#39 三日月は

 自分に近づいてくる人間を察知したのか、青毛馬の耳がこちらに向いているのが分かる。


 丘の裾に足を踏み入れるや、ここは俺の縄張りだと言わんばかりに青毛馬はこちらを向き、毛を振りまいて頭をさらけ出した。


 額には見事な白い曲星を持っており、馬群にいてもその馬体と合わせて一目でそれとわかるだろう。


『ブルッ!』

「っと、機嫌はすこぶる悪いようだな」


 耳を後ろにしぼって口を突き出し、歯をむき出しにしてこれでもかと攻撃的な表情をしている。鼻息も荒くなり、頭を下げて前脚で地面を蹴る姿は頭突きでもしてくるのかと思えるほどの迫力。


 一歩また一歩と歩を進めても逃げる素振りを全く見せず、来るなら来いと言わんばかりだ。


 俺は歩を進めると同時に馬の圧に合わせ、全身に強化魔法を施した。


「さぁ、勝負だっ!」


『ビピィィィィィッ!』

 

 鼻先まで迫った俺がスッと手を差し伸べると、青毛馬は甲高くいなないて立ち上がり、飛ぶように前脚と後ろ脚を入れ替えて蹴りを繰り出した。


 真向受け止めてやろうと、胸に迫る足裏を両腕で防ぐ。


 ドゴン!


「うおっ!」


 予想を上回る威力に俺は数メートル吹き飛ばされるが外傷はない。システィナ嬢いわく、馬の蹄には蹄鉄と呼ばれる保護具が付けられるらしいが、こいつに付いていないのはありがたい。


「もう一度だっ!」


 飛ばされた分駆け寄り、大声を出して威嚇し返してやる。後ろを向いているとはいえ相手は俺の位置が正確に見えているので、蹴りが外れることは無い。


 ガコッ!


「まだまだぁっ!」


 ゴッ!


「どうした! この程度か!」


 ズガン!



 ……――――



「ちょっ、マジかよあの人……絶対アタマおかしいって……」


「あなたがけしかけるからでしょう!」


 蹴られては吹き飛び、蹴られては吹き飛びを繰り返してもなお、諦めるどころか顔に笑みが張り付いているジンを見て、ロキは顔を引きつらせつつも目が離せないでいた。


 丘の周囲には、尋常ではない青毛馬の嘶きを聞いた騎馬課程中の教士と生徒も集まり、訳も分からぬまま声援と悲鳴が響き渡っている。


 止めるに止められず、なぜこんなことになってしまったんだと、システィナもジンの剣を抱きかかえながら見守る事しか出来ずにいた。


 そんなシスティナとロキの背後から、低く、威厳のある声が聞こえる。


「久々に聞き覚えのある鳴き声だと思って来てみれば。これはどういうことかね」


「が、学院長先生っ!」


「失礼しましたっ!」


 二人は慌てて下馬し、胸に手を当てて頭を下げる。


「よろしい。で、説明はできるのかね?」


 二人を威圧するようにヴィントはギロリと二人を睨みつけ、事の顛末を話すよう促す。


「は、はい!」


(ロキ! 正直に話しなさいっ!)

(お、オレかよ!?)

(実際あなたのせいでしょう! 逃げることは私が許しません!)

(くそっ、あいつのせいで退学になっちまったら人生終わりだぞっ!)


 頭を下げながら二人は小声と目線でやりとりし、どうせジンが戻ればすべてバレることだとロキは諦め、自分があの馬の存在を教えたことを明かした。


「システィナ君と……君は確かオッセンド卿の子だな」

「はい。ロドリゴ・ファシオ・オッセンド男爵の長子、ロキです……」


 帝国騎士、魔法師にふさわしくないと認められる行為を行った場合、学院長の裁可によりその者は即時退学。また、そのような行為を貴族子弟が行った場合、親族にもその累が及ぶ。


 この規則を知らない生徒はおらず、この制度があるからこそ、学院にいじめなどが存在のである。相手が教士と言えども、それは変わらない。


 ロキは顔面蒼白になりながら力なく答え、ヴィントの裁断を待った。


「そのような陰湿なやり方。帝国にあるまじきなのはわかっておるな」


「こっ、心から反省しております! 申し訳ありませんでしたっ!」


 厳しい言葉を投げられロキは勢いよく跪く。だが、次のヴィントの言葉にシスティナ共々耳を疑った。


「しかし、よくやった」


「……は? い、今何と」


「相手は戦争中の敵である。どんな手段であっても効果的であるならば迷わず使い、時として非難を受ける覚悟を持って勝利を手繰り寄せる気概を持つことこそが帝国騎士なのである」


「あ、ありがたく!」


「ご教示いただき、ありがとうございます!」


 そうだったと、ロキとシスティナも目の覚める思いだった。この間もヴィントは片時も目を離さずジンと青毛馬を見つめていた。


「私もこの一年、あの馬は懸案事項だったのである。リカルド先生ならとも思っていたのだが、契約に無い事なのでな。依頼できずにいたのである」


「い、依頼?」


「左様」


 システィナはヴィントの聞きなれない言葉につい聞き返す。


「システィナ君はすでにリカルド先生に挑んでおったな。ロキ君、君はどうかね」


「はい。挑み、その……敗れております」


 ロキは未だに口惜しさが残っているせいで言い淀むが、戦勝報告がヴィントに一度も届いていない時点で『挑んだ』という報告だけで十分。ヴィントは初めから、そして今も生徒が一撃入れられるとは思っていない。


「結構。これから言う事は他の生徒には他言無用である。この機会を生み出した褒美だと思いたまえ」


「承知しました。ありがとうございます」


「はい」


 システィナとロキは丘を見つめたままのヴィントの方を見、未だやまぬ声援と悲鳴が響くなか他言無用だと言われた話に傾聴する。


「リカルド先生は数ある称号の中、帝都では王竜殺しドラゴンキラーで知られているSランクの冒険者である」


「なっ、Sランク冒険者!? 王竜殺し!? 先生が!? 本当ですか学院長!!」


「先生が冒険者……しかも各国の王すら一目置くっていう国家戦力並……くそっ、マジかよっ!」


 ヴィントが興奮し仰天する二人をギロリと睨みつけると、大きな声を出してしまった事に気づいて二人は同時に口をふさいだ。


「真実である。一年前の戦乱の功により十四人目のSランクとなったのが彼だ。これが広まれば、挑む者が減ってしまうからな。クシュナー学院長と相談し、生徒には秘しておくことにしたのだ」


 学院生は学院区画から基本的に出ることなく、ましてや冒険者ギルドに行くことなどまずない。元々冒険者ギルドはその地に住む人々とは深く関わるが、国家自体と深く関わることを良しとしていないのだ。


 冒険者なら誰もが知るジンの名を聞いたところで、学院生がそこにたどり着かないのは当然と言えた。


「なるほど……私なら喜んで挑みますが。ただでさえ学院生の冒険者の印象はよくありませんし、相手がそれほどだと分かれば多くの生徒が見て見ぬふりをするでしょう」


「確かに。でも冒険者ってもっとこう、なんというか」


「粗暴だと」


「あ、いえっ! ……申し訳ありません。正直、私はあまり良い印象は持っておりません」


「仕方のない事だ。私の知る限りでもそのような冒険者が多いのは事実である。私も初めてリカルド先生と会った時は意外だった」


 ヴィントはロキに同意しつつ、そろそろだと言って丘の上を見るよう二人に告げた。


「ロキ君」

「はい」

「だれか厩務員に言って、ハルブモンドの馬具を受け取ってきたまえ」

「は、ハルブモンド、ですか?」

「左様、あの馬の名だ」



 ……――――



『ブルッ、ブルッ……』


「そろそろ限界か?」


 仕掛けた持久戦。何度蹴られ、何度吹き飛ばされただろう。


 青毛馬の呼吸は荒くなり、とうとうこちらに尻を向けるのをやめた。だが、その目に闘志は宿ったままであり、未だ諦めていない様子がうかがえる。


 俺は蹴りの威力を殺すことなく真向受け続けたが、未だに外傷はなくまだまだやれる。


 だが青毛馬の方はそうもいかないだろう。馬に比べてはるかに軽い人間とは言え、俺にも数十キロという重さがある。それを吹き飛ばすほどの蹴りを続ければ、例え戦馬とて疲れぬはずがない。


『ビピィィィィィッ!!』


 俺が右腕を差し出すと、青毛馬は最後の手段とばかりに嘶き、腕に食らいついた。


「ぐっ! さすがに痛いなっ! 持っていかれそうだっ!」


 強化魔法を全開にし、頭を振られぬよう全力で耐える。怪我の一つでも負ってしまっては、功労馬とは言え俺を傷つけたということで最悪殺処分の対象になりかねない。


 自分の今の立場くらいわきまえているつもりだ。


 耐えるうち、徐々に馬の力が抜けていっているのが分かった。とうとう諦めたかと思い馬を見ると、その目から涙が流れていた。


「貴様、負けて泣くか。なんと傲岸な……いや、違う」


 俺は蹴り飛ばされている最中、この馬にはと首の付け根、そして腹に異様なあざがあることに気づいていた。青毛なのでわかりにくいが、痣は背と胴、腹の上の部分で不自然に途切れている。


 おそらく鞍が置かれた状態で何らかの怪我を負ったのだろうと思っていたが、今この至近距離で見てわかった。


 この痣は血が乾いた痕だったのだ。


「そうか。主人を待っていたのか」


 システィナ嬢はこの馬は一年前に来たと言っていた。もしかしたら先の戦乱で主を失い、騎士団ではその後手なずけられる者がおらず、学院が引き取った可能性が高い。


「おい。この先何年待とうが、お前の主が戻ることは無いぞ」


『ビィィ……』


「俺は憐れんだりせんぞっ!」


 俺は力の抜けていく青毛馬の全身を徐々に強化魔法で覆い、言葉と共に全身強化を施した。


「このまま主人の名を汚し続け駄馬として朽ち果てるか、もう一度名馬として名を上げるか選べ!」


 馬に話しかけたところで何が伝わる訳でもない。だが、俺が与えた強化魔法で前の主人を思い出し、俺が前の主人とは別人であることくらい感じ取れるはずだ。


 俺の大声と共に青毛馬は食らいついていた腕を離し、前脚を上げて大きく立ち上がった。


『ヒヒーン!』


 先ほどまでは違う鳴き声。甲高くもなく低くもなく、俺の知る限り、遠くにいる仲間を呼ぶ声だ。


 ザン


 馬は着地するや腕に頭をこすりつけてくる。もう一度強化をよこせと言いたいのかもしれない。


 勝負ありだ。


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