第29話 『死』との決別

 一瞬、息をするのを忘れたのだろう。


 声を出せないまま固まっていた金嶺は、ぜえぜえと息を切らしながら問い返す。


「何、を」


 金嶺は動揺に耐え切れず、一歩よろめく。


「忠告と答え合わせだよ。お前は『死』に引きずられている」


「はは。推理ショーでも始めるつもりかい?」


 対する曽根崎は、ふんと鼻を鳴らした。


「推理とはほど遠い。疑問に対する、ただの俺なりの回答だ」


 不遜な態度とは裏腹にあやふやなその言葉に、金嶺は余裕を取り戻す。


「そうかい。では、証拠はないと?」


「ないな。あるのは推測だけだ」


 曽根崎は堂々と言い放つ。


「だがそれで十分だ。呪いに見せかけて三人の人間を殺害した犯人は、すでにこの世にいないのだから」


 その言葉に金嶺は眉根を寄せた。


「殺害した? 呪いで死んだという話じゃなかったのか?」


「呪いはない。あるのは『死』だけだ」


 繰り返される呪いの否定に、金嶺の眉間のしわはさらに深くなる。


 それを気にせず、曽根崎は机に放置されていた本へと視線を向ける。


 表紙に書かれた名前は、金嶺純。ここにいる金嶺の祖父であるミステリー小説家だ。


「ヒントはお前の祖父のおかげで手に入れられたよ」


「……祖父の?」



 呪文のように曽根崎はそのフレーズを口にする。


 この結論の正体を見つけるのに、ずいぶんと手間取ってしまった。


「ずっと、『死のにおい』について考えていた。六文銭からする『におい』は何なのか。なぜ彼らと同じ『におい』がしたのか」


 金嶺は意味がわからないという顔をしている。


 だがいい。これは、ほとんど独り言のようなものだ。


 肝心なのはその先の結論だけなのだから。


「謎の転落死をした野々木さやか、奥島理亜、ミトの三人。そして、六文銭からは同じ『におい』がした。つまり彼らの死の原因は同じだということになる」


「死の原因……?」


「自殺や他殺か、それ以外か。はっきりとした前者、雑然とした後者。この差を生み出すのは、殺意の有無であると俺は判断した」


 だとすればあの二つが攻撃的な『におい』であることも納得できる。


「他人に向けるものであれ、自分に向けるものであれ、自殺にも他殺にも明確な殺意がある」


「よくわからないが……その三人の死には、殺意はなかったと?」


「……いや、あったはずだ」


 曽根崎は首を横に振る。


殺意というのもこの世には存在する」


「へえ、そんなものが?」


「奴は危険な場所に、そこが死ぬ危険があるとわかっていて被害者を連れていったのだ」


 あの日、読みかけてそのままにしたミステリー小説の内容を思い返す。


 ミステリーのトリックとしては割とありふれたものだ。


 ただ、それが現実に行われたということと、自身の自殺判定能力への誤謬によって事態がややこしくなってしまっただけのこと。


「死ぬ可能性がある場所にあえて被害者を誘導し、偶然によって間接的に殺害する行為――すなわち、『未必の故意』」


 机の上の本に手を置き、指でトンっと叩く。


「池之平の目的は、写真を所持する人間を殺し、呪いが現実にあるように見せかけることだった。しかし、それは確定的な殺意ではなかった。もし死んだのなら儲けものぐらいの気持ちだったのだろう。だが、それが殺人事件と見られることはあってはならないし、自分が容疑者になるような事態も避けたかった。だから自殺サイトの管理人を利用し、同時に『未必の故意』を使って殺人を行っていた。野々木さやかと、おそらく奥島理亜に対して行った誘導も、あの遊園地に俺たちを連れていった目的もそれだ。『におい』を思うに、ムチャ子という女が死んだのは、奴の意図とは関係なく勝手に罠にはまった事故死だったようだがな」


 曽根崎はそこで一度言葉を切る。


 金嶺は口元を笑みの形にすると、ぱちぱちと拍手を送った。


「ふふ。見事な回答だね。どこにも証拠がないということ以外は」


「二つ」


 ぴんと二本の指を曽根崎は立てた。


「お前が書き込んだ『自殺マニア』では、自殺志願者を自殺させて楽しむ変態がいてな。……いや、これについては恐らく池之平本人から具体的に聞いているだろう」


 金嶺の笑顔が固くなる。


「一つ目。その男、ミトは俺と六文銭だけを排除しようとしていた。俺たちを連れてきたのは池之平だというのに、彼を怪しむようなことは口にしていなかった」


 ムチャ子が転落死した直後。


 曽根崎たちを殺そうとしたミトは「あなたたち二人に負ける理由なんてない」と言っていた。


 その言葉は、首尾よく殺した曽根崎たちの死体を見つけた池之平に、逃げられるかもしれないという可能性が存在していないと示している。


「あの二人はグルだったのだ。大方、呪いを再現するために池之平が自殺志願者を斡旋し、その代わりに死体の写真を撮る取引でもしたのだろう。もっとも、存在が邪魔になったのか奴のバイクを滑りやすい位置に隠して『未必の故意』で殺害したのも池之平のようだが」


「……へえ。二つ目は?」


「あいつは、撮っていなかったんだ」


 池之平が持っていた一眼レフを思い返す。


「最初の理亜の死のときも、自殺マニアの一件でも。思い返せば、あいつは一度も写真を撮っていなかった。撮ろうともしなかった」


 あいつは呪いを取材するジャーナリストのはずだ。


 ではどうしてそうしなかったのか。


「リスクに対して必要性が低かったからだ。呪いの写真はすでに十分持っているというのに、自分も事情聴取されるであろう場所でわざわざ写真を撮る必要はない。自殺クラブの一件も同様だ。そんなことをして自分一人だけ生き残ったと知られれば、疑いの目は当然あいつに向くだろうしな」


 論拠を述べ終え、曽根崎は手を下ろす。


 金嶺はすうっと息を大きく吸うと、余裕のある表情を形作った。


「面白かったよ。できれば、それを僕じゃなくて警察の方に聞かせたほうがいいんじゃないかな?」


「いいや、これはお前が聞くべきことだ」


 曽根崎は顎を上げ、金嶺の顔を改めて見据えた。


「昨夜、池之平を殺したのはお前だな」


 金嶺の口元から笑顔が消える。


「……何故?」


「お前は生きていると信じたかったんだろう」


 曽根崎は即答した。


「もし呪いが実在しているのならば、それは彼女が生きている証拠となる。ここに来たとき、お前が言っていたことだ」


 彼女は、まだ話すことができない。


 それはつまり、彼女の生を信じようとしているということを示している。


 呪いさえあれば、彼女は生きている。


 呪いさえあれば、彼女と添い遂げられる。


 おそらくはそういった発想だ。


「お前は呪いの実在を確かめるために『自殺マニア』に書き込んだ。しかし、やってきたのは、呪いを人為的に引き起こした不届きものだった」


 曽根崎は目を細める。


「だから殺した」


 金嶺はいつの間にかうつむいていた。


 図星だったのか。


 曽根崎は据わった目で金嶺をにらみつけ続ける。


 やがて、く、く、と金嶺の肩が震えだす。ひきつったような小さな笑い声が、徐々に高らかな哄笑へと変わっていく。


 沈黙したまま曽根崎がそれを見つめていると、突然勢いよく金嶺は顔を上げた。


「違うよ曽根崎くん。大外れだ」


 その顔には奇妙な笑みが張り付いていた。


 見るものに嫌悪を抱かせるほどの異質な笑み。


「そうだよ、確かにあいつは不届きものだ。期待が外れて、僕も落胆したとも。だけどそれが動機じゃない」


 金嶺は芝居がかって自分の胸に手を置いた。


「あいつはね、『彼女』を探していたんだ。記者としてではなく、一人の男としてね」


 ぐっとこぶしを握り、怒りで震わせる。


「誇らしそうな顔で自慢してきたよ。自分は、幼いころ彼女に会ったことがあるんだってな」


 その目は見開かれ、ここにはいない誰かを見ているようだった。


「会話をしたと言っていた。恋をしたと言っていた。ああ、許せなかったとも。僕はまだ笑いかけてもらったことも、話しかけてもらったことすらないのに!」


 そこまで叫ぶと金嶺は怒りを瞬時に消し去り、いっそ恐ろしいほど完璧なさわやかさで笑った。


「他人の妻に横恋慕をするようなやつは、馬に蹴られて死んでも仕方ないよね?」


 曽根崎は不快感で眉根を寄せる。


 これは狂気だ。


 己と同質の、一歩間違えば己もそちら側に落ちてしまうたぐいの、狂気。


 ……だからこそ自分はここに来たのだ。


 曽根崎は一度ゆっくりまばたきをした後、静かに口を開く。


「金嶺」


「なにかな?」


「その女の死因は、だ」


 金嶺の顔から表情が消えた。


「自ら命を絶った。己の意思でこの世から去っていった」


「な……」


「彼女の心は『死』に向いたのだ。この世には――この世を生きるお前には向いていない」


 断言する。


 金嶺は何も言えずに口を開けている。


「俺もお前も、そろそろ目を覚ます時間だ」


 曽根崎はふっと自嘲的に笑い、それから金嶺を直視する。


「死んだものは、何をしても戻ってこない」


 己に言い聞かせるように。


 この男の狂気を自覚させるために。


 曽根崎は宣告する。


「その女は、ただの死体だ」


 その一言は、小さな部屋にやけに大きく反響した。


 お互いの呼吸音だけが聞こえる静寂。


 唯一息をしていないのは屍蝋の女だけ。


 金嶺は曽根崎から目を逸らせないまま、口だけを動かした。


「……違う」


 一歩後ずさり、頭を振り、髪を搔き乱す。


「違う違う。彼女は僕の妻だ! 生きている! ほらこうして、美しいまま座ってるじゃないか!」


「自分でもわかっているんだろう」


 曽根崎の静かな声に金嶺は停止する。


「それは生きていない」


 金嶺の目が彼女に向く。


 動かない。喋らない。息をしていない。


 ……生きていない。


 金嶺は曽根崎に振り返り、ひきつったように息を吸った。


「そんな、君も言ったじゃないか! 生きていると信じていれば、生きていることになるんじゃないのか! 君もそう言ったのに!」


 その叫びは、悲痛な色をともなって曽根崎へと届いた。


 曽根崎は目を伏せる。


「……そうだな」


 そうだ。


 生きていると信じていれば生きている。


 信じられなければ生きていない。


 自分が『六文銭村正』に対しておこなってしまっている認識そのものだ。


 でも。


「それはまやかしなんだよ。まやかしなんだ」


 自殺判定士に誘われたとき、えにしに提示された条件。


 これ以上、『死』に引きずり込まれないように、こちら側に戻ってくる猶予の足場としてこの立場を利用しなさい。


 人よりも多く『死』に触れて、こちら側に戻るための術を探りなさい。


 でも、それも今日でおしまいだ。


 『死』との決別を。


 生者として生きていくために。


 六文銭を己から解放し、一人で生きていくために。


 金嶺は、混乱と絶望に濡れた目でこちらを見ている。


 ここから先は強要できない。


 選べるのは彼だけだ。


 曽根崎は金嶺に背を向ける。


「じきに警察もここにたどりつく。その前にお前と話しておきたかっただけだ」


「僕と彼女の間を引き裂くっていうのか」


「ああ。今が戻る最後のチャンスだぞ」


 このまま逮捕されれば、彼は『死』に捕らわれたまま生きていくことになるだろう。


 それとも『死』に引きずり込まれるか。


 どちらにせよ、きっとそれはひどい結末だ。


 曽根崎がそのまま歩き出そうとしたその時、背後でぼそりと金嶺はつぶやいた。


「そうか」


 次いで、ガチャンと何かが割れる音。


 振り返ると、金嶺が実験器具から何かの液体を振りまいたところだった。


 彼はそのまま自分の手元にあったランタンを持ち上げ、勢いよく床に叩きつけた。


 ランタンの火が薬品に燃え移り、絨毯を、机を、壁を舐め上げていく。


「彼女がこの世に来られないのなら、僕が『あちら側』に行くだけだ」


 燃え盛り始める炎の向こう側で、『眠り姫』を抱えながら金嶺は叫んだ。


「僕は彼女と行くぞ! さあ、お前はどうする!」


 曽根崎は顔を歪めてそれを見て――部屋の出口へと駆け出した。

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