第4話 夏の記憶

 夏の日差し。

 頭上の木々の影が地面に落ちている。

 土と水のにおい。

 生ぬるい風で葉が揺れ、ざあざあと音を立てる。


「置いてかないでよお、つづるちゃんー」

「先に行くぞ、村正!」


 苔の生えた岩を踏みしめ、幼い少年は先へと進む。もう一人の少年もそれを追いかけていく。

 立入禁止の里山。

 危険だと分かっていながら、少年は友人を誘った。

 分かっていたのに。


「あっ」


 小さな声に振り返る。友人の体が、足を滑らせて傾いている。


「村正っ!」


 手を伸ばす。

 触れる。

 一瞬だけ手が繋がる。

 でも、少年の細い指では、彼の体重を繋ぎ止められなかった。

 重さに負け、離れる手。

 目を見開いたまま落ちていく友人。




 ――暗転。





 今日も今日とて、曽根崎都弦の家に六文銭は侵入していた。


 時刻は朝の九時。大学三年生の六文銭はゼミの時間が少ないのをいいことに、毎日のように曽根崎の家に通っている。


 とはいっても、昨年までは昼休み等に抜け出しては、日々家の中に引きこもり、生きる気があまりないこの友人宅を訪ねていたのだが。


「つづるちゃん、おはよー?」


 スーパーのビニール袋を持った六文銭は、居間をそっと覗き込む。


 しかしそこに曽根崎の姿はなかった。


「あれ?」


 玄関に靴はあったから家にはいるはずだ。


 いつも通り散らかされた居間を横切り、縁側を覗き込む。いない。


 台所。いるはずもない。


 となると、残るは――


 六文銭は、ハッと察して駆け出した。


 廊下を横切り、横歩きをしないと進めない狭い脱衣所を抜けた先にある、ステンレス製の風呂。


 そこに張られた水の中に、着衣のまま曽根崎は沈んでいた。


「つ、つづるちゃあーーーーん!」


 悲鳴を上げながら六文銭は彼を引き上げる。


 そして、迷わず気道を確保して人工呼吸をした。


 適切な処置が行われること十数秒。曽根崎は水を吐いて蘇生した。


「げほっ、ごほ」


 しっかりと水を吐き終わり、曽根崎は正常な呼吸に戻る。


 六文銭はそんな彼の手をぎゅっと両手で握りながら、目を吊り上げながらぼろぼろ涙を流した。


「溺死はシャレにならないからやめてよねえ!」


 しゃくりあげながらの言葉に何か思うところがあったのか、曽根崎は珍しく申し訳なさそうに目を伏せた。


「……すまん」


 六文銭はごしごしと涙をぬぐうと、曽根崎を助け起こした。


「とにかく風邪引いちゃう前に服着替えるよ! 立てる?」


 答えずに、ふらつきながら曽根崎は立ち上がる。六文銭はそんな彼の手をしっかり握って脱衣所へと連れ出した。


「今、着替え持ってくるからね! ちゃんと待っててね!」


「ああ」


「目を離した隙に沈まないでよ! 絶対だからね!」


「はいはい」


「ホントに分かってる!?」


 ぽこぽこ怒りながら六文銭は寝室のほうへと消えていく。


 曽根崎はまだ水が滴る服をぎゅっと絞った。






 ドライヤーの温風が曽根崎の髪を巻き上げる。


 曽根崎がその温かさに目を細めてされるがままになっていると、六文銭は髪に櫛を通しながら切り出した。


「あのさ、写真の呪いってあったじゃない?」


「……まだそんなこと気にしてるのか」


「そんなことじゃないよ! だってあれ、本物の死体なんでしょ……?」


 だんだん小声になりながら、六文銭は確認する。


 曽根崎は彼を見ようともせずに、冷めた顔で眉を上げた。


「そうだな。自殺死体だ」


「やっぱり!」


 六文銭は櫛を止めて、ぶるぶると震えだした。


「じゃあ呪いは本当かもしれないじゃん! つづるちゃん、体におかしなところとかない? 俺は大丈夫なんだけど、つづるちゃん不健康だし先に影響出るかもって心配で」


「うるさい。そんなもの出ていない」


「だってえ! 心配なんだよお、本当に影響とかない? 痛いところとか……」


 そこまで言うと、六文銭は何かに思い至った顔になって、櫛を取り落とした。


「もしかして、つづるちゃんの自殺未遂は呪いなんじゃ……!?」


「落ち着け。俺の自殺未遂は日常だろうが」


 冷静に突っ込む曽根崎を、六文銭は泣きそうな顔で睨む。


「なんでそんなに冷静なのお」


「呪いなんてないからだ。人間、死んだらそれまで。あちら側に行った奴は帰ってこない」


「ううー……そんなこと言われてもお……」


 めそめそしながらも六文銭はいつもの髪紐を取り出す。


 そして、手慣れた手つきでひょいひょいっと曽根崎の髪をまとめていると、不意に六文銭のケータイが明るい着信音を鳴らした。


 六文銭は慌てて曽根崎の髪を結び終えて、ケータイを耳に当てる。


「はい、もしもし」


『緊急事態だよ。曽根崎クンを連れてきてくれたまえ』


 単刀直入なえにし所長の指示に、目を白黒させながら六文銭は応答する。


 そして通話を切ると、おそるおそる曽根崎の顔をうかがった。


「あのね、つづるちゃん……」


「行かん」


「まだ何も言ってないのにい!」

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