第三十二話:久しぶり、奈野さん

「……勿論、二人とも、今日までこうして、命懸けで叶え続けてきたくらい、その願いが大切、だっていうのはわかるの」

 わたしはあくまで本心から、ふたりの願いを尊重している。それこそ、この一か月に満たないくらいの期間ではあれど、

一昨日のように、死にかけたことも、何度かあるだろう。けれど、それだって本来、おかしいことだ。命を懸けて、願いを叶え続ける。それはともすれば、美談のように、まるでなにか高尚なもののように聞こえるかもしれないし、あかりさんとひまりさん自身も、そんな境遇にあって、願いを叶え続けるという行為に、でも叶えたいことだから。と、半ばあきらめているのかもしれない。

 しかし、わたしはあえて、苦言を呈する。

「でも考えてみて。あかりさんの願いは、あくまでひまりさんが、魔法少女になって、危険な目に遭っているから、そんなひまりさんを助けたい、って願いでしょ? だったら、ひまりさん」

 わたしはそう言って視線をやる。勿論、人見知りなひまりさんはわたしからすぐに目を反らすが、それでも、見つめ続ける。

「あなたは、そんなお姉ちゃんを、危険に晒したいと、思うのかしら」

 惨い質問だ。何とも汚い、人の情に漬け込んだような、汚いやり口だ。わたしは自分が嫌になる。

 だが。

 それでもよかった。

 わたしが悪者になって、それで二人がこの先、魔法少女なんてものから足を洗い、手を切って、平和に一般人として暮らしてくれるのなら、わたしがこうやって今、嫌な言い方の一つや二つして、二人から嫌われてしまうことくらい。

 良くはないが、我慢できる。

「……思わ、ないです」

 と、ひまりさんはわたしの想定した通り、首を横に振って応えた。

「うん、そうよね。じゃあ、あかりさん」

 何とも言い難い顔で、そんなひまりさんを見つめているあかりさんに、わたしは視線を傾ける。

「あかりさんは、どう思うの? あなたは、ミネットに願ってしまうくらい、ひまりさんのことが心配、なのよね」

 とはいえ、あかりさんのひまりさんに対する気持ちは、恋愛感情は、ひまりさんの願いによるものだ。が、だからといって、それがなければあかりさんが、命懸けで夜な夜な戦っているひまりさんを、心配しない訳でもないだろう。

 そして、わたしは駄目押しを続ける。

「それに、あなたはいいの? 大好きな妹のひまりさんを、毎晩、あんな風に酷いことして……それでも、魔法少女続けていたいって、思える?」

 責めるつもりはない。あの行動は、元よりあかりさんの対価であって、何も望んでしているわけではない。だが、わたしはあくまで、二人に魔法少女を辞める。その判断を取らせるため、責めるような口調で話し続ける。

 そしてあかりさんは、それまで悩んだように眉を顰めていたが、わたしのダメ押しが、相当効いたらしい。

 とても辛そうに唇を噛んで、目を伏せ。

 それから彼女は、思い切ったように、わたしへ詰め寄った。

「じゃ、じゃあ、どうすればいいんですか……!」

 その目には涙が潤んでいる。わたしはそんな姿に、心を押しつぶされそうな程、罪悪感に駆られた。だが、それと同じくらい、驚いてもいた。

 まさか、あの彼女が、こんな風に、声を張って、わたしへ詰め寄るなんて。

「わ、たしたちだって……どうしたらいいか、分からないんです……。だって、魔法少女、辞めたら、願いも叶えてもらえなくなるし……そ、そうなったら、また……わたし、片思いに、戻っちゃうし……」

 そういって顔を寄せたひまりさんは、とうとう自分の口から、その言葉を口にした。

 あかりさんへの、魔法少女になる以前から抱えていた、好意について。

「え、えっ……ひ、ま? なに、どういうこ、と……」

 その言葉に、それまでのわたし以上に驚いた様子を浮かべたのは、隣に座っていたあかりさんだった。

「片思いって……なに? よく、分からないんだけど」

 戸惑っている様子を悟られまいと、口元に引きつった笑みを湛え、あかりさんはひまりさんの方へ向く。

「ほら、綾瀬さんの前だから、あれだけど……わたしたち、両想い、じゃない? どうしたのよ、いきなり」

 心配しなくても、わたしはずっと、ひまのこと、好きだよ。と、そういってあかりさんは、そのままひまりさんの乗り出した肩へ手を伸ばす。

 しかし、その手をひまりさんは、小さく払った。

「……違うの」

 痛みすら連想させるほど、苦悶に満ちた顔で、ひまりさんはそれから、ようやく自分の言葉で、わたしたちに願いを語った。

 私利私欲で、実の姉に好意を抱かせた、そのことを、告白した。

「……学校で、いつも勉強も出来て、クラスでも人気者で……運動もできるし、スタイルもいいし……それに、いつもわたしのこと、お姉ちゃんは、気にかけてくれてた。だから、わたし、そんなお姉ちゃんに、憧れてて……そんなお姉ちゃんみたいに、なれたらなって、思ってて……いつからか、わたし……お姉ちゃんのことが、凄い、好きになってて……」

「な、何言ってるのよひま? え、いや、わたしだって、そりゃあひまのこと、かわいい妹として、大好きよ?」

 元より、魔法は不完全なところなど、一つもない。それくらい、完璧なものだ。きっと、魔力が十全であるなら、あかりさんは完璧にひまりさんのことを好きになっていて、そこには一つの疑念が入る余地すらなかったのだろう。

 だが、それは魔力が、十全にあるならという前提。

 チームで活動して、魔物を狩る。それはつまり、安全ではあるかもしれないが、ドロップの入手できる量も二倍になる、という訳ではない。むしろ、二人で別個に狩りをするのと違い、どうしても、効率は悪くなる。

 あまつさえ、ひまりさんの魔力。それはあかりさん自身が言っていたように、魔力の消耗がかなり激しい魔法だ。奈野さんが初め言っていたような、願いに八割ほどの魔力を持って行かれる。戦闘に使う魔力は残り二割で賄える。というのはあくまで、普通の魔法であるなら。

 経験の浅い魔法少女が二人、共闘ではなく、助け合いながら魔物を狩り、手に入れたドロップを分け合う。そんなことをしていて、願いを完全に叶え続けるだけの魔力が手に入れられ続ける訳も無く、その結果が、これなのだろう。

 妹からの好意を、直接言葉として聞いて、自分もその妹のことが、好きだ。そう言っているあかりさんの表情が、明らかに曇っているのは、その為なのだろう。

 不完全な魔法。そんなもので、好意を抱かされているためだろう。

 だがひまりさんは、言葉を続ける。

「お姉ちゃんに、ずっと、わたし、魔法少女になるときの願い……言ってなかったよね」

「……ひま」

「わたし……お姉ちゃんに……妹として、じゃなくて、女として……好きになってほしい。そう願って……わたしは、魔法少女になったんだよ、お姉ちゃん」

 それから。

 魔法少女を辞めるためには、何のことはない。ただ、魔力が尽きるのを待てば、良い。それを二人に伝え、わたしは二人の口から最後、魔法少女を辞める。という発言を聞いて、胸を撫で下した。

 元より、望まない対価。であるのは当然として、特にひまりさんの対価。それを抱えながら、魔法少女を続けるという判断が出来ない。そういった理由で、ふたりは魔法少女から、足を洗うらしい。

 とはいえ勿論、ひまりさんの方には少なくとも、後悔が残るのは確実だろう。いくら魔法の力を借りた、嘘偽りの両想い、あかりさんの好意とはいえ、それが失われていくのを耐えるというのは、きっと耐え難い苦痛が伴うに違いない。しかし、それをいうならあかりさんの方こそ、今の状況は耐え難いものだろう。

 ひまりさんが魔法少女を続けるのであれば、あかりさんの方こそ、ひまりさんを守りたいという願いを捨てるわけにはいかない。しかし、そうやってひまりさんを守り続けるということは、再び夜ごと、ひまりさんを傷つけてしまうということで。

 結局、ひまりさんの判断一つで、二人が魔法少女を続けるか、やめるか。それは決まってしまうのだ。そして、ひまりさんは、決して快諾、ではなかったものの、魔法少女を辞めると宣言した。

 そして、一か月後。

 いよいよ立ち上がる事すらしんどくなったわたしは、通知音を耳にして、倦怠感に苛まれる腕を持ち上げ、スマホを手に取った。

『今日、魔力が抜けきったみたいです。綾瀬さんは、あれから怪我とか、してないですか?』

 そんなラインの文面に、わたしは肺の中が空っぽになるほどの溜息を吐く。

「へえ、あの二人、本当に辞めたんだね。君としては、良かった、のかな?」

 その画面を隣で覗き込んできたミネットは、そういってわたしに話しかける。

 この一か月間、わたしの元にいるよりも、ミネットの目的としては、失われた奈野さん、ひまりさん、あかりさんの分を補うために、新しい魔法少女探しにでも出かければいいものを、どうしてかわたしの家に住み着いて、すっかり今や我が物顔で過ごしているミネットは、そういってわたしの顔を覗き込む。

 しかしわたしは、そんな言葉に返事を返せるだけの気力もない。無論、魔法の効力により、体力は有り余っているほどだが、しかしこの一か月間。

 わたしの身体からも魔力が抜けきるまでの一か月間、こうしてひたすらベッドに寝転がり、死を待っている間に、どうやら口の利き方も忘れてしまったらしい。とはいえ、流石に食べ物や飲み物、お手洗いにお風呂など、魔力が枯渇する、以外の条件で死ぬことは対価の関係上、許されなかったため、それらは行っていたが、ミネットと口を利かなくなって、もう二週間。

 彼女らの魔力が抜けきったということは、わたしもそろそろなのだろう。

 そんなことを思った。

「それにしても、ぼく個人は、もったいないと思うんだけどね」

 ミネットは言う。

 魔法が解けて来て、徐々に徐々に、あの時の感覚を取り戻しつつある、激痛を覚える身体に向かって。

「折角、原初の魔法を叶えたのに……それこそ、彼女たちが魔法少女でなくなったのなら、君が生き返るために犠牲になる魔法少女だって、少なくとも知り合いではない訳だろ? だったら、どこかで見ず知らずの魔法少女が死ぬことくらい、どうでもいいと、ぼくは思うけれど」

 あの日、ビルの屋上から叩きつけられた身体。その痛みが、今更になって、一ヶ月と一週間足らずの期間を経て、戻ってきている感覚。

「でもまあ、ぼくたちは悪魔だ。約束は、ちゃんと守るよ。……君があの日、帰ってきて、ぼくにお願いして、約束させたもんね。魔法尾少女、やめたいですって」

 激痛。

 全身の骨が折れ、肉が割れ、皮膚が裂ける感覚。臓器も落下の衝撃で、潰れてしまっていたのだろう。吐き気も襲ってきて、徐々に肉体が死んでいくのを感じる。

 だが、これでいい。

 わたしが幸せになれなくても。

 あかりさんとひまりさんが、幸せに過ごせていけるなら、それでいい。

 ごめんね。

 わたし、嘘つきだ。

『うん、わたしはまだ、魔法少女、やめられないみたいよ。まあ、また、何かあったら報告するから、その時はよろしくね』

 震える指先でそう打ち込んだスマホ。その送信ボタンを押した所で、いよいよ張り詰めて、辛うじて動かしていた身体はとうとう動かなくなる。どうやら、神経すら断裂していたらしい。最早、右手と右脚、左脚の感覚はない。左手も、じんじんと手先が痺れてきている。

 そんな中、わたしは心を読めるミネットに向けて、最後に心の中で言葉を紡ぐ。

 ちゃんと、わたしのことは、あの二人から、忘れさせてくれるのよね。

「ああ、勿論だよ。それは契約とか、約束とかじゃない。魔法少女の最後として、当然のことだからね」

 安心していい。

 そう言われて、わたしは目を閉じた。

 さよなら、あかりさん、ひまりさん。

 ごめんね、渚さん。

 そして。

「……あ、はっ……ひ、さしぶりだね、奈野さん」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔法少女やめたいです なすみ @nasumi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ