第38話 1年半後

 絵未が社会人として新しい道を踏み出してからも、俺たちは定期的に連絡を取っていた。だけど絵未は歴とした正社員。一方の俺は深夜のバーテンダーだ。生活サイクルが完全に逆転している。

 それでも月一度は週末に会って逢瀬を重ねていたけれど、次第に連絡も少なくなり始めて二ヶ月が経った、ある週末の夕方前。


 携帯電話が唐突に鳴り響いた。ディスプレイには片仮名で「エミ」と表示されている。


「……もしもし」


「ああ、武志くん。久しぶりだね」


「うん、そうだね。仕事、忙しい?」


「ううん、そうでもないよ。ようやく仕事も覚えて、色々任される様になってきたから。順調かな?」

 

 どことなく、絵未の声が淀んだ様に聞こえるのは気のせいだろうか。


「武志くん、今、時間大丈夫かな? 聞いて欲しい事があるの。……私、好きな人ができたのかもしれない」


 覚悟はしていた。

 

 むしろ曖昧な関係を一年以上も続けてた俺に、今まで愛想をつかさず手を差し伸べてくれた事を、心底ありがたいと思っている。


 俺は電話越しで悟られない様に、一つ深呼吸をした。


 そして、言葉を絞り出す。


「……どんな人なの?」


「会社の上司で私より年上なんだけどね、その前の彼女が、私にそっくりなんだって。……写真見せて貰ったんだけど、本当に似ていたの。そして『運命を感じる。付き合って欲しい』って言われて。……私、どうしたらいいかなぁ」


 揺れている絵未の未練を断ち切るのは、俺の役目だ。


 絵未今まで、数えきれないほどの優しさを俺にくれた。絵未がいなければ俺はきっと、周りに流され何も誇りも信念もないまま、同じ毎日を繰り返していただろう。


 今度は、俺が恩返しをする番だ。


「『運命』なんて素敵じゃない。……絵未ちゃんも、その人の事が気になっているんでしょ? だったら、今の気持ちに素直になりなよ。俺の事は思い出として胸に閉じ込めてさ。……ああ、もし俺の事が心配とかだったら、大丈夫だからね。俺、絵未ちゃんの『嘘が嫌い』って言葉、好きだったんだ。その言葉は俺の心にしっかりと焼き付いている。だから俺はあともう少し、絵未ちゃんと約束した二年間、全力で歩み切る。だから、大丈夫」


「……武志くん」


「何か困った事があったら、すぐ駆けつけるよ。だから、さよならは言わないね。……頑張れ! 島崎絵未!」


「ありがとう……武志くんに話せて、本当によかった。私、武志くんの事が今でも好き。だけど今感じてるその人への気持ちも、嘘じゃないと思うの。だから、前に進んでみるね」


 俺は電話越しでは届かない笑顔を、絵未に贈った。

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