第2話 自殺判定士

「いやあ、若人たちやっと来たね! 遅かったじゃないか!」


「ギリギリで呼んだのはえにし所長じゃないですかあ!」


 雑居ビルの三階にある、夢食相談事務所の前。


 やっとのことで曽根崎を連れ出した六文銭は、ぺそぺそしながら抗議した。


 時刻は十時十五分。


 約束の時間から十五分も過ぎてしまっている。


「まあ入りたまえ。依頼人はもう来ているよ」


 年齢不詳の女所長、夢食えにしに導かれ、六文銭たちは事務所へと入っていく。


 建付けの悪い応接室のドアをぎいっと開くと、二人の女性の鋭い視線が六文銭たちに向けられた。


「お二人とも、ご安心あれ! 速やかに解決できる人材が来てくれましたよ!」


 大げさな身振りで高らかに言うえにし所長に、女性たちは胡乱な目を向ける。


 そりゃそうなるよね。どう見ても詐欺師だもんこの言動。


 あははーと苦笑いしながら六文銭がそんなことを考えていると、えにし所長は六文銭の陰に隠れて出てこようとしなかった曽根崎の腕をつかんで、二人の女性の前に引きずり出した。


「この曽根崎クンは人呼んで『自殺判定士』でね。その事件が自殺か他殺かを言い当てることができるのですよ」


 曽根崎は心底嫌そうな顔をしたが、否定はしなかった。


 ――自殺判定能力。


 死体を視認することによって感じる『におい』をもってして、たとえそれが写真越しであっても自殺か他殺か言い当てることができる。


 事実、曽根崎都弦はその超能力を有しているのだ。


 まったく信用していない目を向ける女性たちに、えにし所長は芝居がかったしぐさで顔を近づけた。


「信じようと信じまいと、お二人が欲しいのは『自殺か他殺か』を断定する第三者の言葉でしょう?」


 女性たちはぐっと言葉に詰まり、ちらっと互いに目を見合わせたあと小さくうなずいた。


 えにし所長は満足そうに一つ首を縦に振り、女性たちに腰を折った。


「それでは、もう一度事件のあらましを説明していただいても?」


 えにし所長に引きずられるまま曽根崎はしぶしぶソファに座り、所長もその隣にぼすっと腰かける。


 座るところがなくなってしまった六文銭は、所在なさそうにソファの後ろに立った。


「私は野々木さやかといいます。今日ここに来たのは、私の恋人――稲本力也くんの死の真相についてご相談したかったからなんです」


 さやかと名乗った人物は、黒髪ロングの清楚な印象を受ける女性だった。年齢はたぶん、大学生ぐらいだろう。


 身に着けている服も落ち着いていて、自由な社風であればオフィスに着ていけそうなほどの簡素さだ。


「こっちは奥島理亜ちゃん。力也くんと私の共通の友達です」


「……どーも」


 理亜はぶっきらぼうに挨拶をする。理亜はさやかと同じぐらいの年齢に見えたが、彼女とは正反対の雰囲気だった。


 指には右手だけで三つも指輪がはまっており、首にはファーのついたネックレスがかかっている。


 服装もショートジャケットにダメージジーンズと、この二〇〇四年晩秋の流行を取り入れているようだ。


 しかし、恋人の死の真相とは穏やかではない内容だ。


 六文銭は腰を折り、所長の耳元に顔を寄せた。


「所長……まさかまた警察沙汰じゃないですよね……?」


「警察沙汰と言えば警察沙汰だね」


「なっ、そういうのは断ってくださいって散々言ってるじゃないですかあー……!」


「まあ急かさないで。話は最後まで聞くものだよ。……失礼、お話を続けてくれないかい?」


 やけに偉そうな態度で話を促され、さやかはちょっと頬をひきつらせた後、こほんと咳払いをして曽根崎たちを正面から見た。


「皆さんは『眠り姫』の都市伝説をご存じですか?」


 『眠り姫』。


 その単語に聞き覚えがあったのは、六文銭だけだった。


「そ、それって……2chのオカルト板で話題になってるあの写真ですか?」


 声を震わせながら尋ねると、さやかは真面目な顔でうなずいた。


 恐怖で挙動不審になりつつある六文銭の袖を、曽根崎はくいくいっと引く。


「2ch?」


「匿名で書き込める大きな掲示板サイトのこと。若い人なら結構な割合で知ってるよ?」


「興味ないな」


「つづるちゃんはそう言うと思ったよ……」


 案の定の曽根崎の反応に、六文銭は肩を落とす。


「『眠り姫』は俗に言う、呪いの写真というやつなんです。しかも、手に入れたら死ぬって噂の」


 さやかにそう解説され、六文銭はまさかと身を震わせた。


「も、もしかして、彼氏さん、『眠り姫』を手に入れて死の呪いに……!?」


 六文銭は小動物のようにぷるぷる震えながらしゃがみこみ、曽根崎の後ろに身を隠そうとする。


「ひえええ……呪いとかやだよお、つづるちゃん……」


「怯えるな呻くな鬱陶しい」


「ひどい!」


 にべもなくあしらわれ憤慨するも、曽根崎は涼しい顔だ。というか、六文銭に目を向けてすらいない。


「せめてこっち見て言ってよ、情けなくなっちゃうからあ!」


「ほう、正面から罵倒されたいのか?」


「それは嫌だけどー!」


 ぎゃんぎゃん言い合う二人を微妙な顔で見ながら、さやかは自分のカバンに手を入れた。


「実は『眠り姫』の実物はここにあるんですが」


「いやいいです! 見せないで! 見せないでいいです!」


 はっと我に返った六文銭は、ぶんぶん首を横に振って拒絶する。さやかは「あ、はい」と少し引いた顔でカバンから手を離した。


「力也くんが亡くなったのは二週間前の深夜です。死因は転落死でした。状況からして自宅の近くのマンションの上階から落ちたって言われています。そして、死体は『眠り姫』の写真を持っていた」


 六文銭はちらりとさやかのカバンを見た。その中にあるらしい呪いの写真を思ってまたぶるりと身を震わせる。


「警察は自殺だって言っています。写真の呪いだって言う人もいます。でも、私はそうは思わないんです。そんなはずがないんです」


 さやかの語調はだんだん強くなっていく。


「マンションにはオートロックもなく、誰でも侵入できた。監視カメラもない。つまり、彼を呼び出して突き落とそうと思えば誰でもできるんです」


 さやかは正面にいる曽根崎を見据えて、力強く言った。


「力也くんは、呪いに見せかけて誰かに殺されたんです!」


 曽根崎は冷めた目でそれを見返す。


 六文銭は唸りたくなりながら縮こまった。


 やっぱり厄ネタ案件じゃないですか所長ー……。


 曽根崎の任された自殺か他殺か判定するという役目の性質上、こういう依頼がこれまでなかったわけではない。


 だけどこういうのはダメだ。依頼人が感情的になりすぎている。これでは依頼をこなしても、ごねられるのが関の山だ。


 こういう案件って、自分の望む結果が出るまで占いをやり直したいタイプが多いからなあ。


 長丁場になることを予感し、六文銭はお茶をいれにいこうか考え始める。


 たしか先週緑茶のパックを買ったはずだ。えにし所長が飲みつくしていなければまだ残っているはずだからとりあえずそれを――


「自殺だよ。アイツは自殺した。警察だってそう言ってんだからそれでいいじゃん」


 それまで沈黙していた理亜がそう言い放った。


 さやかによって熱されていた空気が一気に冷え、彼女は理亜を睨み付ける。


「理亜ちゃん……!」


「嘘は言ってないだろ? 警察もそう言ってる。遺族もそう言ってる。騒いでるのはお前だけだぞ?」


「いいえ、彼は他殺です! 自殺する理由なんてないんです! 絶対に誰かに殺されたんですよ!」


「じゃあさー呪いのせいで自殺したってことでいいじゃん。そんな騒いで馬鹿なの?」


 感情的なさやかと、冷めた態度の理亜。


 ソファの背に隠れながら対照的な二人をあわあわと見比べている六文銭に、えにし所長は耳打ちした。


「なんかねえ、二人の意見が食い違ってるから、気持ちの整理をつけるために来たんだってさ。自殺か他殺か断定してもらえれば、それで楽になるからって」


「ホントにそれで納得するんですかこの方々……?」


「どうだろうね。まあ、前金はもらってるし、私たちは依頼されたことをこなすだけさ」


 えにし所長は、ひょいっと肩をすくめる。


「さて。自殺か他殺か、はたまた死の呪いか。曽根崎クンはどう判定するかな?」


「呪いなどないというのがお前の信条だろう」


「ふふん、ケースバイケースさ」


 視線を戻すと、依頼人二人の口論はますますヒートアップしていた。


「自殺なわけないじゃない! 理由なんてないもの!」


「だから自殺なんだよ、いい加減認めろって」


「この自殺判定士さんだってきっと他殺だって言うわよ!」


「こんな胡散臭い男の言うことなんて信用できないだろ」


「理亜ちゃんは、力也くんのことが大切じゃないからそんなことが言えるのよ!」


「知るかよ、私はアイツの彼女でもないだろ!」


「うるさいうるさい! 力也くんはアナタが好きだったのに!」


 大声でそう叫んださやかの顔を、理亜は目を丸くして見る。


 一気にあたりに漂う痴情のもつれの雰囲気に、その場の全員が黙りこんだ。


 その沈黙を破ったのは、冷静で端的な一言だった。


「遺体の写真は」


 ぶっきらぼうに放たれた曽根崎の言葉に、依頼人は彼に注目する。慌てて六文銭は彼のフォローに回った。


「あ、えっと、ご遺体の写真はありますか?」


 さやかはぎろっと六文銭を睨み付けると、自分のカバンに乱暴に手を突っ込み、一枚の写真を取り出した。


「これです」


 差し出された写真を曽根崎は受けとる。


 後ろから六文銭が覗きこむと、そこには棺に寝かされた男の顔が写っていた。


 安らかに目を閉じていて、ひどい死に方をしたとは到底思えない。きっと、死に化粧のおかげなのだろう。


 曽根崎はそれを一瞥して鼻をすんっと動かすと、即答した。


「他殺だな」


「えっ」


「この男は何者かに殺されている」

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