第33話 懺悔(後編)
一分後、コルヌの耳が寝たのを見届けてから、僕はサノーに懐中電灯を向けた。
「ラウルム国王にはああ言っておったが、わしのことは嫌じゃないのか?」
「まあ……」
「それはよかった。立っているのもなんじゃ、ここに座るとよい」
サノーに手を引かれ、僕はかつて魔神カエルムのベッドに腰を下ろした。
「サノーはカエルムの残した遺言を聞いたのか?」
「まだじゃ。これは第一にお前さんに相談した方がいいと思うたからのう」
サノーは握りしめた手を差し出した。氷のような澄んだ結晶が懐中電灯の光を受けてきらきらと輝いていた。
サノーが手鏡を当てる。結晶の中に七色の光が現れたかと思うと、衰弱し、囁きかけるようなカエルムの声が聞こえてきた。
「私に残された時間はもう少ない。まもなく彼女が私に鉄槌を下すだろう。その前に、伝えなければならないことがある。どうしたら彼女を止められるかだ。確証はないが、彼女の行動を見ているうちに、この方法しかないと判断した。
フロース、そしてイグニスの妖霊を受け継いだ君、心して聞いてほしい。まずは神霊と崇められた彼女が何故このような残虐非道に手を染めたのか、私の考えを述べよう。
彼女にとって妖族も魔族も違いはない。ただ命ある物として認識し、殺戮の対象としている。彼女が求めているのは無数の亡骸から放出される膨大なエネルギーだ。〈
しかし、常識で考えて〈
そこで、だ。重要となるのは彼女自身が出した三つの質問だと私は考えた。〈
彼女は答えを求めている。きっと一万年もの間ずっと苦しんでいたのだろう。私は答えを見つけることも出来ず、彼女に心を支配された。二人には同じ思いはして欲しくない」
音が消える。もう終わりかと思った時、カエルムが唸るような溜め息をつくのが聞こえた。まだ続いていたのか。
「まだ少し時間がありそうだ。これからは私の懺悔に入ろう。次は私の犯した罪について。私は二度の殺人を犯した。全てはイグニスを救い、フロースの視力を守るためだった。
考古学や妖族の在り方に詳しいサノーから私は神霊の力と居場所について聞かされていた。命を司る虹ウサギであれば、イグニスを助けられるかもしれないと私は虹の神殿に訪れた。三日三晩、玄関ホールの聖女像に祈りを捧げた結果、虹ウサギは私に会ってくれた。そして、ある妖族の男の魂がイグニスと同じ軌道に乗っていて、その男の心臓であればイグニスに適合すると教えられた。
しかし、彼は既に大人だった。移植するにも大きさが合わなかったのだ。そこで〈
国王ラウルムにお願いして彼を呼び出すと、私は彼とともに〈
彼は騙され、乗せられ、詐欺行為をさせられた哀れな囚人だった。どうせ囚人だから、いなくなったところで不平を言う者はいないだろうと、私は彼を心のどこかで見下していたのかもしれない。
手順に沿って体に残った〈
私は全てをサノーに話した。そしてイグニスの病を治すために協力してくれと頼み込んだ。一人を殺してしまったことで、もう来るところまで来てしまったとサノーも思ったのだろう、渋々執刀に応じてくれた。
手術は成功した。イグニスは健康な体を手に入れ、フロースと無邪気に走り回れるようになるまで回復した。その代わり、私はサノーを失った。
医者としての在り方に疑問を抱き、もうメスを執る資格はないと言い残して城から出ていってしまった。かなりの痛手だったが、それでもいいと思っていた。あの日までは……。
三年前、私はラインザの森を訪れていた。〈
イグニスと話をし、帰ろうとした時、一人の少年が肩を落として歩いているのに気づいた。体の変形のない、胸に大きな傷を持った妖族だった。一目で私が七年前に死なせた少年だと気づいた。何故生きているのか、これまでどうやって生きてきたのか。私は導かれるように星の神殿を訪れた。そこで星ウサギに会った。神霊様は私に何かを問いかけたが、私は頭が真っ白になっていて答えることが出来なかった。そして、精神を支配された……。
今でも思う。あの時、イグニスを助けようとしなければこんなことにならずに済んだのかもしれない。そして〈
音声がプツリと切れた。僕はもう何も考えられなかった。正直言うと、最後の方はカエルムのボソボソ声をちゃんと聞き取れた自信がない。
「三つの質問って?」
「わしも二人から少し訊いていたが、ちゃんとは覚えておらんのう。お前さんや、なんだったかもう一回教えてくれんか?」
僕は拒否した。質問がどうとか、ステラの苦しみだとかどうだっていい。僕はもう僕自身のことしか考えられなかった。
サノーのカサカサした手が背中をさすった。こんなにも他人が嫌で仕方がない気持ちなのに、サノーにポンポンと叩かれるのだけは不思議と素直に受け入れる気分になれた。
「わしはお前さんが生きていてくれただけでも嬉しいと思っておる。お前さんがあの時の少年だったと知った時、わしの心がどれだけ救われたかわかるか?」
「別に僕のことなんかどうだってよかっただろう。所詮は作り物なんだ」
「それを言うなら、わしだって両の親から作られたようなもんじゃぞ。卑屈になる必要はない」
「……」
「覚えておるか? 星の神殿に運ばれ、星の力によって感情を手に入れたお前さんは初めて神殿を訪れたわしとイグニスを笑顔で出迎えてくれた。これから心臓を抜き取られるということも知らず、わしと遊ぼうと言ってくれた。お前さんはわしらの知らないワコクの遊びを沢山教えてくれた。かるた、花札、あやとり、おはじき、折り紙。走れないイグニスのために、座って出来る遊びばかり選んでくれた。夜更けまで遊ぶとお前さんは疲れてウトウトと寝始めた。また明日も遊ぼう。眠りに就く前、お前さんはそう言ってくれたな」
「おぼろげに覚えているよ。そして明日が訪れた時、サノーやイグニスはどこにもいなかった。胸に大きな傷があって、心臓が丸ごと無くなっていた。痛いし、触っても脈が感じられないことが怖くて、なんで生きていられるのか、いつか壊れたカラクリ人形みたいに突然動けなくなるんじゃないかって考えたらとても正気じゃあいられなかった」
震える僕を慰めてくれたのは銀色の天使、アルスだった。そっと僕の手を自分の胸に押しつけて、ほら、俺からも心臓の鼓動も聞こえないだろうって言ってくれた。
何の解決にもなっていなかった。それでも、僕の心は救われた。
どうやって生きているのかが問題なんじゃない。今生きていられているということが重要なんだと思うことにして。止まるなら止まるで、怖がらずに生きようと思ったんだ。
「アルスに会って来たらどうだ?」
この声はレグルス? 声のした方に懐中電灯を向ける。
しかし、どこを照らしても獅子の姿は見つけられなかった。
「〈
「でも、アルスは会ってくれないって」
「我輩が抜けた姿を見れば気持ちも変わるだろう。このままここで足踏みしていても何も解決されはしない。お前はフロースのためなら何でもすると誓った。ならば、フロースを神霊の手から解放することが何よりも優先すべきことだろう」
頭ではわかっていた。今、一番辛いのは間違いなくフロースなんだ。これまで一緒にいた僕がしっかりしないといけないんだ。
ゴウと炎の燃え盛る音が近づき、熱気が頬をなでつけた。
「そのためにもお前に立ち直ってもらう必要がある。お前がいない間、我輩は出来ることをしておく。早く行け」
「ごめん」
ぶっきらぼうな言葉が心に沁みた。今思えばレグルスだって、僕が偽物と知りながらイグニスとして接してくれてたんだよな。さぞ辛かっただろうに。
コルヌとサノーの視線が僕の足元から窓の方へと同時に上がった。孤高な烈火の獅子が単身で先に出発したようだ。きっと颯爽とした後ろ姿だったんだろうと思う。
「……アルスの所に行ってくる」
「それがよい。コルヌや、一緒に行ってやってくれんかのう?」
「いいよ、イグニス、こっち」
僕が反論する前にコルヌは僕の手を取ってグイグイ歩き始めた。大扉を出て、階段を下るかと思いきや、コルヌは上へ続く階段へと進んだ。
「どこに行こうとしているんだ?」
「屋上だよ。僕の妖霊イルトスに乗っていった方が速いから。さ、乗って」
「屋上って、高いんじゃないのか?」
「イルトスなら大丈夫だから。僕達に任せてよ、イグニス」
屋上に出るとコルヌの妖霊が姿を現したらしい。先に跨り、後ろのスペースをポンポンと手で叩いて示した。
手で鹿の背中の位置を確かめ、見えない背中に跨った。落とすと危ないので懐中電灯はしまった。
グラリ。暗闇の中で世界が揺れた。胸がフワッとする感覚。
落ちている。高速で落ちている!
電気の弾ける音が聞こえ、減速したかと思うと力強いギャロップのリズムが聞こえてきた。風が頬を撫でつける。風圧の強さを感じると、どれだけの速さで走っているのか想像がついた。
「イルトスは誇り高い鹿だから普通は人を背中に乗せるのを嫌がるんだ。でも、イグニスならいいって。これって凄いことなんだよ。だって、僕のお兄ちゃんのイグニスでさえ乗ったことなかったんだから」
「そりゃあどうも」
「ねえねえ、前世の記憶ってあったりするの?」
「ない」
「そっか……。僕ね、小さかったから本当のお父さんのこと全然覚えてないんだ。イグニスが本当のお父さんの生まれ変わりって聞いてもしかしてって思ったんだけど。あ、行き先は風の神殿でいいよね?」
「いや、星の神殿にしてほしい。なんとなく、〈
「オッケー。任せておいて」
風を追い越すようにイルトスは走った。この分なら星の神殿には二時間ほどで着くという。
早く、早くという思いが強まっていった。色々聞きたいことがある。あと、言いたいことも。
アルス頼むから僕の前に現れてくれ。今はアルスの力が必要なんだ。
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