第24話 同情と拒絶

 翌朝、大きなくしゃみをして六文銭は目を覚ました。


 それに驚いたのか、ほぼ同時に曽根崎も起床する。


「うう……寒いね、つづるちゃん……」


「……軽井沢はそういうところだ。低温多湿の避暑地。常識だろう」


「つづるちゃんは物知りだねえ」


「…………うるさい」


 渡されていた上着を羽織って、二人は部屋の外に出る。


 どこに来るようにとは言われていないが、きっと客間に行けば誰か来るだろう。


 しかし、待てど暮らせど客間には誰も来なかった。


 この屋敷の主である金嶺はともかく、池之平はほかに行く場所もないはずだが。


 たっぷり数十分経ち、昇りきった太陽によって気温も上がってきたころになって、ようやく金嶺は客間に姿を見せた。


「あれ? 池之平さんはいないんですか?」


「はい……俺たちずっとここにいたんですけど、全然来なくて」


「部屋にもいなかったので、外に散歩にでも出てしまったんでしょうか」


 少し残念そうに金嶺は言う。


 六文銭は立ち上がった。


「あ。じゃあ俺、探してきますね!」


 泊めてもらっているのだから、これぐらいのことはするべきだ。


 そう思って外に向かう六文銭に、金嶺は声をかける。


「あまり奥まったところには行かないようにね」


 金嶺の心配そうな声に、六文銭は振り向いた。


「大丈夫ですよ。落ちたりしませんから!」


 笑いながらそう言って、廊下への扉を開けようとする。


 曽根崎はそんな彼の手をぱしっと捕まえた。


「つづるちゃん?」


「一緒に行く」


 インドア派の彼にあるまじき提案に、六文銭は目を丸くする。


 曽根崎の瞳が揺れた気がした。


「山道は危ないだろう」


「え?」


 聞き直したが、曽根崎は大きく顔をしかめただけだった。


「うるさい、行くぞ」


 手を繋ぎながら屋敷の外に向かう曽根崎に不思議な目を向けながら、六文銭はその後ろをついていった。


 屋敷の周囲をぐるりと回ってみたが、池之平の姿はどこにもなかった。


 まさか一人で帰ってしまったのかとも思ったが、金嶺が何も言っていなかったということは荷物はそのまま残されていたのだろう。


「どこ行っちゃったんだろうねえ」


「……わざわざ山道を散歩する奴の気が知れんな」


「つづるちゃんのそれは体力がなさすぎるだけでしょー」


 軽口を叩きながら二人は観光街へと向かう山道に向かってみる。


 ここにいなければもう当てはない。一度屋敷に戻るしかないだろう。


「自然がきれいだねえ」


「そうか?」


「そうだよお」


 中身のない会話をしながら、二人は山道を歩く。


 こんな時間がずっと続けばいい。


 俺がいて、つづるちゃんがいて、くだらないことで笑いあって。


 それがきっとえにし所長が言うような、戻るべきってやつだから。


 俺にとっても。つづるちゃんにとっても。


 軽井沢の涼しい風が頭上の葉を揺らし、足元にその影を落としている。


 近くに川でもあるのか、ほのかに水の匂いもする。


 暖かくて幸せな時間。


 日常はきっとすぐそこだ。


「一緒に日常に帰ろうね、つづるちゃん」


「…………」


「軽井沢から帰ったらさ、何が食べたい? 俺はねえ――」


「六文銭」


 曽根崎は立ち止まって、握っていた手を緩めた。


「どうしてそこまで俺に構うんだ」


 うつむいたまま、ぽつりと曽根崎は言う。六文銭と繋いだ手がゆっくりとほどける。


「家に通って、死のうとするのを止めてまで」


 六文銭は突然のことにうまく反応できず、離れていく指先を見送ることしかできない。


「返せるものなんて、何もないのに」


 まるで迷子のように途方に暮れた声だった。


 きっと、ずっと不安で仕方なかったのだろう。何度答えられても、信じられないぐらいには。


 ……だけど、俺が伝えるべき言葉はやっぱり決まっていた。


 六文銭は曽根崎に向き直る。


「俺がつづるちゃんと一緒にいたいだけだよお」


 いつもと同じ、心からの言葉を口にする。


 しかし、曽根崎から返ってきたのは拒絶だった。


「それは、ただの同情だ」


 曽根崎は六文銭を見ようとしないまま、吐き捨てる。


 心臓が、動揺で跳ね上がった気がした。


「大方、罪悪感でも覚えたんだろう。再会して、一方的にうれしそうにしてる俺のことを見て」


 入学式のことを思い出す。見覚えのない彼に名前を尋ねてしまった瞬間の曽根崎の顔。その泣きそうに歪みかけた顔を見ていたくなくて、思わず嘘をついてしまった。


「お前が俺についてまわるのはただの義務感だ。そんなもの、捨ててしまえばいい」


 曽根崎の言葉を、六文銭は否定しきれなかった。


 でも、それより何より、これだけ言葉を尽くしているのに受け取ってもらえないことに腹が立ってきた。


 六文銭はむすっとした表情で小さく言い返す。


「罪悪感を覚えてるのはつづるちゃんのほうだよ」


 初めて六文銭に反撃され、曽根崎は目を見開く。


「つづるちゃん、俺の向こうに誰かを見ちゃってるんでしょ。それが嫌なんでしょ」


 薄々気づいていたことを、言葉にして投げかける。


 彼は自分を見ていない。本当の意味で、見ていない。


「俺はその人の代わりなんでしょ」


 六文銭は、ほとんどにらみつけるように曽根崎を見る。曽根崎はそれでも顔を上げなかった。


「お前はアイツじゃない」


「そうだね」


 どろっとした感情がにじみ出てくるのを感じた。今まで見ないふりをしていた『彼』への嫉妬心が、こらえきれずにあふれ出す。


「俺は、つづるちゃんが知ってるその人じゃないよ。でも俺は俺なんだよ。俺が六文銭村正だよ!」


「違う!」


 大声で否定され、びくっと肩が跳ね上がる。


 曽根崎はまるで全力疾走をした後のように、苦しそうに息をしていた。


「お前は何も知らないからそんなことが言えるんだ」


 顔をゆがめ、地を這うような声で曽根崎は言う。


「あの時、村正を崖から落としたのは俺なんだ。俺のせいなんだよ」


 一瞬何を言われたのかわからず、六文銭は頭が真っ白になる。


 つづるちゃんが俺を落とした? でもなんで?


「死んでほしいって思ってたわけじゃない。でも、試したくなったんだ」


 曽根崎は泣きそうな顔で六文銭をにらみつける。


「俺よりなんでもできるくせに、馬鹿みたいな顔で俺についてくる村正を、危ないところにわざと連れていったんだ」


 まるで自分の傷跡をかきむしっているかのように、曽根崎は顔をしかめ、口を大きく開けた。


「ずっとアイツが妬ましかった。アイツなんて、いなくなってしまえばいいって思ってた!」


 それは、悲鳴に近い言葉だった。


 たたきつけられたその拒絶に打ちのめされて、六文銭は立ち尽くす。


 泣いてしまいそうなほど長い沈黙。


 その果てに、曽根崎はゆっくりと目を見開いてつぶやいた。


「……まさか。この『におい』は、そういうことか」


 様子がおかしくなった曽根崎に六文銭は手を伸ばす。


 しかし曽根崎はハッとした顔をすると、一歩後ずさった。


「お前に何をしても俺は償えないんだ。もう俺なんて構うな。真っ当に生きてくれ」


 六文銭は唇を開きかけ、何を言えばいいかわからずにもう一度閉じた。


「頼む」


 拒絶の言葉とは裏腹に、六文銭には彼がすがりつきたいのをこらえている表情をしているように見えた。


「つづるちゃん」


 何を言えばいいかわからない。でも、つなぎ止めないと。その一心で六文銭は手を伸ばす。


 その時、二人の間を引き裂くように、何かが頭上から落下してきた。


 地面にぶつかり、何度か跳ねて転がったその物体。


 それはスニーカーの片方だった。


 水に濡れていたようで、乾いた地面にじわじわと水が広がっていく。


 二人はそれが落ちてきた先、遙か頭上の崖の上にある木々を見上げる。


 そこにあったのは――木の枝に引っかかって脱力する池之平の体だった。


 彼の首は変な方向に曲がってしまっていて、遠目で見ても死体であることがはっきりわかる。


「……他殺だな」


 ぼそりと曽根崎が言う。


「なんで、あんなところに……」


 何をどうしたらあんな木の上に死体が引っかかる事態になるんだ。


 もしかして、さらに上の崖から落ちたのか?


 一体何が起こったのかと、六文銭は曽根崎に視線を戻す。


 ――その時、見覚えのある人影が視界に入った。


 一人の男が道に立っている。


 黒コートにマスクにサングラスの男。


 さやかの転落現場にいた、あの不審者だ。


 池之平は彼が呪いを行っている犯人かもしれないと言っていた。


 どうしてそんな奴がこんなところに。


 不審者は一歩ずつこちらに近づいてくる。


 六文銭は恐怖を飲み込むと、曽根崎を庇って立ちふさがった。

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