶ。


「どうしましたオプトさん! っ、ソグン!?」

「大丈夫だ、死んじゃいねぇ! それよりすぐに風使いに全力で風を起こさせろ! 死肉蝶のガキがここら一帯に鱗粉を撒いてんぞ!」

「なんですって!? どこに―――!?」


 オプトに言われ、フェルズが冷静に辺りを見回すと言われた通りだった。


(油断っ!)


 成体の死肉蝶は頭大の大きさなので見逃すことはないが、幼体は小さく、指先程度の大きさの個体から、中には手のひらサイズにまで成長している個体まである。


 ひらひらと風に舞う木の葉のような動きでいつの間にか戦場に紛れ、わかりやすく脅威だった他の魔物らの陰に隠れていたおかげでここまで発見が遅れたのだ。


(暗闇、サイズ、そして俺たちが冷静さを欠いたのが気付かなかった原因かっ)


 司令塔としての役目が果たせなかったことにフェルズは唇を噛みしめつつ、後衛にいる魔法師らに風を起こすよう指示。


 そしてすぐさま巻き起こった風が前線に吹いた瞬間、今度はなぜかロンが前方から全速力で戻って来た。


 それは左翼のコーデリアも同じ。


 二人は後退しつつ、全く同じタイミングで各々の背後にいる仲間に向けて大声で警告を発した。


「全員ふせろーっ!!」

「みな、即座に伏せなさいっ!!」



 ―――ズドォォォンッ!!



「うおっ!?」

「ぐっ!」

「一体なんなんだ!!」


 警告間もなく起こった大爆発。


 爆発と同時に吹き荒れた強風は森の細木をなぎ倒し、折れた大量の枝と石が天高く舞い上げられ、パラパラと伏せる皆の背に降り注いだ。


 訳も分からず指示に従った防衛隊は爆風にさらされるが、それ以上の被害はない。


 だが、まるで高山に上った時のような耳の圧迫感は、えも言えぬ不快感をその場の全員に植え付けた。


《 コーデリア、無事か 》

《 問題ありません。どうやら最終局面のようですね 》

《 ……瀬戸際とも言えるがな 》

《 そちらへ参ります 》

《 ああ 》


 中央の攻撃隊、左翼の攻撃隊に合流したロンとコーデリアは短いやり取りをし、戦力を集中させることを決めた。


 ガラリと二本の巨人剣タイタンソードを手放したロンと、鎧を静かに脱ぎ捨てたコーデリア。


 中央左翼の防衛隊はそれぞれのリーダーの背を黙って見ていたが、強風と落下物がやむと同時に訪れた静寂。


 魔物が、いない。


 あれだけ押し寄せていた魔物の侵攻がぴたりと止んでおり、漂う血生臭ささが鼻を突き、仄かに光る魔力核が足元を照らしている。


 皆の胸中は同じである。


(勝った……のか?)

(お、終わった?)

(俺たちのっ……!)


 この光景に『まさか』が込み上がる。


 そして間もなく左翼が中央に合流し、各々静かに拳を合わせて健闘を称え合うが、勝鬨を上げる資格を持つ二人の人物が黙って前を向いたままなので声を上げることが出来ずにいた。


(ロンさん?)

(レイムヘイト様……どうなされたのか)


 風は、未だ吹いている。


「駄目ですね。帰ってくれる気配はありません」

「そうか」


 ―――え?


 バサッ


 森の切れ目から大量に飛び出した影。


 それは明るくなりつつある群青の空を埋め尽くすほどの数となって、数人を除く皆に、小石や枝などではなく、絶望を降り注がせた。


「あ……あ……」

「はぁ〜。最後にこれはねーわ」


 それが何かわかる者は一転して笑うしかなく、わからぬ者は脅威だけを感じ取って目の前を暗くさせる。


「お二人さん。やるんだろ?」


 手を頭の後ろで組み、気軽に話しかけるオプト。


 なるべく後輩たちを不安にさせないための明るい振る舞いに、ロンはニヤリと笑みを浮かべる。


「当たり前だ。あれ落とせるか?」

「あー……見たほうが早いわ」


 オプトはロンの要望に応えてキリリと矢をつがえ、目にも止まらぬ速さで五本の矢を放った。


 バンバンバンバン!


 だが、放たれた矢は内四本が敵に当たる前に謎の破裂音と共に軌道を逸らされ、仕留められたのはたったの一体。それでもこれを見たコーデリアは嘆息を漏らした。


「五矢中一矢。さすがですね。目算二千体程なので、接敵前に一万本撃って頂ければそれで勝負ありです」

「……それ出来たら帝都で指南役せーかつ?」

「陛下からの感状付きです」

「うわっ、おんもっ!」


 ロンはハッハと一笑いし、時は満ちたと足元に転がっている長剣ロングソードを手に取り、後ろにいる仲間に向き直った。


「あれは死肉蝶の大群だ。やつの鱗粉は目に見えねぇし臭いもない、唯一の攻撃手段だ。鱗粉が厄介なのは空気を吸い込んで膨張し、臨界点を超えるか、何かに触れると破裂する」


 『見てろ』と、ロンは迫る大群の先頭にヒラヒラと舞う二、三体に無造作に近づき、剣を振り下ろした。


 バンバンバンッ!!


「ふんっ!」


 ザクッ!


 先ほどの大爆発と同じような破裂音が響き渡り、ロンの身体が破裂の影響で一瞬硬直するが、意に介することなく振り抜いた剣はあっさりと死肉蝶を両断した。


 破裂に耐えうる強化、すかさず反撃できる余力。ロンはここからはそれを持ちえない者、自信のない者は脱落せざるを得ないという事を身をもって伝えた。


「気合いどうこうじゃないし、も許さん。盾になれりゃいいとか思ってる奴前に出ろ。ぶっ飛ばしてやる」


 そう言ってロンはあえてソグンに視線をやり、『出来なけりゃこうなる』と言外に圧力を含めつつ、戦いには向き不向きがあるのだと皆を諭す。


 この言葉で血気のみで一歩踏み出していた者らは皆踏み止まり、せめて見届けさせて欲しいとの願いはロンにさらなる力を与えた。


「つーわけで、コーデリアは下がってくれ。お前の細身じゃ」


 と、ロンが言い終える前に、コーデリアはロンと同じように前に出て死肉蝶に相対していた。


 バァン―――ヒュカッ!


「コツは鎧を脱ぎ捨て、皮膚にわずかな圧迫を感じた瞬間に身を翻す事です。直撃さえしなければ、強い風が吹いた程度で済みます」


 ―――余計無理だっての!!


 電光石火の早業を目の当たりにし、全員の心の叫びは同時に表情に現れ、何とも言えない空気を生み出した。


「……これだから天才は嫌なんだ。俺が完全に脳筋じゃないか」

「この私に向かって引っ込んでろなんて言った罰です」


 そしていがみ合う二人だけには任せられぬと、前に出たのはドイル、ブルーノ、フェルズの三人。


 各々額に血管を浮かべ、ブンッと武器を振った。


 ロンとコーデリアも、並び立ったこの三人に最早言葉は無い。


 そして残された問題は、敵の過半数が手の届かぬ上空を舞っていることである。


 武器の届く範囲なら倒せるが、上空に浮かんでいる個体とは戦うことすらできないのだ。


 この事を懸念していたロンは早々にオプトに『落とせるか』と確認したのだが、現実は五矢に一矢。仮にもB級の死肉蝶を一撃で撃ち落とすオプトの矢は尋常ではないのは確かだが、これでは到底間に合わない。


 後ろに控える魔法師たちがこぞって魔法を放ったところで、おそらくほとんど倒せない事も分かっている。


 ここへ来て強力な魔法師の存在がいかに重要であるかを思い知らされる羽目となるが、悔いている場合ではない。居ないものは居ないのだ。


 既に前線に入ってきていた死肉蝶の幼体は鱗粉ごと魔法師たちの風に巻き上げられているので後でどうとでもなるが、目の前の浮遊能力の高い成体はそうもいかない。


 常に強気なコーデリアもこれには内心困り果てている。ヒラヒラと宙を行かれ、ここを抜かれようものなら奥で待ち構えるジンが一人でB級の大群の相手をする羽目になるのだ。


(指を咥えてあの子に任せるなんて……そんな情けない事死んでも出来ないっ!)


 コーデリアはこの日一番の強さで双細剣ツインレイピアを握りしめ、限界を超えて飛ぶ槍と化す決断を下したその時、突然前線の上空が赤々と燃え盛った。



 ドゴォォォォッ!



 頭上に渦巻いた紅の濁流。


 別種の攻撃かとその場の全員が武器を構えたが、上空を漂っていた死肉蝶の幼体の死骸がボトボトと落ちてくるのを見て、開いた口が塞がらなかった。


「なーっはっはっは! 空なら火ぃつかってもだいじょーぶ! シィてんさい!」


 そして緊張感の欠片もなく、カラカラと笑って現れた竜人の娘。


「まってよシィちゃん!」


(え、あれシリュウ殿?)

(うぉぉぉ……あれが噂の竜化かぁ)


 様変わりしているその姿と、後ろから慌てて追いかけてくるエイルにも視線が集まり、二人は一瞬で皆の注目の的になってしまった。


「あっれー? みんなめっちゃ静かじゃん」

「エイル……お前シリュウちゃんのとこにいたのか」

「はい! 友達だし!」

「まぁ、無事でなによりだわ……」


 オプトの問いにエイルは元気に返答し、事の次第をわかっていそうにない新人にオプトは呆れてものも言えなかった。


 しかし、後方で倒れているソグンの事を知ればエイルは怒って突っ込みかねないだけに、オプトは応急処置を続ける補助隊に視線を送り『知らせるな』と首を横に振った。


(もう、エイルが出られる状況じゃねぇ)


 けが人など山ほどいるし、悔しがるのも後回し。すべては目の前の脅威を退けてからである。


 そんなエイルを見て、当初からの安心感と激闘の最中でついその存在を忘れていたコーデリアはほほ笑みながらシリュウに近づき、これで十二分に迎撃は成ると肩の力を抜いた。


 力んだままでは先ほどの戦い方はできない。


「シリュウさん。死肉蝶イツマデに火炎は効果が無いはずなのですが?」

「んぇ? いつまで? しらない。シィの火ぃきかないやつみたことない。けどまずいのはしってる」


(まずいですか……さすがのシリュウさんも、状況の悪さを感じられているようですね)


「ふふっ、そうですか」


 想定外の切り札が現れたことにロンは呆れにも似たため息ををつき、目の前の影が全て死肉蝶と聞いて今更顔面を蒼白にするエイルの頭をガシガシと撫でた。


「いいダチもったな」

「で、でしょ……?」


(あれが死肉蝶ってマジ!? さっきシィちゃんモシャモシャ食べてたんだけど!? マズいって吐いてたけどっ!)


 右翼に現れた死肉蝶をあまりに簡単に葬っていくシリュウに、エイルは危機感のの字も感じていなかったのだ。まさかそれが三獣の一角で、さらにジンが恐れたとおりの大量発生が起こっていた現実は、彼女にこれ以上ない辱めを与えた。


(あ゛あ゛あ゛ーっっ! 静かだったのそのせいか! あたし空気読めないバカなじゃん!)


「あわわわ……」


 恥ずかしさで頭を抱えるエイルだったが、今更死肉蝶を怖がることなど出来るはずもなく。


 そして今度こそ駒はそろったと、ロンは一気に踏み出し、コーデリア、ドイル、ブルーノ、フェルズの四人もロンに続いた。


「竜娘! 上を頼む!!」

「ちちうえのたのみーはいらない!」


 ロンの言葉に犬歯をのぞかせ、シリュウはその場で大量の火球を浮かび上がらせた。


「イルイル、空ならおこらないな!?」

「さっき聞く前にやってたよね!? でもやっちゃえシィちゃん!」

「お師めーめー……―――ひっさつ、焔槍ほむらやりぃぃぃっ!!」


 ズドドドドドドドド!


 瞬く間に形を変えた火球は紅の槍となって襲い掛かり、鱗粉の影響をものともせずに死肉蝶を貫いた。


 紅の槍は間髪入れずに次々と放たれ続け、シリュウはたった一人で上空の死肉蝶を撃ち落とす対空砲と化す。


「オラオラオラオラァッ! ゼンブコロース! キャハハハッ!」


 目も当てられない興奮度合いと信じられない火力の前に皆が皆シリュウが敵でなくてよかったと安堵しつつ、その下で赤々と照らされ、同様に蝶を打倒してゆく五人の戦士に声援を送る。


 最後の戦いにふさわしい、神々しくも有無を言わさぬ圧倒的な戦いを前に、皆が勝利を確信して涙を流し始めた。


 だが、そんな中でふと報せが届く。


《 ……プト……聞こ……え……るか 》


 それは、今にも事切れそうなか細い声で、目前に迫る歓喜を覆すものだった。



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