第17話 ただ死んでいるだけ
二人がえにしに連れていかれたのは、近所の公園だった。
徐々に小学生が家に帰り始める時間帯で、あたりはだんだん寂しい空気に近づいていく。
曽根崎たちをベンチの近くに置き去りにして、えにしは自販機へと向かっていった。
小銭をちまちまと出してジュースを買うえにしに、曽根崎はぼそっと悪態をつく。
「公園なら結局立ち話じゃないか」
「つづるちゃん!」
「なんだ。事実だろう」
「事実だけどお……ほら、ベンチはあるし!」
「おやおや。文句を言う子にはジュースおごってあげないよ?」
「びゃっ」
いつの間にか缶を手に戻ってきていたえにしに、六文銭は派手に驚いて飛びのく。
えにしは特に気にした様子もなく、曽根崎に缶を二つ手渡した。
「はいどうぞ。好きな方を選びたまえ」
「……コーヒーじゃないか」
「ジュースは売り切れでね」
そう言うえにしの手にはオレンジジュースの缶があった。
曽根崎はなんともいえない複雑な顔になる。
だがこれ以上突っ込むのも面倒で、手の中のコーヒーを見下ろした。
ブラックコーヒーと甘ったるいカフェオレ。曽根崎は迷わずブラックコーヒーを六文銭に差し出した。
「ほら」
「え?」
変な声を上げる六文銭の目の前で、曽根崎はコーヒー缶を揺らす。
「なんだ。お前ブラック好きだろう」
たしか、子供のころに背伸びをして飲むうちにはまっていたはずだ。
うちに遊びに来るときはいつもブラックコーヒーを飲んでいて、子供の自分は憧れのまなざしで見ていた記憶がある。
しかし、六文銭はがっくりと肩を落とした。
「俺はブラック飲めないよ、つづるちゃん……」
予想外の言葉に、曽根崎は眉を寄せる。
味の好みが変わったのか? それとも覚え違いか?
……ああ、昔はかっこつけるために無理をして飲んでいたのかもしれないな。
そうやってひとり納得し、曽根崎は自分の側にあったカフェオレを六文銭に差し出した。
爪でプルタブを起こすと、カシュッと小気味いい音がする。
曽根崎たちが一口二口飲んでいるうちに、えにしはオレンジジュースを一気飲みしていた。
「ぷはー! うーん美味しい! 公園で飲むジュースって特別感がないかい? 青春ドラマの一ページみたいな!」
「……さっさと話に入れ」
不機嫌なのを隠さずに、曽根崎はえにしをにらみつける。
えにしはひょいっと肩をすくめた。
「せっかちだね。いいだろう、本題に入ろうか」
なんだか芝居じみたその仕草はやはり見ていてイライラする。
しかし、その直後にえにしはすっと真面目な顔になった。
「あそこにいたということは君たちも気づいているとは思うが……君たちの高校で見つかった死体の腕は、一年前に殺害遺棄された女性のものだったよ」
六文銭の肩がぴくりと動き、それから顔をうつむかせる。
「やっぱり……」
「その上で、これは秘密のお話なのだけど」
えにしは二人に顔を寄せ、内緒話をするような姿勢になった。
自然と曽根崎たちも耳を傾ける。
「警察の中ではあの事件の犯人の目星はもうついているのさ。あの腕に残された痕跡が手がかりになってね」
「……えっ」
「動機はただの痴情のもつれ。あの理科室にあったのは、過去に犯人があそこに勤めていたから。今はいないけどね。詳しいことは機密情報(キミツジョーホー)で言えないけど、どうやら犯人は彼女の腕にかなりの執着を抱いていた。それで彼女の腕を何らかの方法でミイラにした。……まあ、フェチってやつだね。つまり、この事件は君たちとは全く無関係のところで起きて、全く無関係なところで解決しようとしているのさ」
なんだか拍子抜けのその内容に、六文銭は目をしばたかせた。
それを見て、えにしはふっと優しい顔で笑う。
「だから怖がる理由はどこにもないよ」
きっぱりと断言され、曽根崎と六文銭はちらりとお互いを見る。
「死体は死体。死んでいる物体。呪いなんてものはなく、ただ人が死んでいるだけだよ」
まるでこの世の真理であるかのように堂々とそう言われて、呆然とした顔で六文銭は繰り返した。
「死んでいる、だけ」
「そうさ。生きている以上、人はいずれ死ぬ。君たちは偶然それにかち合っただけだ。そして死体は君たちに害を及ぼさない。親しい相手ならともかく、あの死体は見ず知らずのものだろう? だったらその『死』に引きずられてやる必要がどこにある」
それは確かに、そうかもしれない。
自分達の内側にあった感情が紐解かれていき、はっきりとした言葉になって胸の中に落ち着いていく。
なんだか、一気に肩の上の重みが消えていくような感覚があった。
まるで『呪い』が解けていくかのように。
「『死』というものに触れて、どうせ余計なことでも考えたんだろう?」
突然おどけた表情になって、えにしはそう尋ねてくる。
「同情、共感、自分だったらどう思うか、友人や家族がそうなったらどうしよう。こんなところか」
図星を突かれ、曽根崎はむっと唇を尖らせた。
六文銭も苦笑いしている。
多分、自分たちがどれだけ考えても仕方がないことにとらわれていたのか自覚できるぐらいには心に余裕が出てきたのだと思う。
「対処法が知りたいかい?」
悪戯っ子のようなやけに幼い表情でそう問われ、六文銭は思わずうなずく。
えにしも満足そうにうなずき返した。
「うんうん、素直ないい子には教えてあげようじゃないか。……いいかい? そういうのは適度に無視するんだ。その上で友達とのおしゃべりに励むといい!」
曽根崎たちはきょとんと目を丸くする。
「いつも通りのくだらないものを大切にしなさいってことさ。ほんの一瞬関わってしまった死体のことなんて忘れて、さっさと日常に戻りたまえ!」
やけに大袈裟に偉そうに宣言され、六文銭と曽根崎は目を見合わせて、ふっと笑った。
六文銭の顔を直視してしまったが、なぜか今はそれほど不快ではない。この女のおかげで『死』から遠ざかったからだろうか。
えにしは、にまにまと曽根崎たちを見て、それからアニメキャラクターのような大袈裟なポーズを取った。
「少年諸君、少しは楽になったかな?」
六文銭はふにゃっといつも通りの笑顔で笑い、彼女に頭を下げた。
「はい。ありがとうございます、おば……お姉さん」
即座に、えにしの蹴りが六文銭のすねにげしっと当たる。
「いたっ」
「レディーになんてことを言うんだ。そんなことを言うからモテないんだぞう?」
「も、モテてますー!」
漫才のようなやりとりをしながら、三人は缶の中身がなくなるまで、ふにゃふにゃととりとめのない話をする。
やがてコーヒーを飲みおわった六文銭は、他の二人の空き缶を受け取った。
「ゴミ捨ててくるねえ」
そう言って自販機のほうに駆けていく六文銭に、曽根崎は小さく息を吐く。
六文銭がいつも通りになってよかった。
あいつにしょぼくれた顔をされていると、こちらの気が滅入る。
そんな半ば自分勝手な感想を抱きながらそちらを見ていると、隣に立っていたえにしはぽつりと呟いた。
「ま、呪いがあるということにしておいたほうが幸せなことも、時にはあるけどね」
振り向くと、遠い目をしたえにしが目に入った。
しかし、次の瞬間にはその表情は消え失せ、えにしは悪戯っぽい笑みを曽根崎に向けてきた。
「ケースバイケースということさ」
あきれと安堵が曽根崎の中に満ちていく。
おそらく、さっきの言い方をされても、六文銭はともかく俺のほうは納得しきれないかもしれないと考えたのだろう。
だからあえて俺だけに告げた。
……ずるい大人だな、この女は。
だが、悪意があっての行動ではなさそうだ。
俺も一応礼を言うべきか。
そう思った曽根崎が口を開きかけたその時、えにしは曽根崎の背中をバンっと叩いた。
その勢いに思わずよろめき、曽根崎は彼女を睨み付ける。
「は!?」
「――戻ってこられるうちに、戻ってくるんだよ」
深刻な顔でそう告げられ、曽根崎は言葉を失う。
えにしは目を細めた。
「その目、その視線。どうしたって何度も引きずられる性質だろう。そして、易々と『死』からは遠ざかれない」
「突然何を……」
「これでも私はプロだよ? それぐらいはわかるさ。……君が引きずられるのは仕方ない。だったらせめて、こちら側に戻ってくることを目標になさい」
曽根崎は軽く目を見開いた。
えにしの忠告は、曽根崎の内側の言葉にしがたい部分に確かにしみこんでいく。
「戻ってくる……」
『死』から。こちら側へ。
不思議と六文銭のへにゃっとしたアホ面が脳裏に浮かんだ。
視界の端で、えにしが小さく口の端を持ち上げる。
「そうそう。よくよく考えて悩むといい若人よ!」
頭に手を置かれて、ぽんぽんと撫でられる。
小さな子供扱いされたのだと一瞬後に気づき、曽根崎はおもいっきり顔をしかめた。
遠くから、六文銭が戻ってくる足音が響いてきていた。
えにしと別れた曽根崎たちは、すっかり日が暮れた住宅街を歩いていった。
この先にある橋を渡れば、二人の住む地区にたどりつく。
「変な人だったねえ」
「ああ」
「でもいい人だったね」
「そうだな」
能天気な六文銭の言葉に、曽根崎は言葉少なに答える。
まだ釈然としない思いは胸の中に残されていたが――きっとこれは、俺にとって必要な感覚なのだろう。
せめて戻ってくるように。『死』に引きずられた先から。
引きずられやすい俺が戻ってくるためにはどうするべきか、あの女は教えてくれなかった。
きっとそれは六文銭に告げた方法では足りないはずで。
……自分で考えるしかないんだろうな、こればっかりは。
何を文字通りの命綱にできるのかは、自分自身にしかわからないのだから。
考えよう。まだ学生なのだから、きっと時間はたくさんあるはずだ。
気づかれないように曽根崎はふっと笑う。
前方に橋が見えてきて、何気なく曽根崎はそちらに視線を向けた。
――瞬間、鼻の奥を襲ったのは、強くて悍ましい『におい』だった。
不意打ちで訪れたその感覚に、吐き気を催して口元を押さえてうずくまる。
「つ、つづるちゃんどうしたの!?」
六文銭の慌てた声が頭上で聞こえるが、返事をする余裕もない。
この『におい』。間違いない。『死のにおい』だ。
でもなんで、こんなところにこんなに濃い『におい』が。
浅く息をしながら、曽根崎は道の先を――前方の橋の上を指差す。
「あ、れ」
六文銭は不思議そうな顔でそちらに目をこらす。
曽根崎も引き寄せられるかのように少しだけ顔を上げた。
橋の上に誰かが倒れている。時々通り過ぎる車のヘッドライトに照らされて、その姿が視認できてしまう。
「せっ、先輩!?」
隣にいた六文銭が駆け寄っていく。そして、倒れているその人物に声をかけようとし――彼女の有様を目にして腰を抜かした。
片方だけローファーが脱げた足。ひだのある紺色のスカート。白色のセーラー服。中途半端にちぎれて風に遊ぶ袖の先。広がる血だまり。
ああ。あの人間には腕がないのだ。服ごと切られているのだ。と、どこか現実味のない考えが頭をよぎる。
「わあ、わあああああああ!」
六文銭の悲鳴に、曽根崎はさらに視線を上げる。
頭上の橋梁にくくられて風に揺れる首縄。そこから落下したであろう人の体。
腕をなくした竜野副部長の死体が、橋の上に横たわっていた。
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