第109話 なんとか誘惑を振り切った僕
日課の剣の素振りを行うため部屋のドアを開けるとメイドのソフィアが佇んでいた。夜通し廊下に立っていたのだろうか……
「おはようソフィア。昨日のお風呂も食事も最高だったからぐっすり眠れたよ。ありがとう」
「おはようございます。勿体ないお言葉ありがとうございます。お出かけでしょうか? 朝食はどうされますか?」
若干ソフィアの顔は引きつっているようにも思えるが気にせずに話を進めることにした。
「ちょっと剣の素振りをしてくるよ。一時間くらいで終わるから朝食はその後でもいいかな?」
「分かりました。正面玄関を出て左手の方に庭がありますのでそちらをお使いください」
ソフィアはゆっくりとお辞儀をするとその場を去って行った。
(あれは相当怒っているな。チェイスを落とせなかったことで侯爵にも怒られたんだろうな。かわいそうに……)
(そんなこと言ってもどうしようもないでしょ。本当にソフィアは何者なんだろうね……)
(何の身分も持たない町娘にチェイスを落とさせても仕方ないしどっかの貴族の娘だとは思うんだがな……)
素振りを終えて部屋に戻るとすぐにソフィアが食事を持って来てくれた。朝食とは思えないほどのボリュームだ。
朝食を食べ終えたころグレンヴィル領軍総司令官のジリアンが部屋にやってきた。なぜかソフィアは隅の方で縮こまっている。
「眠れたか? 冒険者ギルドへの指名依頼は既に出してあるから時間があるときに受諾してくれ。騎士団への命令書はなぜか分からんがまだ時間がかかっているようだから出発はもうしばらく待っていてくれとのことだ」
「分かりました。とりあえず今日冒険者ギルドで依頼を受けてきます。ソフィア、時間があるときでいいから冒険者ギルドまで案内してもらってもいいかな?」
ジリアンがソフィア存在に気付いたようだ。
「ソフィア様でしたか。そんな隅の方にいらっしゃるので気づきませんで、失礼しました。しかし、チェイス殿、いくら国を救った英雄といっても侯爵の娘を呼び捨てはまずいんじゃないか?」
ある程度高貴な身分だと思っていたが侯爵令嬢だったとは……ソフィアはうなだれて首を横に振っている。
「まさか侯爵令嬢でしたとは、これは失礼しました。数々の御無礼お許しください。あとよろしければご無礼につきましては秘密にしていただけますと助かります」
ジリアンが何をしたんだと少し青い顔をしているがそれを無視してソフィアが声を出した。
「いいえ、私こそ名乗らなかったのがいけませんでしたので、お互い忘れることにしましょう」
それだけ言うとソフィアは部屋を出て行ってしまった。
「本当に何をしたんだ? 後で侯爵様に怒られても知らんぞ」
「大したことではありませんよ。僕が彼女のことをメイドと勘違いしていただけですのでソフィア様が許してくれればそれで済む話です」
真っ裸でお風呂で背中を流してくれたなどお互いに忘れた方が良い話だ。しかし僕を凋落するためとはいえ、実の娘まで利用するとは侯爵とは恐ろしい存在だ。
チェイスの篭絡に失敗したとの報告が娘のソフィアからあった。侯爵家の娘として男を懐柔する技術について教育を施してきたソフィアをもってしても失敗するとは予想外の出来事であった。
「サイモン、チェイスの篭絡は失敗に終わったようだ。既成事実さえ作ってしまえば婿に取れなくとも、チェイスの下にソフィアを嫁にやり間接的に操れると思ったが甘かったようだな。洗料や料理に媚薬成分も使ったようだがチェイスには何らかの耐性があるのかもしれん」
側近のサイモンはいぶかしげに顔をしかめる。
「ソフィア様が媚薬を用いても篭絡できないとなると他の手段を用いても難しいでしょうな。味方のうちは頼もしいですが、万が一あれが敵に回ると考えるだけでも恐ろしい……懐柔できないとなると殺害か、ユールシア連邦との不可侵条約締結を王に進言すべきでしょう」
「複数人の騎士で戦えば殺せんことはないだろうが、証拠が残ればユールシア連邦をも敵に回すことになるし、幸いチェイスはエイジア王国が母国で悪い感情は持っていないようだからな……チェイスにはできる限り協力してもらうのが無難だろう」
「そうですな……王には此度のことを報告し、チェイスの調査について進言致しましょう」
「ああ、頼んだ。どうにも私はチェイスがこの国に災いをもたらす気がしてならんのだ」
数千の兵を壊滅させるなど王国の魔法騎士団が束になってかかっても不可能な話である。それをたった一人の男がやってしまったとなれば脅威に感じるのは仕方のない話だ。私の心配が杞憂に終わればよいが今回ばかりはこの予感が当たる気がしてならない。
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