第20話 199X年 7月 1/3

 7月に入ると中旬頃から徐々に客の数が伸び始める。


 この頃から俺はまた、変則シフトに逆戻りだ。疲れが取れきらないままで、翌日を迎える日々。それでも絵未がいれば頑張れる、そう思っていた矢先の出来事だった。



「阿藤くん、ちょっといいかな」


 支配人に声をかけられ、一緒に支配人室へと入っていく。


「いやぁ……色々頑張ってくれているね。いつも感謝しているよ。……ところで急な話で申し訳ないけど、嵐山店長と阿藤くんは、本店に戻ってもらおうかと思ってね」


「え……何でいきなり急に……」


「急にではないよ。元々嵐山店長と君を2号店に出向させたのは、こちらのやり方を覚えてもらう為だったんだよ。君も2号店に来て8ヶ月だ。たくさん勉強になった事だろう。この経験を活かして嵐山店長と二人で本店を盛り立てて欲しい。分かったかね?」


「……はい、分かりました。それで正確には、いつから本店に戻るのですか」


「来月からだ。あと二週間、よろしく頼むよ」



 頭を下げて支配人室から退出すると、立ちくらみがした。


 絵未と……離れてしまう。



 実際には本店と2号店は同じW市内なので、二人にとってそう弊害はない。むしろ店舗が別の方が付き合いやすくなるだろう。だけど、週一休みで有給なしのこのブラック会社でここまで頑張れたのは、紛れもなく絵未が同じ職場にいたからだ。


 引き潮の様に、仕事に対するやる気が遠ざかっていく。


 

 俺が厨房へ戻ると、かっちゃんが駆け寄ってきた。


「阿藤さん、支配人に呼ばれてたけど、何かあったんですか?」


「ああ……来月から俺と店長、本店に戻れってさ」


 かっちゃんは舌打ちをすると、忌々しそうに支配人室の方を睨みつけた。


「……やっぱりあの噂は本当だったんだ」


「どんな噂?」


 かっちゃんは首を振り周りを伺った。今、厨房には俺たちしかいない。


「阿藤さんと入れ替わりで、本店に行った愛美の彼氏の社員ですよ。愛美、まだ阿藤さんの事引きずってて、上手くいってないらしいんですって。加えて愛美が、阿藤さんとの関係を口にしたみたいで、その社員が『2号店に戻りたい』って、支配人に泣きついたらしいんです」


「……それ、本当?」


「ええ。確かな筋からの情報です。さらに支配人のお気に入りでもある2号店のNO.1とNO.2が、阿藤さんが好きなショートカットにしたでしょ? 支配人も苦々しく思ってたみたいですよ。『自分が育てた可愛いバイトが、本店の人間に持ってかれた』って」



 ははは……もう笑うしかないな。全部俺のせいじゃないか! 


 かっちゃんは俺の肩に手を置くと、微妙な笑顔で元気付けた。



「とりあえず……元気出してください。送別会は盛大にやりますよ!」


「ありがとう……かっちゃん」



 その後は半ば放心状態のまま仕事を黙々と続けた。中番の仕事終わりの10時になり、惰性で着替えて店を出るとポケベルが鳴った。知らない番号だった。


 近くの電話BOXから、通知された番号をプッシュする。電話がつながると、大きな声で店名を告げられた。大声すぎてよく聞き取れなかったほどだ。とりあえず自分の名前を告げる。しばらく待たされた後に電話に出たのは絵未だった。


「あ、武志く〜ん! あなたの愛する絵未ちゃんだよー!」


 少し酔っ払っているのか。……そういえば、今日は短大のクラス会だって言ってたっけ。


「んとね。今、クラス会終わるんだけど、もう一軒行こうって話になったの。で、そっちに行くの遅くなるからね、迎えに来てくれないかなぁ?」


 確かクラス会の場所はO市と言ってたっけ。K市よりは近いけど、車で40分くらいの距離だ。


 俺が無言で聞いていると、電話の向こうから黄色い声が受話器越しに聞こえてきた。


「みんな武志くんを『見たーい』って言ってるの。私の自慢の彼氏だからね」


 絵未の声に合わせて、外野の声が「見たーい」とか「来てー」に変化する。


「……見せ物じゃない」


「え? なんて言ったの武志くん。聞こえないよー」


「俺は見せ物じゃない! そんなに遅くなるなら来なくていい! ゆっくりクラス会でも何でも楽しんでくれ!」


「ちょ、ちょっと武志く」


 俺は最後まで絵未の声を聞かずに、受話器をフックに叩きつけた。



 2号店異動のショック。すなわちそれは絵未と同じ空間で働けなる事への苛立ちだ。さらに自分の子飼いの社員の理不尽な理由ために、急遽異動を決定した支配人。堪えていたそれらの不満や怒りが、陽気な絵未の声を引き金として、暴発してしまった。



 ———完全な八つ当たりだ。絵未は異動の事なんて知らないのに……。



 電話ボックスのガラスにもたれ、そのままズルズルと腰を落とす。ポケットを漁りタバコを取り出すと、中身は一本も入ってなかった。握りつぶして放り投げると、箱はガラスで跳ね返り、まるであざ笑うかの様に俺の頭にコツンと当たる。


 ぶら下がった受話器からは、発信音さえも聞こえてこない。



「俺は……最低な男だな……」

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