第6話 カナデという女性
「……では、そもそも、今回の暴動は、そのカナデ・ハーンとやらが発端だったというのだな」
収容所の警備班長は渋い顔をして、所長であるデュマの前に立っていた。対するデュマも苦虫を噛み潰したような顔である。
「はい、配下の警備兵のひとりが、どうやら、任務のどさくさに生じて、難民の若い女性を暴行しようとしたらしいのです」
「暴行だと!」
「それで、その現場を目撃したその女性……つまり、カナデ・ハーンが、警備兵の後頭部を殴りとばしまして……それで兵士は反射的にカナデ・ハーンを銃撃してしまったのです。それを見た難民たちが騒いで、警備兵に掴みかかる騒ぎとなり、またたく間に暴動に発展したようです」
部下の不祥事を、施設の最高責任者に報告する羽目になった警備班長は、いかつい身体を心なしかちいさく縮めてデュマの前に屹立するのみである。
その頭上を、デュマの野太い怒号が襲う。
「未遂とはいえ、難民を暴行しようとするとは、君は一体どう部下を教育しているのかね!」
「申し訳ございません!」
「謝って済む問題じゃないぞ! 軍紀はいったい、どうなっている?」
「暴行に及んだ兵士は軍法会議にかけ、以後、再発防止に努めます!」
「当たり前だ!」
デュマは浅黒い顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。暴動などという、収容所において一番あってはならないことが起こったのである。しかもその発端は、兵士による婦女暴行未遂。
まったくもって、なんていうことをしてくれたんだ、という気分であった。
これを地球の革命軍政府にどう報告すればいいのか。それを考えると、デュマは頭が痛かった。ただでさえ、政府幹部に厄介な存在だと思われているこの施設の責任者として。
――この不祥事を報告するにしても、なにか別の朗報とともに通達できれば、俺の首も飛ばずに済むのだが。
警備班長が退出してからも、自らの保身、デュマの頭の中はそのことで一杯である。
――なにか、なにか、せめて目立つ成果を。
そのとき、デュマの頭の中でひとつの考えが閃いた。デュマはすかさず手元のモニターに、この施設に収容されている難民のデータベースを呼び出す。
そして、検索ウィンドウに、先ほど耳にしたばかりの名前を打ち込む。
「カナデ・ハーン」
すると瞬時に、彼女についての情報がモニターに浮かび上がった。まずは、顔写真。意外なことに、その顔は細面の上品な老婦人といった風貌であった。
淡い琥珀色の瞳に、ひとつに纏めた長く白い髪。年齢欄を見れば、五十一歳。
――なるほど、確かに年相応の皺がこの顔には刻まれているな。それにしても、この歳で兵士をぶん殴るとは、相当のタマだな、このばあさんは。
ついで、出身地や家族構成のデータが浮かび上がる。
「出身、シベリア中央州。……家族構成……夫とは十八年前に離別。生死不明。息子が一名地球にて存命。居住地不詳」
そこまでデータを読み込むと、デュマのアイスブルーの瞳が妖しく光った。
――ふむ。これなら、申し分ない。いけるかもしれないな。
そして、彼の手はテレフォンを操る。すぐに相手と通話は繋がった。モニターに映るは、ショートカットにあつらえた赤い髪の女性の姿である。
「君の出番だ。すぐに所長室まで来てくれ、すぐにだ」
「本気ですか? 所長。あの試薬は未完成だと、この間、報告したばかりですが」
「分かっている。だが、おあつらえ向きな年齢の被験体が現われたんだ。この機を逃すことは、できない」
「ですが、せっかくの試薬を無駄にすることにも、なりかねません」
二十分後、所長室には赤毛を揺らし、デュマと対峙するドロシーの姿があった。彼女は意外すぎるデュマの命に驚き、半ば呆れて抗弁した。
「構わんよ、もし失敗したら、また試薬を作れば良い。今回の実験が失敗したとしても、それも今後の研究の良い試金石になることだろうし、被験体のデータは多いにこしたことはない。それに、被験体候補に挙げたカナデ・ハーンは、いま、虫の息とのことじゃないか。だったら、君たちの罪悪感も少なかろう」
すると、ドロシーは紫の瞳をデュマに向けて激しく光らせた。どこにぶつければ分からぬ憤りを募らせながら。
「君たち、ではなく、私たち、ではないですか、所長。この研究所にいる限り、私たちは、みな、共犯者です」
「……ふむ、たしかにそうだな。では言い換えるとしよう。……人体実験を行うにあたり、どうせ死ぬ人間を被験体にするのならば、私たちは罪悪感を多く抱かなくて済む……、と」
「それはそうですが、あの試薬をいま、無駄にするわけには」
なおも抗おうとするドロシーに向かって、デュマがその言葉を遮った。
「ドロシー・ケフ。君は優秀な研究者だ。だが、もともと、我が国の出身ではない人間でもある」
「所長」
「それにもかかわらず、君が、いまの地位に収まっていることの意味が分かるかな? うん?」
ドロシーが息を呑む気配がした。そして、視線を静かに下に落としながら、震える唇を噛む気配も。
「私を、脅迫するおつもりですか」
彼女はか細い声で最後の抵抗を試みる。
だが、そこまでであった。しばらくの沈黙の後、ドロシーは、弱々しく受託の意を口にした。
「了解です」
「それでいい、ドロシー。ああ、そうだ、このたびの実験の責任者は、ジーン・カナハラにやらせるといい。忠誠心と覚悟を試す、良い機会だからな」
ドロシーは、その指示にもデュマの前で一礼して応じた。一度受託してしまえば、彼女にもう、そうするしか、道は残されていなかったからだ。それは、これより遥か前に、彼女が自ら選び取った道でもあったから、でも、あるが。
壁に掛けられた、レ・サリの肖像画が、にこり、とドロシーに向かって笑みを投げかけたような気がした。
もちろん、気のせいでしかないとは分かっていた。
だが、それが彼女の心を、さらに濁らせた。
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