自殺判定士 曽根崎都弦の自殺衝動

黄鱗きいろ

自殺判定士 曽根崎都弦の自殺衝動

第一章 自殺判定士 曽根崎都弦

第1話 曽根崎都弦は死に焦がれている

 最近新調したばかりの分厚い折り畳みケータイを手に、六文銭村正ろくもんせんむらまさはしょぼくれた大型犬のような顔でトボトボと歩いていた。


 いっそ情けなささえ感じる垂れ目に、目の端にある泣きぼくろ。薄く茶色に染めた髪はいつもふわふわで、ちゃんと背筋を伸ばしてさえいれば色男の部類に入る。


 そんな彼が肩を落としている原因は、アルバイト先からの急な電話にあった。


 いや、あのアルバイト先の用事が、急でなかったことなんてないのだけれど、その横暴に立ち向かえたためしがないのもまた事実なのだ。


 付近の大学に通っている一介の大学生にすぎない六文銭は、少しだけ不思議なアルバイトをしている。


 夢食ゆめくい相談事務所。


 何をしている事務所なのか名前からではわからないそこは、グリーフケアというやつを専門に行っていた。


 ざっくりと言ってしまえば、身近な人を亡くした人たちの心のケアをする仕事だ。


 それだけを聞けば、崇高な目的のある事務所だと思う。


 ……所長である夢食ゆめくいえにしが、詐欺師疑惑のある胡散臭い女でさえなければの話だが。



『でさ、自殺か他殺か判定してもらいたいんだよね』

「また急ですね……。お客様との約束はいつですか?」

『今日』

「今日!?」

『というか二時間後』

「二時間後!?」

『じゃあ曽根崎そねざきクンを引きずってくる係は任せたよ』

「え、ちょっ」



 起きて早々に問答無用で雑務を押し付けてきた電話を思いながら、六文銭は大きくため息をつく。


 どうせ彼のところには行くつもりだったから、別にいいのだけれど。


 でも、つづるちゃん、素直に来てくれるかなあ。






「つづるちゃーん、いるー?」


 小さな一軒家の前で、六文銭は声を張り上げる。


 ……返事はない。いつものことだ。


 だけど時刻は朝の八時半。彼の生活リズムからいって、中にいることはほぼ間違いない。


 六文銭は慣れた様子で玄関の横に置いてある空の植木鉢をひっくり返して、合鍵を拾い上げた。


 がらりと引き戸を開けると、家主が好んでいる線香のにおいがほのかに漂ってくる。


「入るよー? つづるちゃーん?」


 毎日のように通っているというのにいまだに及び腰で、そろそろと六文銭は家へと入っていく。


 そのまま彼は古びた床板をぎし、ぎし、と鳴らしながら進み、いつも目的の人物がいる居間へとそっと顔をのぞかせた。


「つづるちゃー……」


 居間の中央。


 机の上に置かれた将棋盤の上で――家主である曽根崎都弦そねざきつづるは首を吊っていた。


「つ、つづるちゃあーーーーん!」


 六文銭は手足をもつれさせながらわたわたと曽根崎に駆け寄り、首にかかった縄から彼を救出した。


 畳の上に寝かせて、口と鼻の前に手をかざす。


 規則正しい呼吸が指に当たった。


「よかったあ。未遂かあ……」


 ぱちりと曽根崎の目が開く。


「なんだ。来ていたのか六文銭」

「来ていたのかじゃないんだよねえ!」


 怒りと諦めがいっしょくたになって、涙がぼろっと目からこぼれる。


 しかし曽根崎はそんな六文銭の顔からふいっと目をそらし、不快そうに鼻をこすりながら体を起こした。


「大袈裟な奴だな」

「大袈裟じゃないよ! もう!」


 今しがたまで死にかけていた男の名前は、曽根崎都弦そねざきつづる


 不健康な顔色にジト目。うねった黒髪を後ろで緩く結び、首まで留めたシャツの上に安物の和服を羽織っている彼は、六文銭の高校時代の友人だ。


 どことなく厭世的な雰囲気を漂わせる彼に、六文銭はぐすぐす鼻をすする。


「なんで自殺未遂なんてするのお」

「趣味だ」

「そんな悪趣味やめてよお!」


 憤慨してみせても曽根崎に堪えた様子はない。それどころか六文銭と目を合わせようともせずに、つんっと壁に視線を向けている。


 六文銭は、うー……とか唸りながら、肩を落とす。


 そして、周囲の惨状に気が付いた。


 つい昨日掃除したばかりの畳の上に服が脱ぎ散らかされている。奥にある布団は起きた状態のままぐしゃぐしゃになっているし、台所には洗い物が放置されているようだ。


 六文銭はめそめそしながらも立ち上がった。


「ちょっと目を離しただけなのに首吊らないでよお……」

「これは俺のライフワークだからな」

「首吊りができるようなものなんて、毎日処分してるはずなのにぃ」

「最近のコンビニは便利なものだな」

「ほとんど引きこもりなのにそんなことのために外出しないで!」

「まったく。俺の自殺未遂なんていつものことだろう。べそをかくな」

「そんなこと言われてもぉ……」


 すんすん鼻を鳴らしながらも、六文銭は畳の上に散らばった服を拾い上げて洗濯籠に入れていく。流れるように行われるお世話を曽根崎は目で追った。


「洗濯ぐらい自分でできる」

「『できる』だけでやらないじゃん!」

「必要に迫られていないだけだ」

「ダメ人間!」


 奥の寝室に行き、せっせと布団を片付ける。


「万年床でいいじゃないか」

「ここかなり湿気あるから、カビが生えちゃうでしょ!」


 ぶつぶつ言いながらもしっかりと掛け布団を畳み終え、また明日にでも干そうと決める。


「台所借りるねえ」


 返事も聞かず、六文銭はいそいそと台所に向かう。


 冷蔵庫を開けると、昨日自分が買い足しておいた食材がほとんど手を付けられないまま残っていた。


「つづるちゃんまた晩ごはん抜いたでしょ!」

「抜いてない。レタスは数枚食べた」

「ウサギみたいな食生活しないで!」


 ぽこぽこ怒りながら、鍋とおたまを取り出す。


 ものの二十分もすれば、味噌汁と白米、作り置きのほうれん草のおひたしという朝食が完成していた。


 居間に戻ると曽根崎は座ったままの姿勢で、うとうとと舟をこいでいた。


「はい、ご飯できたよ」

「……ん」


 唸るように返事をして、曽根崎は目を開く。


「いただきます」


 手を合わせてぺこっと頭を下げ、眠そうな顔で曽根崎は朝食に手をつける。


 もそもそ白米を口に運ぶ曽根崎を観察しながら、六文銭は向かい側に座った。


「つづるちゃん、いい加減にしないと餓死しちゃうよ?」

「胃に物は入れている」

「栄養失調も餓死のうちなの! 俺が来なくなったらどうするのさ!」

「どうせお前は来るだろう」

「来るけどさあ! お世話しちゃうけどさあ!」

「そんなだから通い妻なんて呼ばれるんだぞ」

「つづるちゃんは放っておくとそもそもごはん食べないじゃん! 生命維持活動して!」

「呼吸をしてるだけでも偉いと思わないか」

「もー! いつもいつもつづるちゃんは本当にー! そもそもさあ!」


 いい機会だと、六文銭はぎゃんぎゃんと小言を口にする。


 しかし曽根崎は我関せずという顔で、味噌汁をずずっと啜っていた。


「ねえ、つづるちゃん聞いてる!?」

「六文銭」

「何!」

「味噌汁が美味しい」

「うー……ありがとね……」


 六文銭はがっくりと肩を落とした。


 彼の少ない胃の容量に合わせた朝食をなんとか平らげ、曽根崎は手を合わせてぺこっと頭を下げる。


「ごちそうさまでした」

「うん。お粗末さま」


 食器をぱぱっと片付け、鍋もきれいに洗って元の位置に置く。


 居間に戻ると、曽根崎はまたうとうととしていた。


「ほら、じっとして。髪の毛結び直すよー」

「ん……」


 寝ぼけた返事を聞きながら、乱暴に結われた曽根崎の髪を結び直していく。


 以前かわいいマスコットつきの髪ゴムを使ったら文句を言われたので、どうせだからと買った鮮やかな組紐だ。


 ウェーブのある黒髪を器用にまとめ直し、組紐でゆるやかに結ぶ。


 されるがままの曽根崎は髪型が整ってもまだ、こくこくと船をこいでいた。


 そんな後ろ姿を見ながら、六文銭は肩を落とす。


「つづるちゃん、本当になんで自殺なんてしようとするの……」


 ぽつりと六文銭は尋ねる。


「俺を置いていかないでよ……」


 小さくつぶやいたその言葉が届いたのか届いていないのか、曽根崎は薄く目を開いて立ち上がった。


「……寝る」

「ま、待って待って待って!」


 寝室に引っ込んでいこうとする曽根崎にすがりつき、六文銭は彼を引き留める。


「仕事だよ! えにし所長が連れてこいって!」


 曽根崎はうげっと顔をしかめた。


「行きたくない」

「行くの! 一応雇われてるんだから!」

「俺は同意してない」

「契約書はなくてもお金はもらってるでしょ!」

「別に金に困ってない」

「ギリギリ生命維持できるお金しかないじゃん!」

「近所の子供にそろばんを教えるので忙しい」

「あれは月曜でしょ! 今日は水曜日!」


 六文銭は曽根崎の細い腕をつかみ、ぐいぐいと引っ張った。


「ほら、とにかく行くよ! 自殺判定士の曽根崎都弦先生!」


 曽根崎の顔が、ぎゅっと嫌そうに歪む。


 その呼び名はやめろ、と目が雄弁に語っていた。

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