第4話 夏の記憶
夏の日差し。
頭上の木々の影が地面に落ちている。
土と水のにおい。
生ぬるい風で葉が揺れ、ざあざあと音を立てる。
「置いてかないでよお、つづるちゃんー」
「先に行くぞ、村正!」
苔の生えた岩を踏みしめ、幼い少年は先へと進む。もう一人の少年もそれを追いかけていく。
立入禁止の里山。
危険だと分かっていながら、少年は友人を誘った。
分かっていたのに。
「あっ」
小さな声に振り返る。友人の体が、足を滑らせて傾いている。
「村正っ!」
手を伸ばす。
触れる。
一瞬だけ手が繋がる。
でも、少年の細い指では、彼の体重を繋ぎ止められなかった。
重さに負け、離れる手。
目を見開いたまま落ちていく友人。
――暗転。
*
今日も今日とて、曽根崎都弦の家に六文銭は侵入していた。
時刻は朝の九時。大学三年生の六文銭はゼミの時間が少ないのをいいことに、毎日のように曽根崎の家に通っている。
とはいっても、昨年までは昼休み等に抜け出しては、日々家の中に引きこもり、生きる気があまりないこの友人宅を訪ねていたのだが。
「つづるちゃん、おはよー?」
スーパーのビニール袋を持った六文銭は、居間をそっと覗き込む。
しかしそこに曽根崎の姿はなかった。
「あれ?」
玄関に靴はあったから家にはいるはずだ。
いつも通り散らかされた居間を横切り、縁側を覗き込む。いない。
台所。いるはずもない。
となると、残るは――
六文銭は、ハッと察して駆け出した。
廊下を横切り、横歩きをしないと進めない狭い脱衣所を抜けた先にある、ステンレス製の風呂。
そこに張られた水の中に、着衣のまま曽根崎は沈んでいた。
「つ、つづるちゃあーーーーん!」
悲鳴を上げながら六文銭は彼を引き上げる。
そして、迷わず気道を確保して人工呼吸をした。
適切な処置が行われること十数秒。曽根崎は水を吐いて蘇生した。
「げほっ、ごほ」
しっかりと水を吐き終わり、曽根崎は正常な呼吸に戻る。
六文銭はそんな彼の手をぎゅっと両手で握りながら、目を吊り上げながらぼろぼろ涙を流した。
「溺死はシャレにならないからやめてよねえ!」
しゃくりあげながらの言葉に何か思うところがあったのか、曽根崎は珍しく申し訳なさそうに目を伏せた。
「……すまん」
六文銭はごしごしと涙をぬぐうと、曽根崎を助け起こした。
「とにかく風邪引いちゃう前に服着替えるよ! 立てる?」
答えずに、ふらつきながら曽根崎は立ち上がる。六文銭はそんな彼の手をしっかり握って脱衣所へと連れ出した。
「今、着替え持ってくるからね! ちゃんと待っててね!」
「ああ」
「目を離した隙に沈まないでよ! 絶対だからね!」
「はいはい」
「ホントに分かってる!?」
ぽこぽこ怒りながら六文銭は寝室のほうへと消えていく。
曽根崎はまだ水が滴る服をぎゅっと絞った。
ドライヤーの温風が曽根崎の髪を巻き上げる。
曽根崎がその温かさに目を細めてされるがままになっていると、六文銭は髪に櫛を通しながら切り出した。
「あのさ、写真の呪いってあったじゃない?」
「……まだそんなこと気にしてるのか」
「そんなことじゃないよ! だってあれ、本物の死体なんでしょ……?」
だんだん小声になりながら、六文銭は確認する。
曽根崎は彼を見ようともせずに、冷めた顔で眉を上げた。
「そうだな。自殺死体だ」
「やっぱり!」
六文銭は櫛を止めて、ぶるぶると震えだした。
「じゃあ呪いは本当かもしれないじゃん! つづるちゃん、体におかしなところとかない? 俺は大丈夫なんだけど、つづるちゃん不健康だし先に影響出るかもって心配で」
「うるさい。そんなもの出ていない」
「だってえ! 心配なんだよお、本当に影響とかない? 痛いところとか……」
そこまで言うと、六文銭は何かに思い至った顔になって、櫛を取り落とした。
「もしかして、つづるちゃんの自殺未遂は呪いなんじゃ……!?」
「落ち着け。俺の自殺未遂は日常だろうが」
冷静に突っ込む曽根崎を、六文銭は泣きそうな顔で睨む。
「なんでそんなに冷静なのお」
「呪いなんてないからだ。人間、死んだらそれまで。あちら側に行った奴は帰ってこない」
「ううー……そんなこと言われてもお……」
めそめそしながらも六文銭はいつもの髪紐を取り出す。
そして、手慣れた手つきでひょいひょいっと曽根崎の髪をまとめていると、不意に六文銭のケータイが明るい着信音を鳴らした。
六文銭は慌てて曽根崎の髪を結び終えて、ケータイを耳に当てる。
「はい、もしもし」
『緊急事態だよ。曽根崎クンを連れてきてくれたまえ』
単刀直入なえにし所長の指示に、目を白黒させながら六文銭は応答する。
そして通話を切ると、おそるおそる曽根崎の顔をうかがった。
「あのね、つづるちゃん……」
「行かん」
「まだ何も言ってないのにい!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます