第34話 アルスの過去(前編)

 星の神殿はラインザの森の奥で静かに佇んでいた。懐中電灯を当てるとコケの薄く生えた階段が見えた。

 コルヌに手を引かれ、一段一段慎重に上がる。中に入ると聖女像が見えた。

 懐中電灯を足元に置き、僕とコルヌは祈りを捧げた。


「アルス、いないのか?」


 コルヌに見てもらったが、この部屋には妖獣の気配がないという。

 困ったな。本当に会ってくれないのか。


「見たところ、行き止まりだね」

「普通はアーラの呪いを受けていないと先には進めないからな」

「アルスが出てきてくれるのを待つしかないのかな」

「そうだな……」


 ここに来てボンヤリと思い出したことがある。

 僕はここで石で出来た壁をノックしていた。そうだ、聖女像の後ろにある少し色の濃い石から右に二つ、下に三つ目の石の場所だ。

 コルヌが聖女像に祈りを捧げている間、僕は懐中電灯で壁を照らしてその石を捜した。

 目当ての石を叩いてみると、コンコンと妙に軽い音がホール内に反響した。

 コルヌがハッと息を呑む。驚いたことに聖女像が突然涙を流し、滴ったところの石畳が水のように波打ち、穴が開いた。


「これって、どこかに繋がってるの?」

「……〈色封石ラピス・カラー〉の街に」

「なんでわかるの?」

「何度もここの穴を通ってたから」


 前に来た時は自分のことをイグニスだと思い込んでいたから全然気づかなかったんだな。今思うとここに来て全く懐かしさを感じなかったのが不思議でしょうがない。


 足元をしっかり照らしながら、僕は先に降りた。

 コルヌの声が待ってと追いかけてくる。

 少し下っただけで懐中電灯は必要なくなった。〈色封石ラピス・カラー〉の街が見えてきたからだ。

 〈フォンス〉の枯れたフロースでもこの街が見えていたから、今の僕でも見えると思っていたが、少し不思議な気分だ。

 やはり不自由なく物が見えるのはいいものだ。太陽が無くなった後、昔の人が光を取り戻すために躍起になったのもわかる。


「イグニスはずっとここにいたの?」

「うん。半分も思い出せてないけど」


 僕は真っ先にツバサの家に向かった。魔神城にいる時から、ここにアルスがいるような気がしていたんだ。


「あ、イルトス、どこに行くの?」


 家に入ろうとした時、コルヌの妖霊が拒絶するように家から離れた。


「この中から風ウサギ様の気配を感じた。そこの少年以外は通すなと言っている」

「なんで僕は入っちゃいけないの?」

「部外者だからじゃないか。いい子だから向こうで一緒に時間を潰していよう」

「ええー。待ってよ、ねえ」


 一人と一羽は元気に走り去った。ペンナが呼んでいるのか。なら一人で行った方がよさそうだな。

 家に入って階段を上がる。今思うと物の位置をハッキリと覚えていたことは不思議でもなんでもなかったんだな。

 リフォームごっこと言ってアルスと一緒に家具の位置を変えたことも思い出した。

 ツバサの部屋が僕の寝室だったから、アルスの寝床も作ろうってソファーを運び込んだりして。


 楽しかったな、あの頃は。


 ツバサの部屋を開ける。中には誰もいなかった。

 おかしいな。アルスはともかくペンナはいるはずなのに。


「まだ飴は舐めないんだ」

「誰かいるのか?」

「今は妖霊が見えないんだったね。ベッドの上よ」


 ペンナの声が楽しそうに笑った。


「舐めちゃえばいいのに。そうしたら全部スッキリするよ」

「僕はあんたと前から一緒にここにいたのか?」

「いいえ。私は空白になっている貴方の十年間を偽の記憶で埋めてあげて、大切なアルスを与えただけ。直接話したことはなかったよ」

「空白の十年間?」

「貴方は生まれた時から十歳だったからね。嘘でも記憶があれば十年生きてきた気になれるでしょ? だからワコクにいたとある男の記憶を分け与えてあげたの。あなたがワコクの文字を読めたり、ワコクの遊びに詳しかったりしたのはそのためよ」


 ベッドから下りてきたらしい。声が近づいてきた。


「私でよければ宿ってあげよっか」

「やめてくれよ」

「大丈夫。ステラみたいに体を乗っ取ったりしないから。この部屋にアルスもいるの。会いたいなら私の力が必要よ」


 やはりこの部屋にいるのか……。そうだな、声は聞こえても顔が見えないんじゃあ話しづらい。

 気は進まなかったが、ペンナに宿ってもらうことにした。

 手を出すとキラキラと妙な音がして、部屋全体の色調が少し変化した。

 隣に紫色の輪郭が浮かび上がり、ペンナの姿が見えるようになった。空っぽだったソファーにも銀色の羽の塊が見えてきた。

 ああ、アルスだ。銀色の羽ですっかり体を覆って、寝息を立てている。


 ペンナはアルスの肩を優しく叩くと、アルスはううんと呻き声を上げて羽の隙間から顔を出した。

 目と目が合った瞬間、アルスは驚いて飛び起きた。その時に自分の羽を手でふんでしまい、バランスを崩したアルスはソファーから転げ落ちた。


「お前、なんでここにいるんだよ!」

「ごめん。自分が誰なのか思い出しちゃったんだ。アルスってあんまり名前は呼んだことなかった気がするけど、一緒にここで兄弟みたいに暮らしてたことも少しずつ思い出してる」

「思い出した……? ふざけるなよ。こっちは決死の覚悟でお前から離れることを決めたんだぞ。それなのに、こんなにも早く思い出しただって?」

「そっちだって酷いだろう。フロースが僕を消そうとしてるってわかった時点でなんで止めてくれなかったんだよ。〈赤霊峰マウント・ルーベル〉で目が覚めた瞬間に一時的に宿ることになった、宜しく、なんて他人行儀なこと言っちゃって」

「お前が本物のイグニスになりたいっていうから合わせてやったんだろう。酷いな。こっちは辻褄合わせに演技に、どんだけ神経すり減らしたと思ってんだ」


 アルスの拗ねた表情を見て嬉しかった。

 正直、ここまで寂しがっていたとは思っていなかったんだ。


「レグルスはどうしたんだよ? ってか、今はウェントスと契約が結ばれてる?」

「レグルスなら僕が自分を思い出した時に出ていったよ。で、妖霊が見えないからペンナに一時的に宿ってもらった」

「ふうん。それで? なんで来たんだよ?」


 アルスはソファーに座り直し、羽を畳んだ。僕はパーティーで起こったことを全て話した。

 フロースが〈心臓カルディア〉の主になったことを知ってアルスは表情を硬くした。


「そりゃあ、まずいな……。フロースも魔神カエルムとそう立場が変わらない。次の宿主を見つけたらステラに殺されるだろうな」

「三つの質問って覚えてるか? 正直、あんまり気にしてなかったから」

「ああ。覚えてるよ。風の神殿で聞いたのが『人に激しく恋い焦がれる気持ち、果たしてそれは愛か狂気か』。虹の神殿で聞いたのが『寿命を超えて脈打つ命、果たしてそれは重いか軽いか』。そんでもって星の神殿で聞いたのが『脳裏に浮かぶ遠い日の記憶、果たしてそれは真実か偽りか』だろ?」

「そう、それ。答え、わかるか?」

「わかるわけないだろ。秘宝は結局ガラクタで、質問の答えには繋がりそうにない。秘宝を抜きにして考えるとしても条件が少なすぎる。感情を決める基準って? ツバサの言ってた傾動天秤理論の扱い方は? 真実かどうかも何人の意見が一致すれば真実とか、そういうことが一切言われていないだろう。お手上げだよ」


 本当にアルスって時々細かいよな。普通、基準がどうとかまで気が回らないって。

 ペンナがコホンと咳払いし、腕を組んだ。アルスがドキリとした表情をし、様子を探るような上目遣いで見上げた。


「そろそろ頃合いなんじゃないかしら?」

「頃合いって?」

「貴方も真実と向き合う時が来たんじゃないかってこと」


 何かを感じ取り、アルスが逃げ腰になる。その腕をペンナが捕まえた。


「真実と向き合う? 何の話だ?」

「こういう話よ」


 深く息を吸い込むと、ペンナはアルスの耳に息を吹きかけた。

 僕が前に、この家を思い出すためにやられたのと同じだ。

 アルスにも封印されていた記憶があるってことか? それをペンナが解いた?


「あ……あああ」


 アルスが頭を抱え、呻き始める。目を瞬かせ、キョロキョロと辺りを見回した。

 僕が大丈夫かと声をかけようとすると、ペンナが手を前に出して止めた。

 ペンナが一歩前に出る。目と目が合い、あっとアルスが声にならない声を上げた。


「思い出した? イタクラユウヤ君?」


 ペンナが悪戯っぽく言う。

 イタクラ ユウヤって実験ノートの? どういうつもりでペンナはそんなことを言ったんだ?


「えっと、ど、どう言えばいいかな……」


 アルスは柄にも合わず口ごもっていた。ペンナがもう一歩前へ出ると、アルスも反射的に後退した。

 アルスがやばいとでも言うように顔を強張らせる。怯えているようにも見えた。


「やっぱり避ける? 私のこと」

「えっと……」

「怖がらないでよ。私はツバサじゃないよ?」

「わかってる。わかってるんだ。でも……」


 アルスはペンナの手を振り払うと一目散に駆け出した。

 勢いよく開け放たれたドアが壁に当たって跳ね返り、再び閉じた。


「今の、どういう意味? アルスがユウヤって」

「まぁ、そのままの意味なんだけど。本人に直接訊いてみたら? 私は姿を隠しておくから」


 ペンナは風に溶けて消えた。

 アルスを追って廊下に出ると、銀色の羽が落ちていた。羽を辿って家の外に行き、住宅街を進んで二つ目の角を左へ曲がる。

 するとそこには小さな公園があって、アルスはそこのベンチにいた。寝ていた時と同じように羽で体を覆いながら丸くなっている。

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