第18話 きっと前には進めない
竜野副部長の死体が発見されてから五日後。
自分以外誰もいない静かな図書部の部室で、曽根崎は本を広げていた。
いつも占領しているソファを使う気にもなれない。
部長の越塚は、竜野の死体が発見されてからぱたりと学校に来なくなった。
きっとショックを受けているのだろうな、と他人事のように曽根崎は考える。
「自殺らしいよ」
「遺書も残されてたんだって」
「首を吊った縄から死体が落ちたんでしょ?」
「悲惨だよねー」
学校にいると、どこに行っても口さがない噂ばかり聞こえる。
しかも、自分と六文銭が第一発見者だということもなんとなく知られているらしく、遠巻きに見られるのが不快極まりない。
だが、逃げるようにやってきた部室には、死んだ彼女の痕跡がまだ残っていて、目を逸らすように曽根崎は本に視線を落とした。
幽霊、超常現象、聖なる奇跡、それから――
「……呪い」
ややあって自分が手にしているのが、ここにはいない越塚の本だということにようやく気づき、曽根崎は乱暴にそれを机に戻した。
その時、図書部の部室のドアが小さくきいっと音を立てて開いた。
「つづるちゃん、いる……?」
珍しく遠慮している様子で、六文銭が部室に入ってくる。
「どうした」
曽根崎も珍しく自分から六文銭に問いかける。
六文銭は濃いくまのある目で、へにゃりと笑った。
「あのさ。一緒に帰らない?」
部活にいそしむ生徒たちの明るい声を避けるように二人はこそこそと学校から抜け出した。
授業は終わっているのだから問題はないはずなのに、なんだか罪悪感が胸に落ちている。
しばらくの間二人は無言のまま一緒に歩いていたが、不意に六文銭は口を開いた。
「本当に、自殺なのかな」
うつむいたままのその問いに、曽根崎も目を伏せたまま答える。
「少なくとも、殺人ではない」
「え?」
「竜野先輩からは、腕のミイラとは全く別の種類の『におい』がした」
他殺体からはしなかった、鼻につくすえたような強い『におい』。
共通しているのは強烈な吐き気を催すものであることぐらいだ。
「きっと、あれが『自殺のにおい』なんだろうな」
ほとんど独り言のように曽根崎は言う。
六文銭も沈んだ表情のまま、口だけを動かした。
「……そっか。そうなんだ」
そこからはまた、数分の沈黙だった。
日が高いせいもあって、すれ違う人も多い。
楽しげに会話する彼らの声を遠くに聞きながら、六文銭はぽつりと言った。
「竜野先輩、どうして自殺なんか……」
曽根崎は顔を上げ、目を丸くした。
「お前、知らなかったのか?」
「え?」
同じくきょとんとした顔の六文銭に、「まあ、部活も違うしな」とぼそりと言う。
「アイツは元々自殺志願者だよ」
「えっ、自殺……?」
「……いつも手首をリストバンドで隠していただろう」
六文銭は思い返すような仕草をした。
運動部というわけでもないのに、夏の暑い日でも手首を見せないようにしていた理由。
そんなもの、ひとつしか考えられない。
「もしかして、手首を切ってたってこと?」
「実際に見たことはないから、噂に過ぎんがな」
突き放すように言う曽根崎に、六文銭は悲痛な顔になる。
「先輩、なんで死のうと思ったのかな」
「知らん。アイツにはアイツの事情というやつがあったんだろう」
あくまで興味がないのを装ってそう言うも、六文銭は暗い顔のままだ。
ぐるぐると彼女の『死』について想いを巡らせているのだろう。
同情、共感、疑問。考えても仕方がないことがきっと六文銭の中で渦巻いている。
……あのえにしとかいう女に言われたことをもう忘れたのか、この馬鹿は。
内心そう思いながら六文銭をちらりと見る曽根崎だったが、自分の中にもその思考が巣食ってしまっているのは薄々自覚していた。
何故そんな行為に至ったのか。
もしそれが自分だったらどうなるのか。
そんな遠ざかりたいのに近づいていく自分の思考が嫌になる。
六文銭は気を取り直したように言葉を続けた。
「でもさ……見間違えじゃないよね、彼女の腕がなかったの」
ぴくっと曽根崎の目の端が震える。
あの時見た、血まみれの服が脳裏にちらついた。
「彼女が自殺ならさ、腕を切ってから自殺したっていうの?」
つとめて明るい声を出して、六文銭は単純な疑問を口にする。
曽根崎は眉を寄せた。
「もしくは自殺してから誰かが腕を切ったのか、だな」
ひっ、と小さな悲鳴が六文銭の口から漏れる。
そして六文銭はもとの通りに、悲しそうに目を伏せてしまった。
「なんでそんなこと……」
曽根崎は不機嫌な顔のまま、道の先を見る。
そんなもの、考えてもわかるはずもないことだ。
ここから先を探るのは警察の仕事で、俺たちは踏み込むべきではない。
六文銭もそれはわかっているだろうに。
しかし、六文銭はぴたりと立ち止まった。
「ねえ、つづるちゃん」
つられて曽根崎も立ち止まる。
六文銭は怯えたような目で曽根崎をうかがった。
「もう一度、あの橋に行ってみない?」
思わぬ提案に曽根崎は目を見開き、ほとんど睨み付けるように六文銭を見た。
「まさか探偵の真似事でもするつもりじゃないだろうな」
「う、それは……」
言葉につまる六文銭に、曽根崎は軽くため息をつく。
心底あきれられているというのはわかっているのだろう。
六文銭はうろうろと視線をさ迷わせたあと、すがるような目を曽根崎に向けた。
「で、でも、どうしても気になっちゃうんだよ……気にしちゃだめなのはわかってるんだけど……」
徐々に六文銭の言葉尻はしぼんでいく。
気持ちはわかるのだ。
俺たちは異様な『死』に二度も触れて、多分、それを己の中で消化したいだけなのだろう。
えにしは忘れるように言った。これ以上近づかないようにと言った。
きっとそれが、正しくて健全な対処法なのだ。
今の六文銭のように、わざわざ異様な『死』に関わってもう一度傷つきに行くなんて、門外漢の俺にも愚かな行為だというのはわかっている。
だが――先に沈黙を破ったのは、曽根崎のため息だった。
「わかった。ついていく」
曽根崎の答えに、六文銭は不意を突かれた小動物のような間抜けな顔になった。
そんな彼に曽根崎は自嘲的な笑みを向ける。
「きっと俺も、真相を知らなければ元には戻れないだろうからな」
六文銭はその言葉をゆっくりと咀嚼すると、どこか安心したような面持ちでへにゃりと笑った。
「ありがと、つづるちゃん」
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