第12話 呪いの正体
エスカレーターを登り切ると、そこには展望台めいた広場とその中央に鎮座する巨大なジェットコースターがあった。
「じゃあみんな、ちゃんと見ててくれよなー」
「いってらっしゃい」
「頑張ってね……」
ルゥルゥはそう言い残すと、ひとりジェットコースター乗り場へと消えていった。
「え、え? 何が起きるの? つづるちゃん?」
「……見たくないならしばらく後ろを向いておけ」
「へ?」
曽根崎の忠告にもいまいちピンと来ていない六文銭は周囲に目を向ける。
周りの全員は今から何が起こるのかわかっているようで、ジェットコースターのほうを見上げていた。
釣られて六文銭も顔を上げると、ジェットコースターのレールの上――整備用の階段を登って、ルゥルゥが頂上にたどり着いたところだった。
「あ、危ないよあんなことしたら! ねえつづるちゃん! どうしてとめないの!」
「うるさい馬鹿。早く後ろを向け」
曽根崎に肩を押され、六文銭は体の向きを変えられそうになる。
その時、遥か頭上からルゥルゥの声が響いてきた。
「おーーーい! みんな見てるかー?」
大きく両手を振って、彼は自分の存在を主張する。
そして、皆が自分を見上げているのを確認すると、まるで舞台俳優のように朗々とルゥルゥは虚空に宣言した。
「じゃあみんな! この世よ、さようなら!」
ルゥルゥの体が傾く。倒れるような姿勢で風に煽られた体は宙に浮く。レールを踏みしめていた足は完全に離れ、あっさりと支えを失って体は落下を始める。
「……あ」
六文銭はぽかんと口を開けながらそれを凝視してしまっていた。曽根崎が慌てた声で六文銭を呼ぶ。だけど、彼の視線をその行為から外すことはできなかった。
小学生でも知っている単純な重力に従って、ルゥルゥの体は地面に向かって加速する。
最初、彼は腕を広げて死を受け入れるような姿勢でいた。
しかし――もうどうしようもなく取り返しがつかなくなった頃になって、ルゥルゥは宙で手足を暴れさせて叫び始めた。
「ひっ、うああああああっ!!」
地面に何かがぶつかる音。
ぷつりと途切れる悲鳴。
何が起こったのかは目を向けなくても明白だった。
六文銭はよろめいて一歩後ずさる。曽根崎の細い腕に受け止められた。
振り返ると、曽根崎が渋い顔をこちらに向けていた。
「つづる、ちゃ」
「だから見るなと言ったんだ」
呆然とした心地の六文銭の頭上から、ひらりと一枚の紙が落ちてくる。
遅れて地面にたどり着いたそれは、ルゥルゥが死の直前まで握りしめていた『眠り姫』だった。
呪いの正体を目の当たりにして、だけど六文銭はそんなことがどうでもいいと思うほど動揺していた。
分かっているつもりだった。
自殺をしたらつづるちゃんは死んでしまう。
だけど、いつも厭世的な目をして、何度も何度も自殺未遂を繰り返されているうちに忘れかけていた。
麻痺していた。日常になってしまっていた。だからこんな場所に気軽についてきてしまった。
でも違うんだ。人間は、自殺をしたら取り返しがつかないんだ。
このままだと、いつか、つづるちゃんもああなってしまうんだ。
つづるちゃんの死の瞬間も、あんな恐ろしいものなのかもしれないんだ。
どうしようもなくなってから後悔をして、怯えながら、叫びながら、俺の手の届かない場所で死んでいくんだ。
曽根崎の自殺というぼんやりとしていた未来が一気にはっきりしたものになって、六文銭は顔を伏せることすらできずに震え始めた。
「つづるちゃん……」
六文銭は声を震わせて、泣きそうになりながら言う。
「俺を置いてかないで……」
なんとかして彼を引き留めないとと思うのに、口からこぼれたのは、あまりに自分勝手な言葉だけだった。
しかし曽根崎はその言葉に顔を強張らせ、彼の手を掴んで踵を返そうとした。
「……帰るぞ。呪いの正体がわかったんだからお前ももういいだろう」
「あれ? 皆さんどうかしたんですか?」
立ち去りかけた二人に呼び掛けたのはミトだった。
おそらく、自殺マニアの管理人である男だ。
彼が声をかけたのは、曽根崎たちだけではなかった。
ミト以外の全員が、たった今起きた自殺の生々しさに言葉を失っているようだ。
それを見たミトは、きょとんと目を丸くする。
「どうしてドン引きしてるんですか? わかっていたことじゃないですか。僕たちはここに死にに来たんですよ?」
「だ、だって!」
反論したのはムチャ子だ。
「あんな風に死ぬなんて思わなかった! あんな――怯えて、後悔して死ぬなんて思わなかったのよ!」
ムチャ子はいつのまにかぶるぶると震えていた。
「何? 怖いの? わざわざ自殺スポットまで来たのに?」
「そうよ! 私は死にたくない!」
彼女の悲痛な叫びに、周囲は沈黙する。
それを否定と捉えたのか、肯定と捉えたのか、ムチャ子はよろめきながらあとずさっていった。
「私は抜けさせてもらうから、死にたくないの、あなたたちみたいな異常者と一緒にしないで」
今や、彼女は「自殺という行為」に対してだけではなく、周囲の自殺志願者も恐怖の対象にしているようだった。
ムチャ子は自殺志願者たちから距離を取ろうと彼らがそばに立っているジェットコースターから遠ざかっている。
そして、すぐそばにあった展望スペースへとたどりつき、その周囲を囲った落下防止用の柵へと縋りついた。
「あっ」
小さく声を上げたのが誰だったのかはわからない。
ぎぎっと音を立てて柵は歪み、ムチャ子がかけていた体重のせいでバキッと完全に外れてしまう。
そんなことになれば、ムチャ子を支えるものがなくなるのは当然のこと。
ムチャ子の体は傾き、あっという間に視界から消える。
「きゃああああ!」
悲鳴と、何かが地面にぶつかる音が、はるか下方から響いた。
池之平はすぐさまそれに駆け寄って何が起きたのかを見下ろしたが、六文銭はそんなこともできないまま、ショックでよろめいた。
「ムチャ子、さん」
「呪いだ!」
池之平が興奮で腕を広げてこちらを振り返る。
「写真を手にした奴が事故で死んだ! こんな偶然があるものか! なあ、そう思うだろう、みんな!?」
その顔は歓喜で歪みきっており、ほとんど正気を失っているようにすら見える。
「ああ、興奮してきたな。もっと近くで見てみたい!」
そう言い残すと、池之平はバタバタと下に続くエスカレーターを駆け降りていった。
あとに残された六文銭は、曽根崎に目を向ける。
「つづるちゃん……」
曽根崎は何も言わずに壊れた柵へと歩み寄ると、ムチャ子の死体を見下ろした。
「呪いじゃない」
「え?」
「これは間違いなく、ただの事故死だ」
断言され、六文銭は目を丸くする。
「あの女たちのような、奇妙な『におい』はしない」
曽根崎のその言葉に、六文銭はだんだん体から力が抜けていくのを感じた。
へなへなと膝をついた彼に歩み寄ると、曽根崎は六文銭の頭にぺしっと軽くチョップした。
「帰るぞ。あの男の仕事に付き合うのもそろそろいいだろう」
「……うん。そうだねえ、えにし所長にはなんとか言い訳すればいいし」
無理矢理六文銭は笑い、立ち上がって曽根崎とともに立ち去ろうとした。
しかし、そんな二人を背後から呼び止める声がした。
「待ってください」
ミトの声だ。
自殺マニアの管理人。何のためかはわからないが、自殺志願者たちに『眠り姫』を渡して呪いを再現していた男。
「あなたたちも死なないんですか?」
振り返ると、心底不思議そうにミトはこちらを見つめていた。
もっと早く帰るべきだったか、と曽根崎が苦々しく口の中で呟く。
そして、半分だけ体を振り向かせると、ミトの顔をきつく睨みつけた。
「俺たちは最初から死ぬつもりはない」
「は?」
「お前の目的に付き合っていられないと言ったんだ。……行くぞ、六文銭」
冷たく言い放ち、曽根崎はミトに背を向ける。
その瞬間、ミトはこちらに向かって駆け出していた。
「つづるちゃん!」
はっと振り返り、彼の手にある『それ』を見た六文銭は、咄嗟に曽根崎を引き寄せる。
一瞬前まで曽根崎の体があった場所に、ミトが構えたナイフが空振った。
「ここまで見られて生きて帰すわけにはいかないんですよ」
体勢を立て直してこちらにナイフを向けるミトに、六文銭は曽根崎を庇って立ち向かう。
「やはりお前が自殺マニアの管理人だったか」
「へえ、気づいていたんですね」
もはや今まで被っていた猫を捨て去って、爛々と目を輝かせてミトはこちらを見る。
「一応聞きますが、どうして気づいたんです?」
曽根崎はフンと偉そうに鼻を鳴らすと、自分のシャツの襟をぐいっと引き下げた。
長い襟で隠している己の首元。度重なる自殺未遂のせいでできた縄の跡だ。
「こういうことだ」
「……なるほど大した洞察力だ。ふふ、まるで自殺のプロみたいですね」
期せずして気の抜けたあの言い回しを使われ、だけど六文銭は緊張を緩めずにミトを睨みつけていた。
その体はぶるぶると震えて、曽根崎を守ろうという気持ちだけでなんとか立っているにすぎない。
「はーあ。最初から死ぬつもりはなかったということは……もしかして潜入のつもりでしたか? 困るんですよね、そういうの」
ナイフを構えてミトは一歩こちらに踏み出す。
六文銭は曽根崎を庇いながら一歩後ずさった。
だめだ。このままじゃ。どうにかして時間を稼いで、隙を作らないと。
怖いけど、何か会話とか質問とかして、なんとか隙を!
「ミトさん、どうしてこんなことを……」
怯えながらの問いかけに、ミトはにんまりと笑った。
「僕、ホラー映画が好きでして」
「え、ホラー……?」
「特に精神的に追いつめられたキャラが、狂気に落ちて無様に死ぬ顔が本当に好きで!」
熱に浮かされた口ぶりでミトは言う。
六文銭はさらに曽根崎を自分の後ろに隠した。
「だから、自殺志願者たちが嬉々として死んでいくのって、最高にゾクゾクするんです」
「そ、それだけ?」
「はい。それだけです。ついでに死体をあさればお金も手に入りますし、実益を兼ねた素敵な趣味だと思いません?」
ミトは一歩踏み出す。
六文銭は後ずさりながら、声を張り上げた。
「かっ、数ではこっちのほうが多いよ! こんなことして逃げ切れると思ってるの!?」
猫が毛を逆立てるかのような必死の脅しを、ミトはせせら笑った。
「逃げ切れるに決まってるじゃないですか。どう見てもそっちのソネソネさんは足手まといですよね。丸腰でかばいきれるとでも?」
また一歩、ミトは六文銭に近づく。
「あなたたち二人に負ける理由なんてない」
ミトはナイフを向けたまま徐々に二人との距離を詰めていき、逃げ場を失った二人は柵のほうへとじりじりと追い詰められていく。
やがて曽根崎の足が、柵が壊れた場所にたどり着く。
からんと小石が下へと落ちていった。
このままでは、ムチャ子同様にここから落ちてしまうだろう。
六文銭は震えながらごくりと唾を飲み込み、自分を落ち着けようと必死で深呼吸した。
大丈夫。俺ならできる。俺が守らないとつづるちゃんが死んでしまう。それだけは、絶対に、嫌だ。
深く踏み込まれ、迫ってきたミトのナイフが、あと少しでこちらに届きそうになる。
その瞬間――六文銭は、曽根崎の肩を安全な横側へと突き飛ばした。
同時に、地面に転がったままだった柵のうちの一本を拾い上げる。
かつて高校の剣道部で身につけた動きが、自然と六文銭の体を動かした。
「やあああ!」
どこか情けない声を上げながら、六文銭は柵の支柱を両手で握って振り下ろす。
ガキンッ、と硬いものどうしがぶつかる音。
次いで、弾き飛ばされたナイフが地面に落ちる音が響きわたる。
ナイフが落ちたのは突き飛ばされた曽根崎の足元だった。
曽根崎はとっさに、それを柵のほうへとコンッと蹴りとばした。
「あ……」
ナイフは軽く跳ね、柵の下の隙間から遥か下方に落ちていく。
ミトは口を開けてそれを見ていたが、はっと我に返ると、曽根崎たちを置いて慌てて逃げ出した。
きっと、勝ち目がなくなったからだ。
ミト自身も言っていたように、丸腰の相手が武器を持った人間に勝てるわけがないのだから。
何度も転びそうになりながら逃げていく彼を、細い支柱を刀のように構えながら六文銭は見送る。
そして、その後ろ姿が完全に見えなくなったころになって、支柱を握っていた手は緩み、六文銭は武器を取り落とした。
「こ、怖かったあ……」
震えながらへたりこむ六文銭に、曽根崎もほっと息を吐いて歩み寄る。
「助かったぞ、六文銭」
「うええ……生きててよかったよお……」
目を潤ませながら六文銭は曽根崎を見上げる。そこには、ついさっき見せた気迫はどこにもなかった。
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