第3話 『眠り姫』

 六文銭はさっと血の気が引く思いがした。


 や、厄ネタ中の厄ネタだよお……ある意味も何も警察沙汰じゃん……!


 この事務所に持ち込まれる自殺判定依頼は、大抵「自殺だった」という結論しか出ない。


 そもそも、そうやって自殺と判定することによって、遺族の方の気を静めるのが主な仕事なのだ。


 他殺だったことがこれまでなかったわけではないが、絶対に厄介なことになることだけは確かに察して、六文銭は頭を抱えてソファの陰に隠れた。


「ほら、やっぱり他殺じゃない!」


「んなわけないだろ、現実的に考えてそんな大それたことが起きるかよ」


「現に起きてるのよ! それとも何? そんなに自殺にしたい理由があるっていうの!?」


 あああ……案の定だよお……。


 どうしよう、警察呼んだほうがいいかなあ。


 顔見知りの刑事さんがいないわけじゃないけど、この現状で動いてくれるかなあ……。


「私は力也くんのことを思って言っているのよ! 彼が自殺なんてするわけないって!」


「だぁーからそれがさー」


「……おい」


 小さいがやけに通る声が、二人を制止する。


 振り向くと、曽根崎が写真をぺらりと彼女たちに向けて見せていた。


「野々木さやか、その分ではこの遺体の写真を取ったのはお前だな?」


「え、ええそうよ。私が撮ったの」


「では、なぜこの写真を撮った」


「……は?」


 言っている意味がわからず、その場の全員が曽根崎に注目する。


 曽根崎は不機嫌そうな顔を崩さないまま続けた。


「自殺だ他殺だの言い張りたいのなら、もっと警察に食い下がるものだろう。だが、お前はそれをしなかった。警察がもう動かないことがわかっていたからだ」


 動かないことがわかっていた?


 どういうことかと彼を見ると、曽根崎は写真のすみに印字された日付を指していた。


「写真の日付は一週間前。棺に入っているということは葬式か通夜のときだな?」


 曽根崎はぴらぴらと写真を指先でもてあそぶ。


「通常、こうした遺体は警察による検死の後、犯罪性がないと認められれば速やかに遺族に返却される。おそらく他殺の線も考慮された検死をされただろうが――この遺体は比較的綺麗だな。大がかりなエンバーミングの痕跡も見当たらない。詳しく解剖されることもなく、かなり早い段階で遺体が返却されたのだろう」


 エンバーミング。時間経過による腐敗の進行などによって損壊した死体を、生前と同じ形に復元し保存する、いわば大がかりな死に化粧のことだ。


 それがなされていないということは、遺体の損壊具合は間違いなく軽度だったということで。


「つまり警察は、この遺体には犯罪性はない、それも疑念を挟まずに断定したということになる」


「は、それがどうしたって……」


「遺体が戻ってくるまでの時間が短かったことで、お前はそれを察した」


 遮りかけたさやかの言葉を無視して、曽根崎は続ける。


「だから写真を撮ったのだ。この遺体を他殺とするためには、誰かにその手掛かりを見つけてもらうしかないからな。そこまでして――執念をもって、お前にはこの遺体を他殺と断定したい理由があった」


 曽根崎は写真を揺らす手を止めると、さやかを睨み付けていた目をさらに細めた。 


「この男を殺したのはお前だな。野々木さやか」


 確信をもった声色で曽根崎は宣告する。


 さやかは目に見えて動揺しているようだった。


「な、なんで、私が、そんな」


「さあな。大方、そこの奥島理亜に罪をなすりつけたかったんじゃないか?」


 心底どうでもいいと言った顔で曽根崎はそう言い放ち、手にしていた写真を机の上に放った。


 写真は机上を滑り、さやかの目の前で止まる。


 さやかは見開いた目でそれを追い――何かの堰が切れたかのように口を開いた。


「ふ、くく、あははっ、あははは!」


 最初は小さかった笑い声は徐々に大きくなり、さやかは大きく口を開けて笑い始める。


 まるで突然狂ってしまったかのような彼女の顔を、隣に座る理亜は呆然と見る。


 周囲が沈黙する中、満足するまで哄笑したさやかは、急に据わった目で曽根崎を睨み付けた。


「お粗末な推理ね」


 低い声で凄まれ、六文銭はびくりと肩を跳ねさせる。


 対する曽根崎は静かな目でそれを見返していた。


「違うわよ、違う。私じゃないわ」


 余裕たっぷりにさやかは首を横に振る。


「たしかに私はこの女が殺したことにしたかった。力也くんに色目を使うこの女を許せなかった。力也くんがこの世からいなくなったのなら、せめてこの女にも消えてほしかった。でもね――」


 さやかはぐっと腰を曲げて、曽根崎に顔を近づけた。


「力也くんはね、呪いで死んだのよ」


 まるでホラー映画のようなその様子に、ソファの後ろからそっと事態を見守っていた六文銭はびゃっと再び隠れた。


「呪いなら仕方ないわよね! 誰にも証明できないんだもの! あっははは!」


 さやかは乱暴にカバンを掴むと立ち上がり、清々したような表情で出口へと向かっていった。


 バタンと乱暴にドアが閉められ、あたりに気まずい沈黙が満ちる。


 うう……早めに帰ってくれたのはよかったけど予想外の事態だよお……。


 六文銭がそろそろと立ち上がっていると、理亜は目を逸らしながら頰を掻いた。


「なんつーか……悪かったな。アイツも気が参ってるんだよ、多分」


 態度にそぐわず、根が善良なのだろう。


 今しがた自分を殺人犯にしたてあげようとしたというのに、理亜はそうやって彼女を庇い、写真を回収すると小さく会釈をして去っていった。


 パタンと事務所のドアが閉まり、えにし所長はにまにまと曽根崎を見る。


「どう思うかい?」


「さあな」


 曽根崎は冷めた表情で鼻をフンと鳴らす。


「さっきの推理はただのハッタリだ。否定されれば引き下がるしかないな」


「えっ!?」


 六文銭は素っ頓狂な声をあげて立ち上がると、座ったままの曽根崎の肩を掴んだ。


「じ、じゃあ、さやかさんの言う通り、呪いは実在するかもってこと? つづるちゃん? ねえそうなの?」


 あわあわと六文銭は曽根崎の肩を揺さぶる。曽根崎はそんな六文銭の手をバシンと振り払った。


「知るか。俺に聞くな」


「そんなあー……」


 不安で眉をハの字にしながら、六文銭は渋々曽根崎から離れる。


 そんな彼らに向かって、えにし所長はパンッと手を叩いた。


 完全に隙をつかれた六文銭は「びゃっ」とか言いながら少し飛び上がる。


「さてと、ご苦労だったね若人諸君! 今日も君たちのおかげでうちの事務所は商売繁盛だよ!」


「どうでもいい。俺はもう帰るからな」


「まあ待ちたまえ。いま、今日の報酬を用意するからお茶でも飲んでゆっくりしておくれよ。さあ六文銭クン! お茶をお持ち!」


「僕ですかあ!?」


 もー、所長はこういうとこあるから……とか小さく文句を言いながら六文銭は応接スペースから出て行こうとする。


 しかし、とあるものが床に落ちていることに気づいて彼は立ち止まった。


「あれ、写真?」


 もしかして、理亜さんがさっきの遺体の写真を落としていったのかなあ……やだなあどう処分しよう……。


 そう思いながら写真を拾い上げ、六文銭は硬直した。


 写真に写っていたのは、棺桶に入った男性ではなかった。


 先程とは別の、少し色褪せた古い日付の写真。不幸にも六文銭には、その写真の特徴に見覚えがあった。


 六文銭は派手に震えながら、ソファで不機嫌そうな顔をしている友人へと目をやる。


「つ、つづるちゃあん……」


「なんだ情けない声を上げて」


「これ……見ちゃったよお、呪いの写真……」


 ほとんどベソをかきながら六文銭は言う。


「ど、どうしよう……つづるちゃん……」


 びしょびしょに濡れた大型犬のように情けなく助けを求める友人に、曽根崎は派手に顔をしかめた後、立ち上がってその写真を彼の手から奪おうとした。


「貸せ。代わりに捨てておく」


「だめ! つづるちゃんは見ないで!」


 これまでの怯えがどこにいったのかと思うぐらい機微な動きで、六文銭は曽根崎から写真を遠ざける。


 呆気にとられる曽根崎を前に、六文銭は今度こそべそをかきはじめる。


「つづるちゃんを呪いで死なせたくないよお……」


 ぐすぐす鼻をすすりはじめた六文銭に、曽根崎は髪を掻きながら大きくため息をついた。


「馬鹿馬鹿しい」


「ううー……だってえ……」


「へぇ、どれどれ?」


 いつのまにか近づいてきていたえにし所長が、呪いの写真をひょいと奪い取る。


 そこに写っていたのは、一人の女性だった。


 ぴんと姿勢よく椅子に腰かけており、銀色の指輪をはめた細い指は前で組まれている。目はしっかりと閉じられ、口は無表情だ。


 腰あたりまで写されたその女性を見て、えにし所長は感嘆した。


「へえ、美女じゃないか」


「あーーっ!」


 悲鳴に近い声を上げて、六文銭はえにし所長から写真を取り戻そうとする。


 曽根崎は再び派手にため息をついた。


「落ち着け六文銭。あの男は他殺だったんだ。少なくとも呪いで死んだわけじゃないだろう」


 動きを止め、きょとんと目を丸くすること数秒。


 六文銭は安心しきった様子でふにゃっと笑った。


「それもそっかあ」


「でも写真が呪いで、誰かに被害者を殺させたのかもよ?」


「んぐぃ……」


「六文銭クンはからかい甲斐があるねえ」


「所長普段はそういうの信じてないくせにい……」


「あっはっは!」


 えにし所長から追い討ちをかけられ、六文銭は頭を抱える。


「ほら、曽根崎クンも見てみなよ」


「は?」


「あっ」


 返事を待たずに、えにし所長は曽根崎に写真を見せる。


「な、なにしてるんですか所長ー!」


「曽根崎クンだけ仲間はずれなんてひどいじゃないか」


「呪いのおすそわけするほうがひどいですよ! 大丈夫、つづるちゃん? 痛いところとかない? 死にそうになってない?」


 わたわたと体を触ってくる六文銭の頭に、曽根崎はべしっとチョップする。


「落ち着け馬鹿。呪いなんてない」


「でも……」


「呪いなんて、ない」


 静かに繰り返され、六文銭はしぶしぶ彼から離れた。


「うう……信じるよつづるちゃん……」


 曽根崎は小さくため息をつくと、ちらりとしか見ていなかった写真に改めて目を落とし、きゅっと眉を寄せた。


 同じように六文銭も写真を覗きこむ。


「呪いの写真でさえなければお人形さんみたいにきれいな人だよね……」


 目鼻の位置はおおよそ理想的な場所にあり、閉じられた唇もきつい印象を与えず、むしろ柔らかな雰囲気を醸し出している。


 大和撫子という言葉を擬人化したのなら、こういった見た目になるだろうと思わせるほどの整った顔だ。


「それとも蝋人形とかなのかな。どう思う、つづるちゃん?」


 それにしては血色が良いように見えるなあと思いながら、六文銭は曽根崎を振り返る。曽根崎は、険しい顔のまま固まっていた。


「つづるちゃん?」


 おそるおそる六文銭は彼の名前を呼ぶ。


 曽根崎はぽつりと答えた。


「――だな」


「え?」


「この女、自殺死体だ」

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