#96 その背を預かりたい
「は、はなせぇっ、チビおんな人間! きてるから! まものメッチャきてるから!」
足にしがみ付いたままのハナを引き離すこともできず、あれよあれよと増え、波のように押し寄せて来る前方の魔物と足元のハナを交互に見やるシリュウ。その頭は残像を生み出す速度になっている。
雑魚ばかりが相手とは言え、一匹たりとも通さないとなると一切の無駄は許されない。
にもかかわらず、
弱いだけならまだいい。だけど足を引っ張るなどあり得ない。
ドラゴニアに居た頃の自分ならこれほど弱く、無力な人間などさっさと見捨てて放り投げていた事だろう。
しかし、それが今どうしても出来ない。
(この人間……)
泣いてばかりなら蹴飛ばしてやるのもやぶさかではない。
しかし、足元にいるハナは違っていた。
その存在はシリュウからすれば邪魔者以外の何者でもないのだが、少女の心はともすればシリュウ以上に戦いの最中にあったのだ。
「はっ、はっ……うっ……おえっ!」
襲い来る嘔吐感に抗えず、苦い胃液が逆流して少女の喉を焼く。
血まみれで白目をむくカッツェを見て、死んでしまったと思い込んでいるハナは藁にも縋る思いで無意識にシリュウの脚にしがみ付いていた。
「カッちゃ……カ……うぅあ゛あ゛あ゛あ゛ぁー」
そうでもしなければ、心が壊れてしまう。
両親を失ったあの日の様にまた暗闇に飲み込まれ、今度こそ自分は生きながらにして死んだも同然の存在になってしまう。
カッツェの様に自分を殺すはずだった魔物が消えた瞬間に次に襲い掛かって来た恐怖は内からあふれ出し、迫る魔物よりもハナはそれが怖くてたまらなった。
口から泡を吹いて奇声を上げ始めたハナを見て、シリュウは思わずしゃがんで視線を合わせ、その両肩を力強く掴んだ。
「おいっ、なんかがんばれ! まけるな!」
「あ゛ぇ……あ゛あ゛ぅ」
「ぐぁぁぁっ、まものがぁぁっ! まてゴラァっ!」
凄んだところで当然言葉を理解するはずも無く、とうとう魔物はシリュウの両脇を次々に通り過ぎてゆく。
「どうすればいいチビおんな! おしえ……ん? なんだこれ」
ギャーギャーと向かって来る敵だけを片手で殴り飛ばしつつ、シリュウは初めて経験する事態に対し、混乱のあまりどうすれば現状を打開できるかをその元凶に問いかけるという謎の行動に出てしまう。
それが無駄と分かるのに時間はかからなかったが、ハナの右あごに突然現れた黒い痣に言葉を失って首を傾げた。
よく見るとその黒い痣は首から伸びており、暗がりで今までよく見えなかったが、ゆっくりとこめかみまで浸食するように広がりを見せつつあった。
(まえ見たとき、こんな黒いのなかったような……?)
「あ゛っ、あ゛っ……あ゛ぼっ」
定まらない焦点のまま吐き出された吐しゃ物。
ハナの心は限界を迎えていた。
黒い痣が何かは分からないが、これが良くない事であり、ハナの精神状態が危険な事なのも分かる。
もはや自分では手に負えないと諦めかけたその時、シリュウは一つの寄る辺に行き当たった。
(そうだ、こんなときお師ならなんて言う? かんがえろ……かんがえろシィ!)
「う~ん」
『グルァァッ!』
ガキャッ!
『グ、ガ……?』
考え込み、動かぬシリュウの背を打ったのは魔獣、
無防備な背を打たれれば何人たりとも無事では済まないし、ましてや自分より遥かに矮小な相手などこの巨熊は歯牙にもかけない。
だがその小さな背を打った瞬間、巨熊に去来したものは思いもよらない感情だった。
相手が自身の大爪で微動だにしなかった以上の違和感、ここでは決して触れてはならぬものに触れてしまったという本能が呼び起こされる。
魔獣は魔物と違い、感情がある。
去来した意識は防衛本能からくる恐怖そのもので、野性で生きる魔獣たち全てが持つものである。
森の外からやってくる強大な存在に追い立てられてここまで逃げてきた。
本来なら魔素の薄い人間の里などに用はない。
つい数日前までやたらと縄張りに侵入してくる外敵と戦ってきたが、その強大な存在が近づくにつれ隠れるように身を潜めた。
しかし、それも限界が来た。
明らかに自分の棲家である森に向かって来るそれに対し、魔獣、魔物たちは一斉にに逆方向である人間の里の方角に避難を開始した。
そういったことが無ければ、もっと早くに本能は告げていたはずだったのだ。
ブカの森どころではない。
後ろから迫ってくる強大な存在に負けず劣らず、この小さな人間の形をしたものの中身は、この世界に存在する魔獣の頂点種、竜だった。
「……くっくっく。これだ」
ビクッ
自身の攻撃に無反応だった小さな存在が声を上げた。
不運な大爪熊は身体を強張らせて二、三歩後ずさる。
下がっても死、進んでも、死。
追い詰められると、時として人間は生をあきらめる。
片や野性はどうか。
全ての種が、すべからく死に物狂いで戦う。
―――グオ゛ォォォォォォッ!!
猛る巨熊の咆哮を背に受け、竜は目を見開いて少女を暗闇から引きずり出す。
「きけっ、チビ……ハナっ! おまえがここでしんだら、カツもしぬぞ! なかまだろ! 生きて、たたかえ!」
「……あ゛、ぇ……?」
(かたかまれたくらいでしなないけど)
声はハナを侵していた黒い痣を薄れさせ、ハナが足を引きずりながらもカッツェを担いでその場を離れる頃には、すでに跡形もなく消え去っていた。
◇
一方のソグンとエイル。
途中、エイルの
だが、悪化の一途を辿っているのはだけは分かった。
中央の乱戦をかき分け、ようやく右の前線をその視界に入れるや、二人はあまりの惨状に眉を潜める。
埋め尽くす魔物、魔物、魔物―――
なぜかその濁流の中で立ち尽くすシリュウは足元のハナを見たまま微動だにせず、逆にハナは血に染まるカッツェの腕を肩に回して立ち上がろうとしていた。
うまくバランスが取れないのかハナはふらふらとよろめき、時に膝を突きながらもシリュウに助けを求めようとはしていない。
魔物と戦わず、仁王立ちの状態でハナを見守るシリュウ。
血に染まったカッツェと共にその場を離れようとしているハナ。
一見しただけでは、どうしてこうなっているかを把握するのは到底無理というものである。
『グオ゛ォォォォッ!!』
だが、二人はそれを追及している場合ではない。
シリュウの背後にそびえ立つ大爪熊は目を血走らせ、今にもシリュウの頭上にその大爪を振り下ろそうとしていた。
「やめろぉぉぉっ!!」
友の危機を救うべく、エイルは一瞬目を合わせてソグンの
そしてソグンはグンと姿勢を前に倒し、エイルの足が掛かった己の武器を全力で振り抜いた。
「いくよ、エイルっ!!」
ドンッ!
ゴレムスの強岩をも打ち砕く威力で打ち出されたエイルは中空で両手の短剣を交差させ、弾丸となって大爪熊に襲い掛かる。
『グバッ!?』
恐怖の対象であるシリュウに全ての意識を向けていた大爪熊が迫る弾丸に気付いた瞬間、その首は宙に浮いていた。
首の無い自分の身体を眼下に見た大爪熊。
エイルは持ち前の身体能力でクルリと中空で回転して勢いを殺し、片足を地に付けると同時にその首も地に落ちた。
切り口から吹き出す血は雨となってその場に降り注ぐ。
身体が勝手に動いたとはいえ、初めて倒したC級の魔獣。
普段ならソグンと共に称え合う所だが、それも後回し。
「シィちゃん! カッツェは無事!?」
「おー、イルイル。まぁまぁのいちげきだったなー。ちょびっと見なおしたぞ。カツはみてのとーり」
「あ、ありがと……(じゃなくってあたしっ!)それより今は」
「大丈夫、傷は深いけどすぐに止血すればまだ間に合うよ! ほらカッツェを……ハナ?」
二人のやり取りはそっちのけでソグンがカッツェを背に乗せるようにとその場にしゃがむが、ハナはそれが目に入っていないかのようにゆっくりと歩を進めた。
本当に気付いていないのか、事の次第を分かっていないのか。
いずれにせよのんびりしている状況で無いのは確かでつい声を荒げそうになるソグンだったが、歯を食いしばり、顔をクシャクシャにしながらハナはカッツェを担ぐ重い足取りでその場を離れようとしていた。
「イルイルのなかま人間。ハナは戦ってる。ジャマしたらなぐるぞ」
「ど、どーゆーこと?」
「シリュウさん……」
ギロリとソグンを睨むシリュウの目は、反論を許す雰囲気ではない。
思いもよらないシリュウの言葉に二人はまたも混乱するが、ソグンはすぐさま状況に対応することを選んだ。
「エイル。僕が二人を見るよ」
「わかった」
言葉少なめにそう言い、エイルが頷くと同時にソグンは立ち上がって手を貸すのを止め、ハナの前に出てゆくべき先に導く選択をした。
「ハナ、僕の後についておいで。一緒にカッツェを助けよう」
「ぅ」
声にならぬ声を上げ、ハナは先ほどとは変わって素直にソグンの後に続こうとしている。
まるでカッツェは誰にも渡さないと言いたげな様子に、エイルはグッと拳を握りしめた。
(これがハナの戦いってことなのね)
大量の魔物に囲まれながらもソグンは
その様をジッと見つめるシリュウにエイルは周りを見ながらごくりと唾をのんだ。
カッツェとハナが無事だったこと、そして何とか戦線を離脱できそうな状況に安堵しつつも、エイルの緊張の糸が切れることは無い。周りは我先にと村に入っていく魔物の行進で地響きが鳴り響いているのだ。
やがてカッツェとハナ、ソグンの三人の背が見えなくなり、『ふぅ』とため息をついてシリュウは辺りを舐めるように見回した。
「あわわわわ……おこられる……たのみーなのに……」
「怒られる? だれに?」
魔物が跋扈する戦場にポツリと二人きりになったシリュウとエイル。
がっくりとうなだれる様を見てエイルが問いかけると、シリュウは気持ちを切り替えるように大きく息を吸って大声で叫ぶ。
「お師ぃー、コーデーっ、まものいっぱい逃がしてごめんなさぁぁぁいっ!!」
「わっ!」
ゴオッ!
仰け反り両手を上げてそう叫ぶと、シリュウの身体から紅い炎と猛烈な熱波が吹き出した。
吊り上がる目と沸き立つ髪。二本のツノをググッと後ろに伸ばしなら火の玉を浮かび上がらせるその様は、エイルが初めて目にする竜化である。
「す、すごっ」
あまりもの熱にエイルが目を細めていると、シリュウは右脚を高く上げ、火炎をその脚に纏わせた。
「いいかげんにしろぉっ! ザコどもがぁーっ!!」
「っ!?」
ドゴォッ!
シコを踏むように全力で振り下ろされた脚は地面を撃ち抜き、シリュウを中心に大きく陥没。
危険を察知したエイルが即座に後方転回を繰り返してその場を離れると、打撃点から地割れと隆起が起こり、隙間から噴出した紅き火柱が容赦なく魔物を包み込んだ。
『ガガガッ!』
『ギャギャーッ!』
『アオ゛ーン!』
悲鳴のような鳴き声と地割れの音が交錯し、一瞬で炎獄と化した戦場。
なんとか安全な足場まで避難できたエイルは、陥没した地面の中央で闇を揺らす陽炎を生み出しているシリュウを見て言葉を失った。
(これが竜人の……シィちゃんの力……次元が違いすぎる。あたしなんかがいてもきっとただのおじゃま虫だ)
エイルはえも言えぬ寂しさと自身の不甲斐なさで眉尻を下げ、束の間心を沈ませた。
(それでも)
だが、エイルはここで下を向くままの人間ではなかった。
その小さくて大きい背中を預かりたい
そのかわいくて強い背中を預けて欲しい
我儘なのかな
無謀なのかな
それとも 嫉妬なのかな
全部なのかもしれない
身の丈に合わないって きっとみんな言うよね
でも 何だって思われてもいい
やっと呼んでくれたんだ
イルイルって
どうして二回言うのかなぁ
聞きたいなぁ
わかんないけど なんかかわいいし本当にうれしかった
ここで逃げちゃったら 呼ばれる資格もなくなっちゃう気がする
もう二度と友達だなんて言えなくなるよ
そんなの
嫌だよ
心を決めたエイルは強大な力を振るった友に向かい、容赦なく怒気をあげる。
そこには卑下も、その強さへの遠慮も見られなかった。
「こらーっ! シリュウ!」
「おわっ! な、なんだ!? シィちゃんどこいった!?」
共通の敵を蹴散らすために力を振るったにもかかわらず、いきなり怒声を発しながらズンズンと近づいてくるエイルにシリュウはつい後ずさる。
「いくらやばい戦いでもここであんな広範囲に火使っちゃ駄目! 村も森も焼野原になっちゃうでしょ!!」
「あ、ぐっ……イ、イルイルのクセにシィのこと怒るのか!?」
「イルイルも当然怒るわ! 魔の棲家の森が死んだらこんな事が繰り返し起こるかもしれない! 人だけじゃなくって、村も、後の安全を守るのも私たち守り手の役目なの! 覚えておいて!」
「わ、わかってる! わかってるけど……まちがえただけだ!」
「間違えたぁ? ほんとに分かってるの!?」
「ほんとだ! わかってる! 竜人は」
「「ウソつかない!!」」
「……」
「でしょ?」
「……ふん!」
周囲で悲鳴を上げる魔物たちが次々に核へと姿を変えていく中、二人の声が行き交っている。
そして新たな波が押し寄せてくるのを見て二人は前方に向き直り、犬歯を剥きだしたシリュウを横目に、エイルは本当に言いたかった事を口にした。
「あたしもシィちゃんと戦う。どうしてかわかんないけど、ジン兄ぃとコーデリアさんにも一緒に謝るから。その……友達だし!」
その言葉にシリュウは目を見開いてエイルを見ると、チラリと視線を寄越したエイルと目が合った。
共に戦う事を拒否されるかもとエイルは内心怯えたが、視線を外さずにシリュウの眼力を真っ向受け止める。
だがそんな心配と覚悟をよそに、この竜人の少女はやはりと言うべきか、どこか違っていた。
「ほんとか!? ともだちいいな! なら全部イルのせいにしたら怒られな―――」
「友達やめようかな」
「まてっ! またまちがえた。シィたちともだちだ! なーっはっはっは!」
(ふふっ、嘘じゃなくて間違いなんだ)
戦場にありながらほほ笑むエイルと、怒られるのが半分になってゴキゲンのシリュウ。
改めて前方に向き直り、二人は共に敵に向かって駆け出した。
「タマであそぶのおわりっ。イルイル、シィはともだちでも戦士は助けない! ジャマしたらけるぞっ!」
「上等っ! 覚悟の上なんだから!!」
二人の戦力は大きく傾いているものの、その後エイルは戦うシリュウを徹底して補佐し、以降の激戦を見事に戦い抜いた。
この日以降、死が分かつまで二人は生涯の友となる。
後にエイルはシリュウに家族として招かれ、スルト村とドラゴニア、二里の交流に大きな役割を果たすこととなる。
―――――――――
近況ノートでお知らせしていた更新日を過ぎてしまいました。
申し訳ありません。
校正中に用意していた伏線が抜けている事に気付き、慌てて加筆したのですが間に合いませんでした。本稿含め、主人公が主人公していないと言われてもおかしくない展開が続いていますが、作者なりに必ず主人公させるつもりです。
よろしければ、これからも応援して頂けましたら嬉しいです。
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