第19話 199X年 6月 2/2
そして迎えた翌週火曜。仕事を終えた俺たちは、車で絵未の家に向かった。一応手土産は用意してある。仕事が終わっての出発なので、到着は夜の11時頃になる。そんな時間に不謹慎だろう!
「そんなに心配しないでも大丈夫だよ。私がちゃんと伝えておいたから。一緒にご飯を食べられないのが残念だって、お父さんが言ってた」
「お、俺としてはいきなり一家団欒での食事はハードルが高すぎるので、助かったけどね……」
「あー楽しみだなぁ。お父さんも喜んでくれてるし」
ふふふと隣で微笑む絵未と違って、俺は全くの逆反応だ。
……ああ、胃がキリキリする。
絵未の家までの道のりは、既に覚え済みだ。俺は絵未から教えられた地元ならではの最短ルートで家の前までたどり着いた。
「車は家の前に停めておいて大丈夫だよ」
そう言って降車する俺の手を引っ張って、玄関を開ける。
「ただいまー! 武志くん、連れてきたよー!」
「ちょ、ちょっとそんな大声で……」
廊下に面した引き戸が開くと、中年男性が顔を出した。絵未のお父さんだろう。
「おお、初めまして。ウチの絵未がお世話になっています」
そう言って絵未の父は頭を軽く下げた。顔を上げると視線が合う。絵未に似て、顔つきも穏やかで優しそうな父親だった。
「は、初めまして。阿藤武志と申します。絵未ちゃ……絵未さんとお付き合いさせてもらってます」
俺はすかさず菓子折りを差し出した。ここまでは予行練習通りだ。
「おお。若いのに気が利くねぇ。武志くん、いける口かね?」
絵未の父は、右手に作った架空のグラスをくいっと上げる。
「は、はぁ……それなりに飲める方ですが……」
「ダメ! 今日は私がお客さんとして呼んだんだからね! お父さんは一人で飲んでいて!」
娘に嗜められて、しょんぼりする絵未の父。そして諦めは早かった。
「そうか……じゃあまた今度一緒に飲もう、武志くん」
「は、はい! その時は是非!」
「じゃあ私の部屋に案内するね。……お父さん、覗いちゃダメだからね」
絵未に案内されて部屋へと向かう。絵未の部屋は一階にあった。リビングとほど近い。
「ここが私の部屋。ようこそいらっしゃいませー」
絵未がドアを開け、俺はそうっと中へ入る。意外にこざっぱりした部屋で驚いた。もう少し女の子らしい華やいだ部屋を想像していたが、まるで違う。二段ベッドとタンスと机と本棚とドレッサー。どれも質素なものばかり。ぬいぐるみなどで溢れていない。……だけどただ一つ。
「あ、これ」
「うん。武志くんがUFOキャッチャーで取ってくれた、ぬいぐるみだよ」
そのぬいぐるみ一つだけが、布団の脇にポツリと寂しげに置かれていた。
「……女っ気ないなって、そう思ってるでしょう?」
「そ、そんなことないけど、シンプルで無駄のない部屋だなって……」
「あまり物を置くのが好きじゃないのかも。大切なものだけ、側に置いておきたいの」
そう言ってこの部屋唯一のぬいぐるみを指さした。
「寝る前にいつも、あのぬいぐるみに『武志くん、夢に出てきてね』ってお願いしてから寝てるんだ。残念ながら、出てきた事はまだないけど」
絵未は2号店で俺のロッカーに手紙を残すとき、お決まりの結び文句が二つあった。一つは『大好き』。そしてもう一つは『夢に出てきてね』。
「さ、座って座って。今、お茶を持ってくるから」
そう言って絵未はパタパタと部屋を出る。そして今度はゆっくりと、コップとペットボトルのお茶を持って戻ってきた。
「それじゃ、お茶で乾杯でもしましょうか」
差し出されたグラスをカチリと合わせてお茶を飲む。次第に緊張も和らいで、会話も弾み出した12時頃、絵未が急に立ち上がった。
「そうだ! 大切な事忘れてた!」
そう言って机に向かいガサガサと何かを漁り始める。手に持ってきたのは小さなポーチと使い捨てカメラ。
「前からね、武志くんに化粧をしたいと思ってたの。目鼻立ちも整っていて、絶対化粧映えする顔だから」
「ちょ、ちょっと待って! 化粧なんて……何考えてるんだ。ヤダよ! 恥ずかしい!」
「ふふふ。ここは私の家なのです。いっつも武志くんの家では私、いじめられてるからね」
「いじめてる訳じゃないじゃん。絵未ちゃん、いっつもメチャクチャよがってるじゃん」
「ええい! しのごの言わず今日くらいは私の好きにさせてよぅ! ……大丈夫、怖くない。この絵未さんが、すっごい綺麗にしてあげるから」
絵未のアーモンドアイがくりくりになっている。……こういう時の絵未は本気だ。それにここは相手の本陣。逆らっても抵抗力は弱い。
「……わかったよ。そのかわり、すっごい美人に仕上げてよね」
「まっかせて! 武志くん、全体的に男の子らしいけど、顔のパーツは女の子っぽいところがあるんだよね。ここは私の腕の見せ所だよ!」
俺は目を閉じ観念した。顔に何かが塗りたくられて、パフパフされる。目の上下にこそばゆい感覚がするのを必死に我慢すると、最後は唇に、厚ぼったい感触が襲った。
「ああ、ちょっとだけ口を開いて。……あ、目はまだ開けちゃダメだよ」
「よし、できた! 武志くん……目を開けていいよ」
その言葉にそっと目を開けると、いつの間にか手鏡が眼前に迫っていた。それを見た俺は。
「……えっ? こ、これがアタシ……って、なるかぁ! 全然女の子じゃないじゃん! ビジュアル系バンドか新宿二丁目の店員だよ、これじゃ!」
「……最善を尽くしましたが、思っていたよりも手術が難航しまして……ご愁傷様です。……なんてウソウソ。結構似合ってるよ! うん、かわいい……ってよりカッコイイ、かな?」
絵未はお腹を抱えて笑い出す。ひとしきり笑い終わると、使い捨てカメラを手に取り出した。
「ま、まさか……写真を撮るのか……それだけはやめてくれ!」
「いいじゃん。私たち一緒に写真撮った事、あまりないからさ、記念に残そう。ね?」
懇願する健気な顔でそう言われれば、断れる訳がない。絵未が満足するまで色々な角度から撮影された後、最後は肩を並べて寄り添って、手を伸ばして一緒に写真を撮った。
流石にこのまま寝る訳にはいかない。時間はすでに1時前。絵未の家族は寝静まっている。
絵未に連れられそっと洗面所に行き、化粧を落とす。
「じゃ、私たちも寝よっか?」
俺は持参したスウェットに着替え、絵未もパジャマに着替える。二段ベットの上で二人寝るのはちょっと厳しい。床に敷いた布団に一緒に入ると、いつものお決まりのパターンだ。
「だ、ダメだって……家族が起きたらどうす……るの……」
絵未の抵抗は最初だけだった。その後は俺に身を委ねる。
俺は化粧のお返しとばかりに、いつもより少しだけ荒々しく責め立てる。口元を押さえながら、声を出さない様に我慢している絵未が、たまらなく愛おしく思えた。
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