花は蝶を追えない

ぽつねんの竜

種をまく

君に会いたい 離れていても

君を思う 


この歌を最後に僕は歌を歌うのを辞めた。

辞める前は歌手としてステージに立っていた。

しかし、今はもう歌うのを辞めている。

その原因は当時付き合っていた彼女のせいだ。

「せい」と言うと自分に非が無いように聞こえるが、辞めた事の原因を外に向けたがるこれが男の弱さでもある。そう思いたい自分がいる。

人によっては些細な原因でも、この男にとっては大きな事なのだ。


僕は愛の歌をステージから客席に向けて歌った。

そこには彼女の姿もあった。

公演の全行程を終え、会場を後にして夜の道を彼女と二人歩いている。

少しでも長く一緒に居たいから歩く速度を落とし他愛も無い会話をしていても時間が経つのが早く感じる。

このまま時が止まれば良いのに。

そんな叶いもしない願いを思っていると、駅に着いた。

「じゃあ、おれこっちだから。」

「ねぇちょっといい?」

ホームに向いかけた足をもう一度彼女の方に向き直した。

「うん?どうかした?」

「あのさ、もう終わりにしよう。」

彼女は俯きながら、微かに聞こえる声で伝えた。

「えっと、どういうこと?」

「もう別れたいの。」

「どうして?」

こんな時、素直に受け止めれば少しはかっこいいかな。いや、ここにかっこよさを求めるのは賛同出来ない。

「さっきの公演で思ったの。もうあなたの歌には愛がないの。歌っているあなたに愛が無いからもう私はあなたと一緒に居たくない。」

彼女はそう言い残し僕の前から姿を消した。

何が原因で?いつも通り歌えた。いや、惰性だとでもいうのか。

それが彼女にもお客にも伝わったとでもいうのか。


まだ彼女の事が忘れられず、時折夜を照らす月を見上げては3ヶ月も前の事を思い出す。

こういう場合、女性の方が切り替えるのが早いとよく言った。男性はいつまでも思ってしまう。すぐに思い出せるように頭の中で綺麗に整理されている。彼女の事はすぐに思い出せるのに、一昨日食べたご飯が思い出せない。整理する力の使い方を間違えている。

それに男性がいつまでも忘れられないから、彼女の方も実は少し好きが残ってるなんて愚かな事を考える。実際は皆無である。

そんな事を考えながら歩いていると、とある神社に着いた。

「こんな所あったかな」頭で考えたが記憶にない。

きっと、普段気にも留めずに見落としていたに違いない。

でも、今日気付かせてくれたのは何かの縁と思い、数十段の石段を上がった。


長い時間、雨風を受けた事が一目で分かるくらい風化している鳥居をくぐり、社殿の前に立つとなぜか不思議な気持ちになった。

自分でも理解しがたい。

手を合わせようと顔を上げるとなぜか、開いていた扉の向こうに一つ輝く物を見つけた。

その光が気になり触ろうと思い手を伸ばしたが、もう少しのところで届かない。

今度は爪先立ちで少しでも前へと手を伸ばしてみるが、重心が不安定だったせいか、そのまま前へと倒れた。

倒れた先が社殿の中だということにはすぐに気付いた。

すぐに立ち上がり、周りを見渡しても出口が見当たらず、開いていたはずの扉も開かない。

そのまま扉にずるりと、もたれながら身を預けた。

この状況に助けを求めようと思ったが、こういう時、声がでないのはなぜだろう。

諦めという二文字が浮かんだ。

そうなると、落ち着くのに時間は掛からなかった。

ふと、右手に慣れない感触がある。

その感触の正体を探ろうと顔の前に持って来たが暗闇が邪魔をする。

光を探したが、換気の為に細工された壁からわずかにこぼれる月の明かりだけだった。

そのわずかな光にかざすとそのものの正体はすぐにわかった。

「なんだ笛か。ん?」

僕は笛を様々な角度から見回し、一部大きく欠けている事に気付いた。

「あーーー。」

と大きな声が聞こえた。

自分以外の声が聞こえ、先程浮かんだ二文字はすぐに消えた。

僕は声のする方を探したが、なにも見えない。

「こっち。こっちよ。」

また声がした。今度ははっきりと聞こえ足元を見た。

足元はまばゆい光が広がっていた。

先程までの暗闇が嘘のように明るかった。

光がこんなにも安心するものだとは思わなかった。

当たり前にあると思っていた物が、失って初めてその価値に気付くとは、この感覚、最近あったな。

その光の中にウサギ、カエル、サル、が立っていた。

なんで、こんな所に?それに喋ってる?助けてくれるのか?いや、不気味だ。これはどういうことだ?

「閉じ込められたのね。それー。」

ウサギはすっと右手を上げた。

すると社殿全体が明るくなった。

「えっと?これは。」

落ち着いていた脈が速くなった事に気付いた。

あっそうか。これは逃げないと行けない状況だと察知したが出口が塞がれている為、どうすることもできない。

ささやかな抵抗として、その者と距離を取った。

「逃げても無駄よ」

「待ってくれよ。逃げても無駄ってどういう事だよ。ここは神社だよな?」

この状況を飲み込めないでいた。たまたま立ち寄った神社の社殿に閉じ込められているのだ。

「まあ、少し落ち着くんや。取って食ったりはせん。」

うさんくさい関西弁でカエルが喋った。

「うわぁ。カエルも喋った。」

僕は驚き、背中が強く扉に当たった。

「まぁまぁ、そんな小さい事気にすんなや。ちなみにここに居る者はみんな喋れんで。」

「いやぁ、こっち側に人間がくるなんて久しぶりですね。しかも、大きなお土産付きとは。あははは。」

サルが能天気に笑いながら喋った。

「笑ってる場合じゃないよ。まったくあなたは酷い事をしてくれたわね。」

強い口調でウサギが言った。

「ここほんとに神社だよな?」

受け入れるのにはまだ時間がかかる。

「ええ。間違いないわ。それより何か言う事があるんじゃないの?」

「なんのことだよ。俺をここに閉じ込めたのはお前らだろ?なにか言うとしたら俺のほうじゃない。お前らの方だろ?」

「神の使いに対してお前ら呼ばわりするなんて、兄ちゃん度胸があるなぁ。」

「神の使いって何だよ。」

僕は聞き返した

「神の使いは神の使いよ。簡単に言えば神様のお仕事の手伝いをしてるの。だから、次そんな口を聞いたらどうなるか分かってるわよね。」

にわかには信じ難かったが、ここは素直に言う事聞く方が懸命だとすぐに分かった。

ウサギはさらに続けた。

「それよりその笛ちょっとこっちに渡して。」

僕はその笛を握り続けていた事に気付いた。

ウサギの要求に応え、笛は右手から離れた。

「お、俺はその笛をただ見ようと思って。」

「知ってるわよ。ここに来る人間の様子はここから見えるもの。」

人間の様子がここから見えるだと?

本当にここはどこなんだ?

神社に間違いないとさっき教えられた。

でも、目の前で起こってる事は日常とかけ離れている。

「やっぱりそうだわ。みんなここを見て。」

その言葉を聞き、カエルとサルは笛を覗き込み、ウサギが指差している場所を見る。

「あー。これはえらいこっちゃ。兄ちゃんホンマにエラい事してくれたな。」

うさんくさい関西弁が脅しにも似た発言をする。

「これは大変ですね。どうしましょうか。」

「その笛がどうしたって言うんだ?」

僕は恐る恐る口を開いた。

「よくそんな能天気な事が言えるわね。私たちはこれが無いと・・・

いい、よく聞いて。この笛はあなた達の居る世界と深く関係しているの。あなたたちの世界が安定しているのは私たちのおかげ。そしてこの笛のおかげなのよ。」

この状況に少しずつ慣れたせいか、僕は冷静さを取り戻していた。

「その俺たちの世界とか、私たちのおかげとか、笛のおかげってどういう事だ?」

「ええか。俺たちはな、この神社に来る者の手助けをしてるんや。」

カエルは腰に手を当てながら、胸を張りながら言った。

「助けってなんだ。俺は助けてもらった覚えはない。」

「それはそうですよ。ここに来るのは初めてなんですから。まぁ、初めてここに来て我々を見れるなんて幸運な方ですね。」

「なに褒めてんのよ。私たちはね、ここに参拝しに来る者を助けてるの。恋愛成就には私が、学業にはサルが、健康にはカエルが担当してるの。」

「その担当というのは?」

「まだわかんないみたいね。私が特別に教えてあげるわ。一回しか言わないからちゃんと聞くのよ。」

「頼む。俺もここから早く出たい。」

ウサギはゆっくりと話した。

「まず、ここは神社の社殿だと言う事はわかるわね。ここはあなたたちのいる世界とは違うの。でも、違うのは社殿だけその背中の扉の向こうはきちんとあなたたちの世界があるわ。普通は出入りなんてできないの。でも、あなたは入って来たわね。そして閉じ込められた。いや、閉じ込めた。」

「ん?今閉じ込めたって言ったよな?だったら、開けてくれよ。」

「それはできない。」

「どうしてだ?閉じ込めたなら開け方だって知ってるんだろう。」

「お前が笛を壊したから開けられない。」

「あっ!その笛そんなに重要だったのか?」

「当たり前ですよ。笛は一角獣の角から作られてるんですよ。それを壊すなんてお兄さんやりますね。」

「だから、褒めるんじゃないよ。」

「えっと、一角獣の角から作られるって言ったよな?」

「ええ。それがどうかしたの?」

「一角獣って伝説とか神話の中の動物だよな?そいつの角から作られるなんて不可能じゃないのか?」

「それは人間界での話でしょ。こっちの世界にはきちんと存在しているわ。まぁ、出会えることなんて滅多にないんだけどね。」

「だったら、すぐに探しに行こう。こういうのは早い方が良い。」

「なに言ってるのよ。あなた一角獣を殺す気?」

「殺すって?そんな物騒な事はしないよ。ちょっとばかり角を」

「なに馬鹿な事言ってんの!」

「なにかまずいのか?」

「当たり前じゃない。そんな簡単なものじゃないのよ。寿命が来ないと作れないのよ。」

「寿命?」

「そうよ。雄の一角獣が寿命を迎えて、土に還る時に角を残していくの。その角で作るのよ。それ以外の方法で角を手にしても意味ないの。その辺の木の枝と変わらないわ。」

「じゃあ、寿命が来るまで待つしかないのか。」

「そうね。100年以上掛かるけどね。」

「じゃあ、どうすればいいんだ?」

「それをいまから考えるのよ。」

「あのさ、さっきの担当の話がまだなんだけど?」

「そうだったわね。でも、少し話し疲れたわ。サルよろしく。」

「じゃあ、それは僕が説明します。」

「頼む。」

「僕たちは参拝者に種を植える仕事をしてるんです。弓に矢を付けて心の中に種を蒔くんです。」

「矢を心の中に?」

「そうです。あっ、でも当然これは人間には見えないですよ。こっち側の特殊な力ですから。」

「でも、出入り出来ないんだろ?」

「はい。だから、弓を使ってるんです。悩み事があったり、願い事があったりした時に神社で手を合わせると解決しそうとか叶いそうって思いますよね。」

「確かに。手を合わせる前の気持ちが嘘のように思えるな。」

「それですよ。なんだ経験あるじゃないですか。」

「でも、参拝したのはこの神社じゃなかったぞ?」

「どの神社にも僕たちと同じようにきちんと人間を助けてるんです。みんな仲間ですよ。」

「そうなんだ。でも、助けてくれるわりには叶わない事の方が多いぞ。」

「当たり前ですよ。僕たちが出来るのはあくまで、種を植えるまでです。その種をきちんと育てて花にするのはあなた次第ですよ。」

「そうだよな。全部叶うとそれこそ不安定になってしまうよな。」

「話が早くて助かります。で、ここでも笛が重要なのです。」

「やっぱり、俺まずい事したよな?」

「そうですね。直接僕たちにも関係して来ます。」

「どう関係するんだ?」

「先程、弓と矢の話をしましたね。そして心の種の話も。種もいつかは無くなるので、定期的に笛の音色で補充しているのです。」

「鉄砲みたいに弾切れになるのか。でも、神の使いでそれほどの力があるならずっと使えるようにできないのか?」

「それはだめですよ。何事にも限りが無いと価値が薄れます。これはどの世界でも一緒です。」

「じゃあ、その笛もいつか壊れるってことか?」

「はい。きちんと役目を終えたら壊れます。だから、今回の事は僕たちにもどうする事も出来ません。」

「じゃあ、どうすれば帰れるんだ?」

「えっと。僕の話聞いてました?笛が無いとあなたはここから出られないです。」

「ちゃんと、聞いてたよ。でも、本当に帰る方法はないのか?」

「それをずっと考えてるのよ。少しは頭動かしたら?」

「そうだにゃ。君がここに来た理由、そしてどうすればいいのかゆっくり考える事が大切だにゃ。笛の事もあるしにゃ。」

今までとは違う声が聞こえて来た。

ここまで来るともう何が起きても驚きはしない。

声の正体に気付くのに時間は掛からなかった。

視界の隅から目の前に、夜がよく似合う真っ黒い猫が現れた。

「なんだ今度はネコか。」

「にゃにゃ。ワシを見て驚かんとはにゃ。」

「まぁ俺もここに来て長いからな。」

そうは言ったがどれくらいの時間が経ったのか明確にはわからない。

「話は大体聞いておるにゃ。」

「あら?今日ってあの日だった?」

「違うにゃ。でも、今回のことが耳に入ってにゃ。急いで来たのにゃ。」

「そうだったの?じゃあ、一緒に考えましょ。」

あの日とは、一体なんのことだろう。

特別になにか制定されている日があるのだろうか。

「あっ、あの日って言うのは先程お伝えした笛の音色を聞かせる日なんです。僕たちの世界では違う言い方ありますが、分かりやすくお伝えしました。」

「あれ?俺、今何か言ったか?」

「いえいえ。そんな顔されてましたので。」

考えている事を悟られているのかと思った。どうやら、顔に出てたらしい。

「そうだにゃ。何もないなら探せばいいのにゃ。皆で考えれば何か良い事が思い浮かぶかもにゃ。」

それぞれ、腕組みをしたり、天井を見たりして何か良い案はないかと考えている。

そこから、しばらく沈黙が続いた。

沈黙が続けば続くほど、最初に口を開く者への重圧は大きくなる気がする。

きっと、次に出る言葉には大きな解決策が潜んでいると思うからだ。

「あっ。」

この一言でカエルに注目が集まった。

「なにか、良い案が見つかったのね?」

ウサギは明るく言った。

「なんも思いついてへん。」

「なによ。期待させないでよ。」

「いやな、そもそもなんでこいつはここにおんのやろとおもてな。」

「聞いてなかったの?この笛に触りたくて手を伸ばしたらそのままこけてここに来たのよ。全く笑えないわね。」

「そうやなくてな。この神社に来た理由が気になってん。神社に来ぉへんかったら笛の事も、俺たちのことも知らんかった訳や。なんで神社に来たんや?なにか悩みか?」

そう言われても、ここでの出来事があまりにも大きくて、理由があったはずなのに、すぐには思い出せなかった。

「えっ、あ、そうか。」

「なによ。思い出せないの?」

「そうじゃなくて、ちょっとすぐには。」

思い出さなきゃ。ここに来た理由を必死に思い出そうとする。


「ねぇ、もう別れたいの?あなたと居てももう楽しくないの。」

「なんで?」

「もう好きになれない。」

「どういうことだよ。終わらせる事は無いと思う。」

「今日の公演。それで私は決めたの。もうあなたのそばに居ないって」

「それが何だって言うんだよ。なにか不満があったのか?」

「気が付かなったの?」

「何の事だよ。」

「あなたの歌にはもう愛がなかったの。愛の無い歌を歌われても何も感じないの。それは私の好きなあなたじゃないの。あなたの歌はもう誰の胸にも響かない。このまま歌い続けても意味ないわ。それなら、歌うの辞めた方がいいわよ。」

「何言ってんだよ。俺はこれまで通りだった。愛が無いとかそれは受け取る側の問題だろ。」

「そういう所もそうよ。受け取り側の問題って何?俺がこう歌えば満足だろう、とでも言うの?受け取り側の責任にするなら、それこそ歌手失格よ。もう歌うの辞めて。」

「なんだよそれ。」

ここまで言われて、頭に血が上り感情のままに言葉をぶつけそうになったが、公共の場と言う環境が制御した。

荒い深呼吸をいくつかした後、僕は言った。

「でも、ほんとそうかもな。今までありがとな。」

「ううん。こちらこそ楽しかったよ。じゃあね。私こっちだから、もう行くね。」

彼女はそう言うと、背中を向けて歩き出した。

二、三歩歩いた所で僕は声をかけた。

「あのさ・・・」

そう言うと彼女は振り返った。

「なに?」

「またな。」

「なに言ってんの?またなんてないよ。」

「分かってる。でも、言わせてくれ。またな。」

僕はその後の言葉を聞かずに振り返り歩き出した。いや、聞かなかった訳でない。聞けなかった。

僕の中にある微かな希望の火が消えるのが怖くて聞けなかった。

またな、という言葉に込めた僕の想いを彼女はずっと知る事はないだろう。

僕は彼女の言葉を頭の中で何度も繰り返した。

愛がない、辞めた方が良い、それ以外にも言われたがその言葉が循環している。

だんだんと苛立って来た。数十分前に押さえ込んだ感情がまた顔を覗かせる。

幸い、この道を照らす街灯は僕しか見ていない。

この感情を処理させないと次には進めない気がする。

だから、右手に感情を乗せ、街灯を強く叩いた。

その痛みと引き換えに溜まっていた苛立ちは解消された。

手の痛みがいつか消えてくように、胸の痛みもいつか消えるのだろうか。

いや、きっとこの痛みは消えはしない。彼女の言葉は痛みでなく傷跡だ。

痛みはいつか消えるが、傷跡は消えはしない。

僕はこの傷跡と共に彼女を忘れる事はできない。


「あっそうか。」

ここに来た理由を思い出した。

歌えば愛が無いと言われ、その事で彼女に振られ、仕事を失ってしまった。

これからどうするべきかと考えていたのだ。

しかし、正直に伝えると馬鹿にされそうな気がする。

万が一、馬鹿にしてこなくても、自分が正直に話したくない。

「思い出したみたいね。何があったの?」

「実は仕事で行き詰まってこれからどうしようかと考え神頼みでもしようかと思って。」

「ふーん。よくある悩みね。で、何か良い考えでも見つかったの?」

「手を合わせる前にここに来たんだ。何も無いよ。」

「そうだったわね。で、どんな仕事してるの?私たちが直接聞いてあげるわ。」

「そうですよ。こんな機会ないですよ。」

「せやせや。なんでもゆうてみ。」

「歌を歌う仕事。」

僕は自信がなくその声は細かった。

「あら?あなた歌手なのね?」

「でも、もう歌えないんだ。」

「何があったの?」

「色々あってな。もう歌えないんだ。」

「僕も歌うの好きですよ。お祭りの時とか、笛の音に合わせてみんなで歌ったりするんですよ。」

「歌はええよな。みんなで心を一つにして歌えばきもちええわな。」

「ネコが笛を吹いて私たちが歌うのよ。それで種が出来上がるの。ネコの笛はとっても上手なのよ。ま、私の歌ほどじゃないけどね。」

「そうか。少し吹いてもらえないか?」

「なに言ってるの?壊れてるのよ。」

「まぁまぁ、じゃあ格好だけでもしてあげるにゃ。」

ネコは笛を口に当てた。

「こんな感じにゃ。」

構えると吹きたい衝動に駆られるのか、ネコはこう言った。

「試しに吹いてみようかにゃ。」

それから、いくつかの音と短い節を吹いた。

「やっぱりだめだにゃ。全然違うにゃ。」

「あのさ、壊したりしてごめんな。」

「もういいわよ。」

この言葉に強い圧力は無く、なだめるような言い方だ。

「ありがとう。本当ならこの笛と一緒に歌うんだろ?どんな歌を歌うんだ?」

「こんな歌ですよ。」

サルが手で拍子を取ると、それに合わせてウサギとカエルも歌い始めた。

その歌声は表現出来ないほど綺麗だった。

いや、綺麗の一言では説明出来そうも無い。柔らかく、でも芯があって、優しく包み込まれる。ある人は笑顔になったり、ある人は心が洗われ自然と泣いてしまう。

きっと、これ以上の表現があるはずだが僕はまだ知らない。

でも、一つ知ってる事があった。

「なぁ、その歌どこで覚えた?」

「うーん。わかんないです。でも、ずっと前から続いてますよ。ご存知なんですか?」

「ああ。」

「じゃあ、一緒に歌いませんか?」

「いや、だから俺はもう」

歌えないと言い切る前にウサギが遮った。

「いいじゃない。ここでは誰も何も思わないわ。」

「そうですよ。一人じゃないです。みんな居ますから。」

「じゃあ、一回だけ。」

サルが先程と同じ拍子を取る。

僕は蚊の鳴くような声で歌った。

何か思われたらどうしよう。歌うと自然とあの事を思い出す。

その事を思うと声が出ない。

僕の気も知らず、先程と同じ歌声が耳に入って来る。

気持ち良さそうに歌っている姿を見ると、体中が熱くなる。

歌いたい、けど、歌えない。そんな葛藤がある。

でも、この葛藤の末にどちらが勝つか、もう分かっていた。

声は段々大きくなり、耳に入る音に合わせようと声が喉から溢れた。

気持ちいい。楽しい。歌いたい。

ずっとしまい込んだ感情が一気に爆発する。

歌っているのか、叫んでいるのか分からないくらい喉を震わせた。

歌うって楽しい。

「なんや自分。めっちゃ歌上手いな。」

「そうよ。びっくりしちゃったじゃない。それで歌わないなんてもったいない。」

「そうですよ。絶対もう一度歌った方が良いですよ。」

そこまで言われると純粋に嬉しくなる。

「そうだにゃ。周りが君のような歌声ならもっと笛の吹きがいがあるにゃ。」

「なによ。ねぇ、あっちに帰ってもう一度歌ってみたら?もう、分かってるんでしょ。」

「ああ。でも、まだ帰れないよ。」

「後ろよく見て。」

その言葉に従い、振り向くと扉が開いていた。

月の光が扉から入っていた。

「なんで?笛は壊れたままなんだろ?」

「うん。でも、開いたならそれでいいじゃない。次いつ開くか分からないわ。さぁ、早く。」

「でも、笛が・・・」

「今はここから出る事が先よ。笛の事が気になるならもう一度この神社に来なさい。」

「そうですよ。早く行った方が良いですよ。」

「せやせや。いまでぇへんかったら一生閉じ込められたままかもな。」

「そうか。みんなありがとう。」

僕は振り返り、社殿を後にしようと歩き出した。

あと一歩で社殿から出る所で足を止め、振り返るとまだみんなの姿は見えた。出なければまだ見えるのか。

後ろ髪を引かれる思いがする。

たまたま立ち寄った神社でこんな体験をするとは思わなかった。

「ねぇ、あなたの歌で救われる人が必ず居るわ。あなたの歌にはその力がある。その人の為に歌ってみたら?私たちはあなたの歌が好き。」

そう言うと、ウサギ、カエル、サル、ネコは大きく手を振ってくれた。

自分に向けられたその姿に、泣いている事にしばらく気付かなかった。

僕は泣きながら最後の一歩を踏み出した。

扉が閉まるのを背中越しに聞いた。


境内の隅にある椅子に僕は座った。

今、ここであったことをもう一度頭の中で整理している。

これからどうしようと考え、ここに来た。

そこで、綺麗に輝く笛を見つけ手を伸ばしたら社殿の中に入っていた。

ウサギ、カエル、サル、ネコとの出会いもあった。

そして、もう一度歌おうと決意した。

「おお。そこにおったのか。」

少し遠くから声が聞こえ声のする方を向いた。

「さっきの歌は君か?」

「えっ。聞いていたんですか?」

思わず恥ずかしくなった。

久しぶりの歌声を聞かれ、自信がなかったのだ。

「見回りしてたら、社殿から歌声が聞こえてきたからな、誰だろうと思いしばらく待ってみたが、出て来ないのでその辺歩いて時間潰して来たのだ。いま帰ってみると君しかおらんから声をかけた。で、さっき歌っていたのは君かい?」

「はい。すいません。大声で。」

「何を言っとんだ。実にいい声だった。プロかなにかか?」

「はい。」

今は胸を張り自信を持って歌手だと言える。

「そうかそうか。それは良かった。ちょいと一つ頼んでもいいかな?」

「なんですか?」

「定例祭に出て欲しいんだが?」

「定例祭ですか?」

「ああ。実はな担当の者が急に辞めてな、困ってたんだ。」

「良いですよ。」

「本当か?」

「はい。僕でよければ」

「いやいや。君の声がいいんだ。」


「なんで、扉が開いたんですかね?笛は壊れてるのに。」

「そうね。なぜかしら。」

「きっとあれじゃないか。神様の気まぐれってやつや。」

「なにバカな事言ってんの。そんなわけないじゃない。」

「ほんとに不思議ですね。」

「いや、ひとつだけ考えられることがあるにゃ。」

「なにか、心当たりがあるの?」

「にゃー。みんな弓と矢を見てみるにゃ。」

そうネコが言うと、それぞれ弓と矢を確認した。

「あれ?矢に種が戻ってる。」

「ほんとですね。」

「なんでやろ。」

「つまりは、こういうことだにゃ。みんなが歌っている時、笛は壊れていたにゃ。でも、その事を忘れて歌っていたにゃ。みんなの思いが重なる時矢に種が戻り、そして扉も開くにゃ。」

「でも、もしそうなら今までも歌っていたのよ。その時扉は開かなかった。」

「そうだにゃ。でも、今回は人間が居たにゃ。人間はこっちの世界では生きられないにゃ。人間の歌に反応して扉が開いたと考えるにゃ。」

「笛には力が無いってこと?」

「そう考えるしか無いにゃ。」

「でも、それって? ・・・いや、そう考えるしか無いわね。」

「そうですね。」

「えっ。どういうことや?」

「あら?まだわかんないの?もうしょうがないわね。サルお願いね」

「ぼくですか?じゃあ、分かりやすく言いますね。」

サルが続ける。

「僕たちは今まで笛の音で矢に種が戻ると思っていましたが、そうではないんです。本当は僕たちの歌声だったんです。歌声というよりは強い思いと言った方が正しいです。」

「なるほどな。なら、もう一度歌ってみるか。」

社殿は歌声に包まれた。

Fin.

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花は蝶を追えない ぽつねんの竜 @tara3po

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