#38 騎馬課程Ⅱ

『―――っ―――るっ!』


 視界に広がる騎馬、騎馬、騎馬。


 最奥には槍や鍬、鋤を持った歩兵がずらりと並んでいる。


 左右の具足を身にまとった者らがこちらを見て何かを言っているようだが、顔も声も霞がかっており、見聞きすることはできない。


 どうやら俺は高所で馬上にいるようだ。


 俺が抜身を振り上げて言葉を発すると、空気を震わす鬨が全身を駆け巡った。


 合図と同時に軍は反転し、俺は納刀して采配に持ち替え、行軍を開始した。



 ……――――



(勝利は我らの手にあり、か。ふっ……どうやら俺は采を手に馬上でふんぞり返る身分だったらしい)


「くははっ!」


「先生っ、大丈夫ですか!?」


「ザマぁないっすね先生! ビビっておかしくなっちまったんすか!?」


「ロキ……あなたという人はっ」


 どうやらシスティナ嬢のおかげで扉が開いたらしい。


 前世の記憶が光のように脳裏に降り注ぎ、めくるめく映像は紛れもなくこの世のものではなかった。


 今回は今までのような記憶の扉ではなく、周りには人がおり内容も濃かった。相変わらず個人につながる情報は無かったがそれはいい。


「すまない、大丈夫だ。俺はどれほど呆けていた?」


「し、心配させないで下さいっ。呆けるというより、突然うめき声を上げて十秒ほどですか……空を見上げておられましたが、何をされていたのです」


 前世の記憶が降り注いでいた。なんて言えば、ロキだけでなくシスティナ嬢にまで笑われてしまう。


「馬に乗れたことが嬉しくてな。噛みしめていた」

「そんな嘘が通用すると思いますか」

「突然襲い来る持病のようなものだと思ってくれ。説明のしようがない」

「……っ!」


 俺の言葉に沈黙するシスティナ嬢。この時俺は、誤解を生むような発言をしたことに気が付いた。


「誤解しないでくれ。命にかかわるようなものでは決してない」

「……本当ですか」

「誓おう。あ―――剣に誓おう」

「『あ』って何ですか! 『あ』って!」


 ドスッとわき腹に拳が入り、とうとう一撃入れられてしまったようだ。


「A級討伐、おめでとう」

「今度は刺しましょうか」


 シュッと細剣が鞘を走る音がし、あわてて謝罪の言葉を並び立てる。冗談を一刀両断しようとする辺り、あまりこの手の振り方はやらない方がよさそうだ。


「おいシスティナ、いつまでやってんだ。先生もできないならさっさと降りたらどうっすか」

「ああ、君にもすまない。問題ないから引き続きご教示願う。そっちは落ち着いたのか?」

「う、うるせぇよ!」


 とうとう悪態までつき出したロキ。俺がシスティナ嬢といる限り、彼はどこまでも付いてくるのは想像に難くない。騎乗を教わるごく短い時間だが、短時間でも俺としてはやりやすいので取り立てて何も言わないでおく。


「はぁ……なんだか私だけ分かっていないような、このモヤモヤは何なのでしょう」


 笑顔の俺と、そんな俺を睨みつけるロキを見てシスティナ嬢は深くため息をついた。



「あの障害は騎士学院生が進剣試験に使うものです。そしてあれが―――」


 馬を歩かせながらシスティナ嬢から馬練場について聞いている。その間も馬を走らせるときはこう、止めるときはこう、という具合で口頭で説明を受けつつだ。


 実は前世の記憶が蘇った瞬間、馬術の記憶も手にしていたのでおそらく俺はもう一人で馬を操れる。


 だが今更『実はできる』なんて言えないので、俺の記憶とのすり合わせの作業なのだが、どうやら大きな差異はないようだ。


 違うのは、馬を強化魔法で覆うことぐらいか。


「なるほど。あの切り立った崖は強化魔法ありきなんだな」


「はい。三剣の試験に限ってはほぼ直角です。あれを強化無しで駆け降りれば人馬共にただでは済まないことぐらいお分かりでしょう?」


「だな。駆け降りるどころか普通に落下だろ、あれ。君らはそれをこなしたと思うとすごいな」


「修練あるのみです」


「あれくらいヨユーだっての」


「なら、あれもそうか」


 俺は高くそびえる何枚かの薄い壁を指さす。


「はい。手前から1メートルが一剣、2メートルが二剣、5メートルが三剣用です」


 あの壁も騎馬課程の試験項目になっているらしく、触れることなく飛び越えねばならないらしい。


 だが、俺が聞きたかった壁についてはシスティナ嬢の説明になかった。


「あの一番高いのは君ら四剣用か? なにやら他に比べると手入れが行き届いていないようだが。というか、あれは高すぎやしないか? ……ああ、素手で登る用か。なるほど。だからあえて手入れせず、生徒らに崩壊の緊張感を―――」


「一人で勝手に納得しないで下さい。全然違います」


「想像力豊か過ぎるだろ、先生」


「ん、違うのか」


 システィナ嬢とロキがあきれた眼差しを俺に向けてくる。


 なら、何だというのか。どう見てもあの高さは尋常じゃない。


「あの壁は二十年以上前に、当時三剣の生徒だった方が限界に挑戦した名残です。今は使われておりません」


「ほぅ! 何という男気っ! すばらしいっ!」


 俺はそういうのが大好物である。クッと手綱を遊ばせ、飛び越える想像を膨らませる俺を見てロキは引いている。


「やっぱおかしいぜ、この人。それに男とか言ったら殺されるぜ、信者に」


「信者とは聞き捨てなりませんねロキ。これは敬意です」


「はっ、今となっちゃ本当かどうか疑わしいっての」


「?」


「先生は帝国の軍神を耳にしたことは?」


 ピクッ


「……ああ、聞いたことはある」


 俺はまたもや天を仰ぐ羽目になってしまった。


 男とか言ってすみません、コーデリアさん。


「さすがにご存じでしたか。先の戦乱でも殊勲を挙げられた軍神、コーデリア・レイムヘイト・ティズウェル様が三剣当時に打ち立てられ、未だに破られていないのがあの9メートルの壁です。一番上の板をご覧ください」


 めまいのする視界を、システィナ嬢の指さす壁の一番上に移す。


 見ると、そこだけ割れているのが分かった。


「10メートルは超えられず、割れたまま残されているのです。私は卒業するまでにエカトルであの割れた板を超えるのが目標なんです」


「いやいやいや。何回もいってるけど、さすがにあれは無理だって。マジで危ないだけだし、やめとけって」


「無理は承知しています。ですが、だからこそ目指す価値があります」


 ロキがいう事も、システィナ嬢が言う事もわかる。


 だが、あのコーデリアさんの事だ。


 大した熱量もなく、なまじ飛べてしまったものだから五、六、七と増やしていくうち、気が付いたらそんな高さになっていた、といったところだろう。


「ロキが正しい。だが、システィナ嬢に同意だな」

「なんだよそれ……教士なら止めて当たり前だろ」

「それは、応援されているのでしょうか?」

「無茶だけはするなよ?」

「心得ていますっ」


 馬練場を半分ほど周ったころか。


 奥では数人の教士と多くの生徒が合同で訓練をしているようで、あまり近づくと、ましてや俺では迷惑をかけてしまうかもしれないと馬の脚を止めた。


 馬の操り方は一通り聞いたので、そろそろ一人で乗ると提案してみる。


「確かに……すっかり話に夢中になっていましたが、先ほどから先生、普通にエカトルを操られてますよね。本当に初めてなのですか?」


「初めてだ。君の教え方がよかったのと、エカトルの頭がいいんだろう」


 現世では初めてだし、前世で乗っていた馬はもっと小さかった。実際、彼女の教え方も分かりやすかったので嘘はない。


「そう言って頂けると嬉しいですが、それにしても……まぁ、いいです。合格にしておきます」


「感謝する。君のおかげでこの先、馬に乗れる」


「ふん。こっからだっての」


 馬を下りた俺をみてようやく溜飲が下がったのか、若干の笑みを浮かべている。


 一言付け加えたロキがいう事も最もである。実際に一人で乗りこなすようになれなければ話にならない。


 辺りを見回し、俺が乗る馬を探す。


 一日の課程が修了するまで全ての馬は馬練場に放牧されており、厩舎に行けば馬がいるというわけではない。


 日が昇ると同時に厩務員が全頭を馬練場に放ち、騎馬課程を受ける生徒は放牧されている馬を見つけ、馬具を付けるところから課程が始まるのだ。


 エカトルが初めから馬具を付けていたのは先に乗っていた生徒がいたからで、指笛を鳴らして駆けてきたのはたまたま乗り手がいなかったからに過ぎないらしい。


 とりわけエカトルはシスティナ嬢を主人と認めているらしく、あまり他の生徒を乗せたがらないという事もあるのだという。


「そうだ、先生さ。いい馬がいるんだけどどうよ?」


 ここでロキが馬を探す俺に提案してきた。ニヤリと笑みを浮かべているところを見ると何か企んでいるのが丸わかりだが、一応聞いておく。


「そやつ、紹介してくれ」


「さっすが先生っ! ノリいいね!」


「ロキ。あなたまさか……」


 訝しむシスティナ嬢を見て見ぬふりし、ロキはついてくるよう言う。


「あれだよ。あーれ」


 言う通りあとに続くと、彼は丘の上に立つある一頭を指さした。


「……なんだ、あれは」


「なりませんっ! ロキ! いい加減にしなさいっ!」


「っ! 怒るなって……ジョーダンだよ、ジョーダン」


 両手を頭の後ろにやり、口笛を吹いて誤魔化すロキを見てシスティナ嬢は怒りに肩を震わせた。


 ちなみに、面倒なのでもう仲裁するつもりはない。というか、あの馬の方が今の俺には重要だ。


 ロキが指さしたのは、ここから見てもかなりの体躯を持つ青毛馬である。異様なのは伸び放題の毛で、手入れがされていないのは明らかだった。


 草をはむ訳でもなく、かといって動き回っている訳でもない。周りには馬も人もおらず、ただ一頭そこに佇んでいた。


 俺が近寄ろうとすると、システィナ嬢が慌てて行く先を阻んだ。


「お待ちください、先生。あの子は駄目なのです」


「駄目とは?」


「詳しいことは分かりませんが、一年前にここに来た子なのですが誰も寄せ付けないのです。教士を含め触れることもできないまま今に至ります。近づけば威嚇され、触れようとすれば蹴られます」


「あの体躯だ。さぞ痛いだろうな」


「痛いで済めばまだいいでしょう。既に不用意に近づいた生徒が内臓を潰され、厩務員も脚を折られています」


 そんな危険な馬が処分されぬままここにいるという事は、何かしらの事情があるのだろう。


「くふっ」


 システィナ嬢には悪いが、それで引き下がる俺ではない。逆に燃えるというものだ。


「……っ!? そんな恐ろしい笑みは初めて見ました」


「失礼な。故郷では母親譲りの泣く子も黙る笑みだと評判だったぞ」


 俺はシスティナ嬢を避け、馬のいる丘へと歩みを進めた。


「お、お待ちをっ! あの子は功労馬なのです! 傷つけてはならないのです!」


「安心しろ。俺が一方的にやられるだけだ。預かってくれ。大事なものだが君なら安心できる」


 俺は左腰に佩く夜桜をシスティナ嬢へ渡した。


「やられる!? えっ、重っ!? ちょっ、ちょっとリカルド先生っ!」


「あ~あ……マジで行ったよ。こりゃ見物だな」


 またもやロキの口笛が俺の耳に届いた。









――――――――――

■近況ノート

いつまで馬の話するんだよとか言わないで

https://kakuyomu.jp/users/shi_yuki/news/16816927860870568962

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