#100 ジルベスター

 いつの間にか紛れ込んでいた死肉蝶イツマデの幼体。


 バンバンバンバンッ!


「ぐあっ!」


 両断してやろうと瞬雷で安易に近づいたのはマズかったらしく、置かれていた空気の爆弾にことごとくぶち当たり、誘爆が誘爆を呼んで身体中に打痕を残す羽目となってしまった。


 魔物らの侵攻が止んだと思った矢先に俺が膝を突いてしまった為に、すわ異変かとマーサさんが慌てて駆け寄って来る。


「ジン様!」

「来てはなりません! 死肉蝶の鱗粉が溢れかえっています!!」

「な……っ!?」


 俺の警告を聞いたマーサさんは息を潜めて後ずさり、改めて周囲を見回す。


 そしてヒラヒラと舞う蝶を目視し、既に囲まれていたこと、こんな小さな蝶が三獣の一角だったのかと知るや言葉を失う。


 俺とてまさか幼体が紛れ込んでいたとは露知らず、視界の悪い中で探知魔法サーチに頼り切り、個々の魔力反応の大きさで強弱を推し量っていたツケがここにきて裏目に出てしまった。


 死肉蝶の鱗粉は魔力を伴わないので探知魔法では発見できない上、少しの衝撃で圧縮された空気が破裂する。既に母上らがいる家も鱗粉に囲まれている可能性が高いだけに、下手に動けば巻き込んでしまう恐れすらあった。


 俺は風魔法で鱗粉ごと蝶を吹き飛ばしてやろうと魔力を収縮させ、鱗粉に触れると破裂を起こす旨を伝えるが、時すでに遅し。動きを止めたマーサさんの身体に蝶が張り付いていたのだ。


「させませんっ!」


 家を守ってもらうために目の前に陣取ってもらった事がこれもまた裏目に出る羽目に。


 張り付く死肉蝶が一匹、また一匹と増えてゆき、最早逃れられぬと悟ったマーサさんは家と距離をとるべく全速力で駆けだした。


 バババババババンッ!


「マーサさんっ!」


 そして足元で起こった破裂はマーサさんを上空へ舞い上げ、続く衝撃は彼女を空中でいびつに踊らせた。


「あ゛ぁっ!」


 破裂が止むと同時に受け身も取れずに地面に叩きつけられ、持っていた剣も破裂に弾き飛ばされ、せり上がる嘔吐感と膨張した空気が彼女ののどを圧迫する。


 小さな蝶などこれまで相手にしてこなかっただけに、この攻撃は予想外に付く予想外。見えず触れずの弾に囲まれ、遠距離攻撃魔法を持たぬ者に防ぐことはかなり難しい。


「がはっごほっ、ごほっ! はっ、はっ……まだ……っ!」


 しかし、マーサさんの闘志は消えていなかった。


 ここまで終わりの見えない戦いを繰り広げてきただけにこの痛撃で終わってもおかしくはなかったが、彼女の覚悟は常人のそれをはるかに凌駕していた。


 圧迫された喉をせきでこじ開けて激痛に顔を歪めながらも、なんと肩口と腹に張り付いたままの死肉蝶を両手でむしり取って握り潰してしまったのだ。


 俺の強化でさえ相当の衝撃が通った。皮膚が破れている様子はないが、彼女の残された魔力で覆った強化魔法次第では、全身の至る箇所の骨は砕けてしまっているだろう。


 だが、家を巻き込まぬよう咄嗟に距離を取るという一瞬の判断、最後の力を振り絞ってまとわりつく蝶に一矢報いた根性は見事としか言いようがない。


(敵は取らせて頂きます)


 すさまじい闘志を見せられ、先に俺がやるべきことは彼女を見舞う事ではない。


 俺は練った魔力を風の刃に変え、戦場に小さく舞う魔力反応の全てにぶつけた。


「―――無限風刃インフィニティエッジ


 ゴォォォォッ!


 闇夜に放たれた鎌鼬かまいたちは音もなく次々と死肉蝶を両断。


 ハラハラと蝶の羽が地面に落ちてゆき、気まぐれなイタチが場を後にする頃には、羽は辺りに散らばる魔力核の光を得て妖しく光る絨毯となった。


 続けて吹き上がる風を放って残る鱗粉を上空へと処理した俺は、夜桜を納刀し、仰向けに倒れるマーサさんの元へ駆け寄った。


 なんとか意識はあるようで、とりあえず安堵する俺をよそに、無表情のまま月の傾いた空をじっと見つめている。


「……仰られた通り、月の美しい夜になりました」

「直に明けてしまいますが」


 お互いに深く息を吐く。


 静まり返った俺たちの戦場には、もう敵はいない。


 その小さな身体でよく戦いなさったと俺が褒めてしまっては、この人を怒らせる羽目になるだろう。


「ジン様。一つだけ、お願いがございます」

「何でしょう」

「どうか奥様とお嬢様だけには……マーサは地面に寝そべった、はしたない女中メイドだと言わないで下さいませ」

「……」


(存外、健気な事を言う)


 直接の主であるティズウェル卿には隠し事は出来ないが、妻のコーデリアさんと娘のアリアには自分が倒れた事を知られたくない、魔獣に敗れた弱い女中メイドだと思われたくない、といったところか。


 恥ずべきことは無いし、何ならコーデリアさんは落胆どころかよくやったと褒め、アリアなら治癒魔法ヒールを施しながら感謝を口にするはずだが、マーサさんにはマーサさんなりに譲れないものがあるのだ。


 こんなボロボロになりながらも、使たらんとするその心意気やよし、である。


(コーデリアさんに妙な洗脳でも受けていなければ良いのだが)


 初めから言いふらすつもりなどさらさら無いのだが、お願いと言われてしまってはこちらとて条件を出さざるを得ない。


「シリュウに美味いメシでも作ってやって下さい。それで手を打ちましょう」

「畏まりました。給金の限りを尽くさせて頂きます」

「……それだけは絶対に止めて下さい」


 先ほど前線で大きな爆発が起こったのを契機に、俺の遠視魔法ディヴィジョンの先で防衛隊と死肉蝶の激闘が繰り広げられている。



 ◇



「エドガー! 聞こえるぞ、無事なんだな!? 今どこだ!?」


 矢を射る手を止め、オプトは復活した通信魔法トランスミヨンの主に呼び掛ける。


 この魔物大行進スタンピードの先を見ると言ってブカの森深奥に入っていったエドガーだったが、ここへ来てようやく無事だったことが確認された。


 前で戦う六人を後方で応援していた皆もまた、オプトがエドガーの通信を受けていることを知って大いに沸いた。 


「やっぱり生きてた! 不死身なんだよあの人は!」

「よかった……本当によかったっ……」

「オラぁわかってたぜ、エドガーさんに墓はまだ早ぇってな!」


 勝利を確信する傍ら、皆口々にエドガーの無事を喜ぶが、通信を受けているオプトはまだ安心しきってはいない。


 生存を告げたエドガーだったが、どれほど自分が気を失っていたかすらつかめていないようで、オプトが健在、そしてまだ防衛線も崩壊していない事にエドガーの方が安堵していた。


 オプトが今まさに最後の戦い、死肉蝶イツマデの大群をロンたちが迎撃している最中だと伝えると、エドガーはそれを遮るように言葉を続ける。


《 オプト……いいか、よく聞け……はぁっはぁっ……これっ、は、スタンピードじゃ……ぐっ……なかったんだ 》

「何言ってんだ、それこそどうでもいいだろ! もう俺たちの勝ちだ! 余計な事はいいから場所を言え! すぐ迎えに行く!」


 確かに事ここに至っては魔物大行進スタンピードか否かなど問題ではない。


 エドガーの身が心配でならないオプトは興奮気味にまくし立てるが、通信魔法から届く言葉にオプトは耳を疑った。


《 逃げ、ろ…… 》

「は? なんだって?」

《 村の全員を連れ……て……逃げろ…… 》

「っ!?」


 ほぼ勝ちが確定している今の状況。森の中で一人いるエドガーには知る由もない事だが、さすがに村を捨てて逃げろとまで言うのはおかしい。


 オプトはエドガーの異常を感じ取り、まずは大きく息を吸って自分の熱を下げることにした。


「もういい、エドガー。お前さん怪我で弱気になってんだよ。早く場所言ってくれ。でなきゃクッソ広い森ん中を闇雲に探すハメになっちまう。終わった後サブリナにあわせる顔がねぇよ」


 努めて冷静にエドガーを諭すオプトだったが、既にエドガーはオプトの声を聞く余裕すらなくなっていた。


《 顔が無ぇ、ガキ、だ……頭に妙な、輪っかが……ある……バケ、モノだ 》

「!?」

《 いいか……絶対に、手ぇ出すな……唄を……聞く、な――― 》

「ガキ? 唄? 何言ってんだよ……? エドガー? おいっエドガー、返事しろっ!」


 その後オプトがいくら呼び掛けても通信魔法陣は反応せず、陣の作成者であるエドガーが魔力を込めない限り繋がらない通信はここで途切れてしまった。


「くそっ、何なんだよ! イカれちまったかのかあいつ!」


 最後に訳の分からない言葉を残されたオプトは、とにかくエドガーを探さなければと動ける者を集めて森へ入る準備を始める。


 かなりの重傷を負っているのは明らかだったので、早く助け出さないとそれこそ手遅れになりかねない。


 死肉蝶との戦いも直に終わりを見せようとしている中、オプトの呼びかけに守り手の全員が立ち上がった。


「ソグン、あたしらもエドガーさん探すよ! どこいんのよ!」


 立ち上がった一人であるエイルもまた相棒のソグンを伴おうと辺りを見回すが、どうにも姿が見えない。


 補助隊の面々は倒れるソグンを隠そうとしたが、間もなく防柵の後ろをうろうろと探し回って来たエイルに嗅ぎつけられてしまった。


「どいてよ! 何を隠してるの!?」

「わ、わかったから落ち着けエイル! ここは戦場だ! それは忘れてないな!?」

「わかってますよ、馬鹿にしないで! あいつ怪我してるんでしょ!?」


 こうなってしまっては隠したままでは逆効果になると観念し、補助隊は道を空ける。


 そしてエイルの目に入ったのは、血まみれの布に囲まれ、腹部を真っ赤に染めたソグンだった。


「ソ、ソグンっ!?」

「何とか一命は取り留めたが、危険な状態なのは変わりない」

「そんなっ……ううっ……」


 真っ青な顔でぐったりとし、エイルが掴んだその手は冷たい。脈は弱く、浅い呼吸は今にも消えてしまいそうだった。


 皆勝気なエイルは復讐心に狩られるものだと思っていただけに、補助隊は意外にもうなだれて涙を浮かべるその様にそれ以上何も言えなくなってしまった。


 『大丈夫だ』『絶対助かる』などとは到底言えない状況だけに、エイル自身が乗り越えるしかない。


 そして、間もなくエイルの背に立ったのはオプトだった。


「エイル、正直言ってエドガーを探すのにはお前の探知魔法サーチは必要だ。けどな、そのままソグンの手を握ってやってても誰も文句は言わねぇから安心しろ」


 得るべき結果を得るために使える戦力は無情に投入すべきだという戦場の常識と、まだ若いエイルは十分にやったと、任務から外れても仕方ないという情け。


 これは誰もが思う事であり、それをあえて言葉にするあたり今のオプトは厳しいと言わざるを得ない。


 しかし、振り返って見上げるエイルに補助隊の面々がオプトの言葉に無言で頷いて同意したところでエイルは立ち上り、汚れた袖で涙をぬぐった。


「……絶対ソグンに言わないでっ!」


 立ち上がったエイルが加わり、エドガー捜索隊が結成される。


 しかし、


 彼らが森へ入ることは無かった。









――――――――――――――

■近況ノート

酒飲んで書くのダメ

https://kakuyomu.jp/users/shi_yuki/news/16817330651343435385

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