第20話 見ないふりをしていた違和感

 駆けつけてきた警察によって警察署につれていかれ、呆然とした心地のまま曽根崎たちは尋ねられる質問に淡々と答えていった。


 気遣うようなことを言われた気もするし、カウンセラーを呼んであげる、と言われているのをどこか他人事のように聞いていた気もする。


 ふと気づくと、曽根崎は六文銭と一緒に警察署の入り口で猫屋敷と会話していた。


「本当に大丈夫? 家まで送ってあげるよ?」


 心の底から心配しているのが伝わる表情で、猫屋敷は六文銭に尋ねている。


 しかし六文銭は首を横に振った。


「はい、大丈夫です。……もうちょっと、一緒に喋りたいので」


 ぺこりと丁寧に頭を下げ、六文銭は曽根崎とともに歩き出す。


「……話したいことでもあるのか?」


 曽根崎はそう問いかけたが、六文銭はえへへと笑うだけで答えなかった。


 そのまま歩くこと数分。警察署が完全に見えなくなったあたりで、曽根崎は切り出した。


「どうせあのえにしとかいう女のことを考えているんだろう」


「……え」


「わかるさ、それぐらい」


 曽根崎の口からため息交じりの笑いが漏れる。


 あの時、「友達とおしゃべりをして日常に戻りなさい」と言われたのを愚直に守ろうとしているのだろう。


 その方法が今このときにも当てはまるものだとは思えないが。


 六文銭はなにか言いたそうに唇を震わせた後、らしくもなく自嘲的な笑みを浮かべた。


「探したらさ、なにか見つけちゃうのは当然だよね」


 あはは、と小さく六文銭は笑う。


「やっぱり探すべきじゃなかったんだよね」


 確かめるように言う六文銭に、曽根崎はなにも答えられなかった。


 何を答えても、きっと今の彼には不正解だ。


「わかってたのに、どうして探しちゃったんだろう」


 六文銭は自分の手を見下ろす。その手は小さく震えていた。


「えにしさんが言ってた『死』に引きずられるって、こういうことなのかもね」


「……ああ、そうかもな」


 本当にその通りなのだろう。


 『死』に触れた者は、それから逃れたいと思っているのに、なぜか死を求めてしまう。


 そうして何度も自分を傷つけて、自分自身すらも『死』に近づけてしまうのだ。


 馬鹿だな、俺たちは。


 二度も忠告されたのに自分から近づいていくなんて。


 曽根崎が目を伏せて考え込んでいると、六文銭は不意に彼の名前を呼んだ。


「あのね、つづるちゃん」


「なんだ」


「俺さ、あんまりショックじゃなかったんだ」


 ぴくりと曽根崎の指が動く。


「副部長の腕が目の前にあるのに、「あ、腕だなあ」ぐらいしか思えなくてさ」


 六文銭の声が震え出す。泣き出したいのに泣けない。そんな声だ。


「慣れちゃったのかな、俺たち」


 こちらを見て、六文銭は情けない顔で笑いかけてきた。


「なんかやだね。こういうの」


 曽根崎は一瞬言葉を失い――「そうだな」という返事だけ、なんとかひねり出した。


 ……内心、その感覚が、そこまで嫌ではない自分がいる。


 この世の中に広がる『死のにおい』。


 どこにいても目にしてしまうそれにいちいち傷つくよりは、慣れてしまったほうが楽なのかもしれない。


 自分と六文銭の間にあるそんな感覚の乖離に打ちひしがれ――曽根崎はつい口を開いていた。


「六文銭」


「なあに、つづるちゃん」


「お前、俺から離れたほうがいいぞ」


「……え?」


 間抜けな声を上げて六文銭は立ち止まった。


 つられて曽根崎も立ち止まり、自分のつま先をにらみつける。


「『死のにおい』がわかる俺なんかと一緒にいたら、お前まで『死』に引きずり込まれる。そういう現場に出会うことも多くなるだろうし、きっと俺に共感してこちら側に引き寄せられるだろう」


 こいつは馬鹿正直で優しくて、誰にだって共感してしまう男だ。だから、絶対にそうなるという確信がある。


 にらみつけたままの足下の地面がひび割れている気がする。その内側から漏れ出た何かが、足首に触れようとしている。


 『死』が、俺を引きずり込もうとしている。


 きっと俺はこの先、この感覚から逃げられない。


「……お前はきっと日常に戻れるんだ。『死』に近づかなくても生きていけるんだ。だからこれ以上、こちら側に近づくんじゃない」


 抽象的な拒絶だったが、えにしの話を一緒に聞いていた六文銭にはちゃんと伝わったようだった。


 六文銭は、愕然とした顔をしてこちらに手を伸ばそうとしてくる。


「つづるちゃ……」


「近づくな。もう俺みたいな偏屈なひねくれ者の相手なんてやめて、さっさと離れた場所に行ってしまえ。そのほうがお前のためだ」


 伸ばされた手を無視して、曽根崎は歩きだそうとする。


 しかし、六文銭はその手をさらに伸ばして曽根崎の手をつかみ取った。


「そんなことないよ!」


 いつもよりずっと強い力で握りしめられ、驚きで思わず曽根崎は立ち止まる。


「つづるちゃんはすごいところいっぱいあるもん! 俺、ずっとつづるちゃんと一緒にいたいって思ってるよ!」


 真っ正面から臆することなくそう告げられ、曽根崎は己の中の一番歪んだ部分が顔を覗かせるのを感じた。


「それは皮肉か?」


「……え?」


「昔はお前のほうがなんでもできたじゃないか。運動も勉強も、ゲームだってお前のほうがずっと上手かった。だったらなんで昔は俺と一緒にいてくれたんだ?」


 言いたくもないのに、すらすらと意地悪な言葉が口からあふれてしまう。


 わかってる。これはただの幼い嫉妬だ。


 こんなことを言うべきじゃない。こいつがそこまで考えているわけじゃないのは自分が一番よく知っている。


 六文銭はひどく傷ついた顔をして、曽根崎を捕まえていた手を緩めていった。曽根崎はそれを絶望に満ちた目で見つめる。


 怖い。自分で突き放したくせに、手を離されるのが怖い。


 曽根崎ははくはくと何度か息を吸い損ねたあと、なんとか言葉を吐き出すことに成功した。


「……悪い。ひどいことを言って」


 うつむきがちに、縋るような声色で曽根崎は言う。


 六文銭は後ろめたそうに少し沈黙したあと、穏やかに首を横に振った。


「ううん。俺もつづるちゃんも疲れてるんだよ」


 あっさりと許されて、さらに自己嫌悪が湧き出してくる。


 本当に自分が嫌になる。


 あの事故のことを責められるのが怖くて、でもいっそ責めてほしくて、そのくせ昔の彼と違う部分を見つけると拗ねた言動をしてしまう。


 本当はこいつが、無事に日常に戻るのを願っているだけなのに。


 そんな曽根崎の思いを知ってか知らずか、六文銭は大きく深呼吸をして「……よし!」と気合いを入れた。


「あっ、ケーキ屋さん新作出してる!」


 ちょうどすぐ近くにあったケーキ屋の看板に、六文銭は駆け寄っていく。


「つづるちゃんも一緒に食べない? ね!」


 わざとらしいほどの空元気だ。誰の目にもそれは明らかだったが、曽根崎はそれを指摘しなかった。


 あいつなりに自分のやり方で死から遠ざかろうとしているんだろう。今し方、俺から投げつけられた冷たい言葉なんてなかったふりをして。


 ……だったら、ここは俺も合わせるべきだよな。


 わざとらしいごっこ遊びでも、一歩でも日常に近づくことができるきっかけだろうから。


「まったく。いつからそんなに甘いもの好きになったんだ」


 つとめていつも通りのあきれた台詞を口にする。


 たしかこいつはむしろ、甘いものが苦手のはずだった。


 昔、いつも渡された甘いお菓子をそっと押し付けられていたから、よく覚えている。


 だが、六文銭はきょとんと目を丸くした。


「え? 俺は昔からずっとそうだよお」


 ぴたりと、思考が止まる音がした。


 信じられないものを見る目で、曽根崎は六文銭を見る。


 そんな曽根崎の様子に気づかず、六文銭は話を続けた。


「こう、甘ったるいのっていいよねえ。マシュマロとか特に好きでさあ」




『つづるちゃん……。マシュマロ食べるのやだあ……代わりに食べてえ……』


『まったく仕方ないな』


『ありがと、つづるちゃん!』




 幼い頃の記憶がはっきりと脳裏に映る。


 おかしい。マシュマロはアイツの嫌いな食べ物だったはずだ。


 何かがおかしい。何かを見落としている。


 気づいてしまった違和感が雪崩のように押し寄せ、曽根崎は硬直する。


 コイツはどうして、猫が好きなのか。


 コイツはどうして、ホラーを怖がっているのか。


 コイツはどうして、ブラックコーヒーが飲めないのか。


 コイツはどうして、再会した俺が名乗ってもすぐに思い出せなかったのか。


 ――ぽつりと、雨粒がひとつ地面に落ちた。


「ねえ、つづるちゃんは何がいい? 俺はねえー」


「六文銭」


 ケーキ屋の看板を覗き込む六文銭に、曽根崎は冷たい声をかける。


「昔、俺たちが住んでいた町はどこだ」


 こちらに背を向けていた六文銭の体が固まった。


「よく行った公園の名前は? 近所の駅は? 一緒に通うはずだった、小学校の名前は?」


 六文銭は答えなかった。


 振り返り、強張った顔でこちらを見てくる。


 目が合う。彼から感じる『におい』がひどい。『死のにおい』が。どうして。


「なあ、六文銭」






「――お前は本当に六文銭村正か?」

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