第15話 『におい』の種類

 太陽がさらに傾き、徐々に暗くなっていく道で、六文銭は曽根崎に話しかける。


「ねえ、つづるちゃん」


「……なんだ」


「あの腕、誰のものなんだろう」


 まだぼんやりとしたその声色に、曽根崎もまたぽつぽつと返事をする。


「『におい』には種類がある」


「種類?」


 六文銭の疑問に、曽根崎はすぐ横の車道を示した。


 狭い道の割に、車の行き交いが激しい場所だ。


 そういう場所ならば、自然と事故が起こりやすくなるのは当然のこと。


「このあたりの道は、よく猫が死んでいるだろう」


「……うん、すごく可哀想だよね。引き取れるものならみんなうちで飼ってあげたいもん」


「え?」


 六文銭の返事に、曽根崎は間抜けな声を上げる。彼はなにか変なことでも言ったかと目を丸くしていた。


 曽根崎は驚いた表情のまま、思わず六文銭の顔を見る。


「いや、猫が苦手じゃなくなったんだな」


「え?」


「ほら。お前、昔は猫なんて大嫌いって泣いてただろう」


 ぴくりと、視界の端で六文銭の指が震え、彼の『におい』が少し強くなる。


 しかしそれを指摘するより前に、六文銭は照れ臭そうに笑いだした。


「あー、あはは。そんな昔のこと持ち出さないでよお」


 いらっとして眉が寄る。


 多分これはそう、高校で再会した幼馴染みに、昔と変わってしまったところがあるのが気にくわないのだろう。


 ……忌々しいが、おそらくそうだ。


 曽根崎はその感傷を振り払うために軽く頭を掻いた。


「そんなことはどうでもいい。とにかく、俺が『事故死』した猫を何度も見ていると言いたいんだ」


「何度も見て? ……あ、もしかして事故死の『におい』を嗅いだことがあるってこと?」


「お前にしては察しがいいな」


「一言余計だよつづるちゃん……」


 がっくりと肩を落とす六文銭を無視して、曽根崎は話を進める。


「同じように『病死』や『自然死』も複数回見たことがある。親戚の葬式で無理やりな」


 できるだけ避けてはいるが、どうしても対面しなければならない瞬間はある。


 家族にはこの能力のことを伝えていないから、配慮がされるわけもない。


「だから、ぼんやりとだがそういうものの傾向はわかるんだ。複雑に混ざっていて、完全に同じものを見つけるのは難しいが」


 そう言いながら曽根崎は無意識のうちに鼻に触れた。


 鼻の奥には、あの腕の『におい』がまだこびりついている気がする。


「だが、今回の死体からは……嗅いだことのない、強くて悍ましい『におい』がした」


 汚泥のようなどろりとしたものにまみれた、強烈な『におい』。


 思い出すだけで、曽根崎の眉間にしわが寄る。


「それって……その三つのどれでもないってこと?」


「ああ」


「事故でも病気でも加齢でもないって、そんな死に方あるの?」


 曽根崎は言葉を切り、一呼吸の間、言うべきか言わないべきか迷ったあと、再び口を開いた。


「一年前の事件をお前は知っているか」


「一年前?」


「この町で起きた殺人死体遺棄事件のことだ」


 数秒遅れて彼が何を言いたいのか察し、六文銭は真っ青になって立ち止まった。


「まさかそれっ、『殺人』の匂いってこと!?」


「声がでかい!」


 かなりの声量で曽根崎は六文銭をいさめ、脇腹を小突く。


 六文銭は声を潜めて、彼に顔を寄せた。


「どんな事件なの?」


「詳しくは知らん。ただ、女が殺されて、腕を切り取られて、川に捨てられたらしい」


「ひええ……」


 ぶるりと六文銭は体を震わせる。


 曽根崎はそれをちらりと見てから、再び歩き始めた。


「一年前、俺たちは高校に入学してすらいなかったし、そもそも俺はこの町にすらいなかった」


「あっ。じゃあ俺たちがあの教室に腕を隠すことはできないね」


「だからきっと無関係だと判断されたんだろうな」


 あの刑事の言葉は、きっとそういう意味なのだろう。


 六文銭はふと自分の手を見下ろして、小さく言った。


「でも、その人の腕がどうしてうちの理科室なんかに……」


 彼は自分の手を、何度か握って開いている。


 あの時、手にしてしまった死体の感触でも思い出してしまっているのだろう。


 ――俺の鼻の奥にまだ残る、他殺の『におい』のように。


 本当に嫌な気分だ。『死』に触れるというのは。


 ぐらつきそうになる足下をなんとか踏みしめ、黒々とにじみでてくる『死』の幻影を振り払う。


「あ! 曽根崎、六文銭!」


 二人の間の重苦しい空気を察することなく、遠くからこちらを呼び止める声がした。


 振り返ると、図書部部長の越塚が走りよってくるところだった。その後ろには副部長の竜野も早歩きでついてきている。


「聞いたぞお前ら。なんかヤバいもの見つけちまったんだって?」


「警察が来てたけど、大丈夫だった?」


 六文銭は対照的な二人の反応に苦笑いする。


「で? 何見つけたんだよお前ら。隠されてた盗難品とかか?」


 能天気に踏み込んでくる質問に、曽根崎は不快になって眉を寄せる。六文銭も沈んだ顔になって答えた。


「あのね、人の腕だったんだ」


 越塚と竜野が息を呑む音が聞こえた。


「なんていうか、木の枝みたいでね。多分あれ、ミイラっていうんじゃないかなあ」


 空元気でへにゃっと笑い、六文銭は続ける。


 図書部の二人は言葉を失っているようだったが、先に復活した越塚は顎に手を置いて考えはじめた。


「腕のミイラか……まるで猿の手みたいだな」


「猿の手?」


「願いを叶えてくれる呪いのアイテムのことだよ。有名だぞ?」


 他の三人は知らなかったようで、全員が首をかしげた。


 不満そうな顔になる越塚を置いて、竜野はこそこそと尋ねる。


「……腕っていうと、やっぱり一年前の?」


「知るか。俺に聞くな」


 警察はその線で動いているだろうが、面倒だったので曽根崎はそれを告げなかった。


 だが、言葉にしなくてもおそらくそうだろうと図書部の二人も思っているはずだ。


「……でもさ、ミイラってあんなに硬いものなんだねえ。もっとかさかさしてると思ってた」


 感触を思いだそうとしているのか、それとも忘れたくても忘れられないから言葉にしているのか。


 六文銭はそんなことを唐突に言い出した。


「硬くてひんやりしてて、でも爪を立てたら削れそうで、しっとりしてて……なんだろうあれ、触ったことがある素材の気がするんだけど……」


「触ったことがある?」


「どこだったかな。お盆のときとか、お墓参りのときとかに……あっ! そう、蝋燭! 蝋燭と同じ感じだよ!」


 一人納得する六文銭に、越塚は何かに気づいたかのように目を見開いていた。


「それってもしかして……いや……」


 越塚はうつむき、ぶつぶつと何か考え込みはじめた。


「願いを叶えようとしたのか……? いや、猿の手と概念が混ざった可能性も……」


 そのままどこかに歩いていこうとする越塚を、竜野は軽くため息をついて追いかけはじめる。


「じゃあね、二人とも。気を付けて帰ってね」


 去っていく先輩二人を見送りながら、六文銭は首をかしげる。


「越塚先輩どうしたんだろうねえ」


「あいつが変なのはいつものことだろう。行くぞ」


「あっ、待ってよおー」


 もうすっかり日が沈んだ道を、街灯を頼りにして二人は歩いていった。

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