自殺判定士 曽根崎都弦の心中考察

第一章 骨抜き事件

第1話 グリーフケアと心中物語

「ニュースです」


「S県の山林でバラバラ死体が発見されました」


「死体の損壊は激しく、おそらく殺されたのは複数名であるとのことです」


「遺留品によって一名の身元は判明しましたが、他の被害者については依然不明です」


「被害者はS県在住の男性、江月咲哉さん。警察は情報提供を呼び掛けるとともに――」







 まるで劇場のように生徒の席が斜めに配置された大講義室。


 そのちょうど中央あたりで、六文銭村正はシャープペン片手に講義を聞いていた。


 時刻は昼の二時あたり。ちょうど眠くなる頃合いだ。


 多分に漏れず、六文銭もまた眠気をこらえながら、一般教養科目であるこの福祉心理学の講義に耳を傾けていた。


 比較的真面目な学生である六文銭はこの科目の単位を落としたくないと思っている。


 正確にはここで落としてしまうと、今している不思議なアルバイトと、己の最重要項目である友人のお世話に行くことに支障が出るというのが大きかったが。


「――つまりこのグリーフケアというものは……」


 多少なりとも聞き覚えのある単語が聞こえ、ふがっという音とともに六文銭は夢の世界に旅立とうとしていた意識を繋ぎ止めた。


 グリーフケア。彼が働く夢食相談事務所で行われているセラピーの一種。身近な存在を亡くした人をケアする職業。


 まだまだ認知度の低いその職の話題に、六文銭は目をごしごしと擦ってからキリッとした顔で教壇に向き直った。


「人の死から立ち直るということは、どの時代どの国でも行われてきたことです。多くの場合、その役割は他の遺族によって担われてきました。しかしそれでは足りない時もある。そうしたときに必要となってくるのがグリーフケアです」


 ふむふむと六文銭はルーズリーフにメモを取る。


 そういえば数年間アルバイトをしているわりに、俺、グリーフケアについて知らないことが多いなあ。


 なんやかんやでいつも依頼人の心に寄り添って仕事を行うえにし所長を思い浮かべ、六文銭はシャープペンの頭を顎に押し付ける。


 ああいう時のえにし所長は正直かっこいい。はたから見ると何をどうやって依頼人にかける言葉を決めているのかはわからないが――きっと彼女にしかわからないグリーフケアのセラピストとしての技術があるのだろう。


「しかしグリーフケアには多くの医療者が陥りがちな重大な落とし穴があります。それは――」


 キーン、コーン――


 講師の言葉を遮るように、チャイムが鳴る。


 メモを取ろうと真剣に構えていた六文銭を置き去りに、講師は資料をまとめて立ち上がった。


「グリーフケアの落とし穴については、次回までの宿題とします。解散!」






 午前中の講義を終え、六文銭はいつも通り曽根崎の家へと向かっていた。


 大学から曽根崎宅まではおおよそ徒歩十五分。


 住宅街の片隅にひっそりと建つボロい一軒家にたどり着くと、六文銭は一切の迷いなく玄関横の植木鉢をひっくり返した。


 そこに隠されていた合鍵を拾い上げ、玄関の引き戸を開ける。


「よいしょ、お邪魔しまーす」


 一応言い訳のように断りを入れながら、六文銭は勝手知ったる友人の家に上がり込んでいく。


「つづるちゃーん? ちゃんとお昼ごはん食べたー?」


 玄関に彼の履き物はあったので間違いなく在宅はしているはずだ。


 相変わらず静かすぎる屋内になぜか足音を忍ばせてしまいながら、六文銭は居間へと顔を覗かせる。


「つづるちゃー……」


 果たしてそこにあったのは、無数の首吊り縄をせっせと結ぶ曽根崎の姿であった。


「つ、つづるちゃあーーーーん!」


 六文銭はわたわたと駆け寄り、彼の手から縄を奪い取った。


「な、な、何作ってるのお!」


「首吊り用の縄だが」


「そんなもの作らないでよお!」


 びえびえ泣きそうな顔で主張する曽根崎は偉そうに鼻を鳴らした。


「まだ首を吊ってないじゃないか。褒めてもいいぞ」


「そこは偉いけど! だったら結ぶのもやめて!」


「どんどん結ぶのばかりが上手くなるから楽しくなってな」


「楽しくならないで!」


 この家の主、曽根崎都弦には自殺未遂癖がある。


 とある理由によって繰り返されてきたその行為は、先日起きた事件とそれに伴う六文銭との関係の変化によっていくぶんか改善されていたが、まだまだ完治はほど遠い。


 床に散らばる縄を拾い集める六文銭を見ながら、全く悪びれた様子なく曽根崎は首をかしげる。


「なんだ捨てるのか」


「捨てるよ!」


「こんなに作ったのにもったいない。何か使い道はないのか」


「使い道って……干し柿作る紐ぐらいしか思い付かないよお」


「思い付くんじゃないか」


「干し柿かあ、庭の柿で作ってみるのもいいかもねえ」


 六文銭はふにゃっと笑いながら、ガラス障子の向こうに見える小さな庭へと目をやった。


 庭の片隅にある柿の木には、大きくて鮮やかな柿がいくつもなっている。ちゃんと手間をかければちゃんとした干し柿になることだろう。


 ふふふ、とその味に思いを馳せ、数秒後六文銭はハッとした。


「じゃなくて! 話逸らさないでよね! 自殺はだめ! だめなんだからあ!」


「はいはい」


「わかってないよね!?」


 ぽこぽこ怒りながら六文銭は縄を棚にしまい込む。


 ゴミ箱に捨てないということは、本当に干し柿を作る気なのか。


 曽根崎がそんな視線を向けていることに気づかず、六文銭は深くため息をついた。


「もー……つづるちゃんの稼いだお金って、ほとんど自殺用品になってる気がするよお……」


「失礼な。それを買うついでに本屋にも行った」


 心外そうな声を出しながら曽根崎は文庫本を一冊すっと持ち上げ、六文銭に見せる。


 ちょうど顔を隠すように掲げられたその本に、六文銭は大声を出した。


「あー! また本増やしたの!?」


 身を乗り出した六文銭を本でガードしながら、曽根崎はちょっとのけぞる。


「家主は俺だ」


「整理してるのは俺でしょ! 虫干しも楽じゃないんだから!」


 ぷんすか怒りながら、六文銭はまるで母親のような説教を始める。


「一冊増やしたら一冊売る! 床が抜けちゃうからそういう約束でしょ!」


「本は腐らないからいいじゃないか」


「家のほうが耐えられないの!」


 曽根崎はむむっとやけに子供っぽいしぐさで唇を尖らせる。


 六文銭は毅然と言い放った。


「拗ねてもだめ!」


「む……」


 曽根崎は不満そうな顔で本を下ろす。


「とにかく今度古本屋さんに持ってく本、ちゃんと選んでおいてねえ」


「それならもう選んである」


 部屋のすみに積まれた数冊の本を曽根崎は指差す。


 買ったの、一冊だけじゃないんだね……。律儀に買った冊数だけ売る本を選ぶのは偉いけど……。


 脱力した気分で六文銭はそれを取りに行き、一番上にあった文庫本のタイトルに目をとめた。


「……ロミオとジュリエット?」


 なんとなく見覚えのあるタイトルに、六文銭はその一冊を拾い上げる。


 手元の本を読む姿勢に入っていた曽根崎が顔を上げる。


「なんだ、ロミオとジュリエットも知らないのか」


「知ってるよ! えっと、豪華客船の先っちょで二人でポーズ取るやつだっけ?」


「それは別の映画だ」


 あとそれが主題じゃない。


 ぴしゃりと否定された六文銭は、真剣な顔で考え始める。


 ええっと、たしか恋愛もので、王道で、みんな知ってて――


「思い出した! 『おお、ロミオ。どうしてあなたはロミオなの?』ってやつ!」


「そうだ。ちなみに作者は?」


「え? えーっと……」


「シェイクスピアだ、馬鹿」


 聞いたことがあるようなないような。


 本といえば漫画と雑誌ぐらいしか読まない六文銭にはいまいちピンとこない人名であった。


 うーんと考えた末、六文銭はふにゃりと曽根崎に笑顔を向けた。


「つづるちゃんは物知りだねえ」


 曽根崎は苦虫を噛み潰したような顔になった。


「馬鹿にされたならちゃんと怒れっ!」


「ええー……言いがかりだよお……」


 よくわからないことで叱られ、六文銭は眉を八の字にする。


 曽根崎は軽くためいきをついて、しっしっと手を振った。


「貸してやる。どうせあらすじも知らないんだろう」


「し、知ってるよお! 悲劇なんでしょ!」


「そうだ。世界一有名な心中ものだな」


 六文銭はきょとんと目を丸くする。


「そうなの?」


「そうなんだよ」


 心中。自分の認識が間違っていなければ、愛し合う二人が一緒に自殺するもののはずだ。


 シンプルな表紙を見下ろしながらふーんと首をかしげ、六文銭は自分の鞄にそれをしまいこんだ。


「じゃあこれ事務所に持っていって読んでみるねえ」


 曽根崎は手元の本のページをめくる。


「今日は仕事の予定はなかったんじゃないのか」


「んー、仕事じゃなくて、ちょっとえにし所長に聞きたいことがあってさ」


「聞きたいこと?」


 六文銭は照れ臭そうに頬をかいた。


「ほら俺、そろそろ卒業後の進路について考え始めなきゃじゃない? それで……」


「ふん、あの女の後を継いでグリーフケアのセラピストにでもなるのか?」


 遮るように曽根崎が鼻で笑うと、六文銭は言いづらそうに目を泳がせる。曽根崎は顔を上げて瞠目した。


「……本気か?」


「視野にいれるってだけだよ! 俺、将来なりたいものとか特にないし……」


 もごもごと口ごもる六文銭を目を丸くしたまま見つめ、少し目を泳がせたあと、曽根崎は本へと視線を戻した。


「まあ……いいんじゃないか? 優しいお前には向いてるだろう」


「えへへ、つづるちゃんありがとう」


 彼にしては素直な言葉に、六文銭ははにかむ。


 なんとなく気恥ずかしい空気が流れること数秒。


 それをごまかすようにコホンと咳をすると、六文銭は曽根崎の腕をつかんで立ち上がらせた。


「じゃあ事務所行こっか!」


「は?」


「つづるちゃんも外に出て、虫干ししないとね!」

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