第3話 骨抜き事件

「さて『骨抜き事件』と言ったね。何かの比喩かな?」


 そう問いかけられ、猫屋敷は覚悟を決めるように一呼吸置いた後、重々しく告げた。


「……残念ながら文字通りの意味です」


「ほう?」


 えにし所長は片眉を跳ね上げる。


 骨抜きが文字通りってどういう意味かなあ……。


 考えてみても全く想像もつかなかった六文銭はうんうん唸る。


 一方、何かを察してしまったのか、曽根崎は手元の本に視線を落としながら眉間にぐっと皺を寄せた。


 指を組んで、猫屋敷は切り出す。


「S県山中で死体が発見されたニュースはご存じですか?」


「ああ、あの身元がわかってるのが一人しかいないっていう」


 ここ一週間ほどニュースで騒がれている死体遺棄事件だ。


 詳細は報じられていないが、バラバラ殺人であるということと、被害者が複数名で動機もわかっていないということから、多少ならず世間から注目されている。


「今回のケア対象はその遺族かい?」


「はい。遺体はかなりひどい状態で見つかりましたから……彼女も相当ショックを受けているようで」


 そこにきてようやく嫌な予感がしてきた六文銭は、そろそろと手を上げた。


「あの、ひどい遺体って……もしかして『骨抜き』って名前に関係があったり……」


 猫屋敷は言いづらそうに唇を引き絞ると、曽根崎へと顔を向けた。


「曽根崎くん、遺体の写真の判定を頼めないだろうか」


 我関せずと本に目を向けていた曽根崎は、視線だけを上げて猫屋敷を見る。


「かなりひどい状態だから断ってくれても構わないが……」


「別にいい。死体の時点で俺にとっては最悪だ」


 パタンと閉じられた本は、了承の意なのだろう。


「……すまないね」


 痛ましいものを見るような目を曽根崎に向けながら、猫屋敷は一枚の写真を取り出す。


 机の上に置かれたそれを、三人は覗き込んだ。


「これが、今回見つかった遺体だよ」


 最初に彼らの目に映ったのは赤色だった。


 土の上に散らばっているというのに、それがどす黒い赤色だとわかるほど、その赤は写真を満たしていた。


 その横に置いてあるのは、土が付着した靴やキーホルダーだ。


 あれ? でも、肝心の死体が見当たらないなあ。


 六文銭が首を捻っていると、猫屋敷は言いづらそうに言った。


「…………この赤いものすべてが人の死体なんだよ」


 静かに告げられたその言葉を飲み込むのに、六文銭は数秒を要した。


 残る二人はすぐにその内容を察したのか露骨に顔をしかめている。


 ええと、赤いもの全てが死体で、でも写真に胴体とかは写っていなくて。


 その時六文銭は不運にも写真の端に人の指が転がっているのに気づいてしまった。


「ひっ!?」


 一度気づいてしまえばそこからはもう芋づる式だ。


 あちらに落ちているのも、こちらにへばりついているのも、腐った肉や生々しい皮膚。


 それがなにを意味しているかぐらい、さすがの六文銭でも理解できた。


「びゃああああ!」


 悲鳴を上げながら、六文銭はソファの後ろに隠れる。


 一方、曽根崎は服の裾で鼻を隠しながら忌々しそうに呟いた。


「随分と念入りに解体されたものだな」


「正確にはただ解体されただけじゃないんだ」


 猫屋敷と曽根崎の視線が交わる。


 相手を刺激しないようなゆっくりとした口ぶりで、猫屋敷は話を続ける。


「遺体の骨がね、ほとんど見つかっていないんだ」


 一呼吸ののち、合点がいった曽根崎はため息混じりに言葉を吐き出す。


「……なるほど、それで『骨抜き』か」


「わ、わざわざ殺した後に骨を抜き取ったっていうんですかあ!?」


 ソファの陰から少しだけ顔を覗かせての言葉に、猫屋敷は黙りこくる。


 沈黙は肯定のようなものだった。


 六文銭は情けない悲鳴とともにばびゅんと移動して、ちょうど友人の背の位置に隠れる。


「ひえええ……つづるちゃん怖いよお……」


「やかましい」


 ソファの後ろで頭を抱えてうずくまる六文銭を、曽根崎は一蹴した。


「なんでそんなことするのお……」


「知るか。骨を抜いた奴に言え」


「びええ……」


 涙目で三人のほうを窺ってくる六文銭に、猫屋敷は写真を手帳にしまいこんだ。


「六文銭くんの言う通り、捜査本部でもそこが掴めずにいてね。……ちなみに三人は思い当たるかな。参考に聞いてみたい」


 その問いにえにし所長は大袈裟に腕を組んだ。


「ふむふむ、死体からわざわざ骨だけを抜いた理由ねえ」


 それとシンクロするような形で六文銭も考え込み、すぐにハッと何かに気付いたように手を打った。


「……あっ!」


「六文銭くんわかったのか!?」


 期待の目を向けられ、六文銭はもじもじしながら答えた。


「ええと証拠隠滅しようとして、でも埋めても骨だけは残っちゃうから骨だけは火で焼いたとか……どうでしょう?」


 猫屋敷とえにし所長はなんとも言えない顔になり、曽根崎は呆れた声をあげた。


「お前、火葬場の温度が何度か知らないのか?」


「えっ」


「火葬場の温度は摂氏一〇〇〇度前後だ。一般的な焼き方では骨を残さないほど焼くのに到底火力が足りない」


 せ、一〇〇〇度……。


 お湯が沸騰する一〇〇度ぐらいしか知らない六文銭にとっては想像もできない程、一〇〇〇度なんて途方もない温度だ。


「それこそ骨を焼く専用の設備でもないと難しいだろうな」


 フンと鼻を鳴らしながらの曽根崎の言葉に、猫屋敷は頷いた。


「まさしく警察でもその線で動いているよ。人の骨を持ち込める可能性があるそういった施設といえば、火葬場か工場かゴミ処理場ぐらいだからね」


 確かにそういう場所で人が落ちてしまった事故を聞いたこともある。


 その悲惨な光景を想像して、六文銭はぶるっと全身を震わせた。


 猫屋敷は指を組み、曽根崎へと身を乗り出した。


「それで曽根崎くん。君はこの死体をどう見る?」


 曽根崎は鼻を押さえながら、嫌そうな顔で猫屋敷を睨みつけた。


「間違いなく他殺だ」


「……そうか。やはりそうだよな」


 猫屋敷は姿勢を戻し、えにし所長へと体を向けた。


「話を戻しましょうか。これはニュースでも報じられているところですが、この見つかった死体の中に身元が判明した方が一名いました」


「原型がなくなるまでバラバラなのにわかったんですか……?」


 猫屋敷は頷く。


「遺留品が特徴的だったからね。そこから候補に上がった人物が現場に残されたその――顔の皮の人相と一致してね」


「その人物の関係者がケア対象ってことだね」


 恐ろしい特定方法にぷるぷる震えながら、六文銭は曽根崎の肩に手を置いて隠れようとする。べちんとはたき落とされた。


「ケア対象の名前は椋木苺花。被害者である江月咲哉さんの恋人でした」


「ふむふむ、若そうな名前だ」


「はい。25歳の女性です。事実、被害者との婚約も控えていたそうです」


 25歳といえば結婚適齢期そのものだろう。


 嘆き悲しむ若い女性を想像して、六文銭はしょんもりとした。


「夢食さん、今回の依頼をうけていただけないでしょうか。彼女は山奥の別荘に住んでいるので、遠方への出張という形になるのですが……」


 少し申し訳ない様子で猫屋敷は付け加える。


 えにし所長はどーんと胸を張った。


「遠方結構。ケアが必要な人がいるならどこへでも行くとも!」


 そして、立ち上がって大袈裟な素振りで宣言する。


「この夢食えにしにまっかせなさーい!」


 上背はない彼女だが、不思議と六文銭には彼女が大きく見えて、パチパチと小さく拍手をした。


 こういう時のえにし所長は頼りがいがある。


 胡散臭いのは玉に瑕だけれど、彼女はこうやって相手の緊張を解いて安心させるのに長けているのだ。


 すごいなあ、えにし所長は。


 六文銭が素直に感心していると、えにし所長はひょいっと肩をすくめた。


「……と言いたいところだが、実は別件の依頼が入っていてね」


「えっ」


「だから私の代役としてこの六文銭クンを推薦しよう!」


「え、えええっ!?」


 突然の無茶振りに、反論もできずに六文銭は口をあんぐりと開ける。


 振り返った曽根崎が「間抜けヅラだな」と鼻で笑ってきたが、気にする余裕もない。


「じゃあそういうことで、よろしく頼むよ六文銭クンっ!」


「えっ、ええっ、無理ですよおそんな突然!」


「こっちが終わり次第、私も向かうからさ。なあに、何事も経験だよ」


「そんなあ……」


 何を言っても言い負かされそうな雰囲気に、がっくりと肩を落とす。


 えにし所長はそんな彼に人差し指をピンと立てて詰め寄った。


「ただし!」


「うひゃあ!?」


「もし山でかわいい動物に出会っても餌をやるんじゃないよ! あいつら寄生虫を持ってるんだからね!」


「はあ……」


 異様な剣幕に六文銭は眉を八の字にする。


 やけに虫を強調する彼女に、曽根崎は呆れた声を出した。


「寄生虫に恨みでもあるのか」


「ああ寄生虫! だいっきらいだね! 昔それで痛い目にあった!」


 子供のように地団駄を踏むえにし所長を、三人は呆気に取られた目で見る。


「えにし所長、生魚にあたりでもしたんですかあ……?」


「そんなところだよ。ああ腹が立つ!」


 暴れ出しそうなほど昂るえにし所長をよそに、こほんと猫屋敷は咳払いをした。


「まあ経験を積むという意味では、先に行って話を聞くぐらいならしてもいいと思うが……」


「ね、猫屋敷さんまでぇ……」


 味方が一人減ったのを知り、六文銭は困り果てる。


 ちなみに頼みの綱の最後の一人は、この話題に入ってくる気もないようで文庫本を開いたところだった。


「うーん、でもちょっと心配だな。目的地はね、山奥すぎて携帯が繋がりにくい場所なんだ」


「そうなんですか……」


 困難が待ち構えている予感に、六文銭の気分はますます沈む。


 えにし所長はおどけた様子で身を乗り出した。


「ふふん、いざという時はモールス信号とかどうだい? ツーツーツー、トントントン、ツーツーツーってね」


「え? モールス信号?」


 聞いたことがあるようなないような単語に、六文銭は首をかしげる。


「んん、知らないのかい? 中二病御用達のはずだが……」


「えにし所長、中二病なんて単語知ってるんですね……」


 彼女は結構歳がいっているはずなのに、そういった単語に詳しい。


 曽根崎は目を上げないまま、軽く息を吐いた。


「あとで検索でもしろ。その携帯でどうにかなるんだろう」


 対照的に機械に疎い曽根崎は投げやりにそう言う。


 えにし所長はそんな彼の肩をバンバンと叩いた。


「それじゃあグッドラックだよ二人とも!」


 ぐっと親指を立てるえにし所長に、それまで我関せずという態度だった曽根崎は顔を顰める。


「……俺も行くのか」


「君たちはニコイチだからね!」

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