第17話 199X年 5月

 5月の大型連休は、ご多分に洩れずカラオケ店も多忙である。まとまった連休なんてここ半年以上、取った事がない。


 絵未と一泊でもいいから旅行に行きたいなぁ。


 そんな事を考えながら、業務に忙殺される日々を送っていた。


 絵未がショートに髪型を変えて初出勤した翌日、予想通り2号店は騒ついた。絵未本人は「気分転換だよ」なんて周りに話していた様だけど、噂は真実味をはらみ、2号店内を飛び交った。



 ———あの二人、付き合ってるんじゃないの?



 かっちゃんが懸命に火消し役をしてくれた様だが、ウワサは小火ぼやではすまない程度まで広がってしまった。ただ、決定的な証拠がない。それだけが唯一の救いだった。



 絵未は休み以外にも、週一回は着替えを持って俺の家に泊まりにきた。中番と遅番が入れ替わる変則シフトの俺に合わせてくれた。互いに翌日仕事があっても、前日俺が中番なら、夜は一緒にいることができる。基本早番の絵未が自分の私用をずらしながら、うまく調整してくれているのだ。



 ———————————————————————————————

 明日中番だよね。いつものところで待ってるから。好きだよ。えみ

 ———————————————————————————————



 そんな内容の小さな手紙が、俺のロッカーに置かれるのだ。夕方6時に仕事が終わり、早番のバイトたちと、ゆっくり賄いを食べても店にいられるのは、8時くらいが限界だ。その後は中番の俺が仕事が終わる10時までの二時間弱、絵未は駅前でブラブラ時間を潰すらしい。



 そうして週二は逢瀬を重ねる日々を続けたが、それ以外でも会えない日には、自宅の電話で長話をした。


 電話で話すときは、朝が多い。俺が遅番の仕事が終わり、絵未が出勤前の時間、つまり朝の9時頃だ。俺は朝の5時に仕事が終わって四時間ほど眠い目を擦りながら、絵未からの連絡を待つのだ。



 俺のポケベルが鳴る。番号は絵未の自宅だ。出勤準備は整って、これから楽しいお電話タイムっての始まりなのだが。



「———でね、その子ったら「もう彼氏と別れる!」なんて言うんだよ。信じられる? そんな理由で別れるなんてさぁ」


「……うん。ありえな……いね……」


 一瞬、睡魔に持っていかれそうになった。


 遅番の仕事が終わった後の俺の体力では、電話で話す事なんて30分が限界だ。部屋で家電話の子機を耳に当ててるが、体は既に布団の中だ。


「あー。もう寝る気だな。……もうちょっとだけ、話そうよぅ」


「うん。……話そう。俺ももう少し絵未ちゃんの声、聞きたいし」


 思考がぼやけてくると、あまり言わない言葉がつい出てきてしまう。いつもなら、恥ずかしくて心の中で蓋をしてしまい、なかなか口にはしない絵未への愛念だ。


「あー! そんな事、電話じゃあまり言わないのに! さては昨日何かあったな! ……まさか中番か遅番の女の子に告られたとか!? さあ! 全て吐くんだ、阿藤武志!」



 絵未は俺を揶揄するときや、詰問するときには決まってフルネームで名前を呼ぶ。そんな何気ない口癖も、絵未を好きなところの一つなんだけど。やっぱり恥ずかしくて、伝えた事はない。



「何もないよ……だいたい中番の女の子なんて、絵未ちゃんが仲良い子たちばっかだし、遅番の女の子なんて二人だけじゃん。一人は彼氏いるって聞いてるし。俺の事なんて眼中ないよ」


「やっぱわかってないな、武志くんは。……一昨日ね、バイトが足りなかったから私、早・中番の通し勤務だったでしょ? その時中番のある子から、聞かれたんだ。『阿藤さんって彼女いるんですか?』って」


「え? そうなの?」


「うん。私たちの事に気づいてカマかけているのか、本気で気にしているのかはわからなかったけどね」


「で、絵未ちゃんは何て答えたの?」


「『私が彼女です!』って言えればよかったんだけどねぇ……言える訳ないから、適当に誤魔化しといたよ。『いるんじゃないかなぁ?』って。……はぁ。堂々と彼女って名乗れないなんて、かわいそうな私」


「ふーん。で、その子は誰?」


「教えるわけないでしょぅ! 言ったら武志くん、絶対ちょっかい出すもん!」



 ちょっかいなんて出す訳ないだろう。俺の心は絵未で満たされているんだから。


 だけど、そんな事は電話で言うのは恥ずかしい。それに、せっかく言うのなら、絵未が喜ぶ顔をこの目で見てみたい。



 俺はその言葉を飲み込んで、当たり障りのない回答を選択した。


「出さないよ。絵未ちゃんと繋がっている子になんて、怖くて手なんか出せない」


「おっと。その発言ですと、私と繋がっていない女の子には手を出すと言っている様なものですが?」


「またそうやって、揚げ足をとるんだから。……大丈夫、心配しないで……絵未が大好……き……だか……ら……」


 いよいよ睡魔に白旗を上げた俺は、子機を手にしたまま、枕に顔を埋めてしまった。


「ちょっと! 武志くん! 肝心なところ! よく聞き取れなかった! もう一度! おーい! 応答せよぉー! ……ま、仕方ないか。昨日遅番だったもんね。じゃあ、私もそろそろ仕事に行くね。夢の中で私を見つけてね。おやすみ」


 手から転げ落ちた子機から、絵未の声がさわさわと耳に届く。程なくして「ツーツー」という電子音が、通話の終わりを告げた。



 ちょっとヤキモチ妬きだけど、嘘が嫌いで、誰にでも優しい絵未。



 顔を埋めた枕には、数ヶ月前にはなかった匂いが混じっている。絵未の匂いだ。少し甘ったるくて馥郁ふくいくとした香りに目を閉じると、俺は絵未を独り占めした気持ちになる。そして、心地よい眠りへと落ちていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る