エピローグ 手を繋いで

 長いようで短い『眠り姫』事件から一週間。


 諸々の手続きやお叱りから解放された曽根崎都弦は、自宅でお茶をすすっていた。


 数多くの被害者と犯人がともに死んだことによってややこしい結末を迎えたあの事件で、最も曽根崎を悩ませたのは『自殺マニア』を通報しなかった一件だった。


 警察から何かしらのお叱りはあるだろうと思いながらの行動ではあったが、予想以上にこっぴどく叱られた。


 最終的にえにし所長が取りなしてくれてことなきを得たが、その後に彼女にもしっかり叱られたのでもう二度としないと心に固く誓っている。


 下手すれば前科者だったんだよ? やんちゃは私に迷惑かけない程度にするんだよ?


 と、こちらを想っているんだか、自分可愛さなんだかわからないことを言っていたのは釈然としないが。


 とりあえず一緒になって叱られてくれた六文銭には悪いことをしたなとは思う。


 それにしてもあの女はどうやって処分をごまかしたのか。袖の下でも渡したのだろうか。知らないが。


 もう一度、湯飲みを傾けながら考える。


 そういえば最初の事件。


 稲本力也という男を殺したのが誰なのかということはわからずじまいだ。


 さやかが私怨で殺したのか。


 それともほかの誰かが犯人だったのか。


 当事者たちに話を聞こうにも死んでいるのだから推測しかできない。


 まさに死人に口なし。警察も手を焼くことだろう。


 そう。死人は喋らない。何も語らないのだ。


 ……呪いはない。


 だけど、呪いがあると信じるほうがいいときもある。


 湯呑を置き、右手を見る。


 指先に小さな水ぶくれがある。


 炎の中の『村正』に手を伸ばしてしまった時の、小さな火傷。


 曽根崎はふっと笑った。


「多分また行くよ。……できれば追い返してくれると嬉しいが」


 その時、玄関のほうから能天気な声が響いてきた。


「つづるちゃん、いるー?」


 咄嗟に手を握り込み、指を隠す。


 声の主は勝手に鍵を開けて、そっと廊下を進んでくる。


「おーい、つづるちゃー……あれっ! 自殺してない!?」


 柱の陰からひょっこり顔を現した六文銭は、普通に座っている曽根崎を見るとひっくり返るほど驚いた。


 そんなに驚かないでもいいだろうとむっとしながら眺めていると、六文銭はわたわたと近づいてきて、こちらの顔や体をぺたぺたと触り始めた。


「どうしたの? 熱でもある? 吐き気は? あ、もしかして自殺する気力がないぐらい体調悪いとか? 待ってて今救急箱取ってくるから」


「うるさい。たまには自殺しない日があってもいいだろう」


 いつにもまして絡んでくる六文銭を全力で押し返そうとする。


 無理だった。


「で、でもつづるちゃんが自殺しないなんて何かあったに――えっ!?」


 六文銭は、床を見て素っ頓狂な声を上げる。


「洗濯物がない!?」


 スパンと障子を開ける。


「布団がたたんである!?」


 ばたばたと冷蔵庫を確認に行く。


「ごはんも食べてるー!?」


「本当にうるさい」


 うんざりした顔でそう言ってやると、六文銭は心底ホッとした顔で隣に座った。


「そっかあ、ようやくつづるちゃんも真人間になってくれたんだねえ」


「今日だけだ」


「ええっ!?」


 適当な返しをしてやると大げさに驚いて噛みついてくる。


 曽根崎は話を聞き流しながらもう一度湯呑を手に取ってお茶をすすった。


「つづるちゃん聞いてる!?」


「はいはい」


「聞いてないでしょー!」


「はいはい」


「もー……」


 六文銭はがっくりと肩を落とす。


 いつも通りだなあと思いながらそれを見ていると、急にがばっと六文銭は顔を上げた。


「違うよそうじゃなくて、そういう話をしにきたんじゃなくてー!」


 六文銭はぱたぱたと手を動かしながら主張する。


「仕事だよ仕事! えにし所長がつづるちゃんを連れてこいって!」


 曽根崎はぐしゃっと顔を歪めた。


「嫌だ」


 今日行ったらまた小言を食らうに決まっている。


 何度も同じことをねちねちうるさいんだあの女は。


 無駄だということはわかりつつ立ち上がるのを渋っていると、六文銭は迷わず曽根崎の手を掴んで引っ張り上げてきた。


「わがまま言わないの。ほら!」


 ほとんど引きずられるようにして曽根崎は家の外に連れ出される。


 外は晴れていて、室内にいた自分は目がつぶれてしまいそうだ。


 ちかちかと視界は瞬いていたが、六文銭に手を取られているおかげでまっすぐ歩いていける。


 曽根崎は気づかれないように小さく笑うと、しっかりと握られた六文銭の手をそっと握り返した。



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