#40 今また満ちる
「悪いが俺はお前の主人にはなれん。その代わり、今日は目いっぱい暴れさせてやる」
俺は屹立する青毛馬の背に飛び乗り、エカトルとはまた違う馬上の風景を味わう。
「走るなよ? 今やられたらひっくり返る」
『ブルルッ』
いつの間にか俺と馬を取り囲んでいた生徒たちから大歓声が沸き起こった。
「騒がせて悪かった! 続けてくれ!」
俺は周りにそう言って丘を下りようとするが、いかんせん手綱が無い。情けないが一旦降り、そう遠くない距離にいるシスティナ嬢らへ歩みを進めると、青毛馬もトコトコと後を付いてきた。
やはり、賢い。
「お見事です! リカルド先生っ!」
「ありがとう。ヴィント学院長も来ていらしたのですね」
「うむ。しかと見届けたのである」
ロキの姿が見えないが学院長の手前、馬に俺をけしかけたとは言えず、さっさと立ち去ったのかもしれない。それ以上は深く考えないでおく。
「ヴィント学院長、こやつの主人の事を聞いてもよろしいですか」
俺は先ほどからシスティナ嬢の愛馬、エカトルに向かってブルブル言っている青毛馬の首筋を撫でながら聞く。
ヴィント学院長は一呼吸置き、この馬、ハルプモンドがこうなってしまった経緯について話してくれた。
「フリュクレフ騎士団、前団長である」
「フリュクレフ騎士団……」
帝都に来る途中、ビターシャ騎士団員から戦後、騎士団長の交代があったのはフリュクレフ騎士団だけだと聞いている。
「伝え聞いた話では、ハルプモンドは馬上で致命傷を受けて落馬した主人を、担ごうとした団員を押しのけて乱戦の中運び出したらしい」
「そ、そんなことが……」
システィナ嬢も初めて聞いたのか、絶句している。
「撤退しながらの治療も虚しく、主人は馬上で息を引き取った。それ以降、誰も背に乗せぬようになったのだ。まるで主人が帰るのを待つかのようにな。私が主人の戦死を伝え聞き、唯一手綱を引けた現団長からそれを聞いて学院で預かると言ったのである」
「なるほど……やはり忠義者だったか、お主」
『ブルルッ』
「威張るな。さすがに一年は頑固過ぎだ」
俺の苦言が分かったのか、ハルプモンドは頭を振って首筋に当てられている手を振り払い、話が長いと言わんばかりに頭突きをしてくる。
「お待たせしま―――うわっ!」
どうやら馬具を取りに行っていたロキが馬を繰って戻ってきたが、ハルプモンドが途端に威嚇するや彼の乗る馬が急停止。ロキは馬具一式を抱えたまま落馬した。
「なりません。ハルプモンド」
システィナ嬢が落ち着いて鼻先に手をやり優しくなでると、ハルプモンドは威嚇をやめて大人しくなるが、落馬したロキが恐る恐る近づくとまた威嚇し、到底近づくことができなかった。
「なんでだよ! せっかく持ってきてやったのに!」
「そんなへっぴり腰ではこの子の癇に障ります。出直しなさい」
「手ひどいな! オレ何かし……たかぁ」
頭を掻くロキに『分かればいいのです』と冷たく言い放ち、システィナ嬢はロキが持ってきた馬具一式をむしり取るが、それを見て戦慄の表情を浮かべた。
「これは……」
ロキが持ってきた鞍には一目でそれとわかる、黒ずんだ血痕が大量についたままだったのだ。ヴィント学院長の意向で、次の主人が現れるまでそのままにしておくようにと厳命されていたらしい。
俺は固まるシスティナ嬢から馬具を受け取ろうとするが、彼女はかぶりを振った。
気を取り直して馬具の付け方を指南しつつ、俺も知らぬふりをして二人で手早く装着を終えた。
鞍を置いて分かった。ハルプモンドに付着したままのいびつな血痕と、鞍の血痕の位置がピタリと合ったのだ。馬上で息を引き取ったという、フリュクレフ前騎士団長のものなのは火を見るより明らかだった。
こうしてみると、たった今戦場から帰ったばかりの戦馬に見える。その立ち居姿にシスティナ嬢とロキは言葉を失い、とくに経緯を聞いていたシスティナ嬢の目には、ハルプモンドが未だ死を背負っているように映っているはずだ。
だが、これで折れるシスティナではない。パシッと両手で顔を叩き、いつもの凛とした表情を取り戻す。
「参りましょう。リカルド先生」
「はっはっは! さすが四剣一位なのである!」
ヴィントは豪快に笑い飛ばし、再び人間に背を許したハルプモンドを見て目を細めた。
「先生。いえ……
俺が馬上の人となるや、システィナ嬢もそれに続けとエカトルに跨り、馬を寄せて夜桜を差し出す。
まさかここでその呼び名が出るとは思わなかった。俺は受け取った夜桜を
明かしたのはやはりこの人のようだ。
「はぁ……わかった。ただし条件がある」
「なんでしょう」
「俺が学院を去った後、こやつの事も気にかけてやってほしい」
「……承知しました。と言いますか、元々そのつもりです」
現状ヴィント学院長を除き、システィナ嬢しかハルプモンドに触れることはできない。どうしてハルプモンドが彼女を認めたのか定かではないが、その気位が馬にも伝わったということなんだろう。
馬一頭の世話とて楽なものではない。元々そのつもりだと言った彼女に感謝するのはお門違いなのかもしれないが、一応礼を述べておいた。
「ヴィント学院長。特別任務の報酬として、こやつに新たな名を与えたいのですが」
「む、バレておったか……よろしい、好きにするのである」
「ありがたく」
では、と俺は続ける。
「いつまでも欠けた
『ヒヒーンッ!』
「えっ!? ちょっ、お待ちをっ!」
嘶いたフォルモンドはそのまま走り出し、俺の強化魔法をまとった馬体を躍動させた。
あとを追ってきたシスティナ嬢とエカトルを突き放し、砂地を、草地を、湿地を力強く駆け抜け、崖へと続く小高い丘を苦も無く駆け上がるフォルモンド。
疾風のように駆けるその馬体に、馬練場の皆が視線を奪われた。
「馬上から去り行くこの景色、前世ぶりだっ!」
俺はためらわずに崖に向かうよう命令を出すと、フォルモンドも臆することなく応え、途中『ガッ、ガッ』と
なんなく着地し、すぐに加速して去り行くフォルモンドを見て、崖上で脚を止めたエカトルの背でシスティナは嘆息を漏らす。
「無茶苦茶です……あんなものと競うのはよしましょうエカトル。ですが、いつの日か」
システィナは息は弾ませ、壁に向かっていったジンとフォルモンドの後ろ姿を目で追った。
(フィオレ、見ておるか。お主の相棒はようやく立ち直ったぞ)
ヴィントは滲む視界に堂々と駆けるフォルモンドを映し、この時初めて先に逝ってしまった教え子を
そして一番奥の壁へ差し掛かからんとする人馬へ、後ろ手に組んでいた震える拳を前に突き出し、叫ぶ。
「ゆけぃ! フォルモンドっ!」
ッドンッ!!
ヴィントの声に合わせたかのように、フォルモンドはおおよそ馬のものとは思えない踏み込み音を轟かせた。
その跳躍は侵しがたい静けさをもたらし、馬練場にいる皆が新たな伝説をその目に焼き付けた。
「この歳になって血が騒ぐか……」
一転して再び大歓声が沸き起こる中、学院史上初めて陥落した壁を背に、残された恩師は静かにその場をあとにした。
後にフォルモンドのたてがみはジンの弓弦となり、相棒として終生傍らに置かれることになる。
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