エピローグ

 勝也に連れ出された地獄の二日間から、3ヶ月が経った。

 うるさく鳴いている蝉の声に、夏を感じる。窓から差しこむ日差しは、外の暑さを雄弁に物語っている。それとは対照的に、窓を閉め切ってエアコンをフル稼働させている室内は快適な涼しさを呈している。やはり、快適な環境というのは室内にいてこそ作られるものなのだ。インドア派、最高。

 動画サイトでBGM動画を再生しながら本を読んでいると、机の上に置いたスマートホンが震えた。電話の相手は、4月とは別の取材で遠方にいる勝也だった。

 何か確認事項でもあったのだろうかと思い、通話ボタンをタップする。


「もしもし」

「暑い」


 開口一番に勝也が放ったのは、気温に対する呪詛だった。


「だろうな」

「お前狙ってたろ」


 察しがいい。勿論、ねらってやったことだ。笑いながら答えてやる。


「覚えてろって言ったろ」

「まさかこんな形で復讐するとは思わなかった……」

「はっは」

「笑い事じゃねぇよ」

「でも、水が気持ちいいって昔話してなかったっけ?」

「それは一部のごくごく限られた場所だけだよ。普通にいる分には暑くてかなわん」

「ドンマイ」

「お前が行かせてんだろ。この元凶野郎」

「別に断ることも出来ただろう。義務じゃないわけだし」

「金払いがいいからな。2カ月働かなくても困らないくらいに」

「さすがだろ?」

「ありがたいけど腹が立つわ」


 勝也にはこの季節に九州に行ってもらっている。場所は大分の久住山。高校生の頃、勝也が部活の合宿で言ったことがあると話していたので、取材に出かけてもらった。

 本来は、紅葉が綺麗な秋か雪が降る冬の時季に行ってもらおうかと思っていたが、夏場に行くのはしんどいだろうと思ったので、あえて行ってもらった。それに、ネットのブログや旅行雑誌に書かれるのは秋が多いので、夏ならどんな景色が広がっているか知りたかった。それに、その光景を見聞きすればまた新しいインスピレーションも得られるかもしれないとも思っての依頼だ。

 ……まぁ、そんなことは建前に過ぎず、仕返しに丁度よさそうだっただけなのであるが。


「で?文句を言うためだけに電話してきたんじゃないだろ?」

「まぁな」

「なんか面白い物でもあったのか」

「登山道が2本に分かれていてさ、どっちから登っても同じルートに戻るんだけど、岩が多い場所と草が茂ってる方、どっちを歩いて写真を撮ってこようか聞こうと思ったんだよ」


 申告しなければ、俺は知らないままの分かれ道。そんなことを言えば、俺の返答は決まりきっているのに、勝也も真面目な奴だ。だからと言って手心を加えるつもりは毛頭ない。


「じゃあ両方で」

「その“じゃあ”はおかしいのよ」

「資料に使えるかもしれないだろ」

「……なんでモノが欲しい本人であるお前が来ないんだよ」

「金を払ったから」

「あ~はいはい。雇い主様はそういうタイプでしたね」

「分かってるならよろしく頼む」

「一定区間の往復分が増えるんだけど?」

「3万円プラスで払うといったら」

「大好き」

「というわけで、しっかり頼む」

「へーい。……次はどこに連れていくか」


 不穏なつぶやきが聞こえたところで電話が切れた。目には目を。仕返しには仕返しを。こうして怨嗟というものは永遠に続いていくのだろう。人の世の摂理を見た気がする。

 あんなしんどい思いをするのは二度と御免だが、頂上で食べたカップ麺の味は絶品だった。あれ以来、あの時の味を超えるカップ麺を食べられていない。良い記憶と同時に、厄介な呪いを仕掛けてくれたものだ。

 至高の時間を過ごしたいなら、外に出ろという無言の圧力を感じる。

 以前よりは抵抗感が薄れている。しかし、それでも生来の気質はどうしようもない。いまだに外出は億劫である。それに、勝也の思惑通りになること自体が業腹だ。

 気が向くことがあれば、また連れ出されてやらんこともない。3年に1回くらいなら。

 スマートホンを机に置き、膝に乗せた本を開く。はさんだ栞を机によけたと同時に、部屋のドアがノックされる。せっかく置いた栞をまた取るのも面倒なので、本に視線を落としたまま無視をした。どうせ母親が入って来るだろうと思っていたし、予想通り、こちらの返答なんて求めていないとばかりにノータイムでドアが開けられる。


「史優いるー?」


 明るい声と同時に入ってきたのは夕凪ゆうなだった。


「いない」

「いるじゃん。なんで嘘つくの」

「外には出ないからな」

「うわ。アタシが外に連れ出そうとするかもって疑ってるの?傷つくな~」


 “傷つく”と言われて少し心がざわつくが、冗談めかして言っているので本気ではないのだろう。それに、疑うのも当然だ。

 夕凪は、勝也がたくらんだ寂地連れ出し事件の共犯だ。一泊してから帰宅した日、にこにこしながら俺のへばった写真を母親と一緒に見せてからかってきた。まさか母親までもが共犯とは思っていなかったが、連れ出される際にあまりにも色々揃い過ぎていたことに合点がいった。


「前例があるからな」

「アタシたち恋人なんだよ・・・?少しは信用してほしいな・・・」


 猫なで声を出し、上目遣いで見つめてくる。わざわざ身をかがめて胸元が見えるようにしている辺りもあざとい。


「気持ち悪いな。どこで覚えた?」

「ひっど!アニメでは、これをされた男の子はドギマギしてたんだよ!?」

「きゃー、ドギマギするー」

「口で言えばいいってもんじゃないよ」

「そういうタイプじゃない」

「知ってるよ!知ってるけど、もしかしたらって思うじゃん!」

「そんなことしなくてもちゃんと好きだって」

「・・・・・・真顔でそれ言うのずるくない?」


 なぜモジモジし始めるのか。というより、ここに来た目的は何なのだろうか。デートだのショッピングだのの外出が目的なら、夕凪は事前に連絡をするタイプだ。突然やってきて「オモテ出ろ」みたいなことはしない。事前に連絡をした上で「オモテ出ろ」はするが。

 見落としているかもしれないと思い、スマートホンをチェックする。しかし、夕凪とのやり取りは、とりとめもない雑談で終わっているだけだった。


「なんか用があったのか?」

「可愛い彼女が来てるのに、用があるのか?はおかしくない?」

「用がないと来ないだろ」

「気を遣ってるんですー!用がないと冷たいの知ってるから気を遣って用事作ってから会いに来てるんですー!」

「へぇー」

「その一言で済ませるのおかしいからね?ふつうは「寂しい思いさせてごめんな」って抱きしめるところだからね」

「そうは言うけどな、俺が本当にそういうことをしたらどうする?」

「気持ち悪いし、なんか未知の病気にかかったのかと思う。救急車呼ぶ」

「だろ?」

「はぁ~・・・。アタシなんでこんな人のこと好きになったんだろ」


 俺に言われても困る。というか、それこそ、本人を前にして言うことだろうか。


「それで作った用事って?」

「あぁそうそう。近所の本屋さんの前で、今ラムネ売ってるの」

「うん」

「買いに行こ♡」

「行ってらっしゃい」

「彼女が可愛くお願いしてるんだからそのくらいはついてきてよ!」

「だって外暑いし」

「暑い中汗をかいて買いに行くから美味しいんでしょ!?」

「汗をかかなくても美味しい」

「ふーん。アタシ知ってるんだからね。史優がカップ麺を食べるたびにこれじゃないってぼやいてるの」


 いつの間に。いや、よくよく思い返せば、執筆中に夕凪がきていたような気はする。しかし、食事の度に独り言なんて呟いていただろうか。記憶をあさっても心当たりがない。

 けれど、夕凪が知っているということは、やはり自分が思わずそう言っていたということなのだろう。


「だからなんだ」


 精一杯の強がりを言う。


「体を動かした後のご飯や飲み物は美味しいって、史優自身が一番痛感しているんじゃないかなーって」


 ぐうの音も出なかった。


「というわけで、一緒に買いに行こ!」


 返事がないことが同意だと言わんばかりに、手を引かれて強制的に連れ出される。

 外に出てみれば、想像していた以上の暑さに気が滅入る。この中を10分程度とはいえ歩かなくてはならないのか。深いため息が漏れた。


「これを歩いた後のラムネはめちゃくちゃおいしいよ~」


 夕凪にそう言われ、思わず喉が鳴る。気づかない内に、勝也に毒されていたらしい。報酬のためなら運動も多少ならいいか、と思い始めている自分がいる。純度100%のインドア派だったのに、ややアウトドアが混じり始めている。

 この抵抗感の薄さは、恋人に手を引かれているからなのか、山頂のカップ麺の味を覚えてしまったからなのか。どちらにせよ自分という人間のタイプではないが、願わくば前者であって欲しい。

 これ以上インドアの濃度が薄れないようにしたい。引かれていく左手は、あくまで仕方がないという体裁を整えられるよう、手が離れないように握った。

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