第35話 199X年 11月 2/2

 あの日から二週間。

 鳴り響くポケベルを見ると、ディスプレイには絵未の自宅の番号が表示されていた。このままではダメだと分かっていた。


 ちゃんと話をしなければ。

 

 少し震える指で、番号をプッシュする。



「……もしもし」



 沈んだ声の絵未が電話に出た。



「俺、だけど」


「明日、早番なんだけど仕事が終わったら、会えるかな?」


「……うん」


「じゃあ、お家に行くね」


「いや……2号店まで迎えに行くよ」


「……分かった。それじゃ明日18時に仕事終わったら、お店の前で待ってるね」


 




 翌日になり2号店の前で絵未と落ち合うと、俺たちは近くの公園まで無言で歩いた。


 何を話しても言い訳にしかならない。いっそ本当の事を言ってしまえば……。


 公園に着き、並んでベンチに腰掛ける。隣に座る絵未が、とても遠くに感じられた。



「……ねえ武志くん。今でも私の事、好き?」


「……うん」


「本当の本当に?」


「……うん、本当。嘘じゃない」



 その言葉を聞いた絵未は、大きく息を吐いた。



「あーよかった! 嫌われたかと思ってたよ」


「そんな……俺が絵未ちゃんの事、嫌いになる訳ないじゃないか」



 嫌いになったのは、この俺だ。絵未を裏切ってしまった自分自身だ。


 

「だけど、しばらく距離を置きたいと思ってる」


「……どうして?」



 言葉に詰まった。香流の事を正直に話せば、絵未は許してくれるかもしれない。

 でも、俺にはそれを話す勇気と覚悟がまるでなかった。


 なら隠し通せばいいじゃないか。墓まで持っていけばいいじゃないか。


 いつも自分が言っていた事、やってきた事だ。……絵未に会うまでは。



「私ね、武志くんの事が好き。まだやり残した事がたくさんたくさんあるの。ダメかなぁ……」


「ダメじゃない……ダメじゃないよ。ただ、俺は絵未ちゃんにふさわしくない男なんだ」



 いい加減な事ばっかりしてきた俺を、掬い上げてくれたのは、紛れもなく絵未だ。その絵未を裏切った俺は、どう償えば許されるのだろう。その答えがまだ見つかっていない。


 今、できる事があるとすれば、こんな俺から絵未を解放してあげる事だけだ。



「絵未ちゃん……俺より好きな人ができたら、迷わずその人の方に行っていいからね」



 絵未の顔が硬直し、その目が大きく見開かれた。だけどすぐに、いつもの優しい顔へと戻る。



「それは……『彼女』って名乗れないって事にもなるのかなぁ?」


「うん……今の俺は絵未ちゃんの『彼氏』の資格がないんだ」


「……でも、電話をしたり会ったりはしてくれるんでしょ?」


「絵未ちゃんが良ければ、それはもちろん……」



 俺だって毎日でも会いたい。その声をいつまでも聞いていたい。


 だけど胸で渦巻くその言葉は、俺の口から出てこなかった。



「何があったかは聞かないけど……今日はその言葉で、我慢しますか」



 上を向き、気丈に振る舞う絵未のアーモンド型の瞳から、大粒の涙がポタポタと溢れた。

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