第5話


 気がつけば冬が過ぎ、春になって、次の夏がやってきていた。仕事もプライベートもぐちゃぐちゃな状態のまま、二人は今年も島で開催された野外フェスに参加していた。


 今年もファインバインはフェスに参加しており、しかも去年よりも大きなメインと呼べるステージに立つ事になっていた。彼らはこの一年で着実にステップアップしていた。対して二人はどうだろうか。必死になって準備を進めてはいたが、同じところをぐるぐる回っているようにも思えた。


 昼過ぎからぽつぽつと降り出した雨は、ちょうど彼らの出番の前になっていよいよ本降りとなってきていた。ステージ上をスタッフが慌ただしく駆け回る。この勢いだとステージが中止になるかもしれない。観客も固唾を飲んで見守っている。

 機材にビニールがかけられ、対策は施されているが、強まる雨にステージ上までもしとどに濡れていた。


 それでもバンドメンバーはステージに現れた。

 吹き付ける雨に演奏前からぐっしょりとその身を濡らしながらも、力強く最初のフレーズをかき鳴らす。

 彼らが最初の曲に選んだのは「螺旋」という曲だった。

 まだ彼らが駆け出しの時、売り上げが思わしくなくレコード会社から次の曲が売れなければクビになると脅され当時人気を博していた作曲家の歌を歌えと命令されていた。それをきっぱりと断って、クビを覚悟で作った歌がこの歌だった。


『僕らは螺旋。


 螺旋をその身に抱えて、ぐるぐると回りながら、それでも進んでいく。


 同じ場所にいるように見えたって、明日には違う景色を見ているんだ』


 七海と彩夏は二人寄り添うようにステージの正面に並んで立っていた。

 がむしゃらに伝わってくるその歌を雨に打たれるのも構わずにレインコートのフードを外し、まばたきも惜しいくらいに全身で噛みしめる様に受け取っていた。そっと七海は彩夏の手を握る。戸惑ったように一度離れた後、彩夏はぎゅっと強く七海の手を握り返した。


 彼らが一曲目を歌い終える頃には嘘のように雨は上がり、空には夏の太陽が再び顔を覗かせていた。


 結局ここまでに2年かかってしまった。


 最終的に二人が見つけた物件は、昔はその場所で小さな住居兼食堂を営んでいたという女性が家主だった。本人は息子夫婦が住んでいるという別の島に今は居住しているが、思った以上に中の状態は奇麗に維持されていた。本人はもともと誰かに貸し出す気はなかったらしいのだが、不動産業者から話を聞いてダメもとで交渉に尋ねた二人を彼女はとても気に入ってくれて、それからは話は驚くほどスムーズに進んだ。


 元々食堂だったことから厨房周りの大きな改修をしなくてもよく、その点は非常に幸運だった。しかし内装工事が予想以上に時間がかかり、それだけで3か月を要していた。保健所の審査を無事に通っときは心からほっとしたものだ。

 それからも食材の納入業者がなかなか決まらなかったのだが、彩夏が何度も島を訪れる際に行きつけとなっていた地元の居酒屋で顔見知りの農家をやっているというの初老の男性に困って相談したところ、彼自身がが卸も含めて手広く事業をやっていることが分かってどうにか手配がついたのだった。


 元々地元で親しまれていた食堂だったという事もあり、意外なほどに地元の人たちの関心も高く、準備中の二人に通りがかりの近所の人がよく話しかけて来ることで作業の中断をされたりもしたが、二人はむしろ手ごたえを感じていた。


 オープン初日は彩夏と七海が出会ってちょうど2年目となる夏の日に決めていた。


 急ピッチで準備を進め、二人ともが相次いで島に引っ越した。

 カフェの準備を最優先で進めたため、住居となる部分はほとんどほったらかしで、カーテンもつけない有様だったのを見かねた家主の女性が、率先して住居部分の手入れを手伝ってくれていた。


 人の悪意と善意をこれまでの人生で最もたくさん受け取った時間が、この2年間だった。


 オープン初日、フェスのタイミングと重なったことにより記念すべきその日の集客はまずまずだった。慌ただしい一日を終えて片付けを済ませると、店をオープンさせたという実感がようやく二人にも湧いてきた。


 日の沈む島々が見渡せるテラス席に出て、缶ビールを開ける。遠くから島風に乗って音楽が聞こえてくる。

 今の時間からするとちょどファインバインの今年のステージかもしれない。彼らは既にメインステージのトリを飾るくらいの人気を獲得していた。見に行けなかったのは残念だったが、いまこの場所で頑張ることが彼らへの恩返しのように思えた。


「お疲れ」「お疲れさま」


 互いに声を掛け合い、缶を付き合わせて、一気に飲み干す。


「はー、美味しい」


 思わず声を漏らした七海に、笑いながら彩夏が言う。


「すっかり七海もビール党になったね」

「2年前のフェスの時にハマってからかぁ。もうすっかり遠い日の事のようだわ」


 あの日、夏の同盟を結んでから七海の日常は大きく変わった。まさか自分が島暮らしを始めるなんて思ってもいなかった。

 そしてそれは実のところ彩夏も同じだった。


「あの時、七海がやろうって言ってくれなかったら、きっと私は口にしているだけで一生こんなことやっていなかったと思う。

 七海が私の背中を押してくれたんだよ……ありがとうね」


 思いもかけない殊勝な彩夏の言葉に、七海は驚いていたが、彼女の言っていることは本心だろうと思った。彩夏は威勢のいいことを言う割には思慮に欠けるところがある。それはこの2年で七海にはよく分かっていた。

 そしてそれは七海が補える点だった。ぶつかることももちろんあるが、奇跡のように二人の特性はかみ合っていた。故に七海はこれからの事を考える。


「なーにしおらしいこと言ってんの。これからがきっと大変だよ」


 笑いながら少し目を細めて七海が返す。照れ隠しも多分に含んでいたようにも思う。実際大変なのはこれからだ。ライターの仕事も続けながらカフェの経営を続けていく事がどれだけ大変であるのかはまだ未知数だ。

 二人はあくまでようやくスタート地点に立ったに過ぎない。


「これからもよろしくね」「もちろん」


 そう言って再び乾杯する。上り始めた夏の月は、2年前と同じく、夏の同盟を祝福するかのように二人を照らしていた。



(了)

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