第10話 199X年 1月 2/3

 俺はカーテンの隙間から差し込む光と、何やらカリカリする音で目が覚めた。


 うっすらと目を開けると、俺のTシャツを着た絵未が、うつ伏せで何かを書いていた。俺の部屋は四畳半しかない。本棚と机を置けば、残りはほぼ布団のスペースだ。


 半分微睡まどろみながら、昨晩の情事を思い出す。


 白く細い肢体———胸は小さめだったがその感度はよく、確実に反応を示してくれた。今までの本能剥き出しのSEXとは違って、お互いを確かめ合う優しい交わりだった。

 重なる体を支える腕に、乱れた長い黒髪が絡みつく。絵未は細い指で何度も何度も、下から俺の顔を撫でてくれた。撫でながら、恥じらいと恍惚を織り交ぜた声を幾度となく漏らした。終わった後の達成感は、今までで感じた事がないものだった。



「よし」


 絵未が小さく声を出しこっちを見る。目が合ってしまった。


「あ、お、起きていたの? 武志くん」


「ううん。今起きたところ。おはよう、絵未ちゃん」


 絵未は後ろ手で書いていた何かを隠す。俺は気が付かないフリをして、タバコに火をつけた。


 

 ……なんか分からないけど、知らないフリして黙っておこう。



 タバコを吸う俺の目を盗み、絵未は何かを布団の下に仕舞い込んだ。灰皿に吸い殻を揉み消すと、俺は絵未を見る。俺のTシャツは絵未には大きすぎる。

 半身を起こした絵未は、華奢な肩と綺麗な鎖骨があらわになっていた。


「お腹、空いた?」


「ううん。平気」


「じゃあ、お腹減らした方がいいかもね」


 そう言って俺は、絵未に覆い被さる。


「え、ちょっと……もう、起きてすぐなの……に……」


 絵未からそれ以上の言葉は出なかった。代わりに出たのは、俺の気持ちを受け入れた、小さな忘我のさえずりだった。夜の帳もなく、遮るものが何もない明るい場所での情交は、結果、昨晩以上に二人を燃え上がらせた。




 事が終わりお互い意識が引き戻されると、流石に腹が減ってきた。


 俺は一階に降りて冷蔵庫を漁り、簡単に食べられる物を用意する。麦茶も添えて戻ってくると、絵未は自分の服に着替え終わっていた。


「あれ? もう着替えちゃったの? もっと見ていたかったのになぁ」


「これ以上あの姿のままでいると、体が持たないことに気がついたので、着替えさせてもらいました。……この部屋にはエッチな狼がいるみたいだから」


 絵未は意地悪く、あっかんべーをして見せる。


 俺は「ははは」と笑い振り返る。朝食が乗ったトレイを床に置こうとしゃがみ込むと、ふわりと背中に絵未が覆い被さった。


「……だけど、とっても優しくて男らしい狼さんだった。大好きだよ」


「俺もだよ」



 軽い口付けを済ませると、楽しい朝食の始まりだ。

 俺たちは会話を弾ませながら、トーストに齧り付く。



「しっかし……女ったらしの噂は本当だったのか……阿藤武志」


「何言ってんの? そういう絵未ちゃんだって、経験浅いって訳じゃないでしょ? ……実際何人目なの? 俺で」


「それ……女の子に聞きますか!? 普通」


「うん、興味ある。別に過去には拘らないけど、好きな人の事は知っておきたいなぁ」


 トーストを齧る手を止めて、絵未は上目使いで俺を見た。


「武志くんで三人目だよ……一人はもちろん元カレで、もう一人は高校卒業の時に好きだった人と、一回だけ……」


 は? さ、三人? 俺入れて? ……マジか! 俺と同じ21歳で、そのルックスで過去二人だけとは……。ゴメン、俺。軽く30倍はいってます……!


「さあ。私は言ったんだからね。武志くんも教えてよ」


 言えない……。言ったら絶対ドン引きされる。こんな話題、振らなきゃよかったぁ!!


「さあさあ! 言うんだ! 阿藤武志!」


「……この話、ナシにしない?」


「ダーメ。私も言ったんだから、聞く権利があります。それにね、私も、好きな人の事は知っておきたいんだけど……」


 そんな目で言われれば、素直に言うしかない。俺は覚悟を決めた。


「はっきりと覚えていないけど、三桁はあると思います……!」


「———やっぱりか! この女ったらしめ! 女の敵め!」


「待て! 違う! 半分以上は向こうから誘ってきたんだ! だからその分の数字はマイナスにしてくれ!」


「……誘われても、しなければいいじゃん」



 正論です。だけど男はそうそう理屈で動ける生き物じゃない。



「そうなんだけど……ずっと彼女って特定の人はいなかったし、断る理由もないし、断ったら女の子に恥をかかせてしまうし……」


「まあ……知ってたけどね。それぐらいの経験あること」


「……!? な、なんで?」


「だって年末、2号店の忘年会があったでしょ? あの時、男子連中でそんな話で盛り上がってたって、遅番の女の子が聞いてたみたいだよ」


 確かに……男子連中には酔っ払って話したかもしれない。若い男同士では「何人とした」なんて、勲章の様なものでもある。


 昼の12時から朝方5時まで、30人近いバイトが働く2号店では、店を閉店してみんな揃って忘年会という訳にはいかない。カラオケ店にとって年末は、稼ぎ時でもあるからだ。


 なので2号店の忘年会は、店内にある大きめの部屋を一つクローズして、そこが忘年会会場となる。早番の仕事が終わる夕方6時からスタートし、バイトが終わった人から徐々に参加する形式の忘年会だ。

 その日遅番だった俺は、店を閉めた朝方5時から参加して、朝8時の宴会終了まで飲んでいた。遅番の俺たちが参加した時間には、当然絵未も含めた早番のバイトは全員帰宅していたし、残っていたのは中番のバイトの中でも、酔い潰れていた人と数人の酒豪のみ。


 ……恐るべし、2号店の女子ネットワーク。


「まあ、それ聞いた時は、正直少し引いたけどね。……でも、もう好きになっちゃってたし、彼女はいないって聞いてたから、モテる男の子なら仕方ないのかなーってね」


「そ、そうなんです! 彼女がいたら、浮気はしません! 絶対に!」


「……本当かな?」


「本当だって! 信じてよ!」


「……分かった。信じるね。武志くんが仕事に真面目なところも、たくさん知ってるからね。男子バイトから武志くん、結構頼られているんだよ。みんなそう言ってる」


 2号店の男子ネットワークも捨てたもんじゃない。ナイスフォロー! 今度酒でも奢ってやらないと。


「なので、これからは絵未一人にしてください。……泣かしちゃヤダよ?」


「うん。約束する。これからは絵未ちゃんだけだ」


 その言葉を聞いた絵未は、えくぼを作って微笑んだ。

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