第四章 『眠り姫』の持ち主
第21話 そんなのありえない
『自殺マニア』裏掲示板への書き込みから三日後。
六文銭たち三人は、池之平の運転する車で指定された場所へと向かっていた。
あの後、駆けつけてきた警察に、池之平は『自殺マニア』の具体的な情報を言わなかった。
多分言ってしまえば、書き込み主に会いに行けないと思ったのだろう。
『自分たちは『眠り姫』を調べていて、ここで死んだミトという男にメールで呼び出された。何が起きるのかは知らされていなかった』
それが池之平の作った筋書きだった。
嘘は言っていない。だが真実も言っていない。
曽根崎はそれに異を唱えなかったし、六文銭もそんな曽根崎を止めることができないまま今にいたる。
車の行き先は避暑地として名高い、軽井沢。
書き込み主は、どうやらそこに別荘を持っているらしい。
どんな規模かはわからないけど、とんでもない大金持ちだったらどうしよう……。
呪いの一件とはまた違った緊張でガチガチになりながら、六文銭は助手席でシートベルトを握りしめていた。
「はは。そんなに緊張しなくても、取って食われやしないよ」
「で、でも、『眠り姫』の最初の持ち主なんですよね? それって、その方が呪いの大本ってことになるんじゃ……」
「それもそうかもね」
六文銭はびゃあっと派手に悲鳴を上げて怯える。池之平はからからと笑った。
「い、池之平さんは、本当に呪いがあると思ってるんですか……?」
「そうだね。あったらいいと思ってるよ」
「不謹慎ですよお……」
「記者だからね。これぐらいは当然さ」
いくら六文銭が文句を言っても、池之平は涼しい顔だ。
恨めしい思いで唸りながら、ふとバックミラーを見る。うとうとと船をこいでいた曽根崎が目を覚ましたところだった。
「あ。おはよう、つづるちゃん」
何度かまばたきをした曽根崎は鏡越しに六文銭を視界に入れると、露骨に顔をしかめた。
見るからに不機嫌だ。
「どうしたの、つづるちゃん?」
「嫌な夢を見た」
端的に答えると、曽根崎は窓の外をにらみつけはじめる。
なんの夢だったんだろう……気疲れしてそうだから寝させてあげたかったんだけどなあ……。
そんなことを思っているうちに、車は山道を抜けて軽井沢へと差し掛かる。
観光シーズンではなかったが、それなりに人はいるようだ。
池之平たちの車は待ち合わせ場所に指定された駐車場へと滑り込む。
そこで待っていたのは、穏やかな雰囲気の若い男性だった。
「こんにちは。『眠り姫』の持ち主の金嶺です」
差し出されたその左手の薬指には、銀色の指輪が光っている。
どうやら既婚者のようだ。
池之平は彼の手を握り返し、六文銭にしたときのようにぶんぶんと縦に振った。
「どうもどうも! 書き込みを見てここに来たジャーナリストの池之平です。こちらは曽根崎くんと六文銭くん」
紹介され、六文銭はぺこりと頭を下げる。曽根崎は仏頂面のままだった。
六文銭は彼の脇腹を軽く小突く。
「つづるちゃん!」
「いやいいですよ。気にしないでください。それより、早速ですがうちの別荘に向かっても?」
金嶺に促され、一行は観光街を歩き始めた。
「せっかくの軽井沢だもんね。ほら、つづるちゃんこれ食べてみない?」
「……いらない」
「見てつづるちゃん! このマスコット変な顔!」
「……そうだな」
「えにし所長に何かお土産買っていくべきかなあ。つづるちゃんは何がいいと思う?」
「……そうだな」
「もうつづるちゃん! 聞いてる!?」
「……そうだな」
何を見せても、何度話しかけても曽根崎は上の空だった。
いつものように皮肉を言われるわけでもないのがまた悲しくて、六文銭はしゅんと肩を落として彼らの後ろにとぼとぼとついていく。
やがて観光街を通りすぎ、多数のペンションを通りすぎても金嶺は立ち止まらず、やがては車も入れないような山道へとさしかかってしまった。
「歩かせてすまないね。元々の持ち主だった祖父が偏屈だったせいか、妙な場所にある建物なんだよ」
そう言いながら、平然と金嶺は山道を登っていく。
かなり痩せているのにすごいなあ。もしかして通い慣れてるのかな?
ぼんやりと思いながら歩いていると、六文銭はふと足元を見てしまい戦慄した。
いつのまにか四人は、切り立った高さのある道を――ほとんど崖といっても過言ではない場所を歩いていたのだ。
はるか下方で流れる清流を見下ろし、六文銭はぶるりと身を震わせる。
「ひええ……」
「落ちたらただでは済まないだろうね」
池之平に背後から覗きこまれるように言われ、六文銭はびくっと肩を跳ね上げる。
「な、なんでそんなこと言うんですかあ!」
「はっはっは。事実じゃないか」
「もー!」
ひとしきりぽこぽこ怒った後、六文銭は曽根崎をうかがう。
こちらから目をそらしたまま何も言おうとしない。
……いつものつづるちゃんなら、こういうとき俺をからかってくるのになあ。
やっぱり遊園地の後からつづるちゃんの様子がおかしい。
周囲と距離をとりたがっているように見えるし、とりわけ俺と関わるのを避けている、気がする。
何を考えているんだろう。俺に、教えてくれないのかな。
沈んだ気分になりながら六文銭は歩きつづけ、さらに十分ほど行ったところで目的地へとたどり着いた。
そこは、予想以上に大きな別荘だった。
見事な造りをした洋館で、こんな山奥にあるというのにまさに豪邸という言葉がふさわしい建物だ。
――や、やっぱり大金持ちさんだよお……!
六文銭は震え上がり、思わず曽根崎の後ろに隠れようとした。
だけど、彼はされるがままで六文銭を振り払おうともしない。
それがさらに不安を誘い、六文銭は曽根崎の服をぎゅっと握りしめた。
このままじゃ、つづるちゃんが何かに連れていかれちゃう。
そんな正体不明の予感にさいなまれて、六文銭の気分はいっそう沈む。
「さあ入ってください。何もないですが、お茶と座るところぐらいはありますから」
金嶺に促され、六文銭たちは屋敷の中へと入っていく。
案内される途中に通った玄関や廊下にも複雑な装飾が施されており、ところどころには美しい絵もかかっている。
六文銭にその正確な価値はわからなかったが、おそらくかなり高額なものなのだろうということだけは理解できた。
「ここが客間です。どうぞお好きな場所にお座りください」
通されたのは大きな本棚でぐるりと囲まれた一室だった。
好きな場所にと言われた通り、部屋のあちらこちらにはソファや椅子が点在しており、本来は読書を楽しむための部屋なのだろうとが察することができる。
六文銭は落ち着かない気分のままきょろきょろとあたりを見回し、部屋のすみにあるソファへと向かっていった。
その時、近くにあった机に置いてあった本に、六文銭の視線は吸い込まれた。
「……あっ」
置いてあった本のタイトルは『美死の恋』。作者の名前は、金嶺純(かなみねじゅん)。
「え、もしかして金嶺さんって……まさかあのミステリ作家の!?」
「それは祖父のことですね。僕はその孫ですよ」
小さく笑いながら、金嶺は訂正する。
それもそうだ。『美死の恋』の発売は十年以上前。その頃、彼はまだ子供だろう。
恥ずかしくなって六文銭はソファに腰かけて縮こまった。
「ここは元々亡くなった祖父の家だったんです。今は僕が貰い受けていますが」
本棚に手を添えながら言う金嶺に、六文銭はへえと声を上げる。
その時、えへんと咳払いをする音がした。
「あー早速なんですが金嶺さん。『眠り姫』についてお聞きしてもよろしいですか?」
池之平はソファに座ろうともせず、待ちきれないといった面持ちでそう切り出した。
ふと見ると、曽根崎も腰かけようとせずに、仏頂面のまま立っている。
六文銭は慌てて自分も立ち上がった。
「それもそうですね。ちょっと待っていてください」
金嶺はそう言うと、六文銭たちを置いて廊下へと消えていった。
戻ってきたのは数分後。
彼の手にはお盆があり、その上にどっさりと写真が重ねられていた。
「どうぞ。これが僕の持つ『眠り姫』たちですよ」
お盆を机の上に置かれ、三人はそれを覗きこむ。
重ねられたどの写真に写されているのも、目を閉じて上品に椅子へと腰かけるあの女性だった。
「こんなにたくさん……」
「はい。自慢のコレクションなんです」
六文銭はそのうちの一枚を持ち上げて眺める。
自分が手に入れた写真と全く同じ写真のようだ。
だけど――
「なんか、違和感が……?」
ぽつりと呟くも、その正体はわからない。
閉じられた目、唇。人形のように整った顔つき。行儀よく重ねられた指。
「ん?」
六文銭はもう一度その部分を見る。
なぜか高校時代に見つけたあの腕のことを思い出した。かたく変質したあのミイラの指にあった痕跡――
……何かが、足りない?
「違う角度の写真もあるな」
曽根崎の言葉にハッと六文銭は意識を引き戻される。
彼の言う通り、写真の中には別の角度から撮られたものもあるようだった。
遠くからも近くからも。右からも左からも。
だけどすべて同じ姿勢だ。
ふむふむとそれらを見比べていき、ある事実に気づいた瞬間、六文銭の肌はぞわっと総毛立った。
見間違いではないかと何度も見比べる。
……間違いなくそうだ。でも、そんなことって。
六文銭はそろそろと小さく手を挙げた。
「あの、気のせいだったら申し訳ないんですが」
「何かな?」
「これ、最近撮った写真も混ざってませんか?」
写真の中に紛れた一枚。ポロライドカメラで撮られたその写真の右下には、撮影年月日がしっかりと印字されていた。
これは、ほんの数ヵ月前の写真だ。
「ええ。今の彼女と昔の彼女、両方の写真がありますよ」
平然と肯定する金嶺に、あわあわと六文銭は主張する。
「そ、それって変ですよ。一枚目の写真は何年も前に撮られたものなんですよ?」
「何かおかしなことでも? 何年経とうと、大して見た目が変わらない女性もいるでしょう」
「そんな、でも、だって」
六文銭はもう一度ちらりと『眠り姫』を見る。
「だって、彼女は」
――とうの昔に、自殺した死体なのに。
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