#37 騎馬課程Ⅰ
俺が教士として学院に通うようになってから二十日が過ぎた。
当初の一週間という予想は裏切られ、十日を過ぎても生徒らの挑戦は後を絶たなかったが、十五日を過ぎるころにはそれもすっかり無くなっていた。
今となっては日に一度挑戦を受ける程度で、俺はここ数日広場にある噴水で水に浮く修行に励んでいる。
水の揺らぎに慣れるには、規則的に揺らぎを生み出す噴水はちょうどよかったりする。
目をつむり、流れる水路を悠然と歩く
ゆっくりと指先を差し入れれば無抵抗に思える水面も、手のひらで勢いよく叩けば水面は地面のような硬さを発揮する。
これはまさしく水に形があるのと同義で、その変形には必ず有限の時間がかかるのだ。
ゆっくりなら水は変形し異物を受け入れる時間を得、早ければ変形する間もなく異物を跳ね返してしまう。
足を交互に、さらに超高速で入れ替えれば理論上は水に立てるのかもしれない。だが、強化魔法をどれだけ駆使してもそれほどの運動機能を発揮するのは不可能。
当然モノは試しだと全力でやってみたが、派手に水しぶきを上げて沈んでいった様をゴトーさんとズミフさんに大笑いされている。
恥ずかしいことこの上なかったが、はたから見れば水遊びではしゃぐ大人。当然の結果と言える。
ならばどうするか。
やはり水人の二人が言うように水神様の恩恵、すなわち水属性魔法の出番である。
足裏に水膜を創り出し、水面自体に水膜に立つ俺を異物だと思わせないというものだ。
俺の創り出した足裏の水膜を水面が異物だと認識しなければ、水面は形を変えることなくそのままの状態が維持される。
つまり異物ではない俺は水に沈むことが無い、という事だ。
俺に水魔法の相性があるかのかは分からない。だが無から水を創り出してそれを遠くに飛ばしたり、形を自在に変えたりするのでなければ、これくらいは修行次第で誰にでも出来るようになると思っている。
思えば、
こうして色々な事を考えつつも、今俺は噴水の上に立つことが出来ている。
初めて水に立てたのは五日前、水路管理局北支部の水路の穴だった。
魔法というのは一度イメージを固めてしまえば加速度的に上達するので、修業を始めてから十五日で形になった事を考えれば悪くないペースだろう。
目標は、帝都を後にするまでに水路を走ること。
泳ぐのは禁止されているが、走ることは禁止されていない。
まぁ……質の悪い屁理屈だが。
そこまでに至ることが出来れば、俺のここ最近の夢が叶うかもしれない。
「くくく……見てろ、メルベール―――」
「噂になっていますよ。リカルド先生」
「むっ?」
ザブン
「あっ。申し訳ありません」
「………」
ニヤついた罰なのか何なのか。
突然声をかけられて水膜の維持に失敗。水に異物とみなされ、みごとに膝下まで水に浸かってしまった。
「いや、俺が雑念にとらわれたせいだ。それを気づかせてくれたことに感謝しよう。ちなみにどんな噂かな? システィナ嬢」
ゆっくりと噴水から出て
「嫌味にしか聞こえないのですが……先生が噴水で立ち寝していると。よほどの暑がりだと思われていますよ」
確かに、噴水の中で目をつむって微動だにしていなければ、遠目から見ればただの変な人だろう。
「そうか。俺は噂など全く気にしないから心配しなくていいぞ」
「どこの誰が心配していると?」
教士生活初日に挑んできた四剣一位、システィナ・ブリュノード・エリス。
エリス大公はピレウス王家の血筋で、彼女は正真正銘の大貴族子弟である。
貴族子弟ではやや遅い十三の歳に騎士学院に入学し、とんとん拍子に進剣して今年十七になったのだそう。
出会い頭に殺気を飛ばされていたので高慢な貴族令嬢かと思いきやそうでもなく、常に皆の見本になろうと努力し、優雅な振る舞いと凛とした表情を崩さず、彼女が歩けば誰かしらが声をかけるような存在だったりする。
(雰囲気がコーデリアさんに似てるんだよなぁ……どうもこういう手合いには苦手意識がある)
そんな高貴な生まれのシスティナ嬢だが、こうして話しかけてくるのも初めてではない。初日に俺に敗れてからと言うもの、彼女はちょくちょく剣の教えを乞うようになっていた。
最初は戦闘課程の教士に聞けと突っぱねたのだが、
『聞きたいことがあるなら聞いてこい、と宣言されたのをお忘れですか。まさか教士たる者が、生徒との約束を違えるのですか』
と言われてしまい、『質問に答える』と『剣の相手をする』のは全く違うと言いたかったところをぐっと堪え、システィナ嬢クラスの相手だと実際にやった方が早いという事もあり、しぶしぶ相手をするようになっていた。
「ふむ……なら早速やるか」
冷めた視線をかいくぐり、
だが、構えようとする俺に彼女はかぶりを振った。
「なんだ、本当に噂を伝えに来ただけなのか」
「まさか、そんなに暇ではありません。これから騎馬課程があるのですが、よろしければ共に参りませんか?」
「騎馬課程?」
騎士学院、魔法師学院には共通課程として騎馬課程が定められている。将来帝国を担う者たるもの、騎乗など出来て当たり前といったところか。
かくいう俺は幼少のころ牛に乗ったことはあるが、馬に乗ったことはなかったので興味がないと言えば噓になる。
「御者ならあるが、乗ったことはないぞ?」
「そうなのですか? それは意外でした。でしたら私がお教えしましょう。御者とは全く異なりますが、先生ならすぐにでも乗れるようになりますよ」
「珍しく親切だな」
「珍しくは余計です。本当は先生の騎乗技術も盗むつもりでいたのですが、教える事が私の課程ですし、いつもご教示いただいてますのでその恩返しということで」
聞くと、四剣の生徒は教士に混ざって三剣以下の生徒の指導をするらしい。これは騎馬課程だけでなく専門課程を除いてすべての課程でそうらしく、後進の指導が四剣、五剣の生徒に課される課程なのだとか。
学院にいるうちに新人教育に携わるのは、卒業後騎士団に入れば間もなく小隊長以上の任に就く四剣、五剣の生徒らには必須の経験だという事である。
「つくづく徹底されてるなぁ。学院は」
「はい、決して甘くありません。教えを受ける側が、どれほど楽だったのかがこの立場になって分かりました」
教える側は教えられる側の数倍、そのことの理解が無ければ務まらないと聞いたことがある。
だからこそ教士に就けと言われた時には驚いたし、今もこうして教士とは名ばかりの敵役を演じている。
一を十にするより、無を一にする方がよっぽど難しい。教士の本質は後者が役割だと思っている俺からすれば、俺ほど教士に向いていないヤツはいないかもしれない。
「いい機会だ。ぜひご教示願いたい」
「はい。承りました」
ふわりと笑みを浮かべたシスティナ嬢の後に続き、騎馬課程が行われている馬練場へと向かった。
騎士学院、魔法師学院は学院長室や教室のある両院の本館を中心に、円形に各施設が配置されている。俺が宣戦布告を行った大闘技場が北にあり、そこから時計回りに闘練場、水練場、法練場、弓練場といった具合にぐるりと本館を取り囲んでいる。
その中の一つが馬練場。この二十日の間に学院は一周しているので存在は知っていたが、なんせ馬練場は広く、当たり前だが馬がいる。素人の俺が邪魔をするわけにはいかないので、自然と脚が遠のいていた場所だ。
馬練場はただのだだっ広い場所ではない。あちこちに大なり小なり障害物が設置されており、やわらかな砂地や硬い岩地、高く生い茂った草地もあれば湿地もある。生徒たちはいかなる環境でも馬を操れるよう訓練するのだ。
「ふーむ。やはり課程中となるとなかなか壮観だな」
多くの生徒が馬上の人となり、馬を繰っている。低くとどろく馬蹄の音を耳にするたび、俺は心なしか上気しているのが自分でもわかった。
「学院で所有する馬は二百頭ほどで、すべて戦場を経験しています。十歳を超える子ばかりですが、元は荷引き馬ではなく戦馬です。気性が荒くわがままな子が多いですが、乗りこなせば並みの馬にはない大きな躍動を感じられます」
帝国騎士団で使役される馬種は地域によってさまざまだが、総じて骨が太く、病気に強い種が選ばれ、同じ種でも馬体や性格に一定の基準が定められている。その中に年齢基準もあり、馬齢十を超えた馬は退役させなければならないというものだ。
「皆、まだまだ現役で走れそうだけどな」
「そういう子たちが学院に回ってくるんですよ」
「それもそうか」
血気盛んな馬だけがこうして学院に引き取られて訓練用になり、それ以外は繁殖や食用に回されるという。
俺が驚いたのは帝国の戦馬の血が他国に流れぬよう徹底されている事。帝国での戦馬の繁殖はその地の領主の専業とされ、食用以外に
ほぅほぅと前のめりに聞く俺に、システィナ嬢は『無剣で教わる事です』とまで付け加えてくれる。
「私に懐いてくれている子がいるんです」
そういってシスティナ嬢が指笛を鳴らすと、一頭の栗毛馬が丘向こうから駆け寄ってきた。後ろからもう一頭、鹿毛馬に乗った男子生徒が追従してきている。
彼も四剣の生徒で、栗毛馬が
『ブルル』
「エカトル。元気そうですね」
「名まであるのか」
「私が勝手にそう呼んでいます」
駆け寄ってきたエカトルの首筋をポンポンと叩き、慈しむように撫でるシスティナ嬢。
実に絵になる光景に俺は嘆息を漏らした。
「システィナ! ……と……なっ、なんであんたがここに」
到着するや俺を見て露骨に眉をひそめる生徒。
既に挑まれていたとしたら、申し訳ないが記憶にない。
「失礼ですよロキ」
「(チッ……)こんにちは、リカルド先生」
システィナ嬢に諫められ、馬上で挨拶をしたロキと呼ばれた生徒。俺が軽く挨拶を返すや、システィナ嬢はロキの態度をみて眉間にシワを寄せた。
「降りてから挨拶なさい。申し訳ありません、先生。ロキは先日先生に他の生徒五人で挑んだあげく、あっけなく敗れていじけているのです」
「おいっ!」
『事実でしょう?』と追い打ちをかけられたロキは小さく舌打ちした。
「お前だって負けてるだろ。なんで先生と一緒にいるんだよ」
「敗れたことと共に居ることはなにも関係が無いでしょう」
途端に険悪な雰囲気になってきた。敵役を演じる俺からすればロキの腑に落ちなさも理解できるので、ここは俺が適当にはぐらかしてさっさと訓練に移らせてもらう。
「俺は牛にしか乗った事がなくてな。システィナ嬢に騎乗の教えを乞うたんだ」
「え? いや、それは私から……」
「う、牛? ぷっ……馬にも乗れない教士とかいるんだ!?」
吹き出したロキをキッと睨みつけたシスティナ嬢をなだめ、馬を触っていいかと話を逸らす。
「は、はい……(話が違います! それに明らかに侮辱されたのですよ!? このまま済ませるのですかっ)」
馬の傍で大声は禁物だと、加えてロキに聞こえぬように小声で注意をうける。
「(真面目だな、君は。俺はそういう役回りだ。相手にしていてはキリがない)」
「(役回りって……わかりました。先生がそうおっしゃるなら私は何も申しません)」
まだ何か言いたそうな表情を浮かべているが、それをため息に変えて吐き出した。切り替えの早さはさすがだと思う。
「まずは匂いを嗅がせてから、首筋を軽く叩いてあげてください」
『ブルルッ』
「おお。貴様、鼻を伸ばすか」
リージュで出会った
「ふふっ、馬に向かって貴様は初めて聞きました。でもよかった。先生は大丈夫そうですね。さっそく乗ってみましょうか」
そういうと、システィナ嬢はすばやく馬上の人となる。そして馬上から手を伸ばし、俺に前に座るよう促した。
「えっ、二人で乗るのか? しかも俺が前って」
「戦馬は鎧を着たままの怪我人を運ぶこともありますし、二人での騎乗も想定して広い鞍を置いています。習うより慣れろ。まずは馬上の風景を見ることが上達の一歩だと私は思います」
「お、おいシスティナ! 何考えてるんだ! 君と乗せるくらいならオレが―――」
怒り口調でロキが声を上げると、乗っている鹿毛馬が
「ど、どうどう!」
「ほら、不用意に大声を出すから怖がったではありませんか」
なんとか馬を落ち着かせようと手綱を繰るロキ。『今の内です』とシスティナは再度俺を促した。
「うーむ……どうやら君に教わった方が上手くなりそうな気がする。だが、後々彼から
「恨み? なぜですか?」
キョトンとするシスティナ嬢。
説明するのも野暮だと、俺は観念してふわりと彼女の前に飛び乗った。
「さすが先生。教えていないのにこの子に負担の少ない乗り方です。
「承知した」
真後ろ極至近に
『どうぞ』とわき腹を抜けて差し出された手綱を受け取り、緊張しつつ前を向く。
すると、そこには想像以上の風景が広がった。
「この景色……なんだか懐かしいな」
「ふふっ、初めてなのに懐かしいと。今先生に攻撃すれば確実に獲れますね」
「それもいいかと思えてしまうほどだ」
「戯れです。それは逆に私の恥になります。―――では、行きますよ。進み出しと同時に手綱を前に」
「おぅ」
システィナ嬢が馬の腹を押すと同時に、前に出された首に合わせて手綱を出してやる。
すると、馬はゆっくりと歩を進めた。
「やはり勘がよろしいですね」
「教え方がいい――――うぐっ!」
「せ、先生!? どうかなさいましたか!?」
馬上 手綱 歩行
『騎乗』の条件が揃ったその時、俺の前世の扉がまた開かれる。
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