ペーパー

和史

ペーパー

 下調べは万全だった。古い日本家屋に爺さんが独り暮らし。それに頭の悪そうなでっかい犬が一匹と中型犬並みにでっかい猫が一匹で、あとはだだっ広い庭に鯉がいるだけ。

 出入りする人間はといえば、週に二回と月に一回、決まった時刻に黒い車が来て、パリッとしたスーツに身をつつんだ爺さんを迎えに来る運転手ぐらいなもんだ。家事全般は爺さんが一人でこなしていて、家政婦やデイケアすらいねぇ。「お助け屋」を始めて五年、久しぶりにいいカモを見つけたって訳さ。


 爺さんを載せたリムジンが角を曲がるまでこっそり見送ると、オレはさっそく仕事に取り掛かった。

 前回庭の手入れの時に細工をしておいたセキュリティを解除と同時に、ボタン一つで録画映像と切り替え、俺は悠々と家の中へ入る。自分の才能が怖いね。庭の草むしりから最新ITまで、何でもこなせてしまう。

 頭の悪い犬の餌付けは完璧だったし、猫はほっといても大丈夫。そう、オレにとっては簡単な仕事だったはず、なのに、いったい、何処で、どうして、このせまい空間に閉じ込められる破目に……。






 思い起こせば幼少期までさかのぼる。

 

 が、とりあえずオレの腹の調子が今朝から悪かったというのが最大の原因だろう。二十四時間内に雨降るな、間違いない。腹センサーはアメダス並みだ。自分ではコントロールできないこの腹のギュルルン具合。いつもなら仕事前の程よい緊張でこういうのは逆に治まるんだが、今回は違った。


 腹の調子もさることながら、本業の前に副業が緊急で入ったというのもいつもとは違う。その電話は無視しても良かったんだ。だが、根っから真面目なオレはついつい出ちまった。相手は今夜のターゲットである日本家屋の家主だった。何でも薬の入った袋をタンスの裏に落しちまったとかで、至急取って欲しいということだった。簡単な話だったし、お人よしのオレはお安い御用です、とすぐに向かった。まぁ、ついでっちゃ、ついでだったしな。


 道具一式の入った鞄をさげて、インターフォンを押すと、「開いてるので入ってきてください」と、爺さんの声。大きな門の横にある小さな扉から入ると、目の前にあのでっかい犬が回覧板のバインダーをくわえてブンブン尻尾を振っていた。爺さんが遠くから名前を呼ぶと、くるりと体を回転させ一目散に掛けていってしまった。遅れてオレも玄関へ入る。


「急なことで申し訳なかったですねえ」

「いえいえ、急なお困りごとに駆けつけるのが私どもの売りですから」

 玄関にはいつも通りきれいにアイロンがけしたワイシャツを着た、見るからに上品な爺さんが立っていた。聞けば薬袋には今晩分の薬が一錠入っているだけだという。


 金持ちってのはわからんもんだね。オレを呼ぶより、今からでも薬だけもらいに行った方がどんだけ安くつくか。

 しかも爺さん、これから三十分もしないうちに月に一度の役員会議に出るんだよ。役員会議って名の飲み会だけどな。そん時に迎えの運転手なり、ゴマすり専務なりに同じ薬をもらってきてくれ、って言えばいいだけの話だろうに。


 ちなみに帰りは決まって二十一時。つまり今晩は三十分後の六時半から二十一時まで、この家には犬と猫しかいないって訳だ。


「すみませんね。その一錠が最後の一錠で。いつもならなくなる一日前にもらいに行くはずだったんですが、今晩出かけるのが分かっていたので、ついでにお薬をもらえばいいやと思ったのがダメだったですね。」

 だったら、というオレの合いの手もスルーして爺さんは回覧板を犬から受け取る。

「何ていうか、性分でして。決めた時間きっかりに薬を飲まないとどうも気持ち悪いのもありまして」


 そう、爺さんはけっこう時間にうるさい。毎回決まった時間に決まったことをする。だからこっちとしてはより扱いやすいカモなんだよな。


「あぁ、賢かったね~マロン。すごいでしょ、うちの子。新聞受けから郵便物を持ってこれるようになったんです。グッボーイ!グッボーイ!」

 そう褒められると、犬はおやつの骨型ビスケットと交換によだれだらけの回覧板を主に渡した。そういや先月はテレビのコントローラーとティッシュを取ってきてたな。

「これでマロンが覚えた単語は三つになりました。この子は本当に頭がいいです。あ、そうそう、トイレのドアの具合が最近悪いので、明日にでもまた来てもらえないですかね?」

 爺さんは回覧板にさっと目を通した後、オレを奥の寝室へ案内しながら次の仕事を依頼してきた。オレはお安い御用です、と言いつつ、時間の約束をしたが、もうここに来る事はない。なにせ数時間後にはこの町から遠く離れる予定だからな。


 薬の袋はといえば、ものの五分もかからずタンスの裏からよだれまみれで取り出せた。





それからは言った通りさ。表の仕事を終えたオレは帰るフリをして車を近くの駐車場に止めると、爺さんが車で出て行くのをこっそりと遠くから見送り、再び家に入りなおした。 

 

 再度無邪気に駆け寄ってくるでかい犬とボール遊びをして、それを見てのっそりと起き上がってきたと思ったら、急に飛び掛かってくるバカでかい猫と追いかけっこ、と一通りこなしてから、ゆっくり金庫の中身をいただいて帰る予定だった。


ところが、突然このタイミングで腹の痛みがオレを襲った。


 ちなみに犬も猫もこの家じゃ家ん中で飼われてる。こんなにでかいのに十分走り回れるぐらい広い家だから、まぁ、外だろうが内だろうが関係ないんだろうな。犬に関しては誰かれかまわず――初対面の人間にすら腹を出してしまうほどの人懐っこさだ。全く番犬にならないってのもあるんだろう。


 まだ遊ぶという犬を振り切り、足にタックルをかけてくる猫をかわし、オレは勢いよくトイレのドアを開閉し、ギリギリで事なきを得た。


 ふぅと一息ついて、壁際に手をのばすと、カランと乾いた音を立てて、トイレットペーパーは十センチほどで切れてしまった。おいおい、ちゃんと交換しといてくれよ、と替えのトイレットペーパーを探すが見当たらない。棚の上には何もなく、床にボックス的な物もない。


 おいおいおいおいおいっ。

 

 勘弁してくれ。たった十センチで尻をふけってか? まず無理だ。なおかつ今のオレの腹具合は普通じゃねぇ。便秘でもなければウサギでもねぇ。とりあえずウォシュレットだ、と便座の周りを手探るが、ウォシュレットすらねぇ。世紀の大発明、ウォシュレットが付いてないトイレがこの日本に、この金持ちの家にねぇなんてっっ。


 落ち着けオレ。


 十センチのトイレットペーパーとその芯は有る。これをひとまずケツに挟んでからパンツを……

 いや……いやいやいやいやいやいやいやいや。


 それも無理だろっ、と心の中で叫んだつもりが、声にでてしまっていたようで、ドアの外で犬がワンっと嬉しそうに吠えた。


 犬っ! そうだ! 犬だっ! オレは爺さんの自慢を思い出した。

「犬っ! ティッシュペーパーだ!! ティッシュペーパー、わかるだろ?」

 ドア下の隙間に向かって、オレは必死に話しかけた。犬は尻上りにクゥンと鳴くと、ボールをドアに押し付けて、早く遊べと座り込んでしまった。


「ちげぇよ、後で遊んでやるから、ティッシュペーパー取ってきてくれっ」

 だが犬は取りに行く気配はない。なぜだ。確か覚えた三つの言葉の中にティッシュペーパーはあったはず。

 

 その後、なだめてもすかしても犬はドアから動こうとしない。諦めかけた時、ふっ、と思いついた。犬ってのは音に敏感だ。ちょっとした違いがコマンドとして頭に入らないのなら……。爺さんのやわらかいイントネーションで一字一句丁寧に発音すれば。


「マロン」

オレはやさしく呼びかけた。

「テッシュペーパー、とってきておくれ」

 ど、どうだろう、と耳を澄ましていると、犬はワンっと元気よく吠え何処かへ行ってしまった。ものの数秒で戻ってくると、パコンっとドアの前にティッシュボックスを落した音が響いた。やった、これでケツを拭いて仕事に取りかかれる、と思った矢先。


 ドアが開かねぇ……。


 え? ドア? 何で? 何で開かない??


 ドアノブを引いても押してもビクともしない。いや、鍵はかけてないはず。だったらなおさらの事。そういや爺さん何か言って……ドアの調子が悪いとか何とか。はぁ、なんてタイミングだ。

 ロック部分のつまみを回すが、手ごたえがない。さっき思いっきり開閉した時にいかれちまったか。そういえばドアの右下の隙間がやけに広い。立て付けもおかしくなってる上に鍵まで壊れてるなんて、なんてついてないんだ。ドアの問題はこの際後回しだ。とにかく今はケツだ。これを何とかしないことにはドアが開けられても出られない。


「マロ~ン、とにかくペーパーだっ! 一枚でもいいからこの隙間から差し込んでくれ!」

オレは必死に犬に呼びかけたが、ティッシュボックスから一枚づつ引き抜いて、それを隙間から差し込んでくれと言う方が無理ってものか。遊んでもらえないと分かったのか、犬は足音軽くどこかへ行ってしまった。


 犬ぅぅぅぅぅぅ!


「マロンっ! 戻って来い! マーローンっボール遊びしーましょー」

 オレは再度必死に呼びかけたが、森閑とした廊下に空しく響くのみだった。

 

 空しさと悲しみでドアの隙間を見つめてると、ニョキッと突然先のとんがった草が数本差し入れられた。


 草?? え? 草? 何で草? っつかこれ猫草???? 


 最後の頼みの綱がどこかへ去ってから、今度はガザガザとティッシュペーパーを勢いよく引き出す音がしだした。猫だっ。

「猫っ。猫ちゃん! 草いらない! 草いらないからそのティッシュペーパーをこの隙間に差し入れてくれ!! たのむ! 頼むニャー! ニャニャ、ニャーニャッニャ」

 

 オレの必死の猫語も空しく、猫は心ゆくまでティッシュペーパーを撒き散らしたのか、音も無く去って行ってしまった。それと入れ替わりに、ハッハッという荒い息と共に犬が戻ってきた。

「犬っ!」


 クシャクシャと音がして、何かを床に滑らしている。バリアフリーの床とトイレの隙間からほんの少しだがコピー紙らしきものが挟まれる。


 紙には間違いないが……。


 数ミリこちら側に入ったところを取り押さえ、いっきにひっぱると、それは若干破れつつも手に入れる事ができた。よく見ると回覧板のお知らせの紙だ。市内のワクチン接種追加日が決まったというお知らせと2枚目は空き巣に気をつけましょうという内容だった。


 紙とにらめっこをしていると、急に外が騒がしくなった。

 車のエンジン音だ。

 早すぎる! 腕時計はまだ十九時四十分だ。忘れ物か? いや、それにしちゃ遅すぎる。オレは頭をフル回転させながらどこにミスがあったのかを考えた。


『……今晩出かけるのが分かっていたので、ついでにお薬をもらえばいいやと……』


 出かけるのが分かっていた、これは役員会議という名の飲み会。外に出るついでに薬を。いや、この『ついで』がもっと密接したついでだったら……。

 役員会議の前か後に医者にわざわざ寄らねばならないと考えたら、『ついで』とは言わない。

 

 ハッ。

 

 オレは握り締めている破れた回覧板をもう一度見た。

 今日は 医者に行くんだ!! 

 ちくしょうワクチンかっ。、だ。

 しまった。

 そんな話一言もしなかったじゃねぇか。


 オレは握りしめたお知らせに八つ当たりするごとく、さらにもみくちゃにした。





「で、盗られた物は今のとこ無しですか?」

 泥棒が入ったかもしれない、との通報を受け、すぐにパトカーが駆けつけた。困った顔の家主に困った顔の警察官が問いかける。


「すみませんね、ワクチンを打ちに行って帰ってきたら、このありさまで、てっきり泥棒に入られたと。なくなってるものといえば、回覧板の中身ぐらいで……でも多分、この千切り具合とテッシュペーパーからするに、うちの子がいたずらしたんだと思うんです」

 そう視線を向けた先には、ドアノブがごっそりはずれ、少しへこんだ跡のあるトイレのドアが全開になっており、その前の廊下は散乱したティッシュペーパーで埋まっていた。




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